摂氏0℃   作:四月朔日澪

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本屋の匂いがする香水がアメリカで売られたらしいです。
匂いでも青木まり子現象は起きるのでしょうか?


鴻門の会

『沛公旦日百余騎を従へ、来たりて項王に見えんとし、鴻門に至る。』

 

三国志に並ぶ中国の歴史書「史記」のこのフレーズは和やかな酒宴とは裏腹に進んでいく戦争の静かな始まりを描いている。そして、今新宿の居酒屋でも女の戦争が繰り広げられようとしていた。

 

「......」

「......」

 

ビールを注ぐ麻知、コップを持ちお酌を受ける水萌。麻知は作り笑いを崩さず水萌はやや不服そうな表情(かお)を浮かべる。麻知の隣には同じく酌に回っていた滉一がビール瓶を持って膝立ちになっていた。

水萌の見て取れる不満をよそに麻知は「お酒は飲めませんでしたか?」などと言っている。酒をあまり飲んでいないのに胃が痛い...私の送別祝いに開かれた酒宴はまだ始まったばかりだ。何事もなく無事に終えることはできるだろうか...

 

 時は遡り、福井から帰ってきた山城たちは翌朝野口家にお邪魔していた。野口は既に仕事に出ており、透が二人を出迎えた。山城と透は何度か面識があるが一言二言くらいしか話したことがない。山城から見れば警戒されていると理解しているが、透は麻知に気を遣ってあまり山城と接しないようにしている。麻知ほどではないが透も実は妬く性分で、野口が麻知と仲良さげに話しているとモヤモヤする。麻知に嫉妬するわけではないのだが、自分でもよく分からない感情を野口にあたって発散させているのが野口夫妻の関係性である。

 

「大したものは作れなかったんだけど..」

 

透は朝食を2人に振舞った。ホットドッグにスクランブルエッグ、サラダにインスタントのコーンスープが並べられていた。

 

「ううん。透ちゃんありがとう」

「いただきます」

 

山城はスープをすする。麻知もまた朝食に手をつけ、談笑に入った。

 

「麻知ちゃんが福井に行っちゃうなんて寂しいな。絶対遊びに行くから!それでどの位あっちにいるの?」

「それはね.....あなた」

「えっと..厳密には決まってなくて実は左遷だったりするかもしれなくて。ずっと福井に永住するかもしれません」

「ええ!宏...旦那が社長直々の特命なんて言っていたから栄転だと思ってました。福井では部長さんになられるんでしたよね」

 

確かに出向先の福鯖織物株式会社では開発部長兼プロジェクトリーダーとして迎え入れられるのだが、甲辰商事の課長と下請会社の部長では前者の方が待遇としてはよい。以前にも言ったように地方企業への出向は片道切符になることも現実としてあり、部長から新商品の開発と説得された山城も半信半疑であった。

 

「栄転ですか...買い被りですよ。部長といっても地方の織物会社ですし、給料だって今より少し下がりますからね。社長も納得いく商品が完成できるまでは本社へ呼び戻してはくれないでしょうし」

「主人なら大丈夫よ。だって私のだんな様なんだもの」

「そうね。やり手の麻知ちゃんを落としたご主人だもん心配ないよね。旦那も『山城ならきっと社長のお眼鏡に叶う商品を作ってくれるはずだ』って言っていたし....旦那、口にはしないけど最近夕食の時もボーっとしているときがあって、旦那も山城さんがいなくなるのが寂しいんじゃないかなぁって。」

「そうですか...」

 

野口の普段は見ない一面を聞いた気がする。やはり奥さんというのは主人のことをしっかり見ているんだと感心させられる。逆に男は自分の奥さんを理解し得ているのか少し不安になってしまう。正直私は麻知と幼馴染で誰よりも見てきた自信があるがこんなに仲良さそうに同僚の奥さんと話しているのは初めて見る。昔は誰かと話していても社交辞令的で冷たいというか周りに無関心なように映っていたのだが、今ではこうして女友達がいるんだと妻のことを一つ知ることが出来たような気がする。

