今回から大学編スタートです!
決戦の冬
2005年は話題に尽きない一年であった。郵政民営化を問う郵政選挙で与党内抵抗勢力を駆逐した小川総理の荒業に誰一人非難をしなかった。戦後60年談話も靖国神社に公式参拝していたものの侵略戦争を認める談話を踏襲する形となった。また鉄道会社の杜撰な安全管理が露呈した脱線事故、中京の地では万博が開催され、波乱の2005年は終わろうとしていた。
そして大晦日近づく師走の暮れ、山城家でも新年を迎える準備が行われていた。文加は割烹着と三角巾と武装をして一年の汚れに立ち向かっていた。トイレは便座の隅に残る埃をぞうきんで拭き取り、跳ね返りが気になる床や壁を丁寧に拭いていく。油でギトギトになったコンロ周りは五徳を洗剤水の入った食器桶に漬けておいてコンロにキッチン用洗剤を吹きかけキッチンペーパーで拭き取る。手慣れた掃除裁きは普段家事を億劫に感じている母の姿とは思えなかった。
床掃除は滉一と、なぜか麻知が手伝いに来ていた。
「コウくん、その家具を動かしてもらっていいかな?」
「ん」
麻知に言われ、ソファーを少しずらし、麻知は埃を掃除機で吸い取っていった。家の方はいいのか?と聞いたら、
「掃除なら一昨日済ませたから平気だよ。それに毎年熱海に行くんだけど受験勉強しないといけないからって断ったんだ。年末年始もおばさまにお願いしてコウくんの家で過ごさせてもらうことになったからよろしくね♪」
と嬉しそうに箒で家具に隠れていた埃を掃いていった。麻知は秋からうちで住むことになったので貴重な家族団らんの機会をうちの手伝いなんかで潰してしまっていいのかなと思ったが、麻知は心を読むように
「今は....顔を合わせたくないんだ..それにコウくんといられることのほうが私の一番の幸せなんだよ?だから変な同情しないでね..」
「でも別にうちの大掃除の手伝いまでさせちゃってごめんな。うちは俺と母さんしかいないし、人手が足りないから」
「ううん。おばさまにはいつもお世話になっているしこれから数日間コウくんのお家にお邪魔するんだからこれくらいさせて」
「そう言ってもらえると嬉しいよ」
「コウくん、バケツに水を入れて持ってきて」
滉一はバケツの場所を聞きに風呂掃除をしている母のもとに向かった。向こうでは「母さん、バケツってどこ?」「え?水道で濡らせばいいでしょ」「めんどくさいだろそれじゃ。風呂桶持っていくぞ」と風呂場特有のエコーのかかった声が聞こえる。
「バケツがなかったんだけど、これでいいか?」
「うん。ありがとう!」
麻知は雑巾を湿らせる。酷寒に真水は冷たく手がかじかみそうだ。麻知は雑巾を絞り床を拭いていく、滉一も続いて床を拭く。
「二人で掃除しているのを見てると夫婦みたいで昔を思い出すわ」
文加は割烹着の裾で手を拭い、一つに結んでいた髪をほどく。文加の髪は黒艶があり、なまめかしさが漂っていた。
「やっと終わったわ。そっちはまだかかりそう?」
「いや、もうすぐ終わるよ」
「終わったらご飯にしましょう。乾麺のそばがあったはず..」
「私も手伝いますね」
「いいわよ。麻知ちゃんはゆっくりして」
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年越しそばを食べた後、滉一は部屋に入り朝...つまり新年の朝まで出てくることはなかった。それも仕方のないことだ。センター試験はもうすぐ。どこの受験生も年末年始とて時間を無駄にすることはできないし息抜きなど言語道断だ。
「ごめんね。せっかく来てもらったのに」
「いいえ。みんなあんな感じなので私はコウくんと同じ苦しみを分かち合えればいいんですけど..」
