朝-
「はい。」
「今日は次長のために会を開くから帰りが遅れる...」
ご飯はいい、と言おうと思ったがどうせ作るだろうと言い留めた。
「夕食はいらないんですね」
「え.....あぁそういうことになるか..」
「はい。次長さんにきちんとお礼を言ってね」
「あ、うん。行ってくる」
水萌君とのことがあったので何か言われるかと思ったが意外に麻知は素直だった。なんというか調子が狂う。
しかし、次長には入院していた間仕事を代わってもらっていたのだから麻知も感謝しているのだろう。別に黙っていたわけではないがもちろん水萌君も今日は同席である。昨日は抱き着かれ気が動転してしまったが今日はみんながいる場である、早めに切り上げて帰ろう。
幸い次長も所帯持ちで子どもさんもいるのであまり帰りが遅くなるのは困ると聞いている。二次会までもつれ込むということはないだろう。あっても部下たちだけになりそうだ。
バスが駅に着き、改札に向かう途中「課長!」と声をかけられる。
「課長!おはようございます。課長もこの駅なんですね」
「!......水萌君おはよう。最寄りの駅でね..駅で見かけるのははじめてだね」
「そうなんですね。偶然というか、運命を感じますね..//」
「っ...あ、遅れてしまう早く乗らないと」
水萌の住んでいる場所は山城の家とだいぶ離れている。水萌は早起きをして同じところに住んでいるかのように装っていたのだった。ただ、水萌がこの駅に来たのは別の目的があった。
急いで改札を通り乗り場にちょうど止まっていた電車に乗ることができた。
「水萌君、女性専用車だってあるのにわざわざこんな混雑した車両に乗らなくても...」
「課長、それ逆差別ですよ..でも心配してくださってありがとうございます。課長が乗ってるならどこでもいいんですよ..」
「全く困った子だ。一応だが私には妻がいるんだからね。」
「それでも好きなことに変わりはありませんから....♡」
通勤ラッシュで電車は混んでおり、水萌との距離は肌が触れそうなほど近かった。
昨今は何かと物騒な世の中なので山城は距離を取ろうとするが水萌はそんな思惑を見透かしたかのようにくっついてくる。
電車が大きく揺れ、足元をとられそうになる。
「きゃっ」
水萌君が私に寄りかかってきた。偶然なのか計画的なのか...
「ありがとうございます。課長」
「あぁ...できればもう離れてもらえないかな」
「あっすいません」
水萌は距離を置いた。
「つり革持っていたほうがいいよ。私は大丈夫だから」
「そうしたいですけど...身動きがとれないので..そうだ!」
「...!」
水萌君は突然私の左腕にしがみついてきた。
「こうすれば大丈夫です...」
「はぁ...会社につくまでだよ」
「課長優しいっ(盗聴器は全部壊したから分かりませんよね...?麻知さん?課長は私のものです♡)」
**************
「.....」
今度は発信機も反応が無くなった。端末上の地図には山城のいる場所に赤い点が点滅するはずなのだが予備機も含めて無反応である。
「ふーん、発信機までバレちゃったか。滉一も知らないのに」
発信機までは想定外だった。盗聴器よりも小型で繊維状になっておりスーツやバッグに織り込んであるので簡単には見つからないと思っていたが、ツメが甘かったようだ。
「クスッ..まぁ所詮は小娘だけどね」
地図には緑色の点が点滅していた。その点は線路上を移動していた。電車に乗っているのだろう。
「フ、フフフッ...あの泥棒猫私を怒らせたことを永遠に後悔させてやる...滉一は私のなんだから..」
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「それでは眞木くんの慰労と...」
「山城課長の復帰を祝して」
『かんぱーい』
繊維2課だけの慰労会が始まった。繊維部での飲み会というのは多いが2課で開くというのは初めてかも知れない。
部下の中でもあまり話すことのないのもいるのでこの機会に親睦をはかれればいいと感じていた。
「課長、復帰おめでとうございます」
「田邉くん、ありがとう」
田邉は鉄鋼部から異動してきた社員だ。鉄鋼部から繊維部というのは実質的な左遷であるが田邉はめげずに仕事に打ち込んでいた。流石、鉄鋼部にいたということもあり仕事の出来は私が唸るほどだ。
「課長とは酒を交わすことがないので今日一緒に飲めて嬉しいです」
「すまないね。私もみんなとのコミュニケーションの場を作りたいとは思ってるんだが...」
「課長のところは門限厳しいっすからね」
部下の堀井が割り込んできた。
「厳しいというか...帰りが遅れたら小言を言われるくらいだよ」
「でも、前俺の残業手伝ってくれたとき奥さんから電話来て結局会社まで来たことありましたよね」
「あぁ....あれからみんなが仕事をしてても定時で帰るようになってね...申し訳ないね」
「いやいや、課長は仕事終わってますしみんな事情知ってますから大丈夫っすよ」
「そうだったんですね」
「田邉くん、この部署は慣れたかい?」
「はい。皆さん優しく教えて下さるので」
.....
「かわいそう...」
背後から声がした。振り返るとビール瓶を持った水萌君が立っていた。
「課長ほんとにかわいそう...奥さんにそんなに束縛されて...」
「別に私は...そんなことは..」
「課長がそんなだから付け込まれるんですよ」
水萌はこれまでにない冷ややかな口調で山城を諭した。
「課長、如何ですか?」
「...いただくよ」
黄色い液体が透明なグラスに注がれていく..
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