Fate/crescent 蒼月の少女【完結】 作:モモのすけ
「────……っ‼︎‼︎」
一筋の閃光が、彼の身体を貫いた。
それを脳で理解した時には既に、楓の目の前で倫太郎が薙ぎ倒されていた。
吹っ飛ばされて地面に叩きつけられる身体。うつ伏せになった倫太郎はぴくりとも動かず、楓は震えを噛み殺して倫太郎に駆け寄る。
「倫太郎、倫太郎っ⁉︎」
焼けた服と、その奥の皮膚が痛々しい。
だが、それだけではない。何か嫌な予感を感じて楓は屈み込む。
恐る恐る胸に耳を当てても、心臓の鼓動が聞こえてこなかった。
「…………‼︎‼︎」
思わず心肺蘇生を始めようとして、楓は動きを止める。
背中に突き刺さる視線は、間違いなく自分に狙いを定めている。
粘りつく殺気。背中を死神の鎌で撫でられているかのような感覚。
ぜえ、ぜえ、と、呼吸の荒さが増していく。
勝てない。こんな怪物に、自分一人で勝てるわけがない。
「どうした、娘。最初から脅威には入れていないが、私に挑まんとする気概も無いか」
「……アンタ、は……」
つう、と頬を伝った汗が地面に落ちる。
心臓の鼓動は痛いくらいに騒がしい。
そんな人も殺せそうな緊張感の中、楓は必死に考えていた。
倫太郎の魔術刻印に施された治癒能力は心臓を再び動かすだけの力を持つのか否か。持っていなければおしまいだ。持っていたとしても、恐らく倫太郎の覚醒にはそれなりの時間を要する。それまで、自分一人で彼を守らなければならない。
とはいえ──相手は、楓一人に倒せるような魔術師ではない。
戦えば死ぬ。それが当たり前の以上、いかにして戦わずに、倫太郎を守り抜くかが肝要になる。
「なんで、こんなことをしているの」
楓は意識を全身の回路に残したまま、そう問いかけた。
「この街で聖杯戦争なんてモノを起こして……セイバーを攫って……あんなバカでかい塔まで作って、街の人間を巻き込んで。一体何が目的なのよ?」
「目的など一つしかない。魔王を再誕させるだけだ」
「魔王を、再誕、させる?」
地面に届きそうなほどの豪奢な金髪を搔き上げて、クロウリーはすぐ近くに聳え立つ白の巨塔、その頂きを見つめる。
どくん、どくん、と脈打つ「何か」が、そこにはあった。
これだけ離れていても聞こえてくるほどの脈動。この街の人間から魔力を奪い続けている、災厄の根源である。
「魔王ラーヴァナ。遥か太古の神代に世界を蹂躙した、最悪の反英雄。セイバーの正体が
「でもっ……何のために⁉︎ どうしてそんなことをする必要があるの⁉︎」
「────どうして、だと?」
その言葉を言ってしまった瞬間、楓は自分の失敗を悟った。
──ズドン、と。
銃声じみた轟音が響いたと思った時には、身体がぐるりと回っていた。
「────────、が⁉︎」
吹き飛ばされて地面を転がる。
だが死んではいなかった。四肢はくっついているし、傷も今ので擦りむいた箇所くらいのものだ。ふらふらとおぼつかない視線を腕に向けると、キャスターの白籠手が、やや焼け焦げて煙を上げていた。
咄嗟に両腕で防ごうとしたのが偶然にも功を奏したらしい。
とはいえ、あの神速の攻撃を防ぐのは、倫太郎が受けた一度目を見ていなければ不可能だった。
「は、はっ……はっ……⁉︎」
「ぬるま湯の中で育ったお前には分かるまいよ、娘」
声が鋭く楓を貫いた。
仙天島の主、アレイスター・クロウリーは、その貌に怒りを乗せて楓を睨みつけている。
「百余年にかけて世界を歩き、
静かながらも叩きつけられるような言葉は、楓に反論を許さない。
「──これくらいは貴様でも理解できるだろう。世界の恒久平和、なんて願いは、最初から叶うはずのない夢物語だと」
