眩しい...
瞼の裏に眩い光が差し込んでくる。ゆっくりを目を開けると真っ先に見えたものは天井だった。それもただの天井ではない和室特有の格子状の天井であった。意識がはっきりして、やっと自分が旅館にいることに気づかされる。ゆっくりと上体を起こすと、麻知が浴衣をはだけさせて隣で眠っていた。昨夜は麻知も酒が入っていたので旅先とはいえ少々羽目を外しすぎた。麻知はこう見えても下戸でビールを飲み干す前には手が付けられなかった。
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「はいあーん」
麻知はかなり密着し、焼き物を一口に取り滉一の口に運ぶ。
普段なら躊躇うことだが、滉一も酒で気が大きくなっていたのか応じる。
「あーん」
「美味しい?」
麻知は頬を赤く染め聞いてくる。羞恥よりも酩酊からくるものだろうが。
「美味しいよ」
「えへへよかった」
この料理は言うまでもなく旅館の料理人が腕をかけて作ったものだがまるで自分が作ったかのように喜ぶ。
「じゃあ、麻知もあーん」
お返しにと今度は滉一が麻知の口に運ぶ
「あーん...ん、美味しい♥コウくんは本ろうに優しい♥」
「こんなことで優しいって普通じゃないか」
「ううん。コウくんは優しいよ♥好きっスキスキ♥だからわらひ以外に優しくしちゃらめらよ?」
「そんなこと言われてもなぁ...」
「やらぁ!わたひだけに優しくしてよぉ....やだやだぁ」
麻知は子どもが駄々をこねるように裾を引っ張り上げて反抗する。
「大丈夫だよ。俺が一番好きなのは麻知だから」
「コウくんを好きになってもいいのはわらひだけなのぉ!コウくんを一番知ってるのはわらひなんらもん」
「分かってるから...落ち着いて」
「じゃあキスして?♥」
何がじゃあなのかはさっぱり分からないが、麻知の要求に逡巡している間に麻知は滉一の唇に向かっていた。
ん....チュッ..
「!?」
麻知が舌を入れてきたので驚いた。初な麻知にしては大胆な行動である。やはり酒の魔力というのは人を変えるのだろうか...
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それから先のことはあまり覚えていない。まぁ思い出さずとも顛末はなんとなく分かる気がするが。
ほとなく麻知が起き上がってきた。
「おはよう」
「おはよう。あなた、折角だし朝風呂でも入りましょう?」
「ああ。朝ご飯まで時間があるしな。」
朝の入浴で汗を流し、朝食をとる。その間今日の予定について話した。
「今日はこのあと社宅に入って荷物を出して、必要なものを買い出ししてって感じか」
「ええ」
「どんなところだろうか。詳しいことは聞いてなくてな」
「....風呂なしアパートとかでなければどこでもいいわ」
「まぁあまりに酷かったら別のところを探そう。甲辰商事(うち)が用意したものだから心配はしてないが」
朝ご飯を食べ終え、身支度を済ませ旅館を出る。芦原街道を進み、福井市内に突入する。貰った地図を頼りに社宅を目指す。
「そこの交差点を左に曲がって」
「はいよ」
市街地からやや離れた住宅街に入ってきた。ここからは大通りから外れるため麻知のナビが頼りになる。
「そこじゃないかしら」
見えてきたアパートを指さす。ここが新天地での住まいか。滉一は少し胸を熱くさせた。ただ福井に来たわけではない。大きな使命を持ってここまでやってきた。滉一の頭の中はプロジェクトを成功させる、そのことでいっぱいだった。
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「はじめまして。東京から越してきました山城です。よろしくお願いします。」
「これお口汚し程度ですけどどうぞ」
ひとまず大家に挨拶をしてきた。おじいさんがこのアパートの大家のようで「東京から車で...遠いところからよく来ねはったねぇ」と軽く会話を交わした。部屋を案内され、カギを渡してもらった。シリンダーキーを回しドアを開ける。
「また困ったことがあれば隣にいますんで」
「ありがとうございます」
大家によるとここに住んでいるのは私達だけのようだ。一応お隣りへの手土産も用意したが不要のようだ。
「荷物を持ってくるよ。麻知は少し休んでてくれ」
「私も手伝うわ」
「いや、これから色々と手伝ってもらうからこれくらいはさせてくれ...」
麻知は理解したのか。奥の方へと入っていった。まぁ搬入でも多くが麻知の世話になるだろうから。
荷物をすべて部屋に持ち込むと、麻知が先に買い出しに行った方がいいというのでホームセンターへと向かった。家具チェーン店が近くにあればよかったのだが、一番近い店でも5キロ先だという。食器や調理道具などを見て回る。麻知は迷うことなくホイホイとカゴに入れていく。主婦というのは身の回り品には拘りがないのだろうか。食器も我が家ではシンプルなものが多い。
「茶碗とかマグカップは買わないのか?」
「それは明日買うから..」
