花の園でパン・ド・ミを   作:たんぽほ°

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男の語る、男の過去
書き方が安定していないのは仕様です







もう一つの世界線
星になりゆく日々


 

 

 

 

 

 完璧な絶望など存在しない。

 はて、一体誰の言葉だっただろうか?

 

 光にも似た、目眩く過ぎ去る時の流れに置いていかれた子供のままの心は、泣く事を知らなかった過去に揉まれ摩耗しきり、遠い昔のことは途切れ途切れのピースとなって、まともに思い出すことはできない。

 いずれの絶望にも希望はあり、平等に照らされていると、かの主は言った。

 しかし、それでもやはり人に見ることのできる領域は限られたものだから。草食動物のように外的から守るように瞳は横に付いていないし、狐や猫のように闇の中の小さな光を鋭敏に捉えることはできない。

 だからその領域は、視野とも言えるし、光彩ともそしてそれ以外の物でも言えるのかもしれない。その定義はどうしようもなく不確定で曖昧で、液体のように掴み難い。

 人は痛みに耐えることはできても、その一切を無くすことはならない。

 頑丈な悲しみに対峙した人は、目隠しをしたようにその瞳に映るのは深い深い闇ばかりだ。

 

 

 

 

 

 

 

「どうして僕にはお父さんとお母さんが居ないんだろう。

 僕も『頑張ったね』って『おはよう、おやすみ』って言って欲しいのに。

 いつも一人でご飯を食べて、寝て、起きるなんて寂しいよ」

 

 

 

 

 

 

 

 逃避行に必要な手段も代償も持ち合わせてはいなかった。夢中で在るものに縋って、無い物ねだりをして、他人を羨んだ。

 おかげで他人を、自身を何度となく欺き、誤解し、また同時に多くのものを失った。

 様々な人がやってきて何も持たない自分に語りかけた。だけど何も持っていなかったから。何も返せなかったから。まるで怪物から隠れるように音を立てず人の上を通り過ぎ、そして二度と戻らなかった。

 鉤括弧の中には何も存在などしなかった。括弧の中にはたくさんの文字があったとしても。

 

 

 

 

 

 

 

「喉が枯れちゃった。

 一言も喋っちゃいないのにな。

 お父さん、お母さん、僕もっと喋りたいよ。

 だけど喋れないんだ。

 喋りかけてもらうと、いつも目の前の人がよくわからない記号に見えるんだよ。

 黒くて、大きくて、すごく怖いんだ。

 だから逃げちゃう。

 みんなには僕のこと、どう見えてるのかな?」

 

 

 

 

 

 

 

 教師と生徒達には何か隠し事があるようだった。

 外界と孤立した子供。子供の周りには常に重い雰囲気が漂う。新任教師の彼女は他との調和に厳しく、そのため、周りの生徒達と上手く交わることのできない子供を認識しようとしなかった。いわゆる「隠せる」人だった。

 無垢な子供と教師にはどちらの方が強かったかは明白だった。それは甘い甘い誘惑で危険なもの。子供の周りは亡霊に囲まれていた。子供は蝕まれているようだった。子供、生徒達、新任教師、亡霊、と四つ巴になっていく。気の毒な教師は、実は既に侵されていたのだろう。

 亡霊の子供が微笑む…責め苦を分かち合おうよ。黒衣、悲しみ顔、闇の姿で。彼女の記憶は強い。生徒達も代弁する。あいつはオカシイんだ。だけど、僕達は先生に忠誠を誓うよ。

 子供は閉ざす。殺されても絶対口を割らない。子供は対話する、全ての分身と。そう、全ての分身が消えた時、真人間になれる。

 

 

 

 

 

 

 

「お父さん、お母さん、僕おじいちゃんにお店を手伝わせてって言ったんだ。

 だけどダメだって。高校を卒業するまではダメだって言ったんだ。

 一人であんなに働いて。いつかおじいちゃん壊れちゃうよ。

 僕にはおじいちゃんしか居ないのに。

 おじいちゃんが居なくなったら、僕は誰と喋ったらいいの?」

 

 

 

 

 

 

 

 そうして時が経ち、そこでの暮らしが始まっていた。

 色は帰らなかった。

 完全に取り乱した。彼がいないことに気づくと奇妙な予感にとらわれて、未踏のパンの工房を覗きに行った。そうして彼が、身の回りの大切なものをすべて遠い離れた世界に仕舞い込んでしまったことを知った。

 あとには、自分の拒絶した物、望まなかった物たちばかりががらんと取り残されて、霊安室のような薄気味悪さを漂わせていた。むきだしの床、机いっぱいに付着した粉々、まだ熱の残った竃、あまり好きではなくほとんど手を触れることもなかったいくつもの道具。置き去りにされた物たちでさえ、彼が何者であるかを物語っていた。自分は、そうした残骸の中に立ち、初めて声を上げて泣いた。

 その時から、人と対峙した時に現れる怪物は消えていた。

 

 

 

 

 

 

 

「(お前には生きる価値があるのか?)

 わからない。わからない。

 

 誰か教えてくれるのか?