ごくり、と唾を飲みこむ。
確かにそれは正しい、と楓は思う。
そんな理想を素直に追い求められるほど、楓は純粋ではない。
「だけど……それと、あの子を魔王にすることと何が関係あるってのよ⁉︎」
「知れたこと。
前例、という言葉の意味がわからずに、楓は言葉に詰まった。
「言ったろう。人間というものは決して争いを止めん。どんなに良き人間であろうと、心の底では「分かり合えない者もいる」と諦め、70億の人類全てと仲良くなれる、などとは考えないからだ」
人間全ての相互理解など、それこそ叶うはずのない夢物語だ。
場合によっては親友、家族同士でも争いかねないのが人間である。全世界の人間が、誰もいがみ合うことなく平和に過ごす、なんてことが実現できるわけがない。
「それでも、前例があれば何かが……何かが変わるかもしれん。この世界全ての人間が強固に団結しなければ乗り越えられないほどの、神すらも超越した絶対脅威。全生物にとって共通にして最大の「悪」が在れば、人間全てが繋がれるかもしれない」
「だ……だからっ、世界をひとまとめにするために、セイバーちゃんを世界にとっての悪者にしようって言うの⁉︎」
とある集団の中で、より強固な人間関係を築くためにはどうすればいいか、という問いに対して、確実な答えがある。
それが、「共通の敵を作る」という事だ。
嫌な上司や教師がいれば、それを元に社員や生徒たちは団結を深めることができる、といった具合に、人間の集団は共通の敵に際して団結しようとする習性を持つ。
クロウリーが提唱するのはその理論の延長だ。
集団を「世界」に据え、全ての人間がもれなく力を合わせなければこの世界が滅ぼされるほどの絶対の敵を作り上げれば──或いは、未だ誰も見ぬ「全人類の団結」を成し得るかもしれない。
そうした前例を作れば、人間は認められるのではないか。
例え困難であろうと、人間は全て繋がれるのだと。
「そんなの、うまくいきっこない‼︎ 神代の魔王なんてものが本当に君臨したら、それこそ今の人類なんて……」
「そこで人類が滅びれば、人類はそこまでだった、という事だ」
あまりにも冷静に言い返され、楓は何も言えなかった。
この女は。この女は本気で、「世界の平和」を望んでいるのだ。
ただ、見出した手段が、何十億もの犠牲すらも厭わぬほどに狂っているだけで。
ただし、その根底にあるものが正義の心だというのなら──果たして、楓にその考えを、アレイスター・クロウリーが百余年をかけて出した結論を糾弾できるのだろうか。
「さて。そろそろ終わりにしよう」
唐突に、クロウリーは会話をぴたりと打ち切った。
「話し過ぎた。
「っ!」
時間稼ぎはここまでか、と腹をくくる。
そう決めてからは早かった。楓はいつのまにやら用意していた煙幕を思い切り地面に叩きつけると同時、
「
倫太郎を抱えて地面を蹴り、思い切り後ろに向かって駆け出していた。
とにかく距離をとる。木立の中に紛れて、倫太郎が意識を取り戻すのを信じて待つ。それしかない。
だが、楓の予測は甘かったと言わざるを得ないだろう。
ものの一秒もなかった。
クロウリーが何らかの魔術を射出した瞬間、そのあまりの風圧によって、楓の煙幕は跡形もなく吹き散らされた。
「くッ⁉︎」
背中を向けて走る楓。
宙を舞いながら追従するクロウリーは、その視線をもって狙いを定め、第二撃を撃ち放つ。
「う、らぁぁ────ッ‼︎」
倫太郎を抱えたまま、楓は思い切り右腕を振り抜いた。
三度も見れば、楓にもギリギリ射線を読むくらいはできる。