「でも明日はたしか...」
「だからよ」
結局どういうことか聞くことはできなかったが麻知には考えがあるようだった。買い物を終え、自宅で軽く昼食をとる。食材もそろっていないので近くのコンビニでおにぎりを買った。内食の多い我が家では珍しいことだった。帰りにコンビニに寄ると麻知が不機嫌になるのでコンビニごはんを食べるのは久しぶりだが、意外と美味しいものだ。海苔もパリパリしているし具材も高級志向になってきているようだ。
午後からは段ボールから荷物を出したり各々の部屋作りをして時間が経っていった。私は本棚を作っていた。ベッドは備え付けで設置されていたが机や本棚は無かったのでホームセンターで買ってきた。作業机は宅配を頼んだため後日届くが本棚は持って帰ってきた。コンビニで購入したドライバーセットで製作していく。A3サイズの組立書を見ながら事件現場に置かれた番号札のように床に散らばった釘なり天板を手に取りねじを留めていく。小さめのドライバーでも十分組み立てが出来た。本棚を起こし、部屋の片隅に設置した。見計らったように麻知が部屋にやってきた。
「食べ物の買い出しに行くけど、何か食べたいものある?」
「いや...別になんでもいい」
「なんでもいい...そう」
何が食べたいと急に言われても困る。格別食べたいものも浮かばなかったのでなんでもいいといった。野口は奥さんになんでもいい、と答えたら夏場に煮込みうどんを出されたと言っていたな。「なんでもいい」とは言いつつも実際は有限なものなのだが。しかし、麻知の場合食べたいものを言えば文句を言わず作ってくれる。テレビか何かで見たポークビーンズが食べてみたいと言えば鍋で数時間豆を煮ていたし、フライドポテトって自宅で作れるのだろうかとふと口にしたら数日後にフライドポテトを作ったと出してきたことがある。驚くのはそれだけではなくそれがなかなか美味しいのだ。普段は和食や家庭的な洋食しか作らない麻知だが、何でも作れることを知らしめられた。
麻知が買い物に行っている間私は一足先に風呂に入った。アパートの風呂なので足は伸ばせないが中背くらいの私なら十分なくらいの大きさだ。大学時代に住んでいたアパートは洗面所と風呂が一体となっていて、しかも深夜給湯なので不便だった記憶がある。すぐ洗面所が水垢だらけになるんだよな...ここの洗面所は脱衣所と兼用になっていて東京の家とそう変わりない。命の洗たくといわれる風呂くらいはいい設備でないと困るものな。私はからだでも洗おうと思ったその時大事なことを思い出す。
....シャンプーがまだなかったんだった。
麻知が帰ってくるまで待とうか。それともいったん出るか..いや、待つにもいつ帰ってくるか分からないし、出るのもまた入るのは正直面倒である。
「仕方ない。出るか。このままでは茹でだこになってしまう」
湯船から上がろうとしたその刹那、脱衣所から着信音がなった。風呂場を出てスマートフォンを手に取った。着信元は麻知からだった。メールのタイトルは「お風呂入るなら」、『脱衣所の棚にボディソープとシャンプーあります』と書かれていた。脱衣所の戸棚を開けると確かにボトルがあった。自分の行動は先読みされていたってことか..
**********
「いやぁさっぱりした」
風呂を上がり、リビングに向かう。麻知が既に帰宅しておりキッチンに立っていた。
「おかえりなさい」
「もうすぐでご飯できるからちょっと待ってて」
椅子に腰かけお茶を一口含んだ。対面キッチンではないので麻知はこちらを背にして料理をしている。後ろ姿がとても懐かしかった。またお茶を口に含む。
「そういえばメール助かったよ。ちょうど風呂に入っててさ、シャンプーがなくて困ってたところだったから。」
「...滉一のことだからお風呂にすぐ入っていると思ってたから。」
キッチンからおかずを持ってきた。今日買ってきた大きな皿で運ばれたものは大きな焼き魚だった。あとはだし巻き卵に味噌汁がついていた。
「でっかいな何の魚?」
「焼き鯖って書いてあった。」
食卓の真ん中にドンと陣取っている黒々としていてまるまる太っているこの魚はサバのようだ。丸々一匹の焼き鯖を初めて見た。私にとって焼き鯖というと切り身になった塩焼きだったがサバという魚はこんなに大きい魚だったのか。流石海のある県、魚介が豊富だと感嘆させられた。麻知が身をほぐして小皿に取り分け、手渡してきた。
「小骨が少し残ってるかもしれない」
「ん。気を付けて食べるよ」
福井で初めて食べたサバは脂が乗っていて、潮の香りがした。まだ海を見ていないが福井の海はこのような匂いがするのだろうか。
「福井のサバ、美味しいな」
「それノルウェー産よ」
「..」
訂正したい。福井で初めて食べたサバはノルウェー産だった。
この日は早くに就寝した。明日は福井を観光し、夕方に一旦東京に帰る予定となっている。会社でなんと私の送別会をしてくれるようだ。繊維部総出で送別会をしてもらえるとは思ってもみなかった。野口と会えるのも残り僅かだ...
