白梅が本丸についたころから
「待ちわびたぞ、ある、じ…?」
何故か、主の姿が見当たらない。それどころか、場の空気が正常とは言い難い。見知らぬ人間が何か騒いでいる。鬱陶しい。
「俺の主は何処だ?」
「何言ってるの?宗近。私があなたの主じゃない」
何を言っているんだこの人間は。頭がおかしいのだろうか。馴れ馴れしい。
「俺の主はお前ではない。主を何処に隠した」
「あの女は私にあなたを譲ったの。だからあなたの主は私よ」
「…なんだと」
主が契りを違えたと?そんなはずはない。主と結んだ契りは、果たされぬまま未だ俺の手に残っている。本当に主が俺を他者に譲ることに同意したのであれば、この繋がりもなくなっていたはずだ。
「当然でしょう、あんな小娘よりも私の方が宗近の主に相応しいんだから」
この人間が、主よりも俺の主に相応しい?何を妄言を吐いているのだこの醜女は。本当に相応しいのならば、主から譲られるまでもなく自分で降ろせているに決まっているだろうに。やはり、頭がおかしいのだな。
「おい年増、あまり偽りばかり申しているようであればただではおかぬぞ?気は長い方とはいえ、お前にかかずらっている時間は惜しい」
「なっ…」
この人間に聞いても無駄かもしれないな。となると、他の者に聞くか、己で探すかせねばならないな。自分から動くのはあまり得意ではないのだが。
「…小狐丸、宗近にお仕置きしてやってちょうだい」
「・・・」
澱んだ目をした兄弟刀を見て、こいつも主を奪われ此処に連れてこられたのだろう、と思う。哀れなものだ。霊力の量しか取り柄のない人間など、どうとでもできるだろうに。
「破壊しない程度に痛めつけて」
…どう控えめに見ても、練度の差で一撃喰らったら戦闘不能になる気がする。なにしろ、この身は顕現したばかりだ。この身を構成する霊力に
「あんたも無茶するもんだな」
「俺から主を奪ったものに何故遠慮してやらねばならん」
とりあえず、主のもとに帰る前にあの女は呪うことに決めた。
だが、それよりも気にするべきことがあった。
「短刀、貴様何故主の霊力をまとっている?」
「俺っちには薬研藤四郎って名前があるんだぜ、じーさん。…もしかしてあんたの言う主ってぇのは、白梅のお姫さんのことか?長い黒髪で幼気な容貌してて、儚げな印象なのに男前なひよっこ審神者の」
「…俺は主と二言三言交わすことしかできなかったゆえ人となりはよくわからぬ。だが、その清浄な霊力はあの子のものだろう」
「つい昨日まで三日間、主の代わりに呪術の勉強を見てやっててな。呪術の練習がしたいと言って俺に癒しの術をかけてくれたんだ」
薬研は横たわる俺の手を取る。
「ありゃ、いわゆる天才ってやつだな。四日でこんなヘンテコな術を組み立てられるんだから」
手から霊力が伝わってくる。それは、癒しをもたらすという指向性を与えられているようだった。
「お姫さんがかなり大目に霊力をくれたから、これを使い切るまでは兄弟を少しでも癒してやれる」
「俺の主は心の清い人間だからな。…それで、主は今何処にいる?」
「俺も流石にお姫さんが配属された本丸が何処かはわからねーって。昨日までお姫さんと会ってたのだって本部の一室だしな」
気に食わないと思ったのが伝わったのか、薬研は苦笑を浮かべた。
「お姫さん、あんたに会うのを楽しみにしてたぜ。沢山話したいことがある、ってさ。今日、新しい本丸に配属されたはずだ」
「…やはりあの女は祟る。呪い程度では済まさん」
「そりゃ恐ろしいな」
「俺を敵に回したのだから当然だ」
生きたまま腐り爛れていく程度の苦しみは最低でも味合わせてやる。あの女に協力したものも当然同罪だ。係累まで及ばせるかは反応を見て決めよう。
「…まあ、お姫さんも情の強《こわ》そうな人だったし、その影響を受けてるだろうあんたが怒り狂うのも当然か」
俺の気性が主の影響、か。実際はどうあれ、悪くない解釈だ。主の存在が俺を形作っている、というのは。
「だが、うちの主は実家の権力と霊力の量だけは人並みを外れてるからな。迂闊に動けばお姫さんに害が向かうかもしれないぜ」
「…量があっても質がアレでは工場の排水のようなものだがな。格の高い刀剣は呼びかけに応えまい」
「で、あんたも此処に連れてこられることになったわけだ」
「腹立たしいにも程がある」
「…実際、主が鍛刀で格の高い刀剣を降ろせたことってないんだよな。大太刀も全滅だし」
「アレらは天上寄りだからな。此処には近づきたくもあるまい」
俺も此処に留まることは絶対に嫌だ。
「俺にはそういうのはよくわからないんだが、此処はそんなにやばいのか」
