一歩
天津神の神域に来てしまったのではないかと思うほどの、清浄な気配と幾つもの神力の気配が感じられる。…貧乏くじを引かされた気がしてならない。
何しろ、事前情報からして尋常じゃない相手だ。この本丸の審神者は、一般志願枠にも関わらず、初期刀として三日月宗近を降ろしているのである。眉唾物だと思っていたが、この本丸を思えば事実かもしれない。…元一般人というのが疑わしくなってくるが。
「政府の人間、か。事前の連絡もなしに、何の用だ?」
「私はこの本丸が適切に運営されているか、監査に来ました。こちらの本丸の審神者のところまで案内していただけますか、和泉守兼定、薬研藤四郎」
「監査、だぁ?」
和泉守兼定は心底嫌そうな、こちらを不審に思っているような顔をした。対して、薬研藤四郎は手元の端末を操作しているようだった。
「今回の監査は、管理部の近藤が担当していた本丸全てに抜き打ちで行っています。"被害者"と"加害者"、"協力者"を区別するためのものでもありますので、どうかご協力ください」
「…いいぜ。今から応接間へ案内する」
「薬研」
「大将からもそうしろって指示が来てる。疑うんなら、旦那も連絡網を確認してみたらどうだ」
「…ちっ」
応接間には座布団が用意されており、上座側には衝立が置かれていて、その両隣に鶯丸と鶴丸国永が控えていた。
「連れてきたぜ、大将」
「ありがとう。下がっていいぞ」
衝立の向こうから静かな声がする。審神者はそこにいるらしい。
「わかった。何かあったら呼んでくれや。…まぁ、俺が駆けつける前に鶴丸の旦那か鶯丸の旦那がどうにかするんだろうが」
「まあ、そういうことだから妙なことはするなよ?人間」
「和泉守、お前も下がっていろ。話し合いは冷静にするものだからな」
「…へーへー、わかりましたよ、っと」
和泉守兼定と薬研藤四郎が部屋を出る。
「どうぞそちらにおかけください、監査官殿」
促され、私も席に着く。
「この衝立は一体どういう意図のものか伺ってもよろしいですか?」
「私が人と顔を合わせるのが苦手だからと、鶴丸が用意してくれたんです。おなごが不用意に
「主に余計なちょっかいをかける人間が出るといけないからな」
「…そんな物好きな人間、あの男ぐらいのものだと思うけど」
「いや、あの近藤とかいう奴も主に下衆なこと考えてたね。俺たちを前に実力行使に出るだけの度胸はなかったようだが」
「主は手篭めにされて従うような人間ではないがな」
「…監査での確認事項に審神者の状態もあるので、姿を見せていただきたいのですが」
「そっちは見せないくせにこっちは見せろ、って?」
「こちらも仕事ですので」
「・・・」
「…監査官は恨みを買うこともあるだろうから、仕方ないんじゃない。顔も名も、個人を特定するためのものを何も知らない状態で誰かを呪うのは困難だからね」
鶴丸国永の横から、一人の少女が姿を現す。儚げな容貌の巫女装束をまとった小柄な美少女。何処か浮世離れした印象があるが、この少女が審神者、なのだろう。
いつの間にか衝立が横に退けられており、少女は改めて二人の間に座って私を見た。
「初めまして、でいいんですよね?この本丸の審神者、白梅です」
思わずこちらも名乗って平伏しそうになるのを堪え、軽く会釈を返す。呪術師としての勘が、この少女を敵に回したら拙いどころの騒ぎではないと告げている。元一般人とか嘘だろ、絶対。
「…管理部の近藤とは、どのような関係だったかをお聞きしてもよろしいでしょうか」
「・・・」
白梅は薄く、美しい微笑を浮かべた。しかし、急激に室温が氷点以下に下がったような感覚に襲われる。どうやら、地雷を踏み抜いたようだ。
その小さな唇が、涼やかな声で言葉を紡ぐ。
「あの醜男は、私がこの本丸に配属されてから、頻繁に押しかけてきては鶴丸たちを寄越せと要求してきました。当然拒否しましたけれど、私が油断から初期刀を失ってしまったからか、与しやすい相手と判断したのか、しつこく通ってきていたんです。こんのすけがアクセス拒否を勝手に外して通してしまいますし、迷惑していたんです」
「初期刀を、失ってしまった?」
「この本丸に、届けられていなかったんです。こんのすけは、輸送中に次元流に巻き込まれて紛失した、と証言していました」
それは、明らかに偽りだった。こちらのデータでは、三日月宗近はこの本丸に送られた、と記録されている。データの改竄がされている、ということだろうか。
ただ、白梅の発言自体は嘘ではないだろう、と思う。
「…こんのすけは本丸の運営を円滑に行うためにある式神ですから、そのような場合、政府の方に通報していなければおかしいはずなのですが…」