そういえば部長が奥さんも誘ったらいいと声を掛けてくださった。前に復帰祝いの時酷く酔って迷惑もかけたので私としても賛成だった。まぁ懸念しているのは水萌くんと麻知が鉢合わせしてしまうことなのだが。今日「あまり事を起こさないでくれよ」と釘を刺しておいたが、不安は消えない。まぁ考えてどうなるわけでもない。早く寝よう...
夜が明け、麻知を乗せ越前海岸をドライブする。福井というのは南だけがリアス海岸ではなく若狭湾を囲む全体がリアス海岸となっているようだ。道は湘南などとは違い酷くくねくねとしている。しかし、水平線が綺麗に映っており様々なものを飲み込んでいそうな深く青い海は日本海ならではの風景だった。朝食はこの海岸線の先にある海の見えるカフェテリアでとることにした。ここら辺は漁村が多いようで漁船や魚屋を通り過ぎる。
「もうすぐ海水浴シーズンね」
「うん。この辺の海水浴場だと鷹巣海水浴場っていうところがあるらしい」
「....でも行くこともないか」
麻知は少し寂しそうに言ったので「夏になったら行こうよ」といった。
「水着まだ着られるかしら」
「麻知ならなんでも似合うさ」
「..そう、かな」
麻知が車の窓を開ける。ぶわっとまだ肌寒い風が吹くそして強烈な潮の香りが鼻につく。麻知は意地悪そうに笑った。
漁村に一つ浮いた白いログハウスが噂のカフェテリアだ。閉店時間が日没の時間となっていて今日の日没時間が入り口に立てかけられていた。少し朽ちた木の階段を上がり中に入ると、そこはまるでパノラマ写真のような海が広がっていた。
まるで海を独り占めしているような気分だ。店の外には大きなガーデンがあり崖の上に立っていることが分かる。ブラックジャックの診療所のようだ。崖の近くにはベンチがあってバックには海が見える。
「来てよかったね」
「海を見ながらコーヒーが飲めるのはいいな」
「何食べる?カレーとかうどんがあるみたい」
メニューを見るとおしゃれなサニーレタスが入った冷やしうどんやカレーが載っていた。
「朝からカレーは重いな...冷やしうどんにするよ」
「それじゃ、注文してくるから待ってて」
この店はカウンターで注文をして受け取るセルフ方式だった。フードコートなんかで見かけるブザーをもらい待っている間ガーデンに出てみることにした。
一番端のベンチの場所まで行くと、より海が開けて見えた。はるか遠くに水平線が見えるが真っ直ぐ一直線ではなく曲線を描いていて地球が丸いことを痛感させられる。当たり前といえば当たり前のことなのだが自然の風景を見ると人は童心に返ってしまうものだ。麻知も「風が気持ちいい」と楽しんでいるようだった。
「写真撮ろうか。ほら座って」
「ええ」
スマートフォンのカメラを起動して海と麻知を写す。
「よろしかったら撮りましょうか?」
後ろからアベックがやってきた。私たち二人でということなのだろう。
「よろしいですか?」
「はい。どうぞ旦那さんも座ってください」
ベンチに向かうと麻知は席を空け、隣に腰かける。他人にツーショットを撮られるのは気恥ずかしく笑顔とも真顔ともとれない何とも言えない表情になってしまった。
朝ごはんとして食べた冷やしうどんはかつおベースの出汁とマヨネーズが意外とマッチしてさっぱりして美味しかった。
カフェを出てからは再び海岸線を走り、越前陶芸村を目指す。この道は漁火街道というらしい。漁火という名の通り漁村がぽつぽつと存在する。ホテルもたびたび見かけるがほとんどは民宿で観光ホテルとおぼしきものは廃墟と化していた。こんなにいい立地であるにもかかわらず上手くいかないというのはなんとももったいない話だ。
トンネルに差し掛かる所に滝があった。
「あれは...」
「呼鳥門っていうところみたい。あの岩のトンネルがそうみたい」
