Fate/crescent 蒼月の少女【完結】   作:モモ太郎

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九十三話 Fate/crescent 蒼月の少女

 ──よし、決めた。

 ──もし倒されるのが、悪として在るのが魔王(かのじょ)の役割だっていうのなら。

 ──今なお生きている俺の存在をかけて、その認識を否定しよう。

 

 

 そう決めたのは、自らの生きる道を見出したのは、一体いつだったのだろう。

 もう、ほとんど、何もかも思い出せないけれど。

 それでも、彼女の笑顔を見てそう思ったことだけは、あらゆる全てを忘れたって覚えている。

 だから、志原健斗はここまで突っ走ってこれた。

 後は、その言葉通りに──俺の存在全てを以って、自分の願い(ユメ)を貫くだけだ。

 

 ──その高空を、金銀の光華が瞬く間に染め上げていく。

 

 比類なき次元にまで上り詰めた二者の衝突。

 すぐそこにある終末を前にして、世界はただ震えることしかできなかった。

 ただ、最中に在りながら、俺にかかる負荷や痛みといったものはほとんど存在しなかった。

 実際は、もうそれらを感じる事が出来なかった、というだけ。感覚も音も感じられないのでは、目の前で渦巻き、膨張し、互いに喰らい合う金と銀の嵐を見たところで、そんな映像を無為に見させられているような、現実感に欠けた印象を抱いてしまう。

 剣を握る手から、何かがぼろぼろ、と崩れていった。

 手の一部、もしかしたら指だろうか。それは困る。もし全ての指がなくなってしまったら、剣を振るうことができなくなってしまう。……いや、きっとこれが最後の一撃になるだろうから、要らぬ心配だったかもしれない。

 そんなことを考えている間にも、身体のあちこちが崩壊していく。

 限界をとうに迎えていた身体(うつわ)が、機能を終えて土に還っていく。

 

 ──……でも、まだだ。

 

 あと、少し。

 この手を彼女に届かせるその刹那まででいい。

 だから、あと少しだけ、この世界にしがみつかせてほしい。

 

 だが、目の前に在る現実が、俺の生存を否定する。

 最後までもつかもたないか、の話じゃない。

 放ち続ける黄金色の煌めきは、次第に迎え撃つ銀光に押されていき、呑まれつつあった。このままでは押し負けて、俺は塵も残さず消滅する。

 当然の帰結だった。

 この剣は贋作。いくら形を変えて力を増したところで、正面からの力比べでは、決して真たる刃には敵わない。

 その差が、いくら高めようとも埋められないほんのごく僅かな差異が、ここに来て勝敗を決する要因となる。

 

「──贋作の身で、ここまで上り詰めたことは認めてやろう……だが終わりだ。貴様の剣が、私を上回ることは決してない──‼︎」

 

 セイバーが、何かを言っているような気がした。

 もう分からない。その言葉を、その声をもう聴けないことが、心の底から残念だった。

 そうして、銀光はますます盛んに吠え猛る。

 「贋作は真に敵わない」。それがこの世界における絶対の法則、覆しようのない道理(ルール)なのだとしたら、この二つを馬鹿正直にかち合わせてしまった時点で、俺の敗北は確定する。

 

「………………魔王、特権──‼︎‼︎」

 

 ──それこそ、知ったことじゃない。

 

 奮い立つ。そんなくだらない道理は踏み倒せ。

 俺では彼女に決して勝てない、それくらいは想定の内だ。常識や道理くらい捻じ曲げずして彼女を救えるだなんて、最初から思っちゃいない。

 困難を打ち破るための道は一つ。こちらが贋作であるならば、贋作にしか出来ぬ手段をもって、真の一撃を凌駕するまでだ。

 

「──……たの、む……チャンドラ……ハース……」

 

 掠れる声でその銘を呼ぶ。それだけで聖剣は応えた。碌に喋ることのできない俺の意を汲み取って、残存する全てを使い尽くし、黄金の奔流を加速させる。

 それこそ、自分を犠牲にせんばかりの勢いで。

 やがて限界点を突破した。びしりと刀身に亀裂が走る。それらは瞬く間に広がり、黄金の欠片を雫のようにこぼしながら、俺の手の中で粉々に砕け散った(・・・・・)

