Fate/crescent 蒼月の少女【完結】 作:モモのすけ
『
「青龍、頼む‼︎」
この世界を喰らい尽くすかのように獰猛な魔力が、闇と化して吠え猛る。
それを押しとどめんとするは、キャスターの背後でとぐろを巻く竜の一撃。全てを芯まで破壊する獄氷の吐息が、正面から闇の奔流を受け止めた。
地面を揺るがしながら、互いの一撃は中間点で拮抗する。
否、拮抗ではない。じりじりと押されつつあるのは青龍だ。一体どんな冗談なのか、神霊に近い竜種の一撃をもってしてもあの聖剣は止められない。青龍の口蓋に亀裂が走り、氷の息吹は勢いを緩めていく。
「──────天、空‼︎‼︎」
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■‼︎」
その声に応え、空間を割って二匹目の「天将」が顕れる。
吹き荒れる砂塵。最初に腕を覗かせたそれは、天を衝くような巨人だった。瞬く間に地面に降り立つと、刃渡りだけで10メートルすら越える大剣を勢いよく振り上げる。
『……‼︎』
それを見、セイバーは咄嗟に聖剣の解放を止めた。
同時に振り下ろされてくる刃。大きさの比率からすればもはや壁に近しいが、セイバーは難なくその一撃を受け止め、力技に弾き返す。
ブースターのごとく放出された魔力は踏みしめる地面を灼き、直径数メートルのクレーターを刻み込んだ。
さらに跳躍。息つく暇を与えず、巨兵の膝、胸と瞬きの間に駆け上がって、宙返りしながらぎろりと巨兵の頭部に狙いを定める。
「■■■■■■■ッ……!」
『フン』
巨兵の迎撃。横に振るわれる体験の一撃は、小さな山ならそのまま刈り取りかねない威力を誇る。
しかし、セイバーはその上をいっていた。
ぐるん、と体を回して刃を押し当て、ほとんど力を込めずにその一撃を受け流す。先程の力技からは信じられない繊細さと優美さが共存する剣技だ。そのまま彼女は剣を振りかざし、勢いよく巨兵の頭部に突き立てる。
『消え────』
キュオン、という不気味な振動音が空気を揺らし、
『────失せろ‼︎‼︎』
瞬間、突き立てられた刃はそのままに、セイバーは聖剣の一撃を解き放った。
頭部を強引に削り取る闇の奔流。瞬く間に頭蓋は消滅し、残骸が地響きを立てて倒れゆく。そこに、
「■■■■■■■■■■■‼︎」
目にも留まらぬ速度で取り囲んだ黄金の蛇が、セイバーを捉えた。それは着地の隙に彼女をその身体で絡みとり、圧搾すべく締め付けていく。
『────……‼︎』
ギリギリギリギリ、という音を立てて、漆黒の鎧にヒビが入る。普通の英霊なら潰されていてもおかしくない圧力だ。されど、このセイバーはありとあらゆる点で通常のサーヴァントと一線を画す。この程度では致命傷たり得ない。
故に、黄金の大蛇は更なる攻勢に打って出た。
口蓋を開き、その奥から灼熱の火焔を浴びせかける。塵すら燃え尽きんばかりの超超高熱は余波だけで地面を黒焦げにしたが、セイバーはその奔流の中ですら臆すことなく、
『ッ‼︎』
ズドン、と、全身から魔力を放出してその拘束を振り払った。
そのまま距離を詰めて一閃。大蛇の身体を真っ二つに断つだけでは飽き足らず、そのまま頭蓋に渾身の拳を叩き込む。ゴシャッ、という鈍い音ともに、大蛇は沈黙して潰れた頭を投げ出した。
しかし、そこにさらに猛攻が迫る。
背後に回り込んだのは、「人」……それに似た形をとる何かだった。発光する身体にところどころを覆う金色の結晶体、西洋の天使に近い異様な姿。それがすう、と手を垂直に振り下ろした瞬間、
『──────‼︎‼︎』
ドゴァッッッッ‼︎‼︎ という凄まじい音を立てて、地面が割れた。
手刀の一閃は、それを受け止めたセイバーを吹き飛ばすだけでなく、その衝撃を緩めずに仙天島を真っ二つにカチ割ったのだ。人工島とはいえ島を割る、というデタラメな力に、セイバーは遠く遠く吹き飛ばされ、龍神湖の湖面に激突する。
