花の園でパン・ド・ミを   作:たんぽほ°

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飲めば都?

 

 

 

「それなら僕がいいお店を知っていますよ」と言った彼に連れられ、私たちはバーに向かった。

 そのバーは、コンビニから数分歩いた草臥れたイタリアンのある道向こうに、ちんまりと店をひらいていた。建物は悲しい緑色の羽目板張りで、ファミレスのようにあかるい投光照明付きの小さな駐車場があった。

 外観はみすぼらしいなりに独特の雰囲気がある。

 

 投光照明の光の輪からはずれると、東京の夜空にしては、星が綺麗に見えた。

 星をちりばめた夜空が頭上で扇のように広がっていた。

 

 彼に促され中に入ってみると、饐えたビール、安物の香水、ハンバーグを焼く匂いがした。

 

 外観から見てあまり期待はしていなかったが、まあ、だろうな。と思える、そこそこのバーだった。

 

 グレーのTシャツを着て、口に髭をたくわえた穏やかそうな店長であるだろうバーテンダーが注文をきいた。

 

 シーバスの水割りをトール・グラスで頼む。

 彼はスコッチを頼んだ。甘い味のする酒だ。スコッチは飲みすぎるとそんな味がするのだ。

 ふと気がつくと、カウンターの隣に座った彼がじっとこちらを見つめていた。

 

「どうかした?」

「いいえ、ただどうしてこうなったのかな、と」

 

 ふむと私も考えてみる。なぜこうなったんだろう。

 さして、問題のないどうでもいいことだ。そう結論付けて彼に告げる。

 

「私もあなたも暇だった。それだけで今はいいんじゃないかしら?」

 

 そう私が言うと彼も顎に手を置いて少し考えた後言った。

 

「そうですね。僕もあなたも偶然あのコンビニで出会って、偶然同じバーに入った。ただそれだけのことですね」

「そうね」と私は肘をついて上体を前にかたむけ言った。

 

「やあ」

 

 彼が私の肩を叩き、私はスツールをくるりと回転させると、突然礼儀正しい笑顔をみせて挨拶をした。どういうことだと少々悩んだが、彼の試みに頭を数巡させて気がついた。

 

「あらまあ、ってとこかしら。世の中って狭いものね」

「そう?」

 

 彼は微笑をたやさずに言葉を返す。

 

「さっきコンビニで会って、またバーでも会うなんて」

「そうですね。これもまた何かの縁なんでしょう。どうですか美しいレディー、僕と一杯」

 

 そうきざったらしく彼はグラスを掲げた。

 

「いいわよ」と私は彼のグラスにグラスを合わせ、控えめにチンと鳴らすと、どちらからということもなく二人は笑いあった。

 

「ふふふ、おかしいわ」

「ほんとうに」

 

 大きく息を吸って、吐いて、笑い終えると目の前のグラスが空になっていたことに気づいた。

 隣を見ると、彼のグラスにはまだ半分ほどスコッチが残っていた。

 

「あまりお酒は飲まれないの?」

「はい。昔から弱くて…飲みすぎるとつぶれてしまうので」

 

 もったいなわねとこぼして彼を見ると既に彼は耳まで赤くしていた。

 

「ウォッカ・トニックをお願いします」

 

 私はバーテンダーに声をかけて、一人分の酒を注文した。

 

「言っちゃ悪いけど、どうしてこんなしけた所に来たの?ここはあなたが来るような店ではないと思うわ。あなたはどうみても、綺麗で、もっと静かなバーで飲んでるタイプだもの」

「へえ…そう見えますか?」

「ええ。それに美人を侍らせて飲みにきている感じ」

「だったらそれは正解ですね」

 

 彼が私を見つめながらさらりと言った。

 顔が熱い…なんでこんな事を平気な顔で言えるのか。

 彼は目を細めて、私に向けて微笑んでいる。酔ってほんのり赤付いた頬と彼の右目の下にある泣き黒子と相まって、今の彼はとてもセクシャリティに溢れていた。

 

「そういう意味じゃないわよ…」

「そういう意味って?」

 

 彼はカウンターに肘を置き、手を頭の側面に支えのようにして私を眺めている。

 

「も、もういいのよ、それより私の問いに答えて」

「邂逅の妙さ」

「もう少し分かりやすい言い方で言ってもらえるかしら?」

「幸運な巡り合わせという意味だよ」

「へえ、なんで幸運なの?」

 

 私は言葉尻をとらえた。

 

「そりゃあ、こんな美人と飲めるなんて男だったら誰だって嬉しいものさ。それに僕は、なんとなくあなたはこっちの方がいいと思ったんですよ」

「あなたはまたそうやって…!あと、それは私にはこんな廃れたバーが似合ってるとでも言いたいのかしら」

「ええ、美人はどこでだって映えますから」

 

 すみませんと一言断りを入れた彼はスルーツから腰を上げ、手洗いに向かっていった。

 

 

 クソッ、やられた!そう心中で毒突くと、ウォッカ・トニックを飲み干した。

 バーテンダーにビールを頼むと、すぐに気泡が雑に入れられたビールが目の前に置かれた。

 この川島瑞樹がナメられたままでいられるか?いいや、違う。この際やけだ。あんのガキ…大人の魅力でとっちめてやる…!