だが衝撃までは殺せない。地面を転がり、倫太郎を傷つけないように抱えたまま、凸凹のある斜面を転がっていく。
「うああああっ‼︎」
相当強く弾かれたのか、地面に叩きつけられる衝撃は相当のものだった。鋭い枝が深く肩に食い込み、激痛をこれでもかと与えてくる。
歯を食いしばって痛みをこらえ、再度駆け出す。
(……お願い、だから……死なないでよっ‼︎)
心臓はまだ動いていないのか。否、そもそも、魔術刻印に自己の心肺蘇生を果たすほどの力はないのかもしれない。自分の必死の努力は、最初から意味のないあがきなのかもしれない。
それでも知るか、と走り続ける。
意味なんてなくても、守られるだけではいたくない。
倫太郎が自分を守ると、そう言ってくれたのなら、楓だって倫太郎を守る。何が何でも絶対に、それこそ命をかけてでも。
「はあ、はあ、はあッ……うっ⁉︎」
露出した木の根につまづいて、楓は加速した勢いのままに倒れこんだ。
手から離れた倫太郎をもう一度抱え上げようとして、背後に何者かが降り立つ音を聞く。
しゃり、と落ち葉を踏みしめる音。
背中を刺す視線はまるでレーザーポインターだ。もう逃げられない、と暗に伝えているつもりだろうか。
「────さらばだ、女」
魔眼が輝く。
咄嗟に楓は両腕を交差して防ごうとした。さっきの一撃であれば、直線上に籠手を置けば防ぎきれる。
けれど、ふと、楓はクロウリーの魔眼が何であるかを思い出した。
複製の魔眼。見た事がある魔術であれば、一切の儀式や詠唱を必要とせずに再現できる反則の異能。
それならば──わざわざ、一種類の攻撃にこだわる必要がない。
「…………‼︎‼︎‼︎」
瞬間、牙を剥いたのは、目に見えないほど速く鋭い稲妻ではなく。
壁じみた巨大な閃光が、楓の視界を塗りつぶした。
◆
──ドガァッッッッ‼︎‼︎ と、仙天島を揺るがすほどの轟音が響き渡り、落ち葉や太い木々の幹が面白いように吹き飛んでいく。
クロウリーが放った魔術は大爆発をもって眼前を呑み込み、敵対者もろとも地面を消し飛ばした。
純粋な破壊力であれば、クロウリーの目に記録されたものの中でも三指に入る魔術だ。立ち込める黒煙を眺めながら、その直撃を確信する。
「──……さて、残る敵は」
ざっ、と落ち葉を踏みしめて踵を返そうとする。
しかし、直前で彼女は思いとどまった。
あり得ない。しかし煙の向こうで、何かが動いた、ような。
「な、に?」
今度こそ驚きだった。
煙の向こうに、立っている人影がある。
今の一撃をまともに受けて、生身で五体満足に立っている魔術師がいる、というのか。信じられない。ヒトの人体はそれほど強靭にできていない。あり得るはずがないというのに、しかし。
「────…………私に……は、わかる」
志原楓は、健在だった。
両腕の籠手で頭と胸を隠す事で致命傷を避けたらしい。しかし籠手で防げた箇所以外──脚や腹はそのままだ。吹き飛んだ土砂が散弾と化して抉ったのか、火傷や骨折以外にいくつもの箇所で出血している。本当なら、今すぐ崩れ落ちてしかるべき重症。
(「強化」をくまなく全身に張り巡らせ、構造強度を上げて自分自身を盾に……⁉︎
或いは、それだけを続けてきたからこそ、彼女は土壇場でそれを可能としたのだろう。
それでも道理を捻じ曲げるほどの強靭さと執念だった。
爆風に吹き飛ばされず、ただ。後ろの、生きているかもわからない少年を守るためだけに、致死の火焔を全て一身に浴びたというのだから。一体どこから、そんな離れ業を可能にする力を手繰ったのか。
「私は……穢れた、血。魔術師として許されない存在だから……今までだって、色々な悪意に触れてきた。世界を回ったアンタなら……きっと、もっと、たくさんの……人間の悪い部分を、見たんでしょう」
