正式に政府の術師になって、少女は眼鏡をかけるようになった。そういう素振りは見せていなかったが、彼女は著しく視力が悪かったのである。裸眼できちんと見えているのは手の届く程度の距離までだった。そうして、ほんの少し、"外側"に関心を見せるようになった。
「新人をいきなり現場に突っ込んだりはしないけどね、流石に。人材は大切にしなきゃだから。…っていっても、忘愛のは出戻りだもんねー」
「あはは。うーん、でも僕以外みんな新じんか畑違いでしょ」
怪異課にはやはり、御神刀や怪異斬りの逸話を持つ刀が多い。神秘部自体なら、他にも所属しているものがいるが。刃材の多様性というのは、ある程度必要なのである。
「呪物課の方に来てくれても良かったんだけどねー」
「そこは神秘部を勧めた化物斬りが怪異課を勧めたからってだけだから、主…碧鳥に特に拘りはないと思うぜ」
「うん。俺で役に立てるなら、って」
「うん、いい子だねー、よーしよし」
「…髭切さんって、人懐こい刀なんですね」
小夜が零すと、見ていたソハヤが苦笑する。
「神秘部そのものはともかく、怪異課と呪物課は人間の職員があまり長続きしないからな。人間と関わる機会がどうしてもな?」
「忘愛のなんて、"人の子との触れ合いが足りない><"って出奔したもんね。まあ精神的な負荷のかかる職場なのはそうだろうけど」
「息抜きは必要だよね、やっぱり」
「僕たちは人の子の声に応えて現世にいるわけだから、やっぱりね」
「…兄者は怪異を斬り捨てる時が一番活き活きしている気がするが」
「それはそれ、これはこれ」
まあともかく、新じんは暫く先輩について仕事を学ぶことになるわけである。
元々政府に所属していた三振りは顕現してからそれなりに経っているが、小夜は顕現して一年も経っていないらしい。それも、元居た本丸がブラックだったこともあり、あまり人間のように日々を過ごした経験があるわけではなかった。
だから、というわけでもないのだろうが、神秘部所属の左文字がちょこちょこ世話を焼いている。小夜にはそれが不可解なことらしかった。
「僕は、どうしても…復讐の刀だから。主のように何も恨まないでいることはできない。…前にいた本丸の審神者のことも…何とも思っていないだなんて、言えない」
「それが…普通だと、思いますよ…。…碧鳥さんのように、何者も恨まないでいられる方が、稀なのです…」
「あの子は他者に対する関心が極端に薄いだけの気がしますから、別の意味で特殊ケースだと思いますが…不健全ですよ、アレは逆に」
「そう…かな…?」
「そうですよ。それと、黒本丸出身の刀であれば、小夜でなくとも人に恨みを持つ者もいますよ。まあ、ある程度折り合いを付けないと政府に所属することもできませんが」
部署によって多寡はあれど、政府に所属して働くとなれば人と関わらずにはいられない。特定の人間を主として契約を結ばずに顕現することもできる、というだけだ。
「そもそも黒本丸出身で政府に所属して働こうと思う刀もそう多くはありませんけどね。大体は主の引退などで本丸から離れることにしたものか、元から政府の術師に顕現されたものですよ」
「いや、だって別に"僕個人"に対する悪意じゃないし、拘っても無駄かなって。あの人はとにかく審神者を減らせれば何でもよかったし、他の人たちは僕っていうか、睦月と契約してる人間、が気に入らなかっただけだし」
少女はこてりと首を傾げる。
「僕を見ているわけでもない相手のことを気にしたって徒労じゃないかな」
「…腹が立ったりは、しないの?」
「ん-…そうだな…どう説明したらいいかわかんないんだけど…ん-…どっちかというと、憐れに思う、かな」
「憐れに思う」
「やってることの全てが時間の無駄じゃん。自分の望みが叶う可能性を自分でドブに捨ててる。何でそんな簡単なこともわからないんだろう、って憐れに思う。というか、純粋に不思議。不毛なことに時間を割いて台無しにするのも、他者を傷つけることに快感を見出すのも」
少女は心底不思議そうに言う。
「失敗とか、悪いことがあるってわかってたら普通避けるよね?」
「それ多分、普通の人間はわかってないやつ…にゃ」
「普通の人間って頭使ってないの?」
「辛辣」
「…主には、世界の見え方が違っているのかな」
本当に、わからないようだった。彼女には、あからさまに不世界を選ぶ酔狂か何かのように見えているのだろう。当人たちは自分が間違ったことをしていると思っていないのだ、大抵は。偶にわかっているものもいるが。
「てか、じゃあ主は自分が死ぬことを選ぶのは正しいと思ってやったのか?」
「ん-…正しいとは言わないけど、無駄ではないかな、って」
「…死ぬのが嫌だとは、思っていないの?」
「うん」
忘愛は弟を喪ってる個体 相方がいない分、人の子に対する比重が重い