だが、セイバーがそのまま沈むことはなかった。
余波を受けて荒ぶる波を乗りこなし、湖の上に
『っ⁉︎』
セイバーが直感に従って飛び退いた瞬間、水中から、セイバーの喉を指し穿つ軌道で手が伸びた。
間一髪でそれを躱し、返す刀で受け止める。
その衝撃は暴風となって吹き荒れ、湖面が大きく揺れ動いた。
『お──おおおおおおおおおおおおお‼︎‼︎』
怯まず、放出される魔力が吹き荒れる。
ゼロ距離で睨み合うその神将ごとセイバーは空を駆け、急降下して湖面へと激突した。高い高い水しぶきが舞い上がり、二人の姿が水の中へと搔き消える。
僅かな静寂──。
それを唐突に破ったのは、地面を揺るがす轟音だった。
大噴火のごとき黒が湖から噴き出したかと思うと、その中心からセイバーが飛び出してくる。
「…………チ、」
そして、セイバーはキャスターの目の前に着地してみせた。
血に濡れた聖剣を振り払い、セイバーは彼に切っ先を向ける。
十二天将はまだ残っているが、その実、セイバーと少しでも渡り合えるような戦闘力を有しているものは意外と少ない。キャスターは数字以上にじわじわと追い詰められていた。
無尽蔵の魔力によって放たれ続けるエクスカリバーの圧倒的な攻撃力に加え、多少の攻撃では傷すらつかない防御力。更にセイバー自身の高い技量──想定を遥かに上回る強さに、キャスターの頰に汗が浮かぶ。
「
『無駄だ』
鋭く放たれた雷撃を、セイバーは防ごうとすらしなかった。
けたたましい音を立てて消える稲妻。セイバーが纏う対魔力が、キャスターの攻撃を無効化したのだ。
舌打ちするキャスターに、セイバーは容赦なく距離を詰めていく。
「────
『無駄だと……言っている‼︎』
再び迫る稲妻を片手で振り払い、セイバーは上段に構えた聖剣を振り下ろした。
神速をもって放たれる斬撃。
キャスターの身体が咄嗟に翻り、宙を舞う紫衣が綺麗な断面を残して断ち切られる。それにも構わず地面を蹴り、キャスターが引きずり出したのは、
「護身・破敵──
超高熱を纏った二振りの長剣が、不可視の腕に振るわれるかのように立ち塞がる。
刹那、聖剣と双剣は無数の激突を交わし合った。
弾き受け止め逸らし避け、されどセイバーの猛攻に翳りはない。迫る炎をものともせず、鮮やかにキャスターの剣を後退させ続ける。
「
『小賢しいっ──‼︎』
振るわれる双剣の奥、放たれるキャスターの稲妻が幾度かセイバーを打ち貫く。
されど無意味。セイバーの歩みは止まらず、開いた距離は再びじわじわと縮まっていく。
「ぐ、く……おおおおおおおおお‼︎‼︎」
細い目を見開いて、キャスターが吼える。
何度も降り注ぐ攻撃は対魔力に阻まれ、致命傷には届かない。
それでも僅かに歩みを止められればと、キャスターはひたすらに同じ言葉を繰り返し、幾度も陰陽の雷を撃ち続ける。
が、振り下ろされる双剣を一刀で弾き返したセイバーはぐん、と残りの距離を詰めきって、
『オォっ‼︎‼︎』
ゴシャッ、という鈍い音が炸裂した。
黒の籠手に覆われたセイバーの小さな拳が、キャスターの体に深々と突き刺さったのだ。
爆発的な魔力推進を得たその衝撃たるや凄まじい。キャスターの霊核にすら亀裂を入れる一撃に、吐血して彼は吹き飛ばされる──が、
「
動きの止まるその時を待っていた、とばかりに、セイバーの上空に穿たれた亀裂から、再度のたうつ巨龍が姿を現した。
反応が遅れる。
セイバーが斬り払うよりも早く、それはセイバーの身体に喰らい付くと、一気に天空へと昇っていく。
「ぶちかませ──────‼︎」
幾らセイバーの聖剣が馬鹿げた威力を誇ろうと、それを撃たれる前に直撃させれば、いかに彼女といえど致命傷たり得る。
そして、セイバーは見た。己の身体に食い込む牙は問題ですらない。その奥、口蓋からせり上がってくる蒼の輝きが、今か今かと放たれる時を待っている。
