「なぁ主、闇が恐ろしくて仕方ないんだ。俺と寝てくれないか?」
夜半過ぎに執務室に訪れた鶴丸は目を伏せてそう言った。小鳥は目を瞬かせて首を傾げる。
「怖い夢でも見たのか?そういうことなら僕より他の刀剣の方が頼りになりそうなものだが」
少し考えた後、筆を置いて文机の上を簡単に片付けて立ち上がる。
「ミルクでも温めよう。少しは気持ちが落ち着くだろうし、話くらいは聞くよ」
小鳥は鶴丸の手を引いて自室の簡易キッチンに向かう。ミルクパンに二人分の牛乳と、蜂蜜ひと匙、ブランデーひと垂らしを入れて火にかけた。
「本丸のセキュリティは万全のはずだから、敵や害あるものが闇にまぎれてやってくる、なんてことはないはずだと思うが…鶴丸は何が恐ろしいんだ?」
「…今が、都合のよい夢なんじゃないかと、思うんだ」
ぽつりと鶴丸が呟く。
「いつか目が覚めて、絶望するんじゃないかって」
沸騰しない内に火を止め、マグカップに小鍋の中身を注ぐ。片方を鶴丸に渡し、小鳥は冷ますように自分のにふーふー息を吹きかける。
「熱いかもしれないから、火傷には気を付けてくれ。…しかし、なんだ。夢じゃないかと思われるくらい良い主をやれているというのは光栄だが、仮に私が君の夢であろうとなかろうと、それを確かめる術はないからなぁ。明晰夢でもない限り、夢が夢だと知れるのは夢が覚める時だし、夢の中で夢を見ることがないわけじゃない」
小鳥はホットミルクを一口飲んで目を細めた。鶴丸は両手で包むようにカップを持っている。
「私なんかは夢の中じゃ五感が不完全なことが多いんだが、君もそうとは限らないからな。限りなく現実に近い夢というのが、ありえないわけじゃない」
「…夢ではないと、言ってくれないのか?」
「言って欲しいのなら言うが、それで信じられるのかい?…そうだなぁ、こう考えるのはどうかな」
にぃ、と小鳥は微笑う。
「"もしこれが夢だとしても、これだけ鮮明なものならきっと正夢になる"」
「…まさゆめ」
「予知夢というやつは案外大して特別でないものも見るものさ。そう意味のあるものでもないしな」
そう言って小鳥はごくごくとミルクを飲む。
「…主は、妙な事を考えるな」
「そうか?…今が夢じゃないかという君の発想も哲学の思想実験なみに不毛だと思うが。大体、今が夢だと言い出したら、目を覚ました君が"鶴丸国永"であるかも不確かになるぞ。夢の中の己と現実の己が同一であるとは限らないからな」
「…恐ろしいことを言うな、君は」
「それぐらいナンセンスな心配だと私は思ったということさ。私は私だしな」
冷める前に飲んだらどうだ?と小鳥は首を傾げる。
「…馬鹿げた心配だという事はわかっている」
そう言って、鶴丸はカップの中身をごくごく飲む。
「別にいいんじゃないか。くだらない事を考えるだけの精神的余裕が出てきたということだ。どうせ考えるならもっと楽しい事を考えた方がいいとは思うけどな」
飲み終わったカップを受け取って鍋といっしょに洗う。洗ったものを流しの横に置いて、小鳥はふぁあ、とあくびをする。
「…しかし、そろそろ良い時間だな。まあ、それで安心するというなら一晩くらいなら添い寝してやるよ。江雪に怒られるかもしれないが」
寝る前の身支度を済ませた小鳥は、鶴丸がベッドに腰かけているのを見てゆるく首を傾げる。
「鶴丸?」
「…俺が情けないとは思わないか?主」
「誰だって不安になる時はあるだろう。いつどんな時も揺らがずにいられる程強いやつはそうそういないし、そりゃあ相当な頑固者だろうぜ」
ぽんぽん、と頭を撫でて小鳥はベッドに入る。
「おいで。あまり夜更かしするのは健康に良くないぞ」
「…主は健全だなぁ」
「昔からあまり丈夫ではないから無理が出来ないというだけだ。無頓着でいられる程健康優良児じゃなくてな」
鶴丸も小鳥の横に滑り込む。小鳥は鶴丸の手を取って目を細めた。
「おやすみ、鶴丸。良い夢を」
「…おやすみ、主」
目を閉じはするが、すぐに眠れはしない。ホットミルクのおかげか躯はぽかぽかと温まっているが。そっと薄く眼を開けてみるが、相手は目を閉じて静かな呼吸をしている。既に寝付いてしまっているのだろうか、と思う。
「…きちんと文を出すところから始めるべきだっただろうか」
夜半に訪ねるという行動に対して、小鳥はそれだけ精神的に追い詰められているのだろう、くらいにしか思わなかったらしい。夜、室に男を招き入れることの意味合いをわかっていないというか。鶴丸は一応はっきり言ったつもりでいたのだが、伝わらなかったらしい。もっと直接的に言ったらわかっただろうか。…拒まれただろうか。そう思うと、これで良かったような気もしてくるので、鶴丸は己が臆病になったように思う。
「…鶴丸国永、何か弁明をするつもりはありますか?」
「…いかがわしいことはしてないぞ」