 

 ────その瞬間。

 

 消えかけの黄金は、更なる暴威と威力を伴って、再び世界を席巻した。

 

「な──に──…………ッ⁉︎」

 

 金と銀が正面から混じり合い、世界そのものをかき乱す衝突の奥で、確かにセイバーが驚く気配を感じ取った。

 チャンドラハースそのものを構成する膨大な魔力、それすらもエネルギーと変えて出力に加算したのだ。いわば愛刀を捧げた一度限りの自爆攻撃、この月の刃が贋作故に踏み切れる最後の手段。

 威力を増したこの一撃にセイバーが抗うには、それこそ俺と同じように、その刃を犠牲にするしかない。

 だが、その刃は本物だ。

 果たして彼女に決断できるのか。自分より劣る偽物を打ち倒すためだけに、自らの象徴でもある神造兵装を永劫に手放す覚悟が、今の揺らぐ彼女には存在するのか。

 

 もう幾ばくもない。

 あと数瞬の後、きっと決着は付くだろう──。

 

 

 

 

 最早死にかけと思われた黄金の息吹が、再びその勢いを取り戻して吠え猛った。

 驚嘆と共に、歯噛みして月の刃を握り締める。

 

「は────ぐ────……ッ‼︎‼︎」

 

 身体を襲う莫大な圧力が、こちらに押し寄せようとする黄金が、すぐそこに迫る敗北を予感させる。

 あの男。

 私の贋作である「奴」は、ここで全て終わっていいとばかりに、月の刃そのものを起爆剤としてこの一撃に込めたのだ。魔王特権による「壊れた幻想」の応用か。

 そして、真贋の出力差は、元からほんの僅かしか開いていなかった。

 それこそ、奴が剣そのものを捨てて全霊を出し尽くした時、出力の優劣が逆転してしまうほどに。

 

「────舐めるなァァァァッ‼︎‼︎」

 

 ならば、と私は手にした月の刃に命令する。

 逆転したエネルギー量は問題ない。こちらも奴と同じように月の刃を折り砕き、全てを破壊力へと変換してやれば、勝敗は元に戻る。

 迷っている暇はない。己の直感が、身体全ての細胞が、それ以外に勝利への道はないと叫んでいる。

 

「全てまとめて──私の、前から────‼︎‼︎」

 

 消えろ、と。

 そう感情的に叫びながら、魔剣と化した月の刃を自壊させ、目の前の黄金を消し飛ばそうと。

 

 そうしようと、思ったはずなのに──、

 

 びきり、と脳髄に酷痛が走り抜ける。まるで何かを拒否するかのような、この生き様を否定するかのような不可視の閃光が、私の中を貫いていく。

 この感情を私は知らない。

 あの外敵に剣を向けることを、私の知らない私が否定する。

 

「あ、ぐ……ううううっ‼︎」

 

 痛みも苦しみも関係ない。強引に決着を付けようと、自壊を命じたチャンドラハースに視線を向ける。

 

 しかし。

 

 我が生涯の愛剣たる月の刃は、命じた筈の自壊を押し留め、変わらずそのままの姿を保っていた。

 まるで、そうすることが正しいのだと、私自身が認めてしまっているかのように。

 

「な──なん、で────…………」

 

 自分自身に裏切られたような衝撃。思わず全身から力を抜いてしまうほどに愕然として、そんなことを呟いた時。

 ふと、誰かの声が聞こえた気がした。

 

 ────「セイバー」と。

 

 私が聞いたことのない筈の名前を、私ではないのに私と信じられるその名前を、どこまで傷付いても呼び続けてくれる誰かの声を聞いていた。

 或いはそれが理由だったのか。

 はっ、として目線をあげる。

 迫る黄金は迎え撃つ白銀を抜け、吹き散らしながらも押し進み、ついぞ我が一撃を喰らい潰す。ほんの一瞬、気を取られたその刹那に、全ての決着は果たされていた。

 

「しま────…………‼︎」

 