『────⁉︎』
瞬間、天を裂いて蒼の輝きが放たれた。
あらゆるものを芯まで凍らせ、破壊し尽くす龍の一撃。
高く吹き上げられたその奔流は、宙から地へと、細かいダイヤモンドダストの粒子を降り注がせる。季節外れの冬が、今この世界を覆っているかのようだった。
ごは、と血を口から噴き出して、キャスターは地面に膝をつく。
隙を作り出すためとはいえ、敢えてあの剣士の一撃を貰うのは賭けが過ぎた。あの聖剣を受けていたならば、敗北は必至だったかもしれない。
震える足腰に喝を入れ、キャスターは立ち上がる。
──しかし。
「なッ……⁉︎」
キャスターは驚嘆して空を見上げた。
降りしきる白銀の粒。そのさらに奥、超高度にまで上り詰めたその先で、一つの彗星が黒々とした闇をぶちまけている。
信じられない。もう幾度となく、霊基が砕けんばかりのダメージを与えているはず──それなのに。
彼が不死身かと錯覚するほど、騎士王の鉄壁は健在だった。
『
溜めるように紡がれる言葉。
青龍は、再び口蓋に絶対零度を装填し──、
『
それが放たれると同時。全てを食い尽くす聖剣の黒が、青龍の吐息を真正面から迎え撃った。
裏側の世界に衝撃が駆け抜ける。
長い距離を挟んだキャスターの紫衣がたなびき、ばさばさと目障りな音を立てた。拮抗はしていない。先ほどと同じように、青龍の一撃は、それでもあの聖剣には届かない。
「ク、青龍…………‼︎」
ついに黒の本流が、青龍の身体を呑み込んだ。
瞬く間に蒸発する巨体。更に聖剣は勢いを緩めず、キャスターの立つ地表に向かって振るわれる。
咄嗟にキャスターは紙片を放り投げ、鋭く叫ぶ。
「
そして、凄まじい──高さ数百メートルまで爆炎を撒き散らすほどの超爆発が、裏の世界を揺るがした。
視線を下に向けるセイバーは見る。ゆっくりと晴れていく黒煙の奥、跡形もなく消滅した「裏側」の仙天島と、溶けた地面を剥き出しにした巨大なクレーターを。
無言のまま、セイバーはその中心に着地した。
そこにあったのは静寂だけ。生きる者の存在を全く感じさせない、どこまでも寂しい静けさだけだ。
『──────』
ざざ、と世界が揺れ動く。
裏側にあった存在が、表側へと戻りつつあるのだ。
無言のままセイバーはその様を見送った。動く気にはなれない。ここに至るまで──「十二天将」の面々をこの剣一本で斬り伏せる戦いの中で、彼女はかなりの手傷を負っている。普通のサーヴァントなら三、四回は死んでいるほどの攻撃を全身に浴びてきた。それでも彼女が立っていられるのは、聖杯からの無限の魔力と、彼女自身のずば抜けた強さあってのことだ。
世界、取り巻く風景はちぐはぐになり、やがて元通りに復元されていく。裏側から表へと現出したのを感じ取り、セイバーは軽く息を吐いた。
「──────ッ‼︎」
その瞬間。
セイバーの気が緩んだ最後の隙をついて、土塊を丸ごと消しとばし、キャスターが勢いよく背後から襲いかかる。
振り下ろされる双剣。それは寸分違わず対の円弧を描き、セイバーの首を切り落とす軌道をもって──、
『遅いな』
首が飛ぶ前に、セイバーは渾身の力で聖剣を振り抜いていた。
ごッッッ‼︎ という、凄まじい暴風が巻き起こる。
たった一太刀。それだけで双剣は根元から両断され、返す刀が、キャスターの霊核を深々と貫いた。
「────……、く」
ぐり、と胸元を貫通して背中から刀身を露出させた聖剣が抉られる。それは致命傷だった。キャスターの口と胸から噴き出した血が、バイザーの奥の少女の顔を汚していく。
『…………』
血しぶきをあげて聖剣が引き抜かれる。
キャスターは無言のまま、それでも距離を取るように後退し、
「式神、跋祇」
バチン‼︎‼︎ という甲高い音を立てて、放たれた雷撃は弾かれる。
