その本丸に一歩踏み込んだ瞬間、監査官は行き先を間違えたのだと思った。天津神の領域もかくやと清められた神域。そういう印象を受けたのである。しかし、他の審神者の通報を受けて監査を行う事になった本丸はそこで間違いなかった。
「…何だ、あんた」
真っ先に気付いた和泉守が不審げに監査官を見る。共にいた堀川と大和守と御手杵も無言で侵入者を見る。
「私は政府の命で監査にやってまいりました」
「監査ぁ?」
「…それって、前の主が連れてかれた時の…」
「今の主さんに連れてかれなきゃいけない理由はないはずだよね…」
「医者の判断なら監査とかじゃないはずだしね…」
ひそひそ。
監査が歓迎されることはない。だから、塩対応そのものには慣れているが、それだけでないものを感じ取った。
「…とりあえず、この本丸の審神者に挨拶をしたいのですが」
「主さまが
こんのすけが監査官を部屋に入れまいと立ち塞がる。
「それを判断するのはあなたではありません」
「それは…そうかもしれませんが」
「何か、私が部屋に入ると不都合が?」
「監査官殿に限った話でなく、今は人払いをしておりますので」
「名目は?」
「・・・」
「言えないような理由ですか?」
「…主さまは眠っていらっしゃいます」
「この時間にですか?」
現在時刻は午前九時半ごろである。
「…昨日、演習へ行った故に疲れが出たのだろう、と歌仙兼定は言っていましたが」
朝に一度起きられてはいるのですよ、とこんのすけは付け加える。
監査官はそっと戸を開ける。審神者の私室には浄化の香が焚かれ、静かな音楽が流されていた。ベッドサイドに置かれた椅子に座って片手で書に目を通していた歌仙が静かに顔を上げる。
「立ち入らないでもらえるかな。主は"人の悪意"に弱いんだ。外界の穢れを入れたくないんだよ」
「…そのようなことを言っていては、現代に戻ることは出来ない事になると思いますが」
「主を現世に戻らせなかったのは君たちだろう。今更それを言うのかい?」
歌仙は肩をすくめ、戸の前までやってくる。
「どうせ、主に聞かせるに値しない下らない用事だろう?仕方ないから僕が相手して差し上げよう」
「僕たちと主様は、まだすっごく仲良しには、なっていないですけど…うぅ、主様を何処かに連れていってしまわれたら、嫌ですぅ…」
五虎退が涙目で訴える。
「そもそも、何の咎が主君、或いは僕たちにあると言うのですか?…原因はおそらく昨日の演習関係でしょうが」
「…やっぱり三日月と小狐丸がついてくるのは止めさせるべきだったか?」
「俺は、俺の知らぬところで主が他の三日月に会うというのは御免こうむりたいのだが」
「私の何が悪いと言うのじゃ。おぬしよりは練度が低いかもしれぬが、鍛錬は怠っておらぬぞ」
「主が迷子になったりはしましたが、問題となるようなことはしていないはずなのですが…」
「そういえば主さん、先輩さんに会ったのはちょっと嬉しそうだったけど、他はつまらなさそうにしてたかも」
わいわい
「…二代目が相手するんじゃなかったのかよ」
「僕がするのはあくまで主の聞かされる話の代理だよ。僕から話す事はない」
「そんなのありかよ…」
「ひっく、うぅ…かせんの、うそつきぃ…」
すんすんぐずっている小鳥に歌仙は少し困った顔をして目線を合わせる。
「すまない、主。君がぐっすり眠っている内に話を終わらせて戻るつもりだったのだけれどね…」
「かせん、そばにいるからだいじょうぶって、ゆったくせに」
「すまない、主」
小鳥は、歌仙の黒いマントを羽織って、大きなぬいぐるみを抱えている。熱を出しているのか、顔が赤い。
「うぇえ」
「不安にさせてしまったね。僕は此処にいるよ」
歌仙は小鳥を抱えてあやすように背をさする。
「…歌仙の旦那、大将が体調崩してるなんて話は初耳なんだが」
「まあ、言っていなかったね。邪気中りのようだったから」
「歌仙の代わりに俺が傍についていようか、主」
「や」
「君に任せるくらいなら石切丸にお祓いを頼むよ」
小鳥にいやいやされて三日月はしょぼんとする。
「じゃあ、俺は?」
「…わかんない」
「そっか…」
ひっく、ひっく、と時々しゃくりあげながらも、小鳥の精神は少し落ち着いてきているようだった。
「…政府の方から監査を命じられてきたのですが」
「…おれが、ころされてないから?」
「えっ。いえ、そのような話ではありませんが」
「おれが、つとめをはたせなくなるのはしんだときで、かれらはちゃんとそこうぐんとたたかってるから、それでだめといわれたら、おれはころされなければならなかったということになる」
「いえ、殺されることを期待されている審神者はいないはずですが」