 次の瞬間、私を黄金の燐光が包み込む。

 回避も防御も間に合わない。最早何かをする余地もなかった。咄嗟、目を閉じてその衝撃を受け止める。

 

「──うああああああああああああああああっ‼︎‼︎」

 

 肉骨をめちゃくちゃに捻じ切らん衝撃が全身を叩き、悪性を滅ぼす閃光は身体を灼き払う。手の中から、月の刃が吹き飛ばされて飛んでいった。

 瞬間ごとに遠くなる意識の中で、ああ、と諦めじみた呟きを漏らした。

 

 

 ────……「私の、負けだ」。

 

 

 きっとここが終着点になる。聖剣の光に浄化されて、魔王ラーヴァナ は滅ぼされて消え失せる。きっとそれは、この世界が敷くシナリオとしては至極当たり前の結末で、私が抗うことのできる余地なんてない。

 それが、いつかは打ち倒されるのが、魔王たる私の運命なのだろうから。

 そうと分かって、それでもその生き方を変えられなかったのは、誰かに手を取ってもらわねばならなかったのは、きっと私が弱いからなのだろう。

 

 せめて、私があとほんの少しだけ強ければ。

 或いはきっと、違う生き様を選ぶことだって出来たかもしれないのに──、

 

 目を閉じて、そんなことを思う。

 音も何もかも消えていく世界の中、しかし、

 

 

 

「セイバ──────────────ッッ‼︎‼︎」

 

 雷鳴じみた力強い声が、私の諦念を引き裂いた。

 

 

 

 

「セイバ──────────────ッッ‼︎‼︎」

 

 その一撃を放ち終える瞬間、彼はほとんど何も考えずに空を疾駆して、セイバーの元へと向かっていた。

 地表になだれ込む黄金の閃光に自ら特攻し、呑まれた彼女の姿を探す。

 たとえ感覚が薄くなったって、その気配だけは忘れなかった。

 手を伸ばす。過去をなぞることなんて許さない。ところどころ崩れ落ちた腕で奔流を掻き分けて、ついぞその手を掴み取った。

 

 ──もう離しはしない。絶対に。

 

 その華奢な身体を引っ張り上げて、ボロボロになった双翼で空を蹴る。セイバーを抱き上げたまま安全圏まで離脱して、健斗はずっと取っておいた紙片を取り出し、硬く右手で握り締めた。

 倫太郎達と別れる前、彼がキャスターに頼んでおいたものがこれだ。

 かつて健斗の体内からあらゆる穢れを締め出し、彼を救ったキャスターの陰陽術。セイバーを救い出すには彼の力を借りるしかない。

 この呪符には彼の術式が封じ込まれ、今か今かと起動の時を待っている。

 

「式神、跋祇……‼︎」

 

 細かな調節は道具作成に長けたキャスターが請け負ってくれている。

 あとは、ただ教えられた言葉を言い放つだけでいい。

 少年は握り込んだ紙片をセイバーの胸の中心に押し当てたまま、その体を強く抱きしめて、

 

「陰陽反転式・魔性封────‼︎‼︎」

 

 その警句を、ありったけの声を振り絞って言い放つ。

 爆発があった。

 セイバーが絶叫する。体内に蠢いていたモノ、「この世全ての悪」の残りカス全てが跡形もなく消し飛ばされ、彼女と融合した不純物(せいはい)が体内へと弾き出されたのだ。

 彼女の背中から抜け落ちるようにして、少女の体に収まりきるはずのない体積と質量を持った肉塊が飛び出していった。小山ほどのそれはそのまま重力に囚われると、遥か下の地面めがけて墜落していく。

 それと同時に、漆黒に染まっていたセイバーの髪は元に戻り──いつもの、優しさすら感じさせる蒼色を取り戻していた。

 変化が終わって、セイバーはぐったりとして力を失う。

 呼吸はしている。多少の傷はあるが、いずれも命に至るほどのものではない。

  健斗は、それを見て何を言うでもなく、無言で大きく息を吐き出した。

 ついに彼は辿り着いたのだ。その存在をかけて「魔王」を否定するという、彼が見出した答えに。

 