防御する必要はなかった。何度繰り返そうが答えは変わらない。セイバーの対魔力の壁は高く、キャスターの攻撃は届かない。
『──……私の、勝ちだ』
ぼたぼたぼたぼた、とこぼれ落ちる血はキャスターの紫衣を瞬く間に紅く染め上げていった。
ざり、と前に踏み出した足が地面を擦る。
ゆっくりとした歩み。最早立っているのすら困難なのか、キャスターの上体は揺れ、歩みは真っ直ぐに定まらない。
──ふらふらと、おかしな歩調で近づいてくる。
「……ああ、くそ……確かに、僕は──」
顔を伏したまま、こちらに歩み寄ろうとするキャスター。
その瞬間、彼女の中には何もなかった。
ただ、敵を討ち倒すという入力されたシンプルな思考のみが取り憑き、消滅したはずの身体を十年越しに動かしていて。
そして──空のはずの思考に、不可視の
第六感からもたらされる危機信号。セイバーの昏い瞳がその反応に見開かれ、
『……‼︎⁉︎』
しかし、もう既に術は起動していた。
キャスターを中心として、地面を蜘蛛の巣状に駆け抜ける閃光。
それはセイバーの下半身に絡み付いて動きを止めた。今まで機能していた対魔力が作用していないわけではない。それすらねじ伏せるキャスターの力をもって、セイバーは動きを止められている。
「……「兎歩」。陰陽術は、歩くだけでも奇跡を紡ぐ……侮ったな」
陰陽術師に伝わる独自の歩法だ。決まった場所に足を置き、その軌跡に意味を持たせることで術を行使する。それによって、キャスターはセイバーに強い拘束を押し付けていた。
動きの止まったセイバーにそっと手をかざし、彼は言う。
「二十二」
『貴様……何を』
「それが……君が浴びた、術式の数や」
セイバーの脳裏に、彼がずっと放ち続けていた雷撃が浮かび上がる。
あの攻撃はセイバーには届かなかった筈。だが、しかしそもそも、最初から攻撃する事を目的としていなかったとするならば──……、
「式神跋祇・重ね石火……キミに刻んだそれら全てを一転収束して起爆する」
瀕死なのはキャスターだけではない。あとひと押し、高い対魔力の壁を乗り越える渾身の一撃さえ与えることができれば、セイバーは倒れる。
だが、キャスターは動かない。
セイバーはその姿を見て察する。何故、キャスターは動かないのか……否、動けないのかを。
『……成る程。私をこうして拘束するのが、貴様が出せる全力だ』
数多の攻撃を耐えてきたバイザーが剥がれ落ち、セイバーの素顔が露わになる。その眼光は、窮地にあってもなお、どこまでも冷徹にキャスターを射抜いていた。
『貴様は私を止めるのに全てを割いている。「最後のひと押し」に賭ける余力は、もう存在しない』
しん、と凍てついたように静まり返る空気。
遠くから響いてくる爆音が、微かに両者の鼓膜を打つ。
「……チ、その通りや」
キャスターが血に濡れた顔を歪める。
勝利への道筋は作り上げた、けれど。それを実行に移すだけの余力が、もうキャスターには残されていない。
そして霊核は破壊されており、このまま彼は時を待たず消滅する。互いに動けない以上、先に消滅するのはキャスターであり、
「確かに負けやった──僕に、
その瞬間。
どくん、という脈動とともに、キャスターの全身から凄まじい魔力が立ち昇った。
『な、に……⁉︎』
セイバーが目を見開く。キャスターの使用できる魔力の目星はつけていた。しかしそれを振り切って、彼の全身に漲るものがある。
その理由を知っているのは、彼と──他の誰でもない、彼のマスターたる少女だけだった。
◆
「…………う……」
朦朧とした意識を引っ張り上げて、楓は目を開けていた。
意識がはっきりとした瞬間、目の前の光景が、否が応でも自分のおかれた状況を伝えてくる。
熾烈に放たれ続ける絨毯爆撃じみた魔術の嵐。彼女に見えるのはその余波たる爆炎くらいのものだ。その中心に、恐らく倫太郎がいる。
「倫太郎……」
