本丸に入ってすぐ、鼻に届いた異臭と感覚に訴えかける危険の気配に、私は思わず被り物の下で顔をしかめた。とりあえず、上からの説明が不十分だったことだけはわかる。
何人目かの引き継ぎを経て俺が受け持つことになったという本丸は、先代の審神者が事故死しているのだという。そして、刀剣は負傷しているものがいるかもしれない、と。
「…せめて、確実に俺についてくれる刀の一本も寄越せよな…」
本来なら審神者となる時、最初に降ろした刀を初期刀とするらしいのだが、私にはそれがない。寧ろ、自分が最初に降ろした刀剣が何者なのか知らない。刀じゃなかったような気もする。立ち会った先輩方が大騒ぎになって還そうとするので(そもそも格が高すぎて本来使役できない相手?らしい)ごめんなさいおかえりください、とすることになった。いい子いい子、と頭を撫でて素直に帰ってくれたので悪い人じゃなさそうだったんだけどなあ。そういうわけで、万が一のため俺は鍛刀禁止らしい。
「…まあ、味方がいないのなんていつものことか」
私が信じてもいい相手など、家族しかいないのだ。
血臭が一番酷い場所の戸を開けると、刀が飛んできて頭部に刺さった。
「…あー、話し合いの余地もねぇの?当たり所悪かったら死んでんだろ、これ」
文句を言いながら刀を引き抜く。そこに血は付いておらず、刀が傷ついているのを確認して肩をすくめる。そして、札を取り出した。
「こいつを手入れすればいいのかな?」
少々やり方は荒いが、
「祓いたまえ、清めたまえ」
まとまった量の霊力が一気に消費される感触と共に、刀が綺麗になる。これぐらいなら大丈夫だな。
「さて、次はどいつだ?」
「待て、お前今、刺さったよな?刺さってたよな?」
「刺さったけど刺さってなかったんだよ。ほら、俺のことはどうでもいいから、さっさと手入れするぞ。話はそれからだ。お前ら全体的に視覚が痛いんだよ。最終的に俺を殺すならそれはそれでいいからまずお前らの治療をさせろ」
まくし立てるようにして押し切り、手近なやつから手入れをしていく。手入れの次は掃除が必要だな。穢れを溜めるのはよくない。
「…手入れをして、また戦わせるつもりですか」
「さて。その辺は君たちの選択次第、ってところかな」
無理矢理よくない。
横合いから刃を突き立てられる。
「お前も、あいつらと同じなんだろ…!」
「さて、僕は顔を合わせてない相手のことは知らないので何とも言えないな。だが…折られたいのなら折ってやるが?」
「っ、てめぇ」
「でなきゃ大人しく手入れされろ。意思を押し通したければはっきり主張する。基本だろう?」
刃を引き抜き、それも手入れする。これは太刀、でいいのかな?
短刀は消費する霊力は比較的少ないようだ。なら先に短刀を終わらせる方がいいかな。
「あ、ありがとう、ございます…」
「俺は己の役目を果たすだけだ。礼を言うのは早い」
手当たり次第に手入れをしたら疲れてきたがまだ全部終わってないんだな、これが。…負傷してる者がいるかも?今のところ負傷のないやつがいないぞ、おい。
「よ、良かった、本当は、とても痛かったんですぅ…」
「…あー、よく頑張ったな」
思わず頭を撫でてやって、ハッとして手を止め、すぐ何もなかったかのように他の刀剣の手入れに戻る。
「あんたが新しい審神者なんだよな」
「君たちがそう認めるのであればな」
手入れが終わった者は皆静かになる。その視線が注がれていることに居心地が悪く感じながら次々に手入れしていく。全員の治療が終わるまでもつだろうか。否、もたせなければならないのだ。中途半端は気持ち悪い。
「…これで全員…ではなさそうだな」
奥から何か禍々しい気配みたいなのが漂ってきている気がする。まあ、行くしかないんだけど。
入るなり、赤い瞳に鋭く睨みつけられる。いるのは三人、重傷二人に中傷一人といったところか。
「後はお前らだけか?とりあえず手入れだけさせろ」
「信用が、できるとでも?」
「そういう面倒なのは後だ、後。傷を負ったままがいいドMってわけじゃないんだろう?万全な状態の方が頭も回るに決まってるんだから黙って手入れされとけっての。大体、そういう痛そうなの放置しとかれるとこっちも落ち着かないんだっての」
「…はは、甘く見られたものだ」
「そもそも俺は戦いに来たわけじゃない」
「随分肝が据わってる奴みたいじゃないか。嫌いじゃないぜ、そういうの」
「ハ」
順番に手入れを行い、最後の一人、中傷の刀を手入れしようとしたところで、刀を突きつけられる。
「へい、後あんただけだぜ。俺に中途半端な仕事しかさせない気か?」
「名も知らぬ相手の世話になる気はありません」
「名乗らないもんだって聞いたがな。まあ、呼び名が必要であれば小鳥、とでも呼んでくれ」
そう言って刀を掴み、そのまま手入れを施す。