こんのすけのプログラムに手が加えられていたとすれば、それはかなり深刻だ。後でこちらのこんのすけに接触してチェックする必要があるだろう。
「あれとの関係を聞くということは、何かしら問題があったんですよね?」
というか、近藤たちが彼女に妙なちょっかいをかけているという匿名のタレコミがあったことが今回の一斉監査の発端である。
「赤令という審神者と、更にいずれかの女性審神者が近藤とグルになっています。私の三日月はその女のところにいると思います」
「根拠は?」
「赤令は先日、近藤と共にこちらに来ました。その時、おばはんがどうとか言っていましたので」
にこり、と白梅は笑う。
「…もっとも、私が顔を合わせた女性審神者は呪術講習の時の先輩くらいですので、十中八九その方だと思いますけど」
「主がこの本丸に来る前のことは知らないが、本丸に来てからは顔を合わせた人間は狭間や何かの店員とかを除けばあんたで三人目だしな」
「…何故そう断言できるのですか、鶴丸国永」
「俺が主がこの本丸に来てから一番最初に降ろされた刀だからだ。まあ、実質的な初期刀ってやつだな」
そんな気はしていた。ただ、この鶴丸の主に対する執着は少々強すぎる気がする。近藤たちの行動もその一因だろうが…。
「鶴丸を僕から取り上げようと言うのなら、あなたも呪おうと思うのですが」
「白梅殿の運営に問題のない以上本丸の解体などは行いません」
「そうですか」
「本丸の解体?」
「審神者と刀剣男士の契約関係が解消されるケースは、審神者が審神者を辞める場合と、刀剣に問題行動があって刀解される場合のみであり、前者で刀剣が刀解を希望しない場合に他の審神者に契約が引き継がれることになります。基本的に、何の問題もない主従契約を解消させるということはありえません」
理由は単純、そんなことをすれば刀剣の叛意を招きかねないからだ。彼らは基本的に主を変えることを好まない。その契約に問題がないならそんな無駄なことをして機嫌を損ねるべきではない。
「やはり、あの男は無茶苦茶なことを言っていたのだな」
「契約に他者が口を出す時点でおかしかったがな」
「あれの頭がおかしいのは明白だっただろう」
…完全に神々のやり取りにしか聞こえないのだが、白梅は人間、のはずだ。
「そういえば、白梅殿は手元にいない刀の所在に確信があるのですか?」
私の問いに、白梅はそれまでとは違う、無邪気な微笑をふにゃりと浮かべた。可愛い(確信)。
「夢で、何度か三日月と話したんです。その時、彼があの女、と吐き捨てていたのと…その時感じた霊力を元に呪ってやろうと思って色々考えていた時に、その不快極まりない香りに覚えがあったものですから」
「…呪わないでいただきたいのですが」
「何故ですか?ああいう人間は痛い目にあわずに反省することはないと思いますが。…それに、私が呪わなくても彼は何かしらするでしょうし」
「彼が何かする、とは」
「刀剣と審神者はある程度似るのでしょう?私が呪おうと思うくらい腹を立てることに彼が気にしないとは思えませんし、彼は私のところに帰るとはっきり言っていましたから、邪魔をされれば相応の対応をすると思います」
…まあ、審神者と刀剣はある程度似る。より正確には色々と影響を受ける。ありえないとは言えない。
「…アレは呪うどころか祟るんじゃないか」
「俺は彼をよく知らないから何とも言えないが…お前がそう言うならそうなんだろうな」
「僕も最終的に死んだ方がマシレベルで近藤たちを呪おうと思ってたしね」
「だから、呪い返しが面倒だから主が呪うのはやめてくれって言ってるだろう」
「思ったんだけど、呪いの経路を屈折させてあいつらを経由させて発動させたら呪い返しされても僕のところまで届かないんじゃないかと「恐ろしいことを考えるな君は?!」
…私は、何も聞かなかった。
「…念のため、こちらの本丸の刀剣男士全員と面通しさせていただいた後、式神の状態も確認させていただいてよろしいですか?」
「わかりました。薬研、監査官殿を案内してやってくれ」
「わかった」
隣室と繋がる襖が開いて薬研藤四郎が姿を現す。その後ろには一期一振と蛍丸の姿があった。
「面通しは此処で済ませた方が早いかな?蜻蛉切、大倶利伽羅、入ってきてくれるか」
反対側と正面の襖も開いて、呼ばれた者以外の刀剣も姿を現す。完全包囲状態である。…完全に、警戒が板についている。近藤は一体何を…いや、愚問か。
「…少数精鋭、ですね」
「よくおわかりで」
分からざるを得ないんですがそれは。