力の入らない脚に力を入れようとして、失敗した。
灼けた四肢はもう限界だった。頭から地面に崩れ落ちて、悪態を吐く。
「……あれ、これは……」
そこで楓は気づいた。自分の眼前──15センチくらいの紙人形が、こちらを無貌の瞳で見つめていることを。
それを見た瞬間に理解する。
決戦の前、キャスターが言い残したこと……それを、すべき時が来たのだと。
「………………、ああ」
ギリ、と奥歯を噛み締めて、土に汚れた手を握りしめる。
「そう……やっぱり、そうなのね」
キャスターと別れる前、僅か数十分前の事を思い出す。
「この全霊をもって、
そして、これは合図だ。
頭にくるくらい、最初からこうなると知ってたんじゃないかと思うほどに
「──…………」
息を吐き、胸元に手をやった。
そこには、この戦いに挑む資格たる証……令呪が刻まれている。
「令呪……」
彼の姿が、今ここにはないからだろうか。
その言葉を述べることが、キャスターとの最期の別れになるであろうことは、知っていても実感が湧かなかった。
──託すべき言葉は一つだ。
キャスターが追い詰められた時。楓が「セイバーを倒せ」と令呪に命ずることで、最後の切り札として莫大な魔力を供給する。
それが、事前の打ち合わせで定められた作戦だった。令呪を源とする魔力であれば、フィムから楓を関してキャスターに供給される魔力とは違い、楓の回路を傷つけることもない。
だが。それを言いかけて、楓は口を閉じた。
(回路の調子は……さっきからずっと良好)
この戦いに際し──生来の魔力不足を補うため、楓はホムンクルスのフィムとパスをつないで魔力を受け取っている状況にある。
事実上、楓に加えてフィムの膨大な魔力まで使用できる今のキャスターは、まさしく最強の陰陽師の名に相応しい力を誇るだろう。
だがその代償として、両名の間に挟まれる魔力供給弁の役割を果たす楓の回路は、
最悪の場合、回路は完全に断線し──二度と魔術は使えなくなるだろう。
(そう言われてるのに、あまり回路に負担がかかってる感覚はない)
身体は少し動くのも困難なほどだが、存外、魔術回路が損傷したりするような気配はなかった。
ただし、忠告を残した凛の言葉が間違っていたとも思えない。
とすると、考えられるのは一つだけだ。
(……あいつ……まだ、私に気を遣ってるの……?)
全力を出し、フィムの魔力を容赦なく消費すれば、間に挟まる楓の魔術回路が破損することをキャスターは知っているのだろう。
だから彼は全力を出し尽くせない。
主を守る。その、どんな戦いを経ても揺るがない信念を完璧に守り抜くために、キャスターは自らに枷をして戦っている。
「…………っ、」
それを知った途端。堰を切ったように、目の奥から涙が溢れそうになった。
決して真面目な英霊ではなかったし、気分屋で、よく振り回されたけれど──最初から最後まで、キャスターはその全霊で楓を守ろうとしている。
それはきっと、こんな自分を認めてくれたからだ。
キャスターには不便ばかり押し付けてしまった。無茶もした。それでも、揺らぐことなく一直線に、キャスターは付いてきてくれた。その過去と事実が、実感となってのしかかる。
「ありがとう……本当に、ありがとう。キャスター……あなたと戦うことができて、うれしかった」
聞こえているはずがなくとも、楓はそう呟いた。
「けどね、もういいの。言ったでしょう、私の全てを使っていいって」
心の中にあるのは、決して変わることのない自らのサーヴァント……安倍晴明に対する尊敬と、信頼と、感謝だけだ。
恐れなんてあるはずもない。
迷惑ばかりかけてきたから、せめて。最後くらいは、自分の全てを賭けないと割に合わない。
「この令呪ごと、全部託す」
胸の令呪をなぞり、楓は目を閉じて、
「もう、遠慮なんてしないでいい。だから存分に、その力を使いなさい」
言葉が命令となって受諾される。