 ────戦いの終わり。

 

 セイバーを助け出したもう一人の魔王は、翼を羽ばたかせて地面へと向かい──黄金の一撃によって巨大な傷跡(クレーター)を刻み込まれた湖の跡地に着地する。

 その虚ろな目線の先。山麓から姿を見せた朝日が、傷ついた二人を爽やかに照らし出していく。

 

 その黎明は、まるでこの戦いの終わりを告げるかのように、燦々と光を振り撒き続けた。

 

 

 

 

「……う……、っ……?」

 

 どれくらい長い間、眠っていたのだろう。

 何かに取り憑かれていたような意識が急にクリアになり、私は何かに急かされるようにして目を開けていた。

 ぼんやりとした視界に誰かが映る。

 何度か瞬きをして、ようやく鮮明な視界を手に入れた。身体中が痛くて、何故か指先一本動かせないほどに消耗していたが、そんな事は気にならなかった。

 

「ケ……ン…………ト?」

 

 私を抱き上げたケントは、どこか遠くを見るように視線を前に向けていた。

 それにつられて前を見る。

 そこには、傷痕と残骸のみが残されていた。傷つきひび割れた大地には、白くくすんだ何かの残骸がいくつか突き刺さっているだけで、ほとんど何も存在していなかった。

 

「────……あ、」

 

 それを見た瞬間に、忘却していた記憶が蘇る。

 他でもない私が、この惨状を生み出したということを。

 

 そして──私を止めるために、ケントが戦い抜いてきたことを。

 

 その瞬間に私を襲ったものは、罪の意識や、悲しみや、自分への怒りや、言葉にできないくらいの嵐じみた感情の群れで、私は思わず言葉を失った。

 この掌が覚えている。

 彼と戦い、剣を交えた感覚を。

 決して取り返しのつかないことを、私はしてしまったのだ。

 

「────……ケン、ト、私……は」

 

 こんな罪過を、どう謝ればいいのだろう。

 魔王ではないと信じてくれた彼を裏切った。それだけに飽き足らず、自らの弱さから剣を振るい、彼をこの手で傷つけた。

 言葉に迷いながらふらふらと視線を彷徨わせる。いつもなら、こういう時は何かケントの方から言ってくる頃合いだ。

 

 ……しかし、彼は何も言わなかった。

 

 視線を彷徨わせて、彼の身体を眺め回した時、ケントはぴくりとも──まるで彼一人だけ時を止めてしまったかのように、動こうとしなかった。

 

 動かなかった。

 

 

「…………………………………………ケント?」

 

 

 思わず、彼の名を読んでいた。

 それは石像のようだった。私を抱き上げたまま、彼は動きを止めている。微動だにせず、夜を追いやる太陽を見つめている。

 そして、気づく。

 

「………ねえ、ケント……いつもみたいに……返事、を…………」

 

 返事はない。

 結論が、かちりと頭の中で導き出される。

 だが──ちがう、絶対に──その答えを認めるわけにはいかず、私は弱々しく首を振った。

 

「お、っ……お願い…………ですから…………」

 

 そこには鼓動も呼吸も、暖かさもない。

 叫び出したくなる。

 頭が真っ白になって、現実を認識することを拒んでいる。

 

「……返事をっ……返事を、して…………くださいよ…………」

 

 ──彼の生は、もうどこにもない。

 

 びゅう、と強めの風が吹いた。

 彼の蒼色に染まった髪の毛が揉まれて、こちらから見えなかった瞳が露わになる。

 そこには、もう何も映っていなかった。

 朝日を臨む瞳はもう二度と何かを映し出すことなく、昏い闇をたたえて沈黙していた。

 

 かつて共に在ったケントという人間は。

 けれど、もうそこにはいなかった。

 

「あ──……………、あ」

 

 それが、私が背負う最大の罪だった。

 取り返しなどつくはずがない。

 私は、結局。

 再開というやり直しの奇跡を手に入れたところで、この手で彼を殺めるという運命そのものは、変えることができなかったのだ。

 

「う……あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ─────────‼︎‼︎」

 