(わからない。)(わからない。)」

 

 

 

 

 

 

 

 それまで俺が心を寄せてきた場所も経験も人も、俺のやすらぎも、すべては彼が持っていってしまった。

 俺はそれらのひとつひとつを分類して並べることができたし、それらの中にある秩序や一貫性や所属といった概念を、つかむこともできた。俺自身の中に、そうしたものが欠けていたにもかかわらず。

 それらの物を見つめていると、俺には、ひとつひとつが隣の物に対してどのような役割を担っているかがよくわかった。人との関係では、決してわからないというのに。

 まだそれらの物たちは、物の体系の中で、どれも揺るぎない自分だけの場所を持っていた。俺自身とは、対照的に。

 

 

 

 

 

 

 

「今日も疲れた。

 どうせ明日も疲れるのだから。

 もう眠ろう。

 そして明日こそは寝覚めないことを願って」

 

 

 

 

 

 

 

 ステップを進めて、出会った先生は社会学者ではなかったが、彼女の考えは社会学の考えとよく似ているようだった。一生懸命に授業を聞き、先生が話すことを一言ももらさず理解し、学ぼうと努力した。

 ちょうどこの頃、自分はセラピーを通して、自分でも家族や教育や階層などについて考え始めたところだった。また普通のヒトになるために、セラピー自体をひとつのシステムとして分析し、理解しようとしていたところでもあった。自分の考えていた問題は、社会階層、教育、家族といった概念を使うとすべてすっきりと説明することができるようだった。

 中でも社会階層という概念は、自分が抱いている「彼ら」と「自分たち」という感覚を、最も的確に、客観的に説明するものとなった。

 部分的にはすでに彼女がこの考えを教えてくれており、自分がなぜ「世の中」からははみ出しているように感じるのか、とても納得のいく、だが少々主観的な説明をしてくれていた。

 今まで自分は「僕の世界」と「世の中」の対立が本当は何を意味するのか、その秘密を自分自身で解き明かそうとすることさえ、無意識のうちに恐れていたのだ。だがこの社会学の勉強を通してなら、自分の葛藤とは何なのかと、考えることができるようになった。

 そうして自分の状況と似ていて、しかも現実とは切り離されているケースを分析する機会にいつも飛びついた。

 それらはすべて彼女の求める欲求。新鮮な身体、幼気な心を壊すことが目的とは知らずに。

 

 

 

 

 

 

 

「父さん、おじいちゃん。

 自分の居場所と呼べるところをずっと探しているのに、俺には見つからないよ。

 少しずつ、自分を見失って、鏡の中のこっちを見つめてる顔を眺めてもわからない。

『わからない。僕って誰?』」

 

 

 

 

 

 

 

 俺の前に黒い箱がやって来た。

 俺はしばらくの間、それらを飽かずに眺めた。そうしてそのまま再び蓋を閉めた。

 俺はそれらのうちのどれひとつとして、部屋に出しはしなかった。これ見よがしにしようとしたり、それらひとつひとつの意味を説明しようとしたりもしなかった。

──それこそが俺のことばだったのだが。

 俺は自分の肉体の中に生きているというよりも、むしろさまざまな記憶が詰まっているそれらの物の中にこそ生きていた。

 だからそれらを、壊れないよう、汚れないよう、きれいにしまっておけば、俺がまた自分自身に、自分の感覚に、出会いたくなった時に、いつでも手に取り、本当の自分に戻ることができるような気がした。

 俺はどのようなことであれ、ことばにして口に出してしまうのが怖かったから、直接ものを表現するということができなかった。

 そのため人とコミュニケーションするには、心のカラクリを利用して仮面の自分を演じなければならず、結局俺はその仮面の自分として、判断されたり評価されたりするようになった。

 

 

 

 

 

 

 

「あの人の隣なら……」

 

 

 

 

 

 

 

 だがそれは、自分の本当の姿とは、まったく逆なものばかりだった。

 人が表面的だと言う時、自分はそれを深く体験していた。人が優秀だと言う時、自分は個人的な意義を何も感じずにただぺらぺらと話していた。人が自分を、彼らの目と耳で判断しようとしている時、自分は自分の空虚な殻を打ち破ることができないまま、本当の自分という人間を感じ取ってもらいたくて、殻の内側から絶叫していた。自分は、彼らの目をふさぎ、耳を押さえてしまいたかった。そうして自分自身を、感じて欲しかった。

 人は皆たいてい、自分自身の不安とエゴとわがままとで、目が見えなくなっているのだと思う。

 けれど「正常である」という枠組みの中で、それがどれほど一面的なことかも知らずに自己満足し、そうした本当の自分自身の姿に、気づかずにいる。

 だがそんな中でも、人とは違っている自分を理解しようとすることで、何か学ぶものがあるのではないかと考えさせてくれる人に出会った。

 彼女から自分が自分の情熱と豊かさのすべてを注ぎ込んで作った音楽のように、自分が一人で成し遂げたものに触れて、そこから、勇気というものを感じ取ってゆくことができた。

 

 

 

 

 

 

 

「彼女の髪に指を走らせ、その感触を楽しむとヘアブラシで緩やかに、単調な繰り返しのメロディーを口ずさむように、解いていく。

 彼女は『随分上手いのね』と言った。

 僕は『練習したんだ。君の為に』と言うと『ならいいわ』と上機嫌に彼女は言った。

 

 かすかな、けれど確かなリズムが流れ始めるのを聴いた」

 

 

 

 

 

 

 







匿名設定を外して、私がこの場では言えなかった事を書いています。
よければ覗いてみてください。






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