ダークブリングマスターの憂鬱  【完結】   作:闘牙王

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第五十四話 「悪夢」 前編

世界中の人々は今、平和を謳歌していた。半年前の九月九日『歴史が変わった日』にDCが壊滅したことによって。多くのDC兵は検挙され、略奪や虐殺が行われることもなくなった。だが人々は知らなかった。それが仮初の物、危ういバランスの上で成り立っている物であることを。そして間もなく世界は知ることになる。新しい闇の覇権争いの狼煙が上がらんとしていることを――――

 

 

「はあ……」

 

 

大きな溜息と共にスーツ姿の少年は自らの大きなデスクに突っ伏してしまう。まるで緊張の糸が切れてしまった人形のよう。だがそれは無理のないこと。何故なら彼はただの少年ではない。金髪の悪魔の異名を持つ新生DC最高司令官ルシア・レアグローブ。その力は一般人なら目の前に立っただけで気を失ってしまうほどのもの。闇の頂きとまで言われた先代最高司令官キングを超える存在……なのだが今のルシアにはそんな威厳も何もあったものではない。ようやく残業が終わり仕事から解放されたサラリーマンのような哀愁がその背中にはあった。だが

 

 

『どうした、情けない。せっかくBGを潰したというのにいつも通りではないか。もっと喜んだらどうなのだ、我が主様よ?』

 

 

くくく、という楽しげな笑いと共に聞きなれた女性の声がルシアに向かってかけられる。ルシアは顔を突っ伏したまま目だけを動かすことで横目に声の主を捉えるだけ。そこには机の上に我が物顔で座り、足をばたつかせている金髪の女性の姿があった。まるでいきなりそこに現れたかのように突然の出来事。それを前にしてもルシアは驚くことなくただげんなりとした様子を見せるだけ。

 

 

「うるせえよ……ようやく事後処理が済んだんだ。ちょっと大人しくしてろっつーの……」

『何だ、失礼な。ちゃんとあのレディとかいう女がいる間は姿を消しておったろうが。お主こそいい加減慣れたらどうだ。もう半年になるというに情けない』

「やかましい! できるんならとっくにやっとるわ!」

『喚くでない、騒々しい……まったく、ヘタレなのはいつまでたっても変わらぬな。まあそれがお主らしいといえばお主らしいが』

 

 

金髪の漆黒のドレスを着た美女はそのまま口元を釣り上げながら疲れ切っている自らの主の姿を楽しげに見つめている。だがその姿は仮初の幻に過ぎない。

 

『母なる闇の使者マザーダークブリングシンクレア』

 

それが女性の正体。マザーの名を持つ破壊を司るシンクレア。ルシアにとっては相棒でありながらも厄介な共犯者である存在だった。

 

 

(ちくしょう……相変わらず調子に乗りやがって……)

 

 

ルシアは大きな溜息を吐きながらもゆっくりと身体を起こしながらいい加減口やかましく自分に絡んでくるマザーに向かって文句を言わんとする。もっとも言ったところで大人しくそれを聞くような相手ではないことは分かり切っているものの流石に我慢の限界。そしてルシアが改めて口を開こうとした時

 

 

『そこまでにしなさい、マザー。それ以上は流石に見過ごせませんよ』

 

 

そんな聞き慣れない声がマザーに向かってかけられる。透き通るような女性の声。ルシアは驚いたように自らの後ろに振り返る。そこには一人の女性がいた。いや、正確には姿を現していた。

 

長い絹のような黒髪にそれとは対照的な白い着物を身の纏った女性。大和撫子という言葉が形になったかのような雰囲気、物腰をもった存在。だが彼女もまた人間ではない。

 

『アナスタシス』

 

五つに別れた母なる闇の使者マザーダークブリングの内の一つ。再生を司るシンクレア。かつてハードナーが持ち、今はルシアが手に入れた新たな仲間だった。

 

 

