別に深い考えがあってしたことではない。しいて言えば、その方が面白いかな、くらいのもの。
「…本当に、すごく素直で、信じられないくらい鈍いよね、小鳥は」
姫鶴の膝の上で、小鳥はすぅすぅと寝息を立てている。その躯は初めて会った時よりも小さく、彼の古馴染みの短刀たちと然程変わらないくらいに縮んでいる。そして見目通りの筋力や体力しかない。今眠っているのも体力切れの転寝だ。
「かあいいね、小鳥は」
髪を梳くように頭を撫でる。彼は夢を通じて他者の精神に干渉する能力を持っている。加減して使えば、ただ自由に他者の夢に入って話をする程度にもできるが、本気で干渉を行えば、洗脳だって容易い。そして彼は祟刀なので倫理観がガバガバだった。その結果がこれである。本丸が特殊な空間であることも原因だが。
本丸は虚数空間にある。ここでは認識が実存に影響を及ぼす。彼の干渉によって小鳥の自己認識の形は少しずつ変化させられていった。元からあまり立派な成人女性には見えない姿をしていたが、今ではすっかり幼い子供でしかない。それでも発狂していないどころかメンタル上の変化がほとんど見られないのはある意味異常だが。そしてその身体変化の原因が姫鶴であることに気付いていない。否、そもそも自分の躯が変質していることを自覚しているか怪しい。姫鶴を疑うどころか信頼しているのは、彼の精神干渉の副作用の可能性もあるが。
いずれにせよ、姫鶴はもう小鳥を手放すつもりはないし、手元に置いて可愛がってやろうと思っている。それなりに気に入ったので。
「面倒見てやるって言ったもんね、おれ」
一方的なものであれ約束は約束だし、神なので約束は守るのである。
「小鳥は甘いものって好き?」
「何、突然。まあ好きか嫌いかで言えば好きだと思うけど…」
小鳥はこてりと首を傾げる。
「好きなら取り寄せようかと思って」
「…そういえばよく考えると食材の出どころとか不明だったな…」
この本丸は凍結されているので、
「小さい子って甘いものとか好きでしょ」
「子供扱いの一環だったか…」
俺一応成人してるんだけど、と小鳥はこぼすが、今現在の小鳥の躯は完全に幼子のものである。本人の自覚は薄いが。
「お前、あんまり食べないし」
「比較対象が悪いだけだと思うけど…」
実際、姫鶴と比べると半分も食べない小鳥だが、体躯から考えると別に特別小食というほどでもない。小学生程度の子供と成年男士が同量を食べるわけがないのである。ただし、確かに元の体格の頃より量は減っている。まあ減る事自体は何も不審ではないのだが。そもそも本当の子供ではないので、必要な栄養さえ取れていれば問題ない。
「人間はちゃんと食べないと死ぬでしょ」
「食べてますけど???」
残念ながら、姫鶴の思う子供の食事量は短刀のそれである。普通の人間のものより多い。さらに言えば、小鳥はそこまで活発ではないので、カロリー消費も然程でもない。多分、食事量を増やしたいなら運動量を増やした方が早い。
「いつか倒れたりしない?」
「食事量が原因で倒れたりはしないと思うけど…」
「小鳥、あーん」
「…あーん」
雛鳥の給餌の如く、姫鶴は小鳥に一口大の饅頭を食べさせる。楽しそうである。ちなみに小鳥が躊躇ったのは食べきれない量を詰め込まれることを危惧したためで、恥ずかしがってとかではない。
もぐもぐごくんと口の中身を飲み込んでから小鳥は言う。
「食べさせてくれなくていいんだけど」
「おれは楽しいから構わないけど」
「俺は楽しくないかな…」
そうは言っても積極的に拒否はしないのは、恐らく小鳥の性格的なところが大きいのだろう。何しろ、自分を嵌めてこんな墓場に送り込んだ人間を恨んでいない。人を憎む才能がない。そこはもっと怒っていいと姫鶴は思う。
「食べさせてくれなくてもお腹空いたら自分で食べるし」
「お前、作業とかに夢中になるとうっかり食事を忘れるでしょ」
「それは…まあそうなんだけど」
小鳥はどうにも生存意欲に乏しい。うっかり死んでも不思議ではない。殺しても死ななさそうな人間というのもいるが、姫鶴には小鳥は放っておけば死にそうに思える。実際どうかはともかく。
「人間は食べないと死ぬんでしょ」
「流石にそこまで極端な忘れ方はしないよ…」
夢の中の小鳥はいつも違う姿をしている。人間の時もあるし、人間じゃない時もある。ただ、大きいものではないことが多い。一周回って感心するくらい、姫鶴が干渉しても自分が夢の中にいることに気付かない。
「今日は…これか」
その日の夢で、小鳥は廃神社の狛犬だった。手入れのされていない廃墟の前で、ちょこんと座って遠くを見ている。
「お前、寂しくないの」
「寂しい、何故?」
夢の中の言葉に嘘はない。といっても、その夢の設定においての、という話であるので現実に即しているとは限らない。
「…ピンピンしてるもんな、お前」
監禁されれば人は心を病むことがある。もう数か月は本丸内だけで過ごしているのだから、精神的に参っていればその兆候が出てきてもおかしくないが、特に見られない。そういうのが平気なタイプなのだろう。たぶん良いことと言っていいのだが。
「少しくらい寂しがっていいんだよ」
「寂しくてももう会えないんでしょう」
「…そうだね」