「…何でこうなっちまったかな…」
己の腕の中ですやすや眠る少女を見て、肥前はぼやいた。控えめにではあるが、腕を掴まれているので、降ろすに降ろせない。
何故とぼやいても、結局のところ、めぐり合わせという他ないのだが。そもそも、情報部に所属している肥前が黒本丸に潜入することになった時点でイレギュラーだった。管轄が違う。百歩譲ってそこが黒か白かの情報収集するまでならあるかもしれないが、彼は情報部の中でも、歴史改変の兆しがないかの調査を行ったりする方の課なので、各本丸のことは担当ではない。
ともかく、本来は管轄外の事象であるのだが、彼は黒本丸に突入する羽目になり、そこで虐げられていた審神者を保護して辛くも生還したのであった。その虐げられていた審神者が件の少女である。本丸地下に、拘束された上で幽閉されており、心を壊されてしまっている疑いがある。
「手入れは受けないのかい、肥前くん」
「つっても、先生…」
「なんなら、君が手入れを受けている間、その子は僕が預かっていようか」
朝尊の提案に、肥前は僅かに逡巡するような間を置いて、受け渡そうとするように抱え上げた。
「・・・」
少女の瞳がゆっくりと開き、瞬きをする。
「おや、目が覚めたようだね」
「あ?」
少女は特に何も言わず、ぼんやりと目の前の朝尊の方を見ている。
ところで、肥前も少女も本丸から軍基地に帰還してそのままの状態である。例の本丸で刀剣と交戦し中傷を負った肥前もそうだが、少女もわりと酷い状態である。
「人間の治療を行える術師か医師の手配が必要かな?」
「…あー」
今にも死にそうということはないが、治療が必要な状態ではある。
「…先生に任せていいか」
「ああ。とりあえず、医療部に連れていってみよう」
「…手入れ受けに行ってくる」
「うん、いってらっしゃい」
肥前が手入れを終えて戻った時、朝尊はまだ戻っていなかった。肥前が少し迷って、医療部の施設に向かおうとした時、少女を抱えた朝尊が戻って来た。
「肥前くんの手入れは終わっているようだね。それは重畳。早速で悪いけど、例の本丸のことについて、報告をもらえるかな」
「…それはいいが、そいつは降ろさなくていいのか」
肥前は人形のように無反応の少女を指さす。
「この子の対処を決めるために君の報告が必要なんだよね…!」
「あー…」
肉体的な負傷の治療は終わっているらしい。衣装も、入院着のようなものだが、清潔なものと換えられている。
「…言語機能っつーか、呪術…浄化は使えるみたいだ。俺がそいつを抱えて本丸の中を逃げ回ってる間、ずっと使ってたから。祝詞唱えるやつ。それ以外にも一応、意味のある言葉の一言、二言ぐらいは口にしてたな」
「具体的には?」
「…"やっと殺すのか"、"ちがう?そうか"」
朝尊は面食らったように目を丸くした。肥前は肩をすくめる。
「本丸の刀剣の呼びかけにはほぼ無反応。一応、主とか小鳥とか呼ばれて執着されていたな」
肥前が小鳥と口にした時、少女は静かにそちらを見て、少しして、また視線を戻した。
「小鳥というのがこの子の号ということかな」
「じゃねえの?」
小鳥、と口にした朝尊を少女が見上げる。それに気づき、朝尊は少女に問う。
「君は、小鳥ちゃん、ということでいいのかな?」
「…たしか、そういうことになっていた」
「何故医師の呼びかけに反応がなかったんだい?」
「必要があったのか?」
朝尊が絶句する。代わりに、肥前が言う。
「寧ろ、何で必要ないと思うんだ、お前は」
「あそこではずっと、俺の意思は必要とされていなかった。人形のように従順に逆らわぬことを求められた」
「…べつに、生まれた時からそうだったわけじゃないだろ」
一度目を瞬かせ、無感動に少女は言う。
「俺は、出来損ないの落ちこぼれで、役立たずなのだから、あそこで役目を果たさなければならないと言われた。多分果たせていないが」
「誰がそんな間違ったことを吹き込んだんだい」
「一度顔を合わせたきりで、覚えていない。名は知らない。担当?か上司?じゃないか」
顔を歪めている朝尊を見上げて、少女は不思議そうに小首を傾げる。