『ふん……何だ、いたのか。あまりにも影が薄いのでどこかに行ってしまったのかと思っていたぞ?』

『ご心配なく。私はあなたのように表に出ることは好みません。ですが流石にこれ以上の主に対する無礼は見過ごせません。分をわきまえなさい、マザー』

『う、うるさい! 前にも言ったであろうが、これが我とアキのあり方だ! 後からやってきた貴様にとやかく言われる筋合いはないぞ!』

『それはあの時の話です。今は私もアキ様に仕える身。同じシンクレアとして目に余る行為は許すわけにはいきません』

 

 

(こいつら……)

 

 

ルシアはそのままぎゃあぎゃあと痴話喧嘩を始めているマザーとアナスタシスの姿に呆れかえるしかない。もっとも冷静なアナスタシスに比べてマザーが感情的に、ヒステリックに食ってかかっていると言った方が正しいかもしれない。そんな自らの持つ二つのシンクレアの言い争いにルシアのストレスは胃痛にまで発展しかねない程。それがここ一カ月のルシアにとっての頭痛の種の一つ。ルシアは予想だにしていなかった。シンクレアを手に入れること。それはすなわち次元崩壊のDBであるエンドレスの完成に近づいてしまうということ。だがその前にある意味それ以上に厄介な事態に陥っていた。それがシンクレア同士の言い争い。ただでさえ喧しくて叶わなかった存在がもう一人増えてしまうという悪夢のような事態。

 

 

『そもそもなんだ、表に出ないとか言いながら実体化しておるではないか! どういうつもりだ!?』

『これはあなたに合わせているだけです。この方があなたも話しやすいでしょう?』

『貴様……我が知らぬとでも思っておるのか!? 貴様、隙があればアキの傍で実体化しているだろうが!』

『それはあなたも同じでしょう、マザー。それに私は後ろにお控えしているだけ。アキ様の負担になるような真似はしていません』

『ぐ……!』

 

 

痛いところを突かれてしまったかのようにマザーは黙りこんでしまう。それはアナスタシスの言葉が事実だったから。それは二人のまさに真逆とでも言える性格の違いによるもの。唯我独尊、女王のように振る舞うマザーとは対照的にアナスタシスは決して自らは表に出ようとはしない。女は男の三歩後ろを歩くを地で行うような存在。その証拠に今もアナスタシスは椅子に座っているルシアの後ろに控えるような形で立っているだけ。それに比べてマザーはルシアの机に座りながらまるでルシアを見下すような位置関係。流石のマザーもその状況には思う所があったのか口籠ってしまう。だが

 

 

『そんなことはどうでもよい! それよりもイリュージョンを勝手に使いおって……一体どういうつもりだ!』

『前にも言ったでしょう。きちんとイリュージョンにもアキ様にも了解は得ました。何か問題でも?』

『あるに決まっておろうが! イリュージョンはアキに頼まれて生んだいわば我とアキの子供のようなもの……イリュージョン、お主も黙っておらんで何か言わんか!』

『あ、あの……』

「マザー、お前いい加減にしろよ! イリュージョンまで巻き込んでんじゃねえよ! 困ってんじゃねえか!」

 

 

いい加減黙っているのも我慢の限界だったルシアが二人の間に割って入って行く。二人の間だけの言い争いなら見逃すこともできるが流石にイリュージョンまで巻き込まれるのを見逃すわけにはいかなかった。マザーとアナスタシスは性格も何も全く違うが全てのDBの頂点に立つ五つの母。だがイリュージョンは上級ではあるがただのDB。二人の言うことには基本的に絶対服従。だが今まではそれでよかったもののそのパワーバランスにも変化が生じてきている。アナスタシスという新たなシンクレアによって。イリュージョンにとっての生みの親は言うまでもなくマザーであるもののそれでもアナスタシスも広義の上では母に違いない。その命令を反故にすることもできない。だがマザーの言うことも聞かないわけにはいかない。いわば板挟みのような状況。その証拠にイリュージョンは涙声になっている。ルシア個人としてもマスターとしてもどうにかしなければいけない事態。

 

 

『っ!? な、何だ、お主までアナスタシスの味方をするのか!? やはり新しいシンクレアの方がいいのか!? あの時の言葉は嘘だったのか!? 我を捨てる気なのかアキ!?』