「留まっていたら穢れを身の内に溜め込むことになりそうだ。主に会うまでに禊がねばならぬな」
穢らわしい。俺の主ではないものが、許しもなく俺に触れるな。
この身の穢されることの腹立たしきは何処へぶつけるべきか。主の元へ帰るためには主の居場所を見つけることは勿論、俺自身の力を高める必要がある。無力とまでは言わないものの、今の俺は弱い。
主が恋しい。あの清い霊力を求めて俺は降りたというのに、この地は邪気が濃すぎる。審神者を名乗るのも烏滸がましい。敵の穢刀どもの方がマシなくらいだ。穢れを禊がねば俺も拙いかもしれない。
「じーさん、闘志は折れてないか?」
「…薬研か」
折れたつもりはない。だが、だいぶ参ってきているのも確かだった。
「…お前は、誰の味方なのだ?」
この短刀は、この本丸の審神者に降ろされた刀剣のはずだ。であれば、あの女を大切に思うはずだが…。
「誰の味方?そりゃ、俺はうちの主の刀だし、一兄がいない以上弟たちを守るのは俺っちの役目だろう?ズオ兄とバミ兄はちょっと抜けてるところがあるしな」
「・・・」
薬研藤四郎という刀は、主が自害しようとした時に腹に刺さらなかった、という逸話を持っている。すなわち、"主に従わなかった"という逸話がある刀だ。それは、主を生かしたかった、ということかもしれぬが、主の意思に逆らったことに変わりはあるまい。結局主は別の刀で自害しているのだから、それもただの我儘だ。
「俺は白梅のお姫さんには感謝してるんだ。うちの主は短刀をあまり気にかけちゃあくれないからな。…主が嫌いとは言わないが」
薬研は目を伏せる。理解はできぬがわからぬではない。特に鍛刀で応えた刀は、主に対して刷り込みにも近い強さの敬愛、忠誠、執着などを持つらしい。どのような感情を持つかはその刀剣の性格にも寄るそうだが…俺が主を求めるのも、何割かはそれでだろう。俺は未だ、主の事はほとんど知らないのだから。
アレに愛想尽かしたり感情が反転したりしないのだろうか、とは思うが。俺は多分、主が己より他の刀を優先することを堪えられないだろう。薬研たちは己でない、本来、主の呼んだものでない刀にばかり主がかかずらっていることになるわけだ。それは当然面白くあるまい。
「あれでも昔はまともだった、とでも言うか?」
「…いや。"俺"がこの本丸に来たのは四番目になるんだが、あの人は最初から今まで大して変わっちゃあいない。言っちゃあなんだが、我儘で強欲な子供みたいな人だ。随分甘やかされてきたし、今も甘やかされてる。正直、主が"変わる"ことはできないだろうな」
「人は年を取ると変われなくなるらしいしな」
そもそもあの女は己のダメさを理解していない。己は正しく、周囲が間違っていると思っている。それは少なからず周囲の人間にも原因があるのだろう、多分。
「普通は歳を重ねりゃあ色々学んで分別もつくもんなんだがなぁ。よっぽど教育が悪かったんだろ、多分。なまじ整った外見をしてたのが良くなかったんだな」
「俺の方が美しいがな」
「じーさんより美しいとか人間じゃないだろ。じーさんはあんまりそう思ってないみたいだが、うちの主は人の中じゃ美人だぞ。昔は傾国とか言われてたらしい。…今もそうかってぇと微妙だが」
「年増だからな」
「女に年の話をするもんじゃないぜ、じーさん。それに歳を取っても美しい人ってのはいるし、美しい年の取り方ってのもある」
まあ、薬研の言いたいこともわからないではないのだが。
「それにあの女は当てはまらんがな。己が年を取ることを肯定的に捉えられんものには無理な話だろう」
「じーさんは手厳しいなぁ」
「やあ、三日月」
「…石切丸か。お前は…あの女の降ろした刀ではないな?」
「私は"二口目"だ。主を守るため、そして他の同胞の手助けをするためにこの本丸に来た」
「…成程、それは慈悲深いことだ」
「ははは、そんな高尚なものというわけでもないよ。"一口目"が近藤と夕顔を鬱陶しがった結果さ。私を寄越す代わりに干渉させない誓約を成立させた、まあ体の良い厄介払いのようなものだ。おかげで私は好き勝手できないことも組み込まれている」
「それはご愁傷様、と言っておこうか」
「君こそ、随分妙な状態で此処にいるようだね。心も折れていないようだし」
「俺は主との契りを果たしておらん。双方に破る意思がない以上、この契りは途切れぬ」
「でも、辿れる程でもないよね。…いや、
「そう思って俺も夢渡りは試みておるのだがな。どうにもうまくいかぬ。主が眠っておらん、ということはないだろうとは思うのだが」
「なら、君が主の夢に入るのではなく、主を君の