その後、水萌君は戻ってきて仕事に入っていた。涙目になっていたが、他の部下たちも説教でもしてたのだろうとあまり気にも留めていなかったようだ。
『課長のことが好きなんです...』
水萌君の言葉は上司、部下の関係とは一線を画すものだった。小説で部下に恋して家庭崩壊するなんてものが沢山出回っているが、私も例外ではないような気がする..
あくまでも水萌君は部下なのだ。それ以上の関係になってはいけない。なぜなら私には妻がいるのだから。
もやもやと考えているとお昼休みになった。カバンから弁当を取り出そうと思ったら、入っていなかった。...そういえば麻知が作り忘れて持ってくると言っていたな、来るまで待っていよう..また入院するのはごめんだ。
水萌君は他の女性社員と一緒に部屋に出ていった。お弁当は持ってきていないようだ。悩みが一つ晴れた..麻知が来るまで仕事でもしていよう。パソコンとにらめっこをしていると野口が現れた。
「どうした?昼食抜きか?」
「家内が弁当を作り忘れて、持っていくから待ってろと言われてな。」
「珍しいな。ま、ずっと作っていないからそれもそうか。受け取ったら食堂に来いよ。こちとら一人で飯食ってたんだから。」
野口は手を挙げその場を去った。
「ああ。」
すると、電話がかかってきた。内線、受付からだった。
「山城課長、奥様が見えてます。」
「ありがとうございます。今向かうと伝えといてください。」
私はフロントに向かう。フロントの椅子で麻知が巾着袋を膝に抱え、ぽつんと座っていた。こちらに気づくと麻知は弁当を渡してきた。
「はい」
「ありがとう。暑かっただろう。何か飲み物買うよ」
麻知は小さく頷き、一階にある自販機コーナーに向かった。一階のコーナーは誰も使わない階段の隣にあるのでひとけがなく補充もしっかりしているのかよくわかっていない。
私は小銭を入れ「何がいい?」と聞いた。麻知は「お茶でいい」といったのでボタンを押し、落ちてきたペットボトルを麻知に渡した。
「俺も何か買うかな」
小銭をいれようとすると、
「これ飲んで...飲みかけだけど、気にしないでしょ」
少しカサの減ったお茶を差し出してきた。
「もういいのか?」
「うん...十分潤ったから」
新しく買ったら不経済なので麻知の飲みさしを受け取る。何年も一緒にいるので間接キスとか幼稚なことを気にするような仲でもない。用も済んだので入り口まで見送ろうと狭いコーナーから出ようとすると..
先ほどと似た出来事が起きた。後ろから麻知が私に抱き着いてきた。
「....コウくん..愛してるよ...誰よりも好き」
麻知が甘えるような猫なで声で昔の呼び名を...いつ以来だろうか。それよりもデジャヴのようで気味悪かった。しかし、水萌君に抱き着かれたことを麻知が知るわけもないのでまがいもなく偶然の一致...
「愛してるよ。麻知...」
私も抱きかえした。誰も来ない場所なので自然に羞恥心は消えていった。
「私たち夫婦なんだから踏み間違えちゃだめ...だよ?コウくん?」
「分かってる..分かってるよ」
念押しするように麻知は水萌君を警戒していた。「もういいだろ」と私は離れる。「うん..」と麻知の声は少し不満気にも聞こえたが素直に聞き入れてくれた。
「それじゃあ、早く帰ってきてね。コウくん」
「うん。じゃあ」
気づけばお昼休みが終わる寸前だった。昼食は仕事をしながら食べるか...野口には悪いことをしたな。帰ったら一言謝っておこう。
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「クスッ....男って本当に単純....」
麻知はタクシーの中でほくそえんでいた。人心掌握など麻知からすれば容易いものでいつも二人称なのを名前呼びにすると好感度が上がるということは知っていた。伊達に水萌よりも生きているわけではなく様々な甘酸を味わってきてるだけに非常に老獪な戦術を麻知は張り巡らす。
...しかし、これまでの中で一番執念深い女である。早川すみれとはまた違ったタイプだ。奴は心が通じ合ってるなどと負け犬の遠吠えのようなことを言っていたが水萌晴絵は直接的な関係に執着している。
だが、私があんな小娘に負けるわけがない、滉一とはこどもの頃からの仲で...そして滉一の妻なのだから。麻知には確信があった。
「ほんと...バカみたい」
どっちに言っているのか分からないセリフを吐き出し、麻知は携帯の電源を入れ「位置情報サービス」と書いてあるアプリを起動させる。このアプリ一つで山城がどこにいて、誰と話し、何をしているのか知ることが出来る悪魔じみたアプリケーションである。
麻知はイヤホンを耳に着け、山城のいる2課の音声を聞こうとした。しかし、
「......!」
子機を切り替えても無音かザーというノイズ音しかしなかった。盗聴器は山城の鞄に中、外、スーツの襟などにつけており、防水・防塵であるが...一つだけ考えられることがある。
それは...何者かが盗聴器を発見し破壊した。それしか考えられない。麻知には思い当たる人物...いやそんなことをしでかす人間など一人しかいない...
「水萌...晴絵....」
すると、襟につけているはずの盗聴器から声がした。
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「私の制空圏(テリトリー)は甲辰商事(ここ)だってことが分かりましたか?山城麻知さん?テリトリーを侵すことは許しませんからブチッザー...
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枯れたようなノイズ音が麻知の耳裏を征服していた。
閲覧ありがとうございました。
そんなに夫婦仲冷たくないんじゃ?と思わているあなた!間違いなく麻知ちゃんの手の中で転がされていますよ。