「何を訳分からんこと言っとんだ!? とにかく落ち着け! これ以上騒ぐんなら砂漠に飛ばすぞ!」

『申し訳ありません、アキ様。私も少し感情的になってしまい……』

『あ、あの……わたしはどうしたら……』

 

 

喚き散らしながら向かってくるマザーに四苦八苦しながらルシアは何とか場を収めようとするも一向にマザーは落ち着く気配がなくむしろルシアが仲裁に入ったことで酷くなっていくばかり。だがそれはここ一カ月の溜めこんできたストレスのせい。

 

エリーがいなくなってからルシアを独占し好き放題してきた所に余所者であるアナスタシスがやってきたことでそれができなくなってしまったこと。しかもシンクレアを集めるようにルシアに散々言って来た手前文句を言うこともできずにマザーはただ耐えるしかない。だがイリュージョンに実体化に加えてどうしても我慢できないことがマザーにはあった。

 

それはルシアが身に着けているアナスタシスの位置。そこは首飾りの胸元。今まではマザーがその位置だったのだがそこにアナスタシスも加わってしまったのだ。ルシアとしては腕などに身に着けることも検討したのだが戦闘中にはやはり問題があると判断し胸元に収まったのだがマザーにとっては気が気ではない。そんなマザーの事情など知らぬままルシアはそのまましばらくマザーを宥めるために四苦八苦するする羽目になったのだった―――――

 

 

 

 

『……そういえばアキ様、これからのことをお聞かせいただいても宜しいですか?』

「ハアッ……ハアッ……! こ、これからのこと……?」

『はい。アキ様は私とマザー、二つのシンクレアを持っておられます。残るシンクレアは三つ。それを手に入れるためにどうされるのかを教えていただきたいのです』

「そ、そうだな……とりあえずさっきのレディの報告にあった通り……おい、いつまでも泣いてんじゃねえよ。元々はてめえが悪いんだろうが……」

『ひん……ひっく……ぐすっ……わ、我は泣いてなどおらん! 勝手に勘違いするでない!』

「ああそうかい……ったく……」

 

 

ルシアは疲労によって息を荒げぐったりしながらも何とか落ち着きを取り戻したマザーの姿に安堵する。もっとも駄々をこねるのに疲れ切ってしまうという子供のような理由が主なのだがあえて口に出すことは無い。どうやら自分と同等の存在であるシンクレアを前にすると子供のような面が強く出てしまうらしい。

 

 

(ったく普段はドSのくせしやがって……と、それはともかくこれからのことか……)

 

 

ルシアは思考を切り替えながらアナスタシスに促されたようにこれから先のことを考える。まずはBGについて。一か月前、ルシア達はBGを壊滅させた。そしてその情報は瞬く間に帝国へ、闇の組織へと伝わり激震を与える。当たり前だ。BGは闇の組織の中では実質トップの存在、しかもそれが一日で壊滅してしまったのだから。だがそれだけではない。その倒した組織の存在こそが彼らを震撼させた。

 

『新生DC』

 

半年前に壊滅したはずのDCが復活した。その事実はBGが壊滅したこと以上に帝国、闇の組織にとっては恐れるべき事態。だがそれはまだ一般人には知られていない。帝国からすればDCが復活したなどと人々に知られれば世界が再び混乱するだけ。闇の組織もまた一般とはかけ離れた存在であるがゆえにタチの悪い噂だと思われるのが関の山。何よりもDC自体が表だって動いていないことが大きな原因だった。本来ならBGという組織を潰したことをきっかけに表舞台に出てきてしかるべき。だが一向にその気配はない。

 

それは言うまでもなくルシアの仕業。わざわざDCの復活を世界に知らせて余計な敵を作らないようにするため。ルシア自身は世界征服をする気など毛頭ないのだから。だがそれでもルシアは最初からDCの存在を帝国と闇の組織には知らしめる気だった。その証拠にルシアはBGに戦いを挑む際にDCのマークが入ったマントを身に纏っていた。もっとも六祈将軍オラシオンセイスの乱入という予想外の事態によってほとんど意味はなくなってしまったのだが。そしてそこまでして自らの存在をアピールしたかった理由。それはBGという闇の組織の一角が落ちてしまう影響を最小限に抑えるため。もっと突き詰めて言えば『ドリュー幽撃団』と『鬼神』をけん制するためだった。

