「こんなものでいいか」
駅前のスーパーで買い物を済ませ、アパートへ帰る。まだ八王子という街をよく知らないがこれから駅前の再開発が進められるようで、駅南口に大きな商業施設複合型高層マンション(*1)が建てられるようだ。いつか北口にあるビルにでも服でも見に行こう。
買い物の方だが料理など生まれてこの方まともに作ったことがない俺には何を買えばいいかよくわからなかった。いざ自炊をしようと意気込んだのはよいが、必要最低限の調味料と何となくで買った野菜と卵、豚肉....そして保険としてレトルト食品を少々買ってしまった。果たしてこれらで何が作れるのだろうか。街灯も少なく19時の時点で真っ暗な帰り道、アパートはもうすぐだ。斜め右に目をやるとうちの前に誰かが立っていた。こんな夜に誰だろうか。暗くて顔までは分からなかったが、ショートカットで同化してるから黒系統の服を着た女性というのは分かった。しかし、うちの母と麻知はロングストレートだし、岸先輩もポニーテールにできるくらいの長髪だ。全く見当がつかない。
アパートの前に着き、恐る恐る階段を上りドアの前に立つ女性に声をかけようとすると、
「おかえりなさいコウくん。遅かったね」
「麻知...お前」
そこにいたのは黒いドレスを着たショートカットの麻知だった。手には花束と服装には似つかわしくないレジ袋をもっていた。
「だいぶ待たせちゃったか」
「ううん。今来たところだよ」
「その..髪切ったんだな」
「うん。償い....かな。コウくんとお父さんへの」
「償い?」
「コウくんを振り回したことと、こうなることを分かっていたのにわがままを通したことへの償い。こんなことじゃ消えないけどね」
「取り敢えずなんだし入れよ」「うん」
麻知を家にあげる。まだ昨日引っ越ししたてなのでお茶すら用意していなかった。誰がうちに麻知が来ることを予想できただろうか。卒業式の放課後、別れを告げた後部屋にふさぎ込んだっきりだった彼女が部屋に来ることを。
「ドレスなんか着て何処かに出かけてたのか?」
「許嫁に会いにね。といっても1時間ちょっとだけど、新宿で降ろしてもらって電車でここまで来たんだ。おばさまにはちゃんと伝えたから安心して、今日は泊っていきなさいだって」
うちの母は何を考えているのだろうか。麻知と二人きりにさせたところで何が変わるわけでもないのに..なんなら気まずいくらいだ。
「....それでなんでうちに?」
「用がないと来ちゃダメ?」
「そんなことはないけど...」
「ふふっ冗談だよ。コウくんにちゃんとお別れを言ってなかったから。これ引っ越し祝い」
そういって麻知は手に抱えていた花束を渡してきた。何の花だろうか、薔薇とかチューリップのようなポピュラーな花ではないことは分かる。
「イカリソウっていう花で花びらが船の錨みたいだからそういう名前が付けられたんだって。花言葉は『いい旅立ち』だったような」
「へぇ..」
「ご飯まだだよね!私が作ってあげるよ。コウくんのことだから何も献立考えずに買い物しただろうから」
「仕方ないだろ。ずっと麻知に作ってもらってたんだから」
「うんうん...何買えばいいかよく分からなかったから手当たり次第に野菜を買って、目玉焼きくらいは作れると思って卵を買って、肉は炒めれば何とかなると思って買って、それでも自炊がダメだと感じたらレトルト...ね。ダメだよ、レトルトなんて体に悪いんだから」
なんでそんなことまでわかるんだ。麻知のいう通り焼けばどうにかなるものを中心に買ったことは間違いない。というのも、煮るとは揚げるとかそれ以外ができる自信がなかったからだ。
「コウくんの考えなんて手に取るようにわかるよ。ちゃんと食材買ってきたから安心して。コウくんの好きなカツカレーでも作るよ。だからこれはいらないでしょ」
麻知は俺が買ってきたレトルトカレーをゴミ箱に捨てる。俺が言葉を紡ぐ前に遮るように「食べたくなったら私が作りに行くよ」と言い反論を寄せ付けなかった。
「コウくん、まな板は?」
「あっ忘れてた」
「どうやって野菜を切るつもりだったの?まぁ100均で買ってきたけどね」
用意周到で頭が上がらない。麻知はいつも二手三手先のことまで読んで行動していて、かつその行動がいつも的を得ていて時に恐ろしく感じる。
麻知は手際よく野菜を切っていくこれまでしっかりと見たことはなかったが、本当に料理がうまい。中学の頃、調理部に誘われたこともあったな。本人は「コウくんと一緒に帰れなくなる」という理由で断ったらしいけど
「もう少し待ってね」「ああ」
「....コウくん、帰ってこない?..私もう平気だよ。大学だって家からでも行けるんだしさ。」
「..........それはできないよ。麻知には許嫁がいるんだから、俺たち普通の幼馴染に戻らないといけないんだ。だからご飯を作ってもらったりするのは..」
「普通だよ。」「!」
「普通の幼馴染のやることだよ。ご飯を作ったり、朝起こしたりするのは。だから大丈夫だよ♪それにコウくんは私のモノなんだから...
