麻知「シャコーシャコー(包丁を研ぐ音)」
...さて、気を取り直して摂氏0℃最大の修羅場か!
「私は許しませんよ~課長を傷つけるなんて...」
「水萌君...!」
病室の入り口には水萌晴絵が立っていた。いつからいたのだろうか...麻知は何も発さず果物ナイフを器用に使い、リンゴを剥いている。加害者の精神とは思えないほど冷静だった。水萌は私の下に近づいてくる。
「最低ですね...課長を...旦那さんを傷つけるなんて、妻にあるまじき行為です!」
「...」
「課長はいいんですか!こんなことされて...それを許すなんておかしいですよ!今回はやけどで済みましたけど、死んでもおかしくなかったんですよ。」
「水萌君...その...痛っ」
釈明しようとすると、太ももに痛みが走った。太ももを見ると麻知がやけどの部分を指圧しながらこちらを睨みつけていた。黙っていろということだろう。
「ほら、口を開けて」
「あ、ああ」
「はい。あーん」
「あーん」
両手にやけどを負っているのでりんごを食べさせてもらう。しかし、麻知も針の件でのけがに加え私を風呂に押さえつけた際にできた手首までのやけどがあるのだ。痛くないのだろうか...女の忍耐なのか、それとも水萌の前という妻としてのプライドか。
水萌も水萌で黙ったまま引き下がるわけにはいかなかった。
「今回のことだけじゃない...今回の発端だって課長がお弁当を作ってもらえなかったことからですよね?本当に課長のことが好きならそんなことしませんっ嫌がらせに決まってます!」
「水萌さんでしたっけ...さっきから何を言ってるんですか?」
麻知は固い口を開いた。
「水萌さんはまだ入りたてだから分からないのでしょうけど、いつもお弁当を作ってるんですよ。あの一週間は私が風邪をひいてしまって作れなかっただけ...そうよね?あなた?」
「え?...うん。」
麻知は笑顔を装っていたが、私を見る麻知の目は怖かった。うん、としか言えなかった。
「課長、本当のことを言ってください!こんな酷い奥さんをかばう必要なんてないですよ?」
「水萌さん、主人はもう疲れてるんです。それに自殺なんて真似をしたのも水萌さんと私が原因なのですから...どうか、休ませてあげて下さい。」
間接的に今日の事態がお前のせいだと牽制した。しかし、水萌も引かなかった。
「そうやってまた逃げるんですか...!あなたが..」
「水萌君。」
山城は水萌に声をかける。
「どうか麻知のことは悪く言わないでくれ。こんな私にずっと寄り添ってくれている伴侶なんだ」
「いえ、そんなつもりじゃ..」
「お見舞いに来てくれてありがとう。挨拶もそこそこになってしまったけども、決して水萌君や麻知のせいでこんな真似に及んだわけじゃないから安心してくれ...ただ、私の心が弱かっただけだ。水萌君、今日は遅いから帰りたまえ。麻知、水萌君をロビー間で送ってやってくれ」
「はい。」
その時の麻知は意外なほどに素直であった。水萌に帰ってもらいたかったというのもあったが、山城に気圧されたのだ。麻知は水萌とあまり接したくなかったが、良妻を取り繕った。
「それじゃ、行きましょうか水萌さん」
「すいません。ずかずかと入り込んでしまって。でも、私は諦めませんから...」
これ以上麻知は何も言わなかった。
麻知は水萌を見送るため病院の廊下を歩いていた。山城の病室からだいぶ離れたところで麻知から沈黙を破った。
「金輪際、滉一に色目を使うな。この泥棒猫...」
「ついに本性を現しましたね。麻知さん」
「滉一は私のモノ...オイタをした滉一にお仕置きをするのは当たり前...私を悪役に立てて滉一の心に付け入ろうなんて...本当にいやらしいメス猫。」
「やっぱり、あなたの仕業だったんですね..課長をモノ扱いしているなんて妻失格です。マインドコントロールで課長を支配するなんて」
「あなただって女神さまを演じようとしたのだから同罪。それにあなたが弁当のことで引けば滉一は嘘をつかなくて済んだ...」
「……平行線ですね。それじゃあ、失礼します...でも課長は絶対私の旦那さんにしますから...何をしても」
バンッ
タクシーの赤い尾灯が曲線を描いて離れていく...
**************
「大変申し訳ございません!」
甲辰商事の最上階...社長室では日本の財界のトップ-岡が部下の妻に土下座をするという異様な風景があった。
「一体、お宅の会社は何をやってるのですか?主人は一歩間違えれば死んでいたのですよ?」
「山城課長への配慮が足りず申し訳ございませんでした。今後はこのようなことがないように善処いたしますのでどうか...」
「人事部長を...呼んでくださる?」
「は、はい!」
今日の麻知は殺気だっていた。自殺未遂などという事実はない。自分の手で山城を罰したのだから。本当に怒りを覚えているのは女性社員を入れた商事の『しきたり』も知らない人事部長である。山城のいる繊維2課に女性を入れないというのは商事人事部の全社員共通、暗黙の了解であった。その掟破りをした人事部長を野放しなど麻知は許さなかった。
「失礼します!」
北見人事部長が社長室に入り、そして椅子に座る麻知の前に膝をついた。これまで経験したことのない緊張感だった。
「この度は大変申し訳ございませんでした...!!」
「...あなた、自分が何をしたか分かってるの?なんで2課に女を入れたの...?」
全てのものを凍らせるような冷たい声で問いかける..
「その...男女雇用機会均等法の関係もありまして、女性社員の割合をどの課..ああああああああああああああああ」
麻知は床についている北見の手をハイヒールで思い切り踏みつけた。
「相手を考えて話をした方がいいですよ?北見人事部長。じゃないと..あなたごとき簡単に『消す』ことくらい容易なのですから」
「....ぐっ..私の独断でこのような人事をしてしまい...申し訳ございません...」
北見は床に額をこすりつけ、深い土下座をした。この部屋では部長だとか、社長など無意味である。麻知が絶対、その他はそれに従うしかないのだ。
「あなたが土下座をしたところでこの失態は消えませんよ。ちゃんと落とし前をつけてもらわないと..岡社長」
「はっ」
「タバコとライターはありますか?」
「ただいま!」
「山南秘書」
「は、はい!」
「北見人事部長の腕に火をつけたタバコを押しつけて下さい。」
「山城様...それは..」
「あなたも『消されたい』んですか?」
「い、いえ。喜んでさせていただきます!」
岡は机にあるシガレットケースからタバコとジッポを出し、山南に渡す。山南はタバコに火を付け、恐る恐る北見の腕に近づけた。
「ふふっ北見人事部長、『根性焼き』って知ってますか?不良の処刑方法なんですって。私の姉がそういうことに精通していて...火のついたタバコを腕とか皮膚に押し当ててやけどをさせるっていうものなんですって」
「山城様っお許しください!ぎゃああああああ」
タバコが腕に着くと「ジュぅ」という音と形容しがたい異臭が部屋に充満した。そして北見の腕にはホクロのような焼き跡が着き、断末魔をあげた。
「大袈裟ね。主人は身体じゅうにやけどを負ったのだからこれくらいは当然の報いよね?ふふふ...」
この小さい部屋にいた大人たちは誰一人女王の暴走を止められなかった。
閲覧ありがとうございました。
最近、こういう描写が多いなぁと自分でも思う...