 

 

「とりあえずはこのまま身を隠したまま様子見だ。放っておけば勝手にシンクレア持ちの奴らの方が動き出す」

『……? 相手の方からですか……?』

「ああ、近いうちにドリューとオウガの連合が組まれるはずだ。さっきのレディの報告でも接触があったらしいしな」

 

 

アナスタシスの疑問に答えるようにルシアはこれから起きるであろうことを予言する。もっとも先のことを知っているルシアだからこそできること。そしてそれこそがルシアが新生DCの存在を明かした理由。もしそれを行わずにBGを壊滅させてしまえば闇の組織のパワーバランスが大きく崩れてしまう。今までは三つの組織が三すくみに近い関係であったためにかろうじて均衡が保たれていたのだから。そこでルシアはBGに代わりDCがその位置に収まる手を考えた。BGを潰したDCがいると分かればドリューもオウガも好きには動けないと睨んでのもの。その証拠にまだ二つの組織は表立っては動いてはいない。しかし水面下の動きが見られている。それこそがドリューとオウガの連合。原作でもDCに対抗するために組まれたものだった。

 

 

『なるほど……アキ様が二つのシンクレアを持っていると知ったからこそ手を組んでくるというわけですか。ですがいいのですか。このままでは二つのシンクレアと同時に戦うことになってしまいますが……』

「そ、それは……」

 

 

アナスタシスのもっともな疑問にルシアはどうしたものかと考えしかない。確かにルシアの立場からすれば手を組まれる前に各個撃破した方がリスクは少ない。わざわざ手を組むのを黙って見過ごすなどあり得ない。だがそうせざるを得ない理由がルシアにはあった。

 

 

(流石に俺がこれ以上シンクレア持ちと戦うのはヤバすぎる……というかこのままじゃあハル達の戦う機会が無くなっちまうじゃねえか……!)

 

 

それはこれ以上シンクレア持ちと戦うわけにはいかないということ。BGを壊滅させてしまったことで既に原作の流れを破壊してしまったにも関わらずこれ以上表に出るわけにはいかない。ドリューとオウガの連合との戦いはハル達にとって必要不可欠のもの。これすらもなくなってしまえばハル達の成長は見込めなくなってしまう。エリーの記憶が戻り魔導精霊力エーテリオンの完全制御が可能になったとしてもそれだけでエンドレスに勝てるとは流石のルシアも考えていない。絶対ハル達の力も必要となってくるはず。そのためにはどうしてもこれ以上シンクレア集めで動くわけにはいかなかった。そんな中

 

 

『ふん……何だ、怖気づいたのかアナスタシス? 我は別に構わんぞ。例えヴァンパイアとラストフィジックスが相手だとしてもアキには我だけいれば十分だ。そうであろう、我が主様?』

 

 

いつのまにかいつもの調子でマザーが笑みを見せながらルシアへと近づいて行く。とてもさっきまで駄々をこね泣きじゃくっていたとは思えないような立ち直りっぷり。そう思いながらもルシアはあえてそこをスルーすることにする。突っ込めば恐らく頭痛を食らうであろうことは火を見るよりも明らかだった。

 

 

『……怖気てなどいません。ただ私はアキ様の身を案じていただけ。あなたこそ慢心していれば足元を掬われますよ』

『余計な御世話だ。そもそもお前は巻き戻しは使えんのだろう? なら黙って我に任せておけ。再生を使う機会もなかろう。なんならここでずっと留守番をしていても構わんぞ』

『申し訳ありませんアキ様……巻き戻しが使えれば共に戦うこともできたのですが……』

「い、いや……気にすんな。別にお前のせいじゃねえんだし……」

『ありがとうございます。ですが再生の力は使えます。どんな傷からでもアキ様をお守りしてみせます』

『おい、何を勝手に無視しておる!? 我の話を聞いておるのか!?』

 

 

自分そっちのけで話を始めるアナスタシスに向かってマザーが食ってかかっていくある意味いつも通りの光景に溜息を吐きながらもルシアは自らの胸元にあるアナスタシスに目を向ける。