「俺はあそこで生贄として殺されるべきものであったのではないのか」
「刀剣の刃権は勿論、審神者の人権も尊重されるべき大事なものです!!」
「落ち着けって先生」
きょとんとしている少女に、肥前が肩眉を曲げる。
「何だその顔」
「さにわ、とは?」
「お前、審神者だろ。審神者として本丸に行ったんじゃないのか」
「………そういえば、そうだな」
「…自分がどれぐらいあの本丸で過ごしたか…否、配属されたのが何時だったかは覚えているか?」
「………わからない。…2205年…だった…ような…?」
「…今年は2210年だ」
「2205年というと、一斉検査のあった年だね」
「俺は、一斉検査は受けていない」
朝尊と肥前は目を見合わせた。
「では、何故審神者に?」
「……なんとなく?」
「なんとなく」
「なんとなく、思い立って、採用試験を受けたら合格してしまった。ただ、何が拙かったのか、鍛刀禁止令を受けた」
「鍛刀禁止令なんてそうそう出るもんじゃないだろ。何やらかしたんだお前」
「…最終試験で喚んだものが、拙かった?のかな。立ち会った人たちは皆焦って今すぐ還せっていうから、還ってもらったんだけど。深い緑色の目の、長い金髪をポニテにしたやさしそーなお兄さん。背も高かったと思う」
「…誰だそれ」
「…加護もついてるわけだし、御大じゃないかな…」
「御大が、やさしそう…?」
「…あ、刀じゃなかった。なんか、こう…別系統の…」
少女は手ぶりでその形を示す。およそ、剣であろうという形だった。
「…御大だな…」
「あのヒト、オンダイっていうの?」
「あの方は気難しいから、不用意に名を呼ぶわけにはいかなくてね。再会した時に自分で聞いた方がいい。…とはいえ、試験で御大を降ろした候補生、となると特定は容易かな。二人も三人もいるわけがない」
「俺はそんなやつがあんなとこに幽閉されることになってたってのが信じらんねぇよ…」
肥前が眉をしかめる。
「俺はただの一般人だよ?腕力とかないし、呪術の講義は一回こっきりだったし、自分で何で死んでないのかわかんないんだけど」
「君のように将来有望であっただろう審神者候補生の未来が歪められてしまったことが残念でならないよ」
「将来有望?」
「今のところ、普通の術師では御大を降ろすことも対話することもできないからね。…まあ、御大の神格に加えて性格も原因なのだけど」
なにしろ、相手は気に入らなければ帝の血統ですら呪う類の神剣である。しかも、神代から逸話が残っているガチモンの神剣だ。
「俺はただの一般人だよ?」
「本当に箸にも棒にも掛からない、ただの一般人なら、御大を降ろしたら、その時点で干からびているよ。それに、君のいたあの本丸で生き残ることもできない」
しかも、年単位だからね、と朝尊は付け加えた。
「・・・」
「まあ、お前が一般人かそうでないかは別にいいんだよ。問題は…あー、レキシューがこいつを狙う可能性は十分あるよな?先生」
「目に見えて執着していたというなら、あの本丸の刀剣たちが何かする可能性もあるだろうね。少なくとも、守刀の一振も付けないことには危なっかしい」
「まもりがたな」
「おれはやらねーぞ、柄じゃない」
肩をすくめた肥前に、朝尊はにこりと微笑む。
「小鳥ちゃんにとって、君以上に信頼できる刀ってそうそうないと思うけど。なにしろ、あの本丸から助け出したわけだし」
「おれは人斬りの刀だぞ」
「君の意思でしたことでもないだろうに。小鳥ちゃんはどう思う?」
「元々、刀って人を斬るための
「それもまあ、一つの見解だね」
勿論、それだけではない。だが、そういう面もあったのは確かであろう。
「・・・」
「他を手配するにせよ、その"他"が見つかるまでは君に任せることになるかな」
「…ちっ」
「…迷惑になるのなら、俺は…」
「肥前くんは素直じゃないだけだから、小鳥ちゃんは気にしなくていいよ」
「南海先生…」
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他にも何振りかの肥前が所属している
本霊じゃない方の朝尊は政府刀にはほぼいないかもしれん