 声にならない慟哭が天を震わせる。

 私は、ずり落ちるように空の手の中から抜けると、ケントだったものを強く抱き締める。

 今さら何もできない。

 彼はもう遠いところに消え失せた。あとに残されたのは、元どおりの死体が一つだけ。

 風が吹き抜けるたび、彼のどこかが崩れ落ちていくのが、たまらなく悲しかった。

 

「…………っあ、…………ぐ」

 

 毅然と立ち尽くす亡骸の前で、地面に拳を叩きつける。

 私はきっと間違えたのだ。

 「ラーヴァナによって志原健斗(このひと)は殺される」。

 それが、前世から世界に決定された私達の運命であったとするならば、最初から彼との再会を望み、喜ぶことが間違っていた。

 そんな──変えようのない運命が果てに横たわっているも気付かずに、私は、また彼を殺めてしまった。

 

「うぅ、う゛………………‼︎」

 

 溢れる涙が、露出した地肌に突き刺さる。

 その時。

 

 ──ズシン、と。

 

 両手両足をついた地面が、揺れる。

 地震ではない。泣きながら振り返ると、小山じみた大きさの肉塊が地面を割って起き上がり、こちらに這ってくる様子が見えた。

 

 ────受肉した、聖杯。

 

 その成れの果てがアレだ。

 ケントによって私の中から弾き出されたそれが、諦め悪く蠢いている。

 この世全ての悪(アンリマユ)の汚染は消えているようだが、今の聖杯はただの聖杯ではない。「魔王」という概念と一体化してしまったことで、己をはっきりと定義できなくなり、不安定な存在と化している。故にこそ、自らを再定義できるほどの強力なエネルギーを求め、蠢いているのだ。

 そこに意味はないだろう。たとえエネルギーを取り込んだとて、あの壊れかけた願望期は遅かれ早かれ自壊する。

 

「──────■■■■、■■」

 

 声を上げて、醜悪な肉塊がこちらに向かってくる。ずりずりと、ゆっくりした歩みながらも、巨大なソレは着実に距離を詰めてくる。

 まるで執念か妄執か。可能性がなくとも、それでも足掻かずにはいられないらしい。

 

「─────、う───」

 

 それを見て、私は咄嗟に月の刃を握ろうとし、それが最早出来ないことを理解した。

 力が消えている。身体の中を駆け巡る魔力も、超常の身体能力も、一切が失われていた。

 私を「魔王」たらしめていた神々の加護は、あの聖杯に引っ張られて私の身体から抜け落ちたらしい。

 

「■■■■■■■■■■……ッッ‼︎」

 

 今の私はただの少女と大差ない。つまるところ、奴が奪い取ろうとしているのは無力な私ではない。

 死して尚、第二の羅刹王であったケントの亡骸だ。彼の有する膨大なエネルギーに惹かれ、聖杯は歩みを進めている。

 力を振り絞って、ふらりと立ち上がった。

 せめて。ケントをこれ以上、勝手にさせはしない。

 命を賭けた彼の亡骸を、無為に使い潰させなどしない……‼︎

 

「貴様に……ケント、は……渡さない……‼︎」

 

 ぎゅっ、と右手を握りしめる。

 今の自分に何ができるのか。きっと何もできないだろう。立ち向かったってあの肉塊に轢き潰されるしかない。

 でも、ここで動かないと、私は永遠に弱いままだ。

 地面を蹴る。馬鹿みたいにゆっくりした動きで、視界を埋め尽くす赤黒い肉塊に掴みかかろうと──、

 

 

 

「大丈夫」

 

 

 

 ぽん、と、後ろから頭を撫でられた。

 

 思わず背後を振り返る。しかしそこに、立ったまま絶命していた筈のケントの亡骸は無く。

 代わりに、眼前から凄まじい爆音がこだました。

 つられて再び視線を前へ。

 眩い蒼雷を激しく散らせながら、ケントが渾身の力で、壁じみた肉壁を押し留めている。その後ろ姿が、傷だらけになった黒鎧とたなびく紫紺の外套が、照らされて淡く輝いていた。

 

「ケントっ────⁉︎」

 