確かに滝の隣には大きな岩に穴をあけたような大きなトンネルがあった。かつては崖っぷちに道路があり、あのトンネルをくぐっていたようだ。現在では観光名所の一つとなっているようだ。呼鳥門......ではなく隣に出来たトンネルを抜け、梅浦漁港まで進んだ。梅浦からは山道で長い上り坂が続く。進むごとに山深くなりこの先に集落があるのか不安になる。10分くらい走っていくと家が点々と見えてきた。ダーツの旅的なクルーも第一村人を発見する時はこんな気分なのだろうか。それからまたしばらく走っていくと麻知は「この坂道の先が陶芸村みたい」と言った。周りは歩道が赤レンガで舗装されてい分岐にオブジェが立っていた。坂の上には黄色い建造物が目の前に現れる。
駐車場に車を停め、背伸びをする。
「あーやっと着いた」
「運転お疲れ様。お茶飲む?」
「うん」
「あの黄色い建物でコーヒーが飲めるらしいよ」
看板を見ると、「越前焼でcafeタイム」と書いてあった。陶器でできたマグカップでコーヒーを楽しめるようだ。
「ほら行きましょう」
「わかったから引っ張らないでくれよ..」
麻知は滉一の手をがっちりと握り黄色いホールに入っていく。
「コーヒーは自動販売機なのね」
「まぁカップは種類があるしいいじゃないか。買えるみたいだし」
コーヒーの自動販売機の隣にはショーケースに入った越前焼のマグカップが飾られておりそれを自動販売機に設置してコーヒーを楽しむようだ。シンプルなものもあれば陶芸とは思えないカラフルなカップもあった。
「このカップとかあなた好きそうじゃない?」
麻知の指さしたカップは赤褐色の土の色にハケで描いたような紺色が印象的なカップだった。
「うん。これにしようかな。じゃあ麻知のを選んであげるよ。そうだなぁ...これとかいいんじゃないか。」
私が選んだのは灰色の釉をベースにインクをこぼしたような柄が付いたカップだ。麻知も満足そうに「じゃあ、これにする..」とカップを手に取る。
焼き物のマグカップで飲むコーヒーはいつもよりも少し贅沢な気分がする。口当たりが滑らかというか角の取れた味になっているように思うのは気のせいだろうか。そんなことを考えていると麻知も
「いつもとは少し違った感じ..」と語った。
**********
「少し奮発してしまったけど、昨日買うより良かった。」
「そうでしょう」
近くに越前焼を扱うお店があると聞き、そこでマグカップを買った。ペアになっていて取っ手が変わった形をしているのが目に入った。麻知もこれがいい、と言ったので買うことに決めたのだった。最後に陶芸の美術館を見て回った。越前焼が発見されたのは数十年前のことらしくそれも地元の高校教師が再興したというのだから驚きである。中世にかけては水に入れる甕を作っていたらしく瀬戸物で有名な瀬戸焼同様一大生産地だったようだ。それも歴史と共に衰退し、百年間ほど知られることがなかったようだ。
そんな歴史を知ることができ公園の謎のオブジェを見回っているとお昼を過ぎていた。
「お昼はどうしようか。」
「どこでもいいけれど」
「そうだなぁ....散財したしどこかファミレスでもいいかい?」
「私は構わないわ」
私たちは陶芸村を後にし、山間地域を下りて都市部で昼食をとった。その後は駅へ向かって国道をひた走る。特急で金沢へ向かい金沢からは新幹線で東京に帰る。福井県は日本で一番遠い県と揶揄されるほど交通の便が悪い。飛行機も新幹線もなく、高速バスでも中央道で半日掛かるようだ。今日も夕方に乗って夜遅くに自宅に着く予定だ。
自然が豊かで食べ物もおいしいが、これから会社員として働きながら暮らすには少しばかり不便がついて回りそうだ。まぁ、昔は長野の山に骨を埋めようとしていたこともあったくらい田舎暮らしには自信があるのだが..
信号が赤になりブレーキを踏む。助手席をチラリと見ると麻知がスゥスゥと眠っていた。疲れたのだろう。
「これからもよろしくな。麻知」
信号が青になり、アクセルを踏んだ
閲覧ありがとうございました。
次回、麻知vs晴江2ndマッチ