影追の二つ名を持つ南泉一文字にとって、碧鳥の号を則宗から与えられたこの審神者は特別な人間である。そして、同時に、相手にとって、自分は本当の意味で特別な存在ではないだろうとも思っている。主従契約を結んでいるし、個体認識もされているが、それでも、"それだけ"でしかない。
別に、恋心だのなんだのがあるわけではなし、主従の枠を出るような思いではないと思う。ただ、せめて生き続ける理由ぐらいにはなりたかった。彼女はあまりにも己に無頓着だったから。
「自己犠牲みたいなことはやめろよにゃ」
「ん-…一応そういうつもりはないんだけど」
誤魔化しという風でもなく、本心からの言葉であるようだった。
「やっぱり、損害はできる限り小さい方がいいでしょ」
「あんたは自分が怪我したり死んだりした場合の損害を過小評価しすぎだ…にゃ」
「そうかな?」
少女は至って自然体だ。何を気負うでもなく、怯えるでもなく、思いつめている様子もない。しいて言うのであれば、達観しているとでもいえばいいのか。あるいは、視座が人間のそれではないのかもしれない。
「そうだぜ。つぅか、天涯孤独ってわけでもあるまいし、身近な人間が死んだら悲しいってのはわかんだろ。…にゃ」
「ん-…でも、悲しみは一時のものでしょ。乗り越えられない悲しみはないというよ」
「多分間違ってないけど間違ってるってやつだ、それ」
少女は不思議そうに首を傾げる。南泉は溜息を吐いた。
「そりゃあ、あんたに死んでほしくないっつー俺たちの気持ちを蔑ろにしてることになるんじゃねーか?」
「ん-…確かに、そうかも。ごめんね」
「本当にわかってんのか、あんた。神ってやつは大体執念深いんだぞ。それこそマジになったら理を捻じ曲げるくらいのことは…にゃあ」
「でも、生物はいつか死ぬものだよ」
「それでもだよ」
南泉は自分を顕現した審神者を、本丸でどう過ごしていたのかを、覚えていない。ただ、その審神者を慕っていたということはなんとなく覚えている。本丸での日々を、思い出を、取り返したいと思っていないといえば嘘になるが、主が幸福であれば必ずしも、とも思っている。彼女が、幸せであるならば。
「睦月の御前だって、神としての属性が強い個体だしな」
二つ名持ち=概念拘束がかかっている分、枠から外れづらい状態になっているが、逆に言えば、余程のことがあればその軛を外して変性する可能性がある。それだけのポテンシャルがある。
あの日、南泉が救急セットを持って行かなきゃならないと感じ取ったのは、勿論彼女を救うために必要だったというのもそうだが、彼女が死んでいれば則宗が大変なことになっていたからだろうとも思っている。それこそ、拘束術式を破って転神、あるいは祟りと化していたかもしれない。いずれにせよ、ほぼ確実に件の職員や協力者は祟り殺されていただろう。神の気に入りの存在に手を出すとはそういうことだ。
「睦月は…ん-…そうだね。すごく気にしそうだね」
「気にしそう、じゃなくて、気にするし、気にしてるんだよ…にゃあ」
「でも、長く顕現してる刀なんでしょう?」
「…あのな。多分御前は言わないだろうから言っとくと、御前が二つ名持ちになった原因との契約を解いて政府に戻ってきて以来、正式な契約を結んだのはあんた以外いない…にゃ。仮契約は何回かあったらしいけど、にゃ」
「…えぇ?何で」
「俺はそこまで知らん…にゃ。気になるならあんたが自分で聞くんだにゃ」
「ん-…」
少女は聞いたところで答えてくれるかなぁ、みたいな顔をしている。
「とにかく、御前は主のこと特別に思ってんだよ、確実に」
「…俺は、特別なことなんてない普通の人間だと思うけど」
「御前にとってはそうじゃない、ってことだろ。…っていうか、契約してる主は刀剣男士にとって特別な人間だ…にゃあ」
そしてそれは南泉にとっても同じだ。自分も、相手も、その記憶を残していないとしても、南泉にとって彼女は唯一無二の主である。こうして契約関係も追い付いている。対外的にも、彼女は南泉の主で間違いない。
他の人間や刀剣にとってどうであろうと、南泉にとって、少女は特別な人間だ。本人は理解しないだろうけれど。
「……特別、ね」
そういえば、少女が黒本丸で虐げられていたらしいことは聞いているが、具体的にどんな扱いをされていたのかは知らないな、と南泉は思い至った。少女の瞳は、思いに沈むように澱んでいる。
「でも別に、それが俺である必然性はないだろ」
あんたじゃなきゃ意味ないんだよ、というには南泉は少女のことを知らなさすぎたし、素面で愛を語れるタイプでもなかった。
「巡り合わせも、それはそれで大事だろ」
「そうかな…」
「俺らの守ってる歴史だって、巡り合わせの積み重ねみたいなもんだろ…にゃ」
「ん-…そうかも…」
全てが必然の不変のものであれば、態々守る必要はない。守るまでもなく変わらないのだから。だが、歴史は改変できてしまう。何かが違えば、変化してしまうものなのだ。