 

「そういえば今日旦那が山城さんの送別会と言ってたけど麻知ちゃんも行くの?」

「ええ。.........透ちゃんもいかない?」

『え?』

麻知の一言に山城と透は同時に反応する。何を勝手なことを言っているのか。

 

「いや、そんな勝手に」

「別に一人くらい増えても問題ないでしょう。今日は私達が主役なんだし」

正確には私だけなのだが。まぁ経費で落ちるような飲み会ではないし、奥さんの代金くらい野口が出すだろう。

 

「分かったちょっと聞いてみるよ。少し出てくる」

山城は携帯を耳にかざしリビングを出た。入れ替わるように透がコーヒーカップを持って麻知の前に置く。

 

「わざわざごめんね麻知ちゃん」

「ううん。いいのよ。前に一緒にいてもらったお礼をしたかったし、透ちゃんと最後に飲んでみたかったから」

「私も麻知ちゃんとはしばらくお別れだしね。ありがとう麻知ちゃん。あ、そうだミルクと砂糖いる?」

「うん。お願い」

 

麻知たちがコーヒーを飲みゆっくりしていると、滉一が部屋に戻ってきて「野口さんのもとってもらえたよ」と伝えに来た。そんな経緯があり、山城たち三人は夕方新宿駅へと向かった。

**********

午後7時

「えー今日は山城繊維2課長が福鯖織物へ異動することになった。ささやかながら繊維部で山城課長の送別会を開きたい。それでは、山城くん一言」

 

繊維部長の挨拶も早々に自分の番が回る。みんなの視線が一心に向けられる。

 

「今日はこのような会を開いていただきありがとうございます。明日付で福井県の福鯖織物株式会社へ出向することとなりました。入社以来繊維部で働き部長をはじめ多くの先輩方や頼れる同僚、後輩に支えられてきました。あちらに行っても甲辰商事でのことを忘れずに精一杯頑張っていきたいと思います。長い挨拶になりましたが、ここで乾杯にうつりたいと思います。みなさん飲み物の方はよろしいでしょうか」

 

参加者は机の前にあるコップを手に持つ。既に乾杯を待つせっかちなものもチラホラいた。

 

「それでは乾杯!」

 

大勢の「乾杯~」の声で酒宴が催された。「山城くん、乾杯」と部長と盃を交わし、その後繊維2課の部下たちが私の下に駆け寄ってきた。気が付いた時には私のそばには麻知が座っており、「今までありがとうございました。」と接待していた。あっちでも頑張ってくださいと励ましてくれるもの、課長がいなくなるのは悲しいと涙を流すもの様々だった。私はこんなにもいい部下を持つことができたのかと少しうれしくなった。

 

「あなた、みなさんいい人ね。」

「うん....」

お酒が回ったのかなんだか顔が熱くなっていくのを感じる。その後、席を回りお酌に回りながら繊維部の仲間と挨拶を交わした。

若い社員の群れに向かうと水萌くんがいた。この数ヶ月間彼女には色んな意味で翻弄された訳だが、繊維2課で最後に持った部下である。久しぶりの女性社員だったということもあり、私と会った期間は一番短いが思い出深い部下である。

 

「水萌く......ん」

 

私が声を掛ける前に「水萌さん、こんばんは」と朗らかに麻知が水萌のそばに座り、ビール瓶を傾ける。水萌も渋々それに応じていた。

そして、今に至るわけである。私ははっ、と我にかえり水萌くんの前に座る。

 

「済まない。ビールは飲めなかったかい?グラスを替えてこようか?」

「いえ、いいです」

と水萌は私の目の前でコップを空ける。課長、とグラスを寄越してきたので私が注ごうとすると脇腹を不意にツネられる。麻知だ。

 

「よかった。若いのにお酒大丈夫なんですね」

「ええ奥様、気遣い不要ですよ。課長が注いでくれると思ったらまさか奥様が『わざわざ』注いでくださるなんて」

 