「相手の心の裡なんてわからない。人も刀剣男士も、好きじゃない相手にだって好意的に接せられる。どっちだったとしても、俺には見分けがつかない。…おれが信じるまで続けるんだろう?信じてもらえなきゃ、裏切ることはできないから」
「…主、今はそんなことを心配しなくてもいいんだ」
歌仙は宥めるように小鳥の背をさする。
「主は、気分が落ち込んでいるから、そういうことを考えてしまっているだけだよ」
「だって、アイツらはそうだった。僕が、安心して気を抜いたから、裏切ったんだ。おれたちのなかまをきずつけたにんげんがへらへらわらうなって、おれはきがいをくわえたわけじゃないし、ぜんにんとはえんもゆかりもめんしきもなかったのにおれがわるいって」
「主を変えることになった刀剣の全てがそう思っているわけじゃない。人に友好的な刀剣も勿論いる」
「知ってるよ。先輩の三日月さんたちは優しいひとたちだもん。先輩は優しい人で、優しい人に喚ばれた刀は優しいひとだもの。でも、じゃあ、どうして、何が違うの?アイツらの前任も此処の前任も酷い人間だったなら、此処の彼らとアイツらは何が違って、違うの?」
「うん、そう思って僕も改めて先輩に少し話を聞いてみたんだけど」
歌仙は穏やかな笑みを浮かべてみせる。
「前回の本丸は呪詛に沈んでいたそうだよ。だから、呪詛が悪かったんじゃないかな」
「呪詛?」
「呪詛と瘴気にまみれていて、普通の人間なら三日も留まっていれば気が狂って死にそうな程だったって。…まあ、主の周囲だけは常に浄化されてたそうだけど」
「…おれは、その呪詛をどうにかしなきゃいけなかったの?」
「多分、そういうことなんだろうね」
歌仙は小鳥の頭を撫でる。
「この本丸に呪詛に侵された場所はない。だから、少なくとも前回と同じにはならないよ」
「…そっかぁ…」
小鳥は安心したように目を細める。
「…待て、浄化特化型の主が存在し維持に霊力を回していても浄化できない本丸ってどんな魔境だ」
「直接行ってない僕に聞かれても困るな。先輩たちも主を救出したらその本丸を破棄するよう手配したらしいから」
「…それはまさか、美濃24番本丸のことですか?」
「僕は具体的な番号は知らないな。主は…そういう特に意味のない数字は覚えないからねえ。…何か心当たりでも?」
「今年解体された中でも最悪、歴代と考えても五指に入るレベルの本丸です。私はバックアップでしたので直接踏み込んではいませんが…」
監査官が身震いをする。
「モニタを通して見ただけで、見鬼でなくとも感受性の強いものは気分を悪くする程に呪詛にまみれ、折れた依代刀の中で残った数振りの刀剣が半分堕ちた姿で主を探し求めていたと」
「主の名を呼んで?」
「…小鳥と、呼ぶものもいたそうです」
「じゃあ多分それは主が前居たところだね。主の号は小鳥だから」
小鳥と歌仙以外が神妙な顔になる。どう考えてもまともに運営されていれば生まれない本丸である。トラウマ化してもおかしくない。
「…って、主はそんな本丸にいて呪詛に気付かなかったのかい?」
「何となくすごく嫌な感じがして、何かしなくちゃ、探してどうにかしなきゃ、って思ったけど、本丸の中探そうとしても見つける前に見つかって、出歩くと危ないからって大体室に閉じ込められてた」
「主は見鬼の才がないのか?」
「心霊現象の類に会った事はない」
「見えてないだけじゃないかな」
「…本題に戻りますが、貴方が刀剣を虐げている疑いがあるとの通報が二件ありました」
「男女一件ずつ?」
「……ええ、それが何か」
「じゃあ、誰か知らないけどあの人とあの人か。暇なんだなあ」
「えっ」
「ちょっと待て、女の方はわかるとして、男って誰だ。まさか君の先輩じゃあるまいし」
「自殺志願者が話しかけてきてたから。近付くと気分が悪くなる感じの」
「自殺志願者?」
「長谷部隣に侍らせて一期たち欲しがってた」
「まごうことなき自殺志願者だな、それは」
「…そういえば、昨日の演習に参加したそうですが、メンバーは?」
「浦島、前田、倶利伽羅、鶴丸、三日月、小狐丸、控えに一期と歌仙」
「…あぁ…。難民を煽っていくパーティですね…」
「難民?」
「三日月と小狐丸に関しては、前任の時代俺たちも難民だったぞ。何度も厚樫山と墨俣を走り回らされた」
「今の主になってからは割とすぐ来たけどなー…」
「んー…珍しい、ってこと?前回も先輩のとこにもいたから知らなかった」
「まあ、来るところには三振りも四振りも集まってくると言うしな」
「レア度など飾りです。…まあ、持てる刀装の数には影響しますが」
「三日月さんたち、三つ持てるのズルイよなー」
「(レア刀剣難民の妬みからの通報の線が濃厚、と)」
「短刀は、一つしか持てないのですよ」
仕切り直し。
「…見た所、刀剣との関係は良好とも言えませんが、虐げている様子はありませんね」
「そのような事実はないからな」