重ねた腕の奥で、傷ついても揺るがない視線がクロウリーを貫く。
その目を見た瞬間、クロウリーの中で、何かが……とうの昔に忘れてしまった何かが、微かに動いたような気がした。
「それでも……私は、人間を諦めたくは……ない」
少女の言葉は、上っ面だけの浅薄な言葉などではない。
その身に刻まれた経験をもって紡がれる、芯の通った言葉だ。
人の意思を尊重するクロウリーは、そうした言葉は蔑ろにしない。
「だって、私が……そうなんだから。弱さから
アレイスター・クロウリーが、どんな途方もない道を歩んで、どんな葛藤の末にその結論に至ったなんて関係ない。
志原楓が信じるのはただ一つ。自分が選んで、自分が歩んできた道の最中に獲得したものだけだ。
「だから。それを知った以上……私は……アンタが考えて出したその結論を、簡単に受け入れるわけにはいかない……絶対にっ‼︎」
「……そうか……」
呟いて、クロウリーは魔眼を今一度起動した。
今度こそ終わらせる。意識が続くかもわからぬようなあの死に体ではもう盾にはなるまい。
さしたる時間は必要ない。魔眼の輝きは確実に機能を果たし、魔術という結果のみを手繰り寄せる。
「…………、っ」
楓は動けないまま、目を閉じて死の予感を迎え入れ──、
そして。
放たれた一撃は、しかし彼女を殺すことはなかった。
放たれるはずの爆風が、縦に割れて霧散する。
そこに在ったのは、一本の刀だった。
天から地へと垂直に突き刺さったそれは、爆風を受け止めるでもなく散らすでもなく、最初からなかったかのように消滅させていく。
「な……に?」
驚きよりも──先に、困惑がやって来た。
クロウリーは不可解な現象に息を呑む。
何が起きたのか。あの刀は何をしたのか。相殺にしては、こちらとあちらのエネルギーに釣り合いが取れていない。目の前の現象が不可解に過ぎる。百余年の知識と経験に、こんな攻撃は存在しない。
そしてこれは何だ。
何かが断たれてしまったような、この不快な感覚は──⁉︎
「ありがとう」
限界を迎えて倒れる楓を、差し出された腕が優しく抱きとめる。
意識が朦朧としていた楓は、その感覚だけを受け取って、
「……りん、た、ろう……」
「君の
弱々しく笑う楓の頰にそっと触れて、倫太郎は言う。
「情けないな。守ると言ったはずなのに、僕は守られてばっかりだ」
「いい……の。守られるばかりじゃ、悔しいから──……」
ギリ、と歯を食い縛る音がする。彼は優しく楓の体を寝かせると、体に手をかざして回路を起動させた。
回復魔術だ。楓の身体、外内問わずに刻み込まれた重症を和らげるために、倫太郎は魔術を使っている。敵の前であろうが関係なかった。人のため、特に彼女のためならば、一切の恐怖など存在しない。
「……貴様、何をした?」
倫太郎は答えない。
ただ無言で、楓の傷を癒している。
「答えろ、繭村倫太郎ッッ‼︎‼︎」
激昂したクロウリーが、複製の魔眼を起動させる。
妖しい輝きと同時。先程も倫太郎を貫いた、目にも留まらぬ雷光が宙を駆けた。
こちらを見てすらいない倫太郎にむかってそれはひた走るも、
「
倫太郎は目線すらも寄越さなかった。
代わりに、地に突き刺さっていた刀が紫電の如く浮き上がり、その一撃を斬り払う。
バチュンッ──‼︎ というけたまましい音を立てて、やはり魔術が相殺される。否、やはり相殺にしては互いの魔力に差があり過ぎる。
クロウリーの魔力は倫太郎と比較してもなお絶大だ。相殺できる程の魔力はあの刀にはない。百の魔力は百の魔力で打ち消すが道理のはず。だというのに、あの刀が纏う魔力は精々五十程度しかない。