水萌はわざわざ、を強調して皮肉を口にした。

 

「あら?私が注いだのが迷惑そうね。」

「そんなんじゃありませんよ。でも、最後に課長とお話がしたいなぁって..」

 

言葉の応酬が続く中で私は口を開いた。

「水萌くん、会社は慣れたかい?教育中に異動になってしまい、本当に心苦しいのだけれど」

「はい!課長に手取り足取り仕事を教わりましたから!私ももう課長にお弁当を作ってあげられないので悲しいです」

「.....手取り足取りねぇ、」

 

麻知が小声で何かを呟くと脇腹を掴んだ指に力を入れる。爪が食い込んでとても痛いんだが。

 

「いや、お弁当のことは...」

「あなたお弁当作ってくれるなんて、いい女性社員さんね。私が作った時より嬉しそう」

麻知は表面上ではにこやかにしているが、心中穏やかでないことは私でもわかった。すかさず否定する。

「いや...そんなことはないよ」

「そんなことがないって?」

「麻知の弁当の方が好きだよ。」

「課長!奥さんより私のお弁当の方が美味しいって言ってくれたじゃないですか!」

「へぇ...」

 

弁解の途中に水萌くんから爆弾発言が飛んできた。私の記憶ではそんなことを言った憶えはないぞ。しかし、麻知の顔はだんだんと険しくなっていくのが分かった。

 

「あなた、今の話本当?もっと練習しなくちゃね。フフ...ふふふふふ」

「ちが、そんなこと言った覚えはないから!今でも十分美味しいから」

「そうよね?だって『高校生の頃から』お弁当作ってあげてるものね。あなたの味の好みは熟知しているし、昨日一昨日から作り始めたお弁当より美味しくない訳ないわよね?」

 

麻知は高校生の頃から、を強調して滉一の言葉にうんうんと頷いた。

 

「でもぉそんなに一緒にいるのに、若い女性社員に嫉妬して昼飯を作らないなんて大人気ないことするんですねぇ」

「夫婦の間に割り込むのはどうかと思うけれど」

「こちらこそ上司と部下の関係に割り込むのはどうかと思いますけどね」

「.....」

「.....」

 

再び膠着状態に入る。お腹が痛くなってきた。それは脇腹をつねられて痛いのとは別の痛さである。勿論脇腹も鋭い痛みを伴っているが。

 

「ま、ち、ちゃ、ん〜」

 

視界の外から何かが急に現れ麻知に抱きつく。どこの酔っ払いだと思ったら野口の奥さんだった。

 

「どうしたの?そんな怖い顔して〜かわいい顔が台無しだよ〜」

「と、透ちゃん。」

急に現れた透に水萌は唖然とする。しかし、透の出現により場が少し和んだ気がする。ありがとう...

 

「麻知ちゃん、この子は〜?」

「滉一の部下の水萌さん」

「へぇ。こんばんは〜繊維1課課長野口宏人の妻の透で〜す」

 

酔っ払いに絡まれた時(実際そうだが)みたいに「そうなんですね。繊維2課の水萌晴江です」と言葉を返した。

 

「この子?宏人がお弁当食べたっていうのは〜」

「透ちゃん、野口さんが食べてたのは私のよ」

「あっ、そっか〜でもでもぉそのせいで私がお弁当作ってもぉ『え、うん。おいしかったよ』って絶対麻知ちゃんのお弁当のが美味しかったんだ...う゛ぇぇぇん」

 

笑っていたかと思えば急に泣き始めた情緒不安定な人だな。麻知が「そんなことないよ」と慰めつつ「この子が野口さんに私のお弁当食べさせたのよ」と告げ口をした。間違っていないが、それじゃあ水萌くんが悪いみたいじゃないか。透は「そうなんだ。それはいいんだけど」と前置きをして

 