 放たれる雷が肉塊を抉り、掘削機じみた勢いでその肉壁を削り続ける。そんな嵐の中で、ケントは確かにこちらを振り返り、口を開いた。

 

 ──その時、彼は何を言ったのだろう。

 

 理解できるより早く、彼の魔力放出が地面を砕いた。強烈な推力が発生し、ケントは自分の身体ごと、小山のような肉の巨塊を易々と宙にかち飛ばす。

 彼は瞬く間に逆向きの流星と化して、一直線に天へと上昇していく。

 

 

 

 

 その流星を────、

 天へと向かう蒼の星を、あらゆる人々が目にしていた。

 

 暁の空を見上げていた、彼のただ一人の妹も。

 繭村家嫡男たる、とある魔術師も。

 かつての聖杯戦争を切り抜けた二人も。

 病院で目を覚ました彼の親友も。

 同じく目を覚まし、外に飛び出した喫茶店の主も。

 この街に集い、水面下で工作に奔走していた魔術師達さえ。

 また、奇跡に関わらぬ大塚の人々だって──、

 

 全ての視線がそこに集約していく。

 

 空を駆け抜け。

 天を貫き。

 一直線に何処かを目指す──蒼く輝く彗星を。

 

 

 

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ッ‼︎」

 

 無貌の咆哮が体を震わせる。

 それでもこの手を緩めはしない。無尽蔵の魔力を使えるだけ使い切って、肉塊(せいはい)ごとはるか高みへと登っていく。

 

「おおぉぉォォォォォォォォォォォォッ──‼︎」

 

 握りしめた右拳は深々と肉の壁に突き刺さり、蒼雷は絶えずそれらを灼き続けているが、まだこいつを仕留めるには火力が足りない。

 それこそ月の刃が手の中にあれば、この程度の肉塊など、一薙で跡形もなく消し飛ばせただろうに。

 それを理解しているのか。

 肉塊となった聖杯は、その身を灼かれながらも身体を蠢動させ、瞬く間にこちらの四肢をぶ厚い肉で拘束してみせた。圧搾機じみた莫大な圧力をもって、強引にこちらを封じ込めにかかったのだ。

 

「──、ッ────‼︎」

 

 全力で、全身から蒼雷を無造作に爆発させる。

 それでも聖杯の質量は莫大だ。一瞬は動きを取り戻せても、すぐに奥から奥から迫り来る肉塊がこちらを呑み込み、更なる質量で押し潰す。

 

「がっ……────‼︎」

 

 こうなってしまえば優勢は向こう側に傾く。聖杯は、存在の核となるセイバーを失ったことで、代わりに俺を吸収して核にでもする魂胆なのだろう。

 それには口も鼻も無いはずなのに。

 俺は、確かに聖杯が肉壁を歪めて笑っている気がした。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■‼︎‼︎」

 

 やがて推進力を失い、重力に導かれて落下を始めながら、聖杯は勝利の雄叫びともとれる声を上げた。

 俺はもうほとんど動ける余地がないし、時間もない。このままでは簡単に呑み込まれる。

 だが。

 

「────…………「魔王」」

 

 ぽつりと。

 

「神様の身勝手で生まれ落ちて、二度もセイバーを塗りつぶした、あいつの影に潜むもの……ずっと「お前」に会いたかった」

 

 その名前を呼んで、そう呟いた。

 周囲すべてを閉ざす肉の牢獄に向けて、途切れかけの意識を繋いで話しかける。

 

「これからお前を殺し尽くす。あいつが、これから先、自分の道を自分の意思で歩いていけるように。もう、自分以外の誰かに歪められないで済むように」

 

 肉塊が不服げに蠢き、吠え猛る。

 その全てを無視した。俺は、活性化したあまり心臓を飛び出し実体化している背中の外套──「耐え難き九の酷痛」に手を伸ばし、強引にそれをひっぺがす。

 

「──……安心しろよ。お前が邪魔だと言うのなら、それはもう一人のお前(おれ)だって同じことだ。だから」

 