麻知は指定校推薦ですでに大学が決まっていた。麻知の行く大学は沙羅双樹女子大学で滉一が行こうとしている法英大学とは近い。麻知も本当は法英大学に進学したかったが、父や先生たちに勧められ沙羅双樹女子大に進学することになったのだ。
「最近はコウくんと距離を置いているんです...コウくんの邪魔になっちゃいけないから..」
「そんなに神経質になるものなのかしら。私の頃にはセンター試験なんてものはなかったからよくわからないけれど」
「おばさまも法英大学でしたよね」
「ええ。まぁ私が学生の頃は学生運動やら全共闘やらでまともに勉学に励んでいなかったんだけどね」
「全共闘?」
「馬鹿な学生の馬鹿な戯れのことよ。私とお父さんは関わっていなかったけど...そうだ!ちょっと待ってて」
文加は椅子から立ち上がり二階に上がっていった。テレビでは紅白歌合戦が流れていた。普段からNHKを見ないので分からないが出演回数の多い人気アイドルや演歌歌手が集まって年の終わりの時間をNHKホールで迎える。
思えば年末年始というのは日本人が一年の中で一番日本人らしいことをする期間に思える。大晦日に演歌を聞き、正月になればおせち料理-和食を食べ初詣に神社に行く。普段は神社など信仰心の強い人か街頭で日の丸を掲げている人ぐらいしか行かないのにこの時期はわんさかと人ごみができる。書き初めで初年の抱負を書を用いてしたためるのも正月くらいだろう。そもそも中国の文化だという意見もあるが他文化を受容し独自に変化していったのが日本文化ではないだろうか。年末年始は日本人とは何かを考えさせられる年だ。
「ごめんね」
麻知が思いにふけていると文加が本のようなものを持ち戻ってきた。
「アルバムですか?」
「ええ。滉一の小さい時の写真もあるはずよ」
机にアルバムを広げる。最初のページは色あせた写真が並んでいた。
「おばさまの隣に映ってるのがおじさま?」
「ええ。滉一にどことなく似てるでしょ?健一のほうがかっこいいけど」
「似てるー!でもおばさま笑っている写真少ないですね」
写真にはどことなく冷めたような顔をした文加しか映っていない。
「これはおばさま一人だけ写ってますね。なんで大蔵省の前で?」
「だって私しばらく大蔵省のキャリア官僚だったもの」
「ええ!?」
「主計局っていう国の予算を決めるところにいて一年でやめちゃったから束になった書類運ぶとか雑務ばっかりだったけど..」
「一年で辞めてしまったんですか?!もったいない」
「でも、麻知ちゃんなら同じ選択をするはずよ。健一と同棲を始めてね健一の帰りを待ってみたいなぁ..って。結婚するまでは素直じゃなかったから、健一の前でも不愛想な態度を取っちゃって..だから写真もあんなのしかないの。」
「私もおばさまの気持ちわかるかもしれません。自分の仕事をしていたら離れていっちゃう気がしそうで不安になるんですよね..だからおじさまに専念しようと事実婚みたいな感じになったんですよね?」
文加は静かに頷いた。
「私、不安なんです。大学は離れ離れになってコウくんは新しいお友達ができて...なんか私の分からない世界に行っちゃう気がして..」
「麻知ちゃんなら大丈夫よ」
「でも...」
「今だってクラスがちがうじゃない。それに麻知ちゃんに勝る女の子なんて現れないわよ..」
「そんな..おばさまには負けますよ」
「ふふっまぁ私のダーリンに手を出したら麻知ちゃんだとしてもただでは置かないけどね...クスッ」
一瞬悪寒がした。文加は笑っていたがその一瞬だけ目が笑っていなかったような気がする。とはいえ、山城の父は既に亡くなっているし麻知は山城を愛しているので文加を敵に回すことはないのだが...
「まぁなんとかなるわ...そろそろ2006年ね。来年もいい年になるといいわね。」
「はい」
除夜の鐘が街に木霊する