「問題はない、と言いきれないのが情けないけどね…」
「念のため、各所の確認を行った上で報告をまとめさせていただきます」
小鳥はぬいぐるみを抱えたまま寝落ちてしまっている。
「それじゃあ、僕は主を寝かせなければならないから」
歌仙は小鳥を抱えて立ち上がる。
「歌仙君、僕たちが主ちゃんに出来ることってあるかい?」
「…普段通りにすること、かな。主は静かすぎるのは苦手みたいだから」
小鳥は随分熱が上がっているらしいことが見てとれる。
「…解熱剤とかは用意しなくていいんだな?」
「熱が出るのは人の躯の防衛機能だそうだよ。無暗に薬に頼るのは逆効果だそうだ」
「歌仙さんは主さんについてるんだよな。俺も一緒にいていい?」
「…君、静かに時間を潰すの苦手だろう」
「これで、もうちょっと主ちゃんと仲良くできるようになるといいんだけど」
「…まあ、頑なに俺たちが敵に回る心配をするのはやめてくれるんじゃないか?すんなり歩み寄れるかはともかく」
「…あちらから歩み寄る気があるかはわからないがな」
「…積極的に関わってくださる気はないだろう?あの方からそういう気配を感じた事はない」
「主ちゃん、あんまり自分から動かないもんね…」
「興味がないんだろう」
「…寧ろ、主は何に興味があるんだろうなあ。こっちから積極的にいけば何かしら反応はしてくれるが」
「昨日、短刀の子たちとかとやってた遊びとか?」
昼前に、小鳥は目を覚ました。ぼうとした目が、ゆっくりとあたりを見回す。
「どうしたんだい、主」
「…かせん?」
「ああ、君の歌仙兼定だ」
「…ひとりになったかとおもった」
「僕は君を一人にはしないよ。…喉は乾いていないかい?何か飲み物を取ってこようか」
「…ううん、うがいする」
「そうか」
「うん」
ベッドから降りる小鳥に歌仙は手を貸す。熱はだいぶ下がってきたようだが、少しふらついた。
「食事は取れそうかい?」
「…おなかはすいてる、とおもうけど、あんまりしょくよくない」
「それならやはり、おかゆかな?」
「…んー…うどんがいい」
「じゃあ、そうしようか。すぐに作ってあげよう」
「ん…」
こくん、と小鳥は頷く。
歌仙が作ったのは野菜とか肉とかがっつり入ったうどんである。自分の昼食も兼ねている。
「…いただきます」
小鳥はきちんと手を合わせてから食べ始める。小鳥の様子を確認してから、歌仙も食べ始める。小鳥はだいぶ消耗しているようだと歌仙は思う。とはいえ、歌仙にできることはそうないのだが。
「様子見に来たよー。主さん、どうしてる?」
「此処でうとうとしているよ」
小鳥は音楽に耳を傾けながらうとうとしている。浦島は小鳥の顔を覗き込んだ。
「熱はどうなんだ?」
夜。
小鳥はふらふらと本丸の中を出歩いていた。
「あれ、主はんやないですか」
きょとんとして小鳥は首を傾げる。
「…あ、もしかして自分のこと覚えてはりませんの?明石国行ゆうんやけど」
「…覚えてない」
「一応、挨拶はしたはずやと思うんやけど…まあ、自分はあまり主はんを訪ねたりしてへんからなあ」
明石はへらりと笑ってみせる。
「主はんがこんな時間に出歩いてるゆうのは、珍しいんと違いますか。歌仙はんは止められんかったん?」
「お昼寝過ぎて眠くない。歌仙は寝てる」
「ああ、成程…それで散歩してるんやね」
「明石は、夜更かし?」
「太刀連中で飲み会しとったんです。自分、所用で中座して涼んでたんやけどな」
「のみかい?」
「酒飲んで管巻いてるだけですわ。…主さん興味ありますの?」
「お酒飲めないから飲み会行ったことない」
「そうなん?自分ら酒強いみたいやし、主はんも酒強いお人やと思ったんやけど」
「ううん、弱くないと思うけど、飲めない。喘息があるから」
「はあ…酔わないのに不都合があるっちゅうんは、難儀やね…よぅ誘えへんわ」
明石は頭をかいて立ち上がる。
「自分はそろそろ飲み会に戻るけど、主はんはどうします?」
小鳥は悩むような素振りを見せる。
「――あ、明石君…と、主ちゃん?」
「あ、光忠はん」
「光忠」
「…えっと、珍しいね?体調はもう大丈夫?」
「眠くない」
「昼寝のしすぎかな?それで、散歩してたのかい」
「うん」
「…突然だけど、主ちゃんってイケる口?」
「いけるくち?」
「えっと、お酒は好きかな、ってこと」
「甘いのは好きだけど、苦いのとか辛いのとかはあんまり好きじゃない」
「…え、誘うん?」
「無理にとは言わないけど。鶴丸さんの好きな驚きにもなるだろう?」
「…迷惑しない?」
「吃驚して酔いが覚めちゃうひともいるかもしれないけど、それはそれでありだよね」
「ちょっと見に行く」
「おつまみとお酒をちょっとつまんでいくといいよ。ナイトキャップってやつだね」
「うん」
小鳥の瞳には好奇心の色が覗いている。