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 危なかった…さすがに今のはヤバかった!不覚にも、気恥ずかしそうに顔を紅くする彼女に見惚れてしまいそうだった。

 

 俺はトイレの洗面の鏡の前に立つと、蛇口から流れでる水を顔にかける。

 

 どうしてあんな綺麗なんだ…

 一目でわかった。彼女はかの有名な川島瑞樹だ。どうしてあんな有名人が俺なんかに話しかけて飲みを誘う?意味がわからない。

 

 冷静に、平静に、女に油断した姿を見せるな。男は度胸だ。例え彼女の髪が艶に富み、顔はまるでお人形のようで、彼女のタイトなスカートが魅せる彼女の臀部がいかに魅力的であっても。このまま俺のまま、彼女と別れる。それ以上なんてない。()()()()()()()()

 酒が回った頭に言い聞かせて、一度屈んで落ち着かせた後、よっこらしょと立ち上がった。

 

 手洗いを出て、彼女の元に戻る。そこで俺が見たものは手洗いに行く前には到底想像つかなかったであろう彼女の姿だった。

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 彼が帰ってきた。男のくせに長いやつだ。彼が戻ってくる間に、私は既にビールを二杯とシーバスリーガルを一杯胃に流し込んでいる。

 思考が少しまとまらないが、これくらいなら大丈夫だ。

 戻ってきた彼に私は努めて、妖艶に話しかけた。

 

「もう隣に座ってくれないの?」

「い、いえ。というか、かなり飲まれました?」

「あら、こんなに酒を煽る女はあなたのお眼鏡に叶わなかったかしら?」

「いや、そういうわけじゃ…!」

 

 くくく、面食らってるわね。正確に聞いたわけではないが、彼はおそらく私より三つ、四つもしくはそれ以上年下だろう。このままもう少しこの生意気な坊やをからかって気持ちよく家路につこう。

 

「質問してもいいかしら?」

「どうぞ」

 

 すぐに落ち着きを取り戻してしまった彼に尋ねる。

 

「あなた名前はなんて言うの?」

「ケイ」

 

 と、単調に一言、彼は言った。

 

「ケイだけ?」

「そう、ただのケイさ」

「苗字はないのかしら?」

「いいや?もちろんあるよ」

「機密扱いってわけね」

「そのとおり。さすがアナウンサー、わかりがはやい」

 

 シーバスリーガルのお代わりが私の前にあらわれる。

 

「…知ってたの?」

 

 眉をひそめて彼をじろりと睨む。それでも彼はさながら朱赤のマントを翻す闘牛士のように、私の攻撃をかわす。

 

「もちろん。テレビを観る日本人なら誰でも知ってるよ」

「ふふっ、相変わらずあなたは人を煽てるのがお上手ね」

 

 自然と笑みがこぼれる。彼と話していると、自分がまるで未開の地に足を踏み入れたような、そんな冒険心をくすぐられる。

 もっと彼のことが知りたい。私はそう思った。

 

 

 

 

 それから彼とは特にとりとめもない会話を交わした。私が話して、彼が相づちを打ち、時に彼が質問を入れ、私が回答する。その逆も然りだった。

 

 彼との会話を肴に私はどんどん酒を飲み続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「川島さん?大丈夫ですか?ほらお水、一口飲みましょう」

 

 飲み過ぎた…私は馬鹿か。調子に乗って飲み進めた結果がどうだ。歳下の男性に介護されてしまっている。本当に自分に嫌気がさす。

 

「川島さん、歩けそう…ではないですね。心配しないでください。止めなかった僕も悪いので、自虐的になるのはダメですよ」

 

 彼の優しさが痛い。なぜか無性に彼に甘えたくなるこの心はどうなっている?こんな事は産まれてこのかた経験したことがなかった。

 

「とりあえずタクシーで家の前まで送るので」

「本当にごめんなさい…」

「いいんですよ。困った時は助け合うのが人間ですから」

 

 ああ、なんて情けない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局酔いつぶれた私は、彼にタクシーに乗せてもらい、私が住む都内のマンションの前まで送ってもらった。

 

「ここからはもう自分で帰れますね?」

「ええ、ごめんなさい。お酒とタクシーの代金まで払ってもらっちゃって…この借りは絶対返すから…」

「いやいや、結構ですよ」

 

 彼はこの期に及んで、私に奢ることで折り合いをつけようとしている。それは私の中では許されないことであった。

 

「いいえダメよ。これ、私のメールアドレスだから。今日でも明日でもいいから連絡してちょうだい。必ずよ」

「いや…だから」

「必ずよ」

「はい、連絡します…」

「よろしい。今夜はほんとうにありがとう。何から何まで迷惑かけちゃったわね…」

「大丈夫ですよ。

 川島さんは…いえ、今度メールをします。それではおやすみなさい」

「?…ええ。おやすみなさい」

 

 手を振る彼に手を振り返して、エレベーターで自分の家の階まで上がっていく。

 

 これからメイクを落として、シャワーは…明日浴びよう…着替えて、最低でも肌のケアだけはしなくては。

 

「あー、気持ち悪い…」

 

 時は既に午前一時を優に過ぎていた。ドアノブに鍵を差し込んでひねる。思いがけない濃い一日を過ごした私は、千鳥足になる脚に喝を入れ、誰もいない我が家に帰った。

 

 玄関でハイヒールを脱ぐ、そこで先刻彼が言い淀んだ言葉の続きを考えた。

 

 

 ねえ、私はあの時いきなり驚かせてくれるんじゃないかって、本気でそんな感じがしたのだけど、違った?ケイ君?

 

 

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