 外套に魔力を注ぎ込む。途端、紫紺のソレはそれ自体が小型の太陽と化したかのように輝き始めた。

 その光を捉えた瞬間、周囲を閉ざす肉壁は勢いよく距離を取り、俺から逃げようともがき出す。危険性を察知しただろうが、もう遅い。

 

「せめて一緒に消えてやる。さあ、ここが俺たちの終着点だ」

 

 ありったけの魔力をただ一点、右手で握りしめた宝具に注ぎ込む。

 月の刃による一撃で容量は覚えた。迷うことなんてない。ソレが砕け散って爆散(・・)してしまうほどに膨大な魔力を、問答無用で叩きつければいい。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■ッ……‼︎⁉︎」

 

 臨界点を超えた外套は自壊を始め、真白に輝き、宙天を今一度塗り潰した。

 

(────────、あ)

 

 びきり、と己の脳髄が潰れる音を聞いて。

 刹那、幻を見た。

 壊れきった頭が、いつかの少女を映していた。

 

(ああ……最後に謝ったの、聞こえてた……かな)

 

 焼き切れたはずの頭が走馬灯を見せつける。

 最初に出逢った時の顔、戦うあいつの顔、何かを食べるあいつの顔、泣き出しそうなあいつの顔、心の底から笑う──あの少女(セイバー)の顔。

 後悔はない。

 あいつが望んだ生き方を叶えてやるためなら、最初から死んでいたはずのこの命が砕け散っても構わない。

 だけど、少しだけ胸が痛かった。

 最後の瞬間、振り返って見た時の彼女の顔は、くしゃくしゃに歪んでいて。

 それが、強く心を締め付ける。

 

(あいつは……怒る、かな……)

 

 俺は、きっと、あいつが歩んでいく道を見守ることができない。

 あいつが求めていた居場所になれることは、できない。

 ああ──後悔はない、けれど。

 そうせざるを得なかったことが、少しだけ──いいや、心の底から恨めしい。

 

(身勝手なのは分かってる。それでも、せめて、あいつが)

 

 体が真っ二つに割れて砕け散る。すぐにバラバラになって、それでも最後まで右手は外套を握り締め、終わりの言葉を口ずさむ。

 

(あいつが、泣かなくてもいい世界になりますように──……)

 

 強く、強く、天に願う。

 どうか、彼女に、今までは得られなかったぶんの幸せを、と。

 

 

 そして。

 

 

 

壊 れ た 幻 想(ブロークン・ファンタズム) ────」

 

 

 

 

 

 それは宝具そのものを爆弾として起爆する最後の手段。

 新たな羅刹王を生むほどのエネルギーを秘めた外套、「耐え難き九の痛酷」はその瞬間に砕け散り、壊れかけの願望期を跡形もなく消し飛ばす。

 セイバーの中に巣食っていた「魔王」という名の怪物は、聖杯ごと塵も残さず灼き尽くされ──その存在を、この世界から消失させた。

 

 

 

 20■■年、9月14日、午前6時13分。

 大塚市に顕現した第二大聖杯、その反応は消滅。

 

 

 第六次聖杯戦争は、ここに終結を迎えることとなった。




【魔王】
セイバーに与えられた神々の加護は、当の神々達ですら手がつけられなくなってしまう程に強力なモノだった。あまりに強大なソレは、強力な呪詛がカタチや意思を持つのと同じように、過酷な試練によって脳の活動をやめた──いわば心が壊れてしまった少女(ラーヴァナ )の中で活動を始める。やがて主人の精神を塗り潰し、少女の思考を自らの意のままに歪め、操るようになるが、これが魔王ラーヴァナの誕生だった。
その後、心を取り戻したセイバーによって体の支配権を失うものの、第六次聖杯戦争において再び支配権を奪い返す。が、以前よりも様々な経験を得たことでより強い自我を獲得していたセイバーを支配するのに苦戦し、その隙を突かれて敗北する。
また、宝具を介してセイバーと繋がった健斗にも体内から働きかけており、彼が時おり耳にしていた誰かの声はこの「魔王」によるもの。
最終的に、聖杯と共に彼女の体外へと弾き出された「魔王」という名の怪物は、健斗の「壊れた幻想」による一撃によって消滅するのだった。

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