走り抜ける真紅の閃光。それはまるで「強化」の光のように彼女を包み込み、弾けるように霧散した。
◆
「は……全く、無茶なことを……」
ざり、と焦げた地面を踏み込んで、キャスターが歩む。
一歩一歩、その腹わたからとめどなく血を零しながら、まだ消えるわけにはいかないと歩いていく。
「命は確かに受け取った。──約定を果たそう、
素を見せたキャスターが、眼光鋭く手を掲げる。
その先には動きを止めたセイバーがいる。もはや残された時間は十秒とないが、この一撃で相打ちにはもつれこめよう。
魔力は十全、不可視のそれは唸りを上げてキャスターに従い、
「
『う、ッ────……‼︎』
その言葉と同時、刻み込んだ二十二の印が一斉に炸裂した。
両者の視界を閃光が塗りつぶす。
凄まじい速度で吹き飛ばされ、曇天の夜空へと消えていくセイバー。一点収束によって対魔力の壁を穿ち、彼女の霊核を破壊した感覚は確かにあった。
視線を落とすと、粒子となって消え失せていく指先がある。
口からも吐血しつつ、しかしキャスターは安堵した。己が役目は、しかと果たしてみせたのだから。
「………………、ふ」
……思えば、なかなか無いことのように思う。
生まれた時から物事に何も感じぬ化生が、こうして忠を貫けたのは。
それも、邂逅の夜に、彼女の本質を捉えられたからだ。
『けど、これで分かった。君は魔術師としては三流、と言っとったが……人がなかなか得られんモンを秘めとると見える』
『なにそれ。そんなもの、私には無いわ』
『いや、ある。人を、家族を愛し、その為に弱くとも戦える勇気……例え君が弱くともその気持ちは本物や。それは僕がついぞ持ち合わせなかった、尊いもんやと僕は思う──』
誰かのために心から行動することは、彼にはできない。そもそも「心」と人間が呼ぶものを安倍晴明は有していないのだから。
故にこそ、心から誰かを想うことのできる楓を、自分が持たぬ輝きを秘めた彼女を──尊敬した。そして、ただ一人の主と認めたのだ。
「……ああ、くそ……」
夜空を見上げて嘯いた。
「私にヒトの心があれば……君に出逢えたこの事実を、「喜ぶ」ことができただろうに」
最後まで、自分が人でなしであるとは告げられなかった。
学んだ人間としての倫理観に照らし合わせると、それは悪しき行為だ。しかし、それに対して罪悪感すら覚えることのできない自分を思うと、何か言葉にして謝罪したくなる。
といっても、もう時間はなく。
「君は何を思うのか……「悲しみ」か、別れも告げられぬ私に対する「怒り」か。どちらにせよ、すまない事をしたなあ──」
消滅していく感覚を受け入れながら、キャスターはそっと目を閉じた。
『────……
が。
聞こえるはずのないその声を聞き取った瞬間、キャスターは思わず顔を上げていた。
ゴァッッッッッ‼︎‼︎ という、地響きじみた暴風が吹き荒れる。
破壊跡から覗く草木は揺れ、キャスターの黒髪がぱっと広がった。
「………………‼︎‼︎‼︎」
極黒の聖剣が、天の黒すら塗りつぶして掲げられる。
認識が甘かった。
キャスターが、霊核を破壊されてもなお死力を振り絞ったのと同じ。この英霊もまた、比類なき力を誇る騎士の王。例え霊格を潰されようと、まだ出し尽くすモノがある──‼︎
思わず背後に視線を向けた。
ここは「世界の裏側」ではない。あの聖剣はこの島程度ならば軽々と消しとばす威力があるのだ。そうなれば、ここを決戦地とする魔術師たち……志原楓も、跡形もなく死に絶える。
「──……まだ。もって、くれ……‼︎」
単純な令呪の消費だけでなく──遠慮せずに魔力を使え、と楓が命令したのが功を奏した。
消えかけの両足で地面を蹴り、一気に上昇していく。
大気を身体で裂きながら、目線は外さない。こちらに落下してくる窮極の一撃を捉え、両手を勢いよく広げてみせる。
『