私、コウくんに嫌われたかったけどコウくんのこと嫌いになったわけじゃないんだよ。今でもコウくんのこと大好き。だから私の知らない所で他の女を見たり、話したりするのを想像するだけで....コウくんはそんなことしないよね?だから私以外の女を見ちゃだめだし、話してもだめ。もし破ったらコウくんの人生滅茶苦茶にするんだから..一生不幸にしてあげる」
「本当に勝手だな」
「コウくんも私の人生滅茶苦茶にしてもいいんだよ。コウくんなら恨まないから..その代わり責任は取ってね♪」
「馬鹿..そんなことできないよ。麻知には麻知の幸せがあるんだから」
「本当に幸せにさせたいなら私を奪ってよ(ボソッ」
「?」「カツが上がったから今持ってくるね」
何日かぶりに麻知の手料理を食べた。麻知は目の前で笑顔でこちらを見ていた。一緒に食べればいいのにと言ったが既に済ませていたようだった。
時間が経つのは早く気が付けば22時だった。ベッドはシングル一つしかなく、自分は床に雑魚寝すると言ったが、
「いいじゃん。一緒に寝よ?昔は一緒に寝てたし」
と聞かなかったので麻知に背を向ける感じで横になった。勿論、麻知がすぐ隣で寝ているシチュエーションで眠れるわけがなかった。麻知のことだから抱きついてきたりするのかと警戒したが、危機していたことは何一つ起きなかった。本来はそれが普通なのだが、思えば俺たちは普通とは違った幼馴染だったような..そして、朝が訪れ麻知と朝食を取り駅まで見送った。
「昨日はありがとう。また遊びに来るね」
「うん。また実家の方にも帰ってくるよ」
「うん。それじゃあね」
麻知は改札を通り、手を振る。俺は麻知がホームに入るまで見送り、家路についた。昨日は全く眠れなかったので一眠りつこうとしたら岸先輩と階段で出くわした。
「あ、先輩おはようございます」
「おはよう山城くん。そういえば昨日夕方くらいから可愛いドレスを着た女の子が来てたけど山城くんの知り合い?」
夕方?ということは麻知は数時間の家の前で待っていたというのか。ドレスを着たと言っているから麻知のことで間違いないだろう。岸先輩に一昨日話した元カノが引っ越し祝いに来たことを話した。先輩はどうやら納得したようでドレスを着ていたから怪しい勧誘か何かだと勘違いしていたようだった。
「...まぁそれで引っ越し祝いに花をもらいまして」
「どれ、イカリソウじゃん。....きっと元カノさん山城くんのこと好きだよ」
「?いやいやただの幼馴染ですよ。花貰っただけでそんな大げさな」
「違うよ。イカリソウの花言葉は『君を離さない』あとは...『あなたを捕える』」
「麻知からは『いい旅立ち』だって」
「きっと悟られたくなかったんじゃないかな。彼女さんはまだ諦めてないよ。山城くんのこと」
錨を結ぶ鎖の先には何があるのだろうか。麻知のことが余計分からなくなっていた。
*1)サザンスカイタワー八王子は2010年に施工・開業した。その前までは東急スクエア八王子が八王子市民にとっての商業施設だった
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