「アレイスター・クロウリー……」
ゆらり、と立ち上がる倫太郎は、魔眼と視線をぶつけ合うことも厭わず、真正面から彼女を睨みつける。その目に籠っているのは、確かに燃える怒りの炎だ。
「お前は、何を求めてるんだ」
「そこの女には伝えたぞ。人類が持つ不和の抹殺、それだけだ」
「志原にこんな事をして、そんな理想を語る資格があると思うか」
「無論。理想に犠牲は必要となる」
再び、クロウリーは魔術を発動させようとし、不快な違和感の正体を突き止めた。
魔眼が起動しないのだ。参照に失敗している。複製したはずの魔術は、何故か最初からなかったかのように現出しようとしない。
「──……な、に?」
「無駄だ。今の魔術は、もうお前には使えない」
見えない手でも伸びているかのように、浮遊する日本刀を自在に操り、倫太郎は両手に握りしめた。
構えを取り、切っ先がクロウリーの喉を射抜く。
「お前の魔眼……それは、一度見た魔術をそのまま再現できるらしいな。そこで僕は考えた。その魔眼の機能には、どこかに付け入る隙があるんじゃないかと」
付け入る隙。黄金色の魔眼が持つ隙。
そんなものは無いとクロウリーは知っている。数多の敵を屠り、いくつもの窮地を超えた己が最大の武器に、信頼はあれど不安はない。
しかし事実として、この魔眼は機能を阻害されている──‼︎
「原則として……魔術師は、魔術基盤に回路を接続させることで魔術を用いる」
どんな反則を用いたって、この世界に魔術を現出させるための仕組みは変わりようがない。
「そしてお前の魔眼は、そこに介在する「学習、把握」の過程をすっ飛ばすんだ。ただ見るだけで魔術基盤に強引に接続し、結果を引きずり出すことができる」
誰もがそう簡単に魔術基盤に接続できるわけではない。最初は学ぶことから始まり、着実に反復練習を重ね、少しづつ魔術を自分のものにしていく。それこそ才能がモノを言う世界だ。
そうした倫太郎や楓のような魔術師からすると、やはりその力は強力だ。十年をかけて使いこなせるようになった術式でも、彼女は一秒もかからずに再現してしまう。
「ただし、それは魔術なんかじゃない。誰かの成果に相乗りして借りているだけの偽物だ」
分かるか、と倫太郎は言った。
見ただけであらゆる魔術基盤に接続し、その力を振るう複製の魔眼。
しかしその力の本質は複製ではない。もっと正確に言うのならば、魔術の複製のみに焦点を絞ったその魔眼の真の性質は──「接続」。
つまり、倫太郎が最も得意とする「切断」の真逆にある概念である。
「だから僕はその接続を断った。お前が使った魔術に「概念切断」を押し当てることで、魔眼が維持していた魔術基盤との繋がりを切断したんだ。もし、お前がさっきの魔術をもう一度使いたいのなら、改めて本物をもう一度見るしかない」
「出鱈目を……ッ‼︎」
「かもしれない。概念切断だって万能じゃない、普通の魔術師に同じことをしても意味がなかっただろうさ。鍛錬を重ねるほど、術者の回路と基盤は重なり合って同一になる。……最初から共に在るものを、断つことなんてできやしないんだ」
しみじみと呟いて、倫太郎は言い放つ。
「ただ──お前だけは例外だ。お前の魔術が不安定な贋作である以上、僕の刃はその間隙を断てる」
彼女の頰を汗が伝う。感じているのだ。悪寒を。この少年に対して、アレイスター・クロウリーは今とてもとても久しぶりに、最大限の警戒がもたらす悪寒を感じている。
(不安定要素の存在は認めるが……魔術基盤との接続など、それこそ目に見えぬ、