高空より闇が落ちる。正真正銘、これが最後の一撃だった。
折れ砕けていく黒の聖剣が、その事実を物語る。
「式神……跋、祇……‼︎」
対し、キャスターは小さな紙片を膨張させて盾とする。否、それだけには留まらない。「紙片防破」程度では受け止めきれないという事実は、既に裏の世界で実証されている。
宙に描かれる五色の陣が、盾を基準として展開された。
それはキャスターが放つ最大火力たる一撃。
限界ならとっくりに振り切った。それでもまだ、気合と意地だけで持ちこたえてみせる。それが、心からの忠義など出来ない欠陥品の自分にできる、最大限の「形だけ」だ。
血反吐を吐きながら、キャスターは天轟くように叫ぶ。
「
直後──描かれた五芒星から照射された虹の極光が、黒の濁流に真正面から激突した。
◆
島の上空で繰り広げられる虹と黒の激突を、楓は朧げな視界で見守っていた。
回路は既に全開だ。それでも足りない。楓が一度に送れる魔力を100としたら、常にフィムから1000を超える魔力が送りつけられる。そして、楓はそれを全てキャスターの方に流しているのだ。無理の代償としてとっくに回路には亀裂が走り、いつ断線してもおかしくない。
「キャス……ター……‼︎」
身体が壊れていく喪失感と激痛に耐えながら、楓は捉えた。
虹の光、その中にいる、小さな人影。
「おねがい、わたしの……
消えていく。
それでも未だ虹の極光は絶えず、聖剣の一撃を押しとどめていた。
涙が溢れる。儚く、しかし力強いその背中が、もう一度楓に力をくれた。痛みを無視して、灼けた手足でもう一度地面を踏みしめる。
立った。今なお抗っているキャスターに声を届けるために。
頑張れ、負けないで──。
あなたはずっと、私の──‼︎
「キャスタ────────────────っっ‼︎」
その声が響いた瞬間、僅かに。天を貫く虹の奔流が、その勢いを取り戻した。
聖剣の一撃に食らいつき、闇の濁流を押し返す。
その最中。
────ありがとう────……。
そんな幻聴が、かすかに楓の耳朶を打った。
消えていく影は、確かに、こちらを見て笑った気がして──、
「っ‼︎」
瞬間。凄まじい大爆発が、仙天島の上空で巻き起こった。
虹の残滓を零しながら、爆煙はもうもうと立ち込める。
……仙天島は無傷を保っていた。
僅かに逸らされた聖剣の一撃は、湖岸に着弾して巨大な破壊跡を残すに留まった。
それを見て、楓は理解する。
キャスターは最後まで、
さっきまでの、回路が軋む激痛がない。それが、この世界にもう彼が存在しないという事実をありありと示していて、楓は歯を食いしばった。
「………………こっちこそ、言い足りないのに」
けれど、まだ泣く時じゃない。
籠手で涙を拭いて振り返る。
楓からやや距離を置いて、絶え間ない閃光と爆風が連続していた。二人の魔術使いたち──倫太郎とクロウリーの戦いは、今なお繰り広げられているのだ。
「私は、私がやるべき事をする」
キャスターがくれた籠手をそっと撫でて、楓は眼前を睨みつけた。
喪ったものに涙を流すのは、すべてを終わらせてからでいい。
崩れ落ちそうな足腰に気合を入れて、楓は勢いよく駆け出した。
【キャスター】
真名:安倍晴明
魑魅魍魎渦巻く平安時代、京の都を守護した伝説の陰陽師。志原楓が魔術師として憧れる存在であり、彼女のサーヴァントとして召喚される。
陽気な振る舞いを好むように見えるが、それはあくまで人間の真似をしているに過ぎない。化生として生まれた彼は、生まれつき人間のような「心」を持たず、目の前の事象に対して感情を抱くことはほとんどない。それでも、それが尊いものであるという事は理解しており、清らかなものには素直に誠意と尊敬を評する。最後には楓と主従関係を結び、
色々なところで大きく異なるあべこべな主従だったが、結果的に、もっとも互いを尊敬し合っていたのがこの二人だった。