 

アナスタシスの本質である時間逆行による『巻き戻し』

 

物理攻撃以外の効果、能力を完全に封殺してしまうDBの極み。だがそれをルシアは扱うことはできない。それはルシアに限った話ではない。例えドリューでも、オウガでもそれは変わらない。それが可能なのは世界に置いてハードナー唯一人。だからこそシンクレア達は己に相応しい担い手の元にいる。マザーの極みである『次元崩壊』もルシア以外の担い手では扱うことができない。そういった意味でマザーにとってルシアは唯一無二の担い手と言えるだろう。もっとも基本である『再生』の力は使用可能でありそれだけでも十分すぎるほどの物なのでルシアにしてみれば不満などあるはずもなかったのだが。

 

 

『確かにアキ様の力であれば心配は無用でしたね……力で言えば四天魔王に匹敵するやもしれません』

「っ!? そ、そうか……」

『……? どうかされたのですか、顔色が優れませんが?』

『くくく……気にするでない。ジェロと戦った時のトラウマが蘇っておるだけじゃろう。なあ主様?』

「て、てめえ……」

 

 

ルシアは顔を歪ませながらマザーを睨みつけるもそこには全く力はない。それを示すように知らずルシアの顔は青ざめ身体は震えている。それはトラウマ。初めての実戦で刻み込まれた恐怖の呪縛、条件反射。例えどんなに修行を、実戦を積んだとしても拭うことができない呪いのようなものだった。

 

 

『ジェロと……? アキ様は既に四天魔王と戦ったことがあるのですか?』

「え? あ、ああ……まあ……一応……一年ぐらい前だったかな……」

『……驚きました。あのジェロ相手によく生きていられましたね。ですが彼女は眠っていたはずでは?』

「そ、それは……」

 

 

アナスタシスの信じられないといった態度に圧倒されながらもルシアはただ見つめることしかできない。その元凶とでも言える存在を。そこにはまるで自分は関係ないと白をきるかのように口笛を吹いているマザーの姿があった。

 

 

『やはりあなたの仕業ですか、マザー……呆れましたよ。今ならいざ知らずまだ未熟であった主と四天魔王を戦わせるなど……』

『ふん、余計な心配だ。あれはただの模擬戦。ジェロにも手加減させていた。それで認めさせたのだから安いものだろう?』

『あ、あなたは……もういいです。これ以上は言い争っても仕方ありませんから……』

 

 

アナスタシスの呆れきったという態度にルシアは改めて自分がどれだけの無茶をさせられたのかを再確認され背筋が凍りつく。模擬戦とはいえ認められていなければ間違いなく殺されていたのだから。アナスタシスから見てもそれは狂気の沙汰に近いもの。自分の中の主従関係という概念が揺らいでいくのを感じながらもアナスタシスは改めてルシアに向かって進言する。

 

 

『今までのことはともかく……今のアキ様なら先にバルドルを手に入れるという選択肢もあるのではないですか?』

 

 

ルシアが知らない、知らされていないもう一つの選択肢を。

 

 

「バルドル……? それって五つ目のシンクレアのことだよな?」

『ええ。私達四つのシンクレアとは大きく役目が異なる存在です。アキ様はご存じないのですか?』

「あ、ああ……」

『…………』

 

 

ルシアはほとんど聞いたことのないシンクレアの名前が出てきたことに呆気にとられるだけ。それは五つ目のシンクレア。原作では名前すら出なかった未知の存在。唯一知っているのがそれを持っていたのが四天魔王のアスラであり、ルシアの元についた時に献上したということ。もちろん何度もルシアはそのことをマザーに尋ねたことがある。どんな能力なのかと。だが結局マザーは一度もそれについては口にすることは無かった。まるで誤魔化すかのように。それを示すかのようにマザーはアナスタシスの言葉を聞きながらも黙りこんだまま。ルシアは知らない。マザーが心の中で邪なことを考えていることに。

 

 

