摂氏0℃   作:四月朔日澪

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ケルビン372

「....ノーマークだった。」

 

甲辰商事社長、岡はとても後悔していた。塩葉寄りの北見人事部長による繊維2課への女性社員の配属、男性社員の割合が多い部署というのはどの企業も一つはあるものだが、甲辰商事にとっては例外的な部署であり、そして今回の人事は横紙破りの人事であった。

 岡は麻知からの信頼を一切失うことになり、今度の取締役会も不安でしょうがない。

 

「どうしたの?深刻な顔をして」

 

「冬美...」

 

「いいじゃありませんか。役員じゃなくても」

 

「何をいうか!夢にも思わなかった出世へのチャンスなんだ!それを手放すなんて私にはできない...!」

 

「夢だったと思えばいいんですよ。私は今でも信じられませんよ、あなたが社長だなんて。繊維畑一筋で香川のタオル工業組合に出向したり、課長になられたりなにかの拍子で部長になられただけでも驚きですよ。」

 

「私が山城の上司でなければ、今はなかった」

 

山城は繊維2課の部下であった。この時は野口も2課に属しており二人は有能な新人として岡は可愛がっていた。

 

「まさか...山城の奥さんに振り回されることになるとはな...」

 

今考えれば自分は山城麻知の傀儡に過ぎなかったのかもしれない。自分のような三流大学卒で大した功績のない人間が幹部になれただけでも感謝しなければいけない...

 

「一回死んだつもりで頑張りましょう。エリートと違って下を知ってるんだから。落ちても私は平気ですよ。」

 

「うん...」

 

**************

 

「それにしても岡部長が社長になるなんてビックリっすよね課長」

 

「あぁ、あれは驚いた。なんせ繊維部門なんて鉄鋼やエネルギーみたいな花形じゃないからな。」

 

財務畑でなくても花形といわれる石油などの開発をするエネルギー部門や製鉄会社との仲介をする鉄鋼部門は出世コースといわれている。それに比べ、繊維部のような生活資材部門はこれという成果を挙げられるような部署ではないので出世は見込まれない。何度もいうが左遷先に挙げられる部署である。

 ちなみに山城は麻知が甲辰商事の第四位株主など知らない。なので岡が社長になったのが麻知による株主誘導工作によるものということも知らない。

 

「社長って繊維部の出身だったんですか?」

 

水萌は山城にビールを注ぎながら聞く。

 

「水萌君は新人社員だから知らないか。社長は私が平だったときに2課の課長だったんだ。私が入社して6年たったときに部長になって、数年前に突然社長になったんだ。」

 

「へー俺が入った時には部長だったんで知りませんでした。」

 

「私も山城課長と岡社長の下で働いてました」

 

「眞木くん」

 

輪に入るように眞木次長がグラスを持ち話してきた。

 

「水萌さん、私にも一献」

 

「あ、はい..」

 

水萌は瓶を替え、新しいボトルで注いだ。

 

「眞木次長って課長とは幾つ下なんすか?」

 

「課長は私の二つ上です。今、課長が水萌さんに教えているみたいに私も当時は課長ですが岡社長に仕事を教えてもらってました。」

 

「社長に教えてもらうなんてとてもレアですね」

 

「私も岡社長に教えてもらったよ。社長は教えるのが本当に上手くて私はまだまだだよ...」

 

「「あははは」」

 

「そんなことないです!課長の教え方はとても優しくて負けてないと思います!」

 

水萌が山城を励ますように言った。

 

「....そういってくれると教えがいがあるよ。ありがとう、水萌君」

 

 

その後、話は弾み部下との距離をだいぶ縮めることができた。そして時刻は気づけば21時。予定より一時間過ぎていた。眞木の「今日は楽しかったです。このような会を開いていただきありがとうございました。」という締の言葉でお開きとなった。

 

「課長、大丈夫ですか?」

 

「あぁ...水萌君ありがとう。少し羽目を外しすぎたみたいで..」

 

珍しく酩酊してしまった。部下と会話することなどプライベートでほとんどなかったので嬉しかったのだろう。千鳥足になりがちな私を水萌が介抱する。

 

「飲み物買ってきますね..」

 

「ありがとう...」

 

水萌は近くのコンビニに入っていった。しばらくすると帰ってきて栄養ドリンクのようなものを渡してきた。

 

「肝臓に効くドリンクです。これで二日酔いは少し和らぐみたいですよ」

 

「へぇ..」

 

パキパキ...蓋を開けグイッと飲む。なんか奇妙な味がするな..初めて飲むけど休肝ドリンクってこんな味がするのか。

............

 

「課長.....

 

水萌の声が微かに聞こえる。視界ももやもやとしている。帰らなければいけないのに...水萌君に迷惑をかけるわけにはいかない..

 

「一人でもう大丈夫だから...」

 

「全然大丈夫じゃないですよ。私がしっかりと送りますから....

 

.............

 

「そこまで迷惑は....

 

............

............

 

「ここで放っておいた方が迷惑になりますよ...........私に任せて...........下さい..........

 

 

..............

..............

..............

 

このあと山城の記憶はない。




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