「よし、これで全員…」
べちゃり、とその場に倒れ込んだ。
原因は明白、急激に大量の霊力を消費したことで気絶したのである。
「え、まさか今更死んだのか?」
「いや、死んだってことはないんじゃない?多分、全員手入れしたから疲れたんだよ」
折れるギリギリの重傷もいたし、と付け加える。
どうするべきか、とざわつく。
「起きるまで、放っておけば良いのではないか?何人かで見張りを立てて、な」
手入れの時に感じられた霊力は清廉にして無垢。少なくとも欲深い人間ではないことだけは確かだが、悪人でないかどうかはまだわからない。邪気のない悪人というものが、いないわけではないのだ。
「畳の上に直接、は寝づらいんじゃないでしょうか…」
「大将の部屋にでも寝かせとくか?この部屋は一回掃除したいし」
「僕は、皆のご飯を作ってくるよ。…食材はまだ残ってるかな」
「僕も手伝うよ」
「俺は見張りをするぜ」
「じゃあ、僕も兼さんと見張りをするよ」
「僕は…掃除要員、でしょうか」
それぞれに分かれて動き出す。
「…ぅぁ?」
「よぉ、目が覚めたみたいだな」
「………おう。俺、倒れちまったのか。かっこつかねぇなぁ…」
小鳥は小さく溜息をついて身を起こす。そして辺りを見回して首を傾げる。
「趣味の悪い部屋だな。寝室は休むためにあるんだから青系かアースカラーにするもんだろ、普通」
真っ赤な壁紙の洋室。
「何か呪われそう」
赤い部屋って
「前の前の主さんの趣味らしいよ」
「へー」
気のない返事をしながら小鳥はベッドからよいしょ、と降りる。
「改めて、話し合いをしようじゃないか。それとも、その前にやることがあったかな」
「待てよ」
「何だ?」
「お前、軍に新しく派遣されてきた審神者、なんだよな?」
「一応そういうことになるな。まあ、同じことを何度も話すのは手間だ。話は他のやつと顔を合わせてからだな」
「お前は俺たちに何を望むんだ?」
「ん?んー…まあ、戦線が維持できる程度の協力、ってところかな?他のやつは今何処にいるんだ?」
「まず、ご飯にしよう。君も食べるだろう?」
「…。…まあ、僕も食べていいのなら」
そんなやりとりの後、小鳥は着ぐるみを脱いで隅っこに座った。黒縁の眼鏡に長い黒髪、簡素な着物と袴の上に黒いフード付きのマントを羽織っている。
「驚いたな。声が低いから男かと思ったが、女の子だったのか」
「女の
「はっはっはっ、こりゃ手厳しいな」
小鳥は白色に胡乱な瞳を向ける。
「所詮、俺に求められているのは刀剣を維持し戦線を保つことだけだ。僕がどんな人間なのかなんて関係ないんだよ。役割さえ果たせるならね」
そう言った後、己に注目が集まっていることに居心地が悪そうにした。
食事を終え、改めて彼らと小鳥は向き合う。小鳥は着ぐるみを再び着込みはしなかったものの、フードを被って、着ぐるみの頭部を抱え込むようにしている。
「俺があんたたちに示す選択肢は三つ…1、俺に協力する。2、俺を殺して次の審神者を待つ。3、刀を折って地上に留まることをやめる、のどれかだ。共倒れは流石に先輩に申し訳がないから心中√はなしで頼む」
「己の死も選択肢に入れる、か」
「"俺"は一人しかいないから、あんたたちで意見が一致したら、としてくれ。別に積極的に死にたいわけじゃない」
「あなたが死んで、何になるというのですか」
「審神者として俺じゃ役者不足だって言うなら、次のやつのために少しでも荒御魂サマの怒りを鎮める礎になるしかないだろ。神の怒りを鎮めるために
クケケ、と小鳥は笑う。
「清らかな乙女、までは言わないが、一応私は生娘だぞ」
「女の子がそういうこと言わないの!」
小鳥は小さく肩を竦めた。
「まあ、そんな感じだ。質問どうぞ?」
ひとまず判断は保留、ということになった。
「そう勿体ぶって考えることでもないと思うけどねぇ」
「己の命を自分から天秤に載せておいて、よく言うぜ…」
「俺は別にじっくり見極めなきゃならん程深い人間じゃねぇし、相手がいいやつかどうかなんてそう簡単にわかるもんじゃないが、結局行動が全てだろ。やらない善よりもやる偽善、って言うじゃねぇか」
「知らねぇよ」
「君の次に来る人がいい人だって保証はないだろう?」
「まあ、そこは俺の管轄じゃないから保証できないな。一応今の審神者選定基準には人格面の審査もあるらしいぜ?まあ、人格って言いつつ、思想とか軍に反逆する危険性があるか、とかを見るんだろうけど。俺が通るくらいだしな」
俺も自分が上に立つ器じゃないことだけは確信している、と小鳥は付け加えて、クケケ、と笑った。
「…大物なのか、大馬鹿者なのか…」
「…悪い人じゃ、ない気がしますけど…」
「しかし、私たちと信頼関係を築こうという気持ちが見られませんね」
「そう?アタシには寧ろ、偽悪的に振舞ってるように見えるけど」