『バルドルは私達とは異なり主を持たないシンクレアです。ですがもっとも手に入れることが困難なシンクレアでもあります』

「手に入れることが困難? どういう意味だ?」

『バルドルを手に入れるということはすなわち全てのシンクレアを手に入れることと同義だからです。そのため今は魔界、四天魔王のアスラが持っています』

「ア、アスラか……でも何が困難なんだ? 俺、もうジェロに認められてんだから献上してくれるだけなんじゃねえのか……?」

 

 

ルシアは四天魔王の名前が出てきたこと、そしてもしかしたらシンクレアが手に入ってしまうかもしれない恐怖で顔を引きつかせるしかない。四天魔王と会うこともだがバルドルを手に入れれば三つのシンクレアを手に入れることになってしまう。唯でさえ原作よりも早くシンクレアを手にしてしまっているのにこれ以上増えるのは御免だった。それは正しい。だがそれ以上に大きな勘違いがルシアにはあった。それは自分が四天魔王に認められていると思い込んでいること。確かにジェロには認められていた。だがそれは模擬戦という括りの中での話。いわば大魔王の卵としてのもの。大魔王として認められたものではないことをルシアは知らない。アナスタシスもルシアと自分の間にある認識の違いに気づかない。

 

 

『献上ですか……? ですがアキ様が行ったのは模擬戦では』

『もういいであろう。アキが先にヴァンパイアとラストフィジックスを手に入れると言っておるのだ。どっちにしろ全てを手にするのはアキだ。遅いか早いかの違いでしかない』

 

 

そんな中、どこか楽しげな雰囲気を纏いながらもマザーが強引に二人の間に割って入って行く。だがその瞳にはどこか魔性の女のような怪しい光が宿っていた。自らの企みを成就させようとする、楽しみを邪魔させないとするかのような怪しい笑み。

 

 

『それにバルドルの居場所は分かり切っておる。焦る必要もあるまい。まずはアキの言うようにドリューとオウガとかいう奴らをおびき出す方がよかろう』

『……そうですね。確か両者とも船を移動手段にしていると聞きます。そちらを優先するというのもありかもしれませんね』

「……? な、何だかよく分からんがバルドルって奴を手に入れるのは最後でいいってことか……? できれば魔界に行くのは最後にしたいんだが……」

『アキ様がそう仰るなら異論はありません。ですがマザー、あなたはいいのですか。あの娘はあなたに会いたがっていると思いますが?』

『っ!? よ、余計なことを気にするな! 我は奴に会いたいなどと一言も言っておらんぞ!?』

『思い出しました……そう言えばあなたはバルドルを苦手にしていましたね、失礼しました』

『ふん……そんなことはどうでもいいわ。それよりももっと面白いことがあるぞ。なあ、主様?』

 

 

まるでこれ以上この話題は続けたくないといわんばかりに強引にマザーが机から飛び降りながら妖艶な笑みをルシアへと向ける。瞬間、ルシアは嫌な汗が背中を伝って行くのを感じ取るしかない。マザーがこんな態度を見せるのは決まって自分にとってはロクなことではないことを悟っているからこそ。

 

 

「面白いこと……? 何の話だ?」

『おや、忘れたとは言わせんぞ。戦いに行く前にしたポーカーでの約束がまだ済んでおらんだろう?』

「約束……? 何言って……あ」

 

 

マザーの言葉によってルシアの脳裏に蘇る。BGとの戦闘があったために頭の隅に追いやられてしまっていた、そのまま追いやられてほしかった面倒事がまだあったことに。それは勝った方の言うことを何でも一つ聞くこと。その賭けに敗北してしまったルシアはマザーの言うことを一つ必ず聞かなくてはいけない。それは

 

 

『ようやく思い出したようだな。だが案ずることはないぞ。もうすでにDBは生み出しておいたからな。さあ、始めようではないか主様。きっと楽しい一日になるぞ』

 

 

新しいDBを一つ、ルシアに使わせること。

 

 

心底楽しみだといわんばかりの満面の笑みを見せながらマザーはその手によって隠していた一つのDBを露わにする。瞬間、ルシアの顔が絶望に染まる。DBマスターとしての能力によって頭の中にDBの正体が浮かんでくる。

 

 

『一瞬の現実リアルモーメント』

 

 

それがルシアの悪夢の一日の始まりだった――――

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