摂氏0℃   作:四月朔日澪

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これまでのあらすじ
山城の職場甲辰商事繊維2課に水萌晴絵が入ってきた。水萌は山城にお弁当を作ってくるようになり、山城が麻知と仲直りした後もそれを続け麻知と水萌との全面戦争が勃発する。水萌は薬を盛り、山城と既成事実を作ろうと試みるもホテルに麻知が闖入し阻止され事態は収束した。
しかし、山城は突然福井への出向を命じられ...


第五部 福井編
整理


甲辰商事の繊維2課。突き当たりのデスクは酷く殺風景となっていた。甲辰商事はIT化が遅々として進んでおらず決裁は未だ「はんこ」の持ち回りである。各課長のデスクには決裁箱と山のように積まれた書類があるわけであるが、繊維2課長・山城滉一のデスクにはそうした痕跡が残されていなかった。話を遡ること数日前である。

「山城滉一殿、株式会社福鯖織物に出向を命ずる。...福井県の鯖江というところにある繊維企業に出向だそうだ」

 

「出向...」

商社にとって出向はさほど珍しいものではない。派閥争いの絶えない商社では敵派閥の社員を本社から地方の営業所や取引先に出向させることは常套手段として用いられてきた。しかし、山城の所属する繊維など生活資源生産部門は社長・岡の派閥出身者が多い。山城や野口もかつては繊維部で岡の下で働いており、岡派といえる。社内のなかで人事対立をしていたと噂の塩葉専務はグループ傘下の銀行に引き抜かれドロップアウトした。となると山城の出向はあまりにも不自然な現象であった。

考え込む山城を見かねて部長が話を続けた。

「どうも今回の出向は『人事整理』とは違うらしい。今回の出向は上からのお達しだ。」

 

「それは..どういうことでしょう?」

 

「甲辰商事で新しい繊維資材を開発したいらしい。ライバル商社の月詠物産が去年ハニクロと共同研究して涼感シャツを開発しただろう。どうも社長はうちでも画期的な繊維資材を作ろうと奮起したらしい」

岡社長は繊維部の出身である。月詠物産が有名ファストファッション店の人気商品を作ったことにライバル心を燃やしているようだ。福井といえば繊維王国で有名な県である。繊維大手企業や小説のモデルとなった医療事業に進出した企業が福井にあり、それは山城も話だけは聞いたことがあった。

「そこで本社から1人福鯖織物に開発責任者として出向させようということで君の名前があがったようだ。繊維部としては別の者を出向させたかったのだが、」

 

「そうですか。」

山城は複雑な心境であった。新素材の開発という大きな仕事を任された嬉しさと東京から遠く離れた福井への赴任に思い悩まされていた。

「申し訳ないが、これは決定事項だから明日から引継ぎ業務にあたってくれたまえ」

 

「分かりました。」

 

.....福井への出向が決まり、決裁を次長の眞木に引き継いでいた。とはいえ、眞木は私が入院している時に代理で行っていたためほとんど教えることはなかった。そのおかげでデスクの掃除に集中できた。引き出しの中を整理しながら私は思い出に浸っていた。アメリカの紡績会社との交渉資料や数年前の社員旅行での写真などが見つかった。社員旅行の写真には私と野口、そして野口の妻の透さんと麻知が写っていた。甲辰商事の社員旅行は家族の同伴が可能でこの時初めて野口の奥さんと対面した。麻知もはじめは警戒していたが、次第に仲良く話すようになっていたのを思い出す。

「あとで野口に見せてやろう」

最近は不景気ということもあり、社員旅行は希望者のみのパックツアーとなった。私も野口も長期休暇を取りづらい立場となりもうここ数年行っていない。

 デスクマットに挟んでいたものを片付けていく。どの社員もデスクマットに挟むものには個性が出る。子どもの写真や好きなアイドルの写真、セミナーか何かで貰ったのであろう哲学的なことが書かれた用紙やアニメのキャラクターのイラストを挟むなど多種多様である。私は新社員研修で配られた経営理念の書かれたA4用紙くらいしかデスクマットに飾っていなかったが、それでは寂しいと同僚から私の好きなモデルの切り抜きを貰い挟んでいたこともあった。だが、忘れ物を届けにきた麻知に見られ3日くらい口を利いてもらえなかった。今は経営理念の紙と旅行先で撮った麻知との写真を挟んでいる。だいぶ日焼けして色あせてしまったようだ。

「課長、ごみがあれば出しに行きますけどよろしかったですか?」

水萌くんがごみ袋を持ち、ごみを集めに来た。

「ああ、水萌くんありがとう。そこに固めてあるものが要らないものだから回収してもらえるかな」

「はい!それ、奥さんとの写真ですか?」

水萌が山城の手に持つ写真を覗く。

「うん。熱海へ旅行した時の写真でね」

「へぇ課長若いですね。奥さん、こんな笑顔されるんですね..」

水萌は笑顔で写る麻知に驚いているようだ。

よくよく考えれば麻知はよく顔に出るタイプだった。今とは違い、喜んでいるときとご機嫌ななめな時を表情で判断できたし、凍りつくような無表情はギャップもあり今より際立って怖かった印象がある。今では麻知が何を考えているのか掴みづらくなっているが。無愛想ではないのだが、感情の起伏が昔より無くなったため顔に出ることがあまりなくなった。

写真の麻知は私と腕を組んで嬉しそうに満面の笑みで写っていた。そういえば、麻知のこんな笑顔最近見ていないな。

「家内は笑顔がとても可愛いんだよ...」

 

「....なんか奥さんが羨ましいです。こんなに課長に愛してもらえているなんて..でももったいないですよ。私ならもっと課長のこと...」

 

「水萌くん。ごみ出すの手伝うよ」

 

「え?いや、いいですよ。課長のお手を煩わせるわけには..」

 

「机の片付けも大体できたし、私ももうすぐ出向で手が空いているんだ。気分転換に付き合ってくれないかい?」

私は水萌くんが持っていたごみ袋の中でも一番入っていそうな袋を持ってあげた。

「はい...課長がそう仰るなら、お願いします..♡」

山城が水萌のごみ出しを手伝うのはただ手が空いているだけではなかった。山城が甲辰商事を発つ前に片付けておかなければならない問題を済ませる目的もあったのだ。




久しぶりに摂氏0℃を読んでいただきありがとうございました。約1年ぶり(一回番外編を書きましたが、続きが思い浮かばなかったので消しました。)の投稿ということで忘れている部分もありましたが、久しぶりに小説書きたい欲が湧き麻知VS水萌の続きを執筆しました。
もう少し長くかけたのですが、時間切れということで...明日あたりまた出せれば。春秋零下も続きが思いついてはいるので書きたいですね...

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