じっと見つめた後、江雪は深く溜息をついた。
「主とは、一度じっくり話をしなければならないようです」
「まあ、主は貞操観念が緩いわけでもなさそうなのに危機感がないよなぁ。俺は主に抱かれたくて訪ねたんだがなぁ」
「主が刀に性的に手出しするわけがないでしょう。そもそもそういう発想がないのですから。…抱きしめるくらいならしてくれるかもしれませんが」
「主の体格じゃ抱きしめるというより抱きつくという感じだろう」
小鳥は体格的には大きめの短刀程度しかない。
ふぁあ、と欠伸をしながら小鳥は身を起こし、眠そうに目元を擦っている。衣が寝乱れ着崩れていることで太腿などが露出しており、大変目の毒となっている。
「…主、寝巻だからといい加減な着付けをするのはやめたらどうでしょうか」
「…だって、あんまり締めつけられるのは好きじゃないもん…」
言いながら、首元を緩めるような仕草をしている。元々そう首が詰まっていたわけではないのだが。
「…主は朝が弱いんだな」
などと言う鶴丸の視線は小鳥の胸元に向かっている。着崩れた単衣の袷から、小さな乳房が僅かに覗いていた。江雪はずり落ちている着物を引っ張り上げ、目元を擦る手を止めさせる。
「しゃっきりしないと神仏習合させますよ」
「うー…」
暫くぐずった後、また欠伸をして小鳥は目を開ける。
「んー…おはよう、江雪」
「おはようございます、主。目は覚めましたか?ならばすぐに身支度をなさってください。私と鶴丸は席を外しますので」
「んー、つるまる?つるまるも、おはよう…」
「ああ、おはよう、主」
「…主、私が言いたいことはわかりますか」
「夜中に訪ねてくる非常識な男を易々室に上げてあまつさえ同衾するんじゃない、ってことでしょう。僕だって明らかにエロいこととか考えてそうだったら入れないよ」
「…鶴丸はあなたに抱かれたくて訪れたそうですが」
「手段として、だろう。不安を埋めるために人肌を求めるのはそこまで不思議な話じゃない。…頭真っ白にできるらしいしな」
「…わかっていて入れたのですか」
「そりゃ、俺と寝てくれと言われて添い寝を頼まれたと思うほどお花畑じゃないからな」
「・・・」
江雪は大きく溜息をついた。小鳥は心外だという顔をする。
「私だって大人だからある程度知識はある。役に立つかは別として」
「…大人だというならもっと危機感を持ってください。あなたは、腕力では誰にも敵わないのですよ」
「そこで強硬手段に出るような相手なら私も呪術を使うぞ。顕現解除させるぞ」
「そういう問題ではないでしょう」
「じゃあどういう問題なんだ。僕だって相手を見て対応を変えるくらいのことはできるぞ」
「根本的に、危機感が足りないと言っているのです。呪術が使えない状況になったらどうするのです。抵抗が出来ることを前提に考えないでください」
「…って言っても、僕が本気で嫌がって拒絶しても無理やりにでもやってきそうなのはいないんじゃないか?"それじゃあ根本的に意味がない"というか、本末転倒みたいなものだろう」
この本丸の刀剣が主を求める依存心の現れ方の一つとして、小鳥とのまぐわいを求めるのである。欲しいのは主の興味関心、愛情、肯定などであって、肉欲が主体というわけではない。少なくとも、今は。
「今はそうでも、これからもずっとそうとは限りません」
「大体、僕は肉欲を感じさせる対象じゃないだろう。性的魅力とかないだろうし」
「相手の性癖がわからない以上、ありえないとは言い切れません」
「…でも、扱いが概ね短刀と同レベルな感じじゃん?」
「短刀と同じ扱いだからと対象ではないと何故言い切れるのです?平安時代ではあれぐらいの年頃で婚姻を結ぶ事もなかったわけではないのですよ」
「江雪、それ特定の刀剣警戒してるってことでいいのか」
「流石に私も全ての刀剣が主に邪念を持っているとまでは思いません」
真面目な顔でそんなことを言った江雪に小鳥は微妙な顔をして頭をかく。
「…短刀にはそういう疑いを持ちたくないなぁ」
犯罪臭がする、と小鳥は呟く。実年齢とか言い出すとアレなのだが。
「…せめて太刀は疑ってください」
「…"私"はそういう対象にしたくなるような肉体的魅力はないと思うんだけどなぁ」
「鶴丸は僕が主だから抱かれたいだのなんだの言ったんだろう」
「?!」
勢いよく噎せた鶴丸に、小鳥は目を丸くして背をさする。
「あ、主、わかってなかったわけじゃ、ないのか?」
「そっち方面全く知らない、というわけじゃないからな。誰も抱く気はないが」
「…抱いてくれる気はないのか」
「不安を埋める手段なら他にもあるだろう。大体、私には立つものも性欲もないからな。どうしてもやりたいなら他をあたってくれ」
「…君が良い」
「そうか」
鶴丸は小鳥にしなだれかかる。
「君じゃなきゃ、意味がないんだ」