「あのね〜麻知ちゃんは〜滉一さんのこと大大だ〜い好きなんだからっ小学生の時いじめっ子を代わりに殴ってくれてから一目惚れしたんだって麻知ちゃん。今時こんなうぶな子いないよ!ほんと麻知ちゃんは可愛いなぁ」

「やめてよ..//透ちゃん滉一の前で、恥ずかしい...」

 

女性社員に絡むセクハラ親父みたいに麻知に再び抱きつく野口の奥さんを見かねたのか保護者がやってきた。

 

「透。人様に迷惑をかけない。済まないうちの妻が...君は水萌くんと言ったかな」

「あ、はい。野口課長こんばんは」

「あー。若い女の子に色目使ってる〜部長、この課長セクハラで〜す」

「分かった分かったからあっちに行くぞ」

 

野口は麻知から透を引き剥がし隅の席へと下がっていった。

 

「騒がしくしてしまったね。それじゃ応援してるよ。」

「あ、課長。待ってください」

水萌は山城の顔に近づき

 

「今でも課長のこと好きですよ えへっ」

と耳打ちした。その様子を麻知はしっかり見ていた。まだ不機嫌であった方がマシというか無表情だったことが怖かった。

 

私は最後に野口の元へ駆け寄った。麻知は隅にいる透の介抱に向かったようだった。野口を探すと繊維1課の集まりとは少し離れたところに座っていた。私は隣に座る。

 

「よぉ」

「山城か。ついに主役が登場したか」

「最後に盃を交わすなら野口だと思ってな。」

 

野口がコップを空けると、私は手に持っていたビール瓶を傾ける。「それ山城も」と今度は野口がビール瓶を取り、私に差し出してきた。私は一気に飲み込み、野口に再び返盃を受け不安を吐露する。

 

「私は..未だによく分からないんだ。なんでこんな時期に地方へ出向させられたのか」

「それは新素材の開発で」

「そうだと分かってるんだが、それでも...一生甲辰商事(うち)に戻って来れなくなるんじゃないかと。新素材ができたからと言って戻れる確証だってない訳だし」

「....」

「出向先でも仕事に手を抜くことはしない。だが、私の仕事ぶりが認められなかったんだろうか。」

「...山城だからこそ新素材が作れると社長は考えたんだろう。それに本当に島流しだったらそんな面倒くさい理由をつけると思うか?俺が聞いたうちでは部長も出向には反対気味だったらしいし、他派閥が潰しに掛かった訳でもなさそうだ。塩葉派も今や見る影がないじゃないか」

「...確かに」

 

私の出向人事と同時期に塩葉専務が甲辰商事を去り、塩葉専務についていた社員は今や重要ポストから外されている。残酷にも思えるだろうが商社の派閥闘争というのは結局は賭け事に近いのだ。常に勝ち馬に乗らなければ自滅しか待たない。

 

「そんなわけだ。ちょっとしたバカンスと思って福井へ遊びに行けばいい」

「遊びに行くわけじゃないんだぞ。月詠物産に勝つ秘密兵器をだな..」

「山城が次の仕事に誇りを感じてるならなんら問題ないじゃないか。別に本社だろうがそうじゃなかろうが。それに麻知さんならブラジルでもパプアニューギニアでも付いていきそうだけどな」

 

野口は視線を麻知に配る。麻知は食べ物をつまみながら、透と何か話していた。先程の凍りついた表情とは違い笑顔を見せていた。

確かに麻知なら私が単身赴任すると言ってもきかないだろう。

 

「山城はいい奥さんを持ったな」

「そんなこと言ったら奥さんに怒られるぞ」

「透の方がもっといい女だ」

「何を、麻知の方がいい女だろう。」

「ふっ、俺たちいい奥さんを持てたってことだな」

「ああ」

 

山城たちは友情を確かめ合い、送別会は静かに終わった。




閲覧ありがとうございました。
私も今年で卒業ですが、この状況なので追い出しコンパがあるのかどうか...最後にタダ酒飲みたいものですが
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