それも当然だ。クロウリーは幾度となく強敵と対峙し、死線を潜り抜けてきた猛者である。才覚に恵まれているとはいえ、所詮は魔術師の一人である倫太郎より遥かに強い敵を、数え切れないほど下してきた。
しかしこの繭村倫太郎は驚異のベクトルが異なる。
概念切断。魔眼の接続能力を断つことで複製魔術を無効化し、眼に貯蓄された魔術のストックを削り取る魔術。魔術師アレイスター・クロウリーにとっての「最強」には至らずとも、「最悪」の敵がそこにいる。
「──……僕は、最後まで迷ってたんだ。自分が何のために戦うのか、自分にとっての正義は何なのかと」
けれど、と前置きして、倫太郎は続ける。
「もう分かってる。魔術使いである僕の正義は、志原を守り抜くことだけだ。クロウリー、お前がどれだけ崇高な理念を掲げていて、その根底に正義があったのだとしても……それを認めることはあれ、僕らは決して相容れない」
クロウリーがあくまで正義を目指すのならば──その手段がどんな方法であったとしても、倫太郎はその正しさを認めるだろう。
それは、愚直に正義を信じていたのに、人を殺すことしかできなかったあの少女と同じだからだ。
しかし。
それと同じように、倫太郎にも信じる
クロウリーの正しさを認め剣を収めれば、志原楓は守れない。それは自分が信じる正義に反する行いだ。
──決して、決して許される事ではない。
「ならばどうする、繭村倫太郎?」
先ほどまで使っていた術式は断たれた。
しかし、彼女の魔眼には未だ千を軽く超える数の術式が眠っている。一つや二つを使用不能に追い込まれようと、その実力に少しも陰りはない。
魔眼の明度を上げていく。順次展開していく魔法陣は10を超えた。それらは倫太郎をぐるりと取り囲むように輝くと、矢継ぎ早に火を噴いて閃光を放つ。
全てが全て致死の威力。先のように防ごうと、一本の剣では防ぎきれまい──‼︎
「全刀、解放」
倫太郎は、ただそれだけを呟いた。
刹那、彼の肩にひっかかっていたゴルフバックが弾け飛ぶ。
一瞬だった。
爆音は一瞬にして止み、しん、とした静寂が訪れる。全ての攻撃は、ほんの刹那に斬り払われて消え失せていた。
「────…………繭村の、刀か」
目視困難なほどの速度でゴルフバックから飛び出し、倫太郎と楓を守ったのは──刀だ。
それも一本ではない。複数……十を超える日本刀が、倫太郎の周囲を円陣を組むように取り囲んでいる。彼が右手を振ると、それらは群体のようにざあっ、と形を変えてクロウリーに切っ先を向けた。
「どちらも両方正しくて、同時に相容れないのなら……どっちが本当に正しいかなんて、きっと言葉だけじゃ結論は出ない」
「……フ、面白い。つまり貴様は」
「ああ。だから、僕はお前に勝つ。お前とお前の正義を倒し、僕の正義を押し通す‼︎」
ゴアッ、と、魔力の暴風が渦を巻く。宙に滞空する全ての刀……歴代の繭村当主たちがその生涯をかけて鍛え上げた十八の刃が、後継者たる倫太郎の魔力に共鳴しているのだ。
未だかつて誰も見たことがない、
その様は神々しさすら感じるほどに堂々としており、最早魔術に怯えるようなかつての面影はない。倫太郎は知ったのだ。何を信じ、何のためにその力を振るうのかを知ったのだ。
迷いは切り捨てて、キッ、と敵対者に宣言する。
「……いくぞ
対するは生ける伝説。
十八の剣は、倫太郎の覚悟を示すように一斉に唸りを上げ、
「吠えたな青二才。ならば見せてみろ、その覚悟を‼︎」
真正面。逃げも隠れもせず、クロウリーはその挑戦を受け止めた。
同時、魔眼を煌めかせる女の背後で数十の陣が展開し、
──信念と信念のぶつかり合いが、今ここに始まった。