「紗夜、悪いけど、日菜起こしてきてくれる?」
まったく、どうしていつも私がこんな役回りを……。とは思いつつも、紗夜は律儀に日菜の部屋のドアをノックする。双子の姉妹とはいえ、これくらいのマナーは当然守るべきだと彼女は考えているのだ。
「日菜、起きなさい」
しかし、返事はない。もう一度ノックをしてみても、中から反応が返ってこない。
もしや熟睡していて気づいていないのかもしれない。そう思った紗夜は、仕方なく妹の部屋へ足を踏み入れた。
すると案の定、彼女はまだベッドの中で目を閉じている。だがその表情は、なんだか苦しげでもあった。
何か悪い夢でも見ているのかもしれない。そう思ったら、すぐさまカーテンを開け放ち、掛布団を捲って彼女の身体を揺すっていた。
「日菜! いつまで寝てるの!」
「あ……おねーちゃん……」
紗夜は日菜の双子の姉だ。彼女がいつもと違うことは、紗夜にとっては一目瞭然だった。ただ寝ぼけているわけじゃない。何かがおかしかった。
「日菜……?」
「なんかー……身体がだるくて……けほっ、けほっ」
「横になっていなさい。すぐにマスクを体温計を取ってくるわ」
至って冷静に対応してはいるが、紗夜は内心、焦りと困惑を抱えていた。
(あの、いつも元気な日菜が、風邪……? 私はあの子に、何ができるというの?)
「……熱は? いくつだったの?」
「んー……三十八度五分だって」
少しぐったりとした様子で、日菜は体温計を紗夜に差し出してくる。それを受け取った紗夜は、水と風邪薬を彼女に差し出した。
「今日は学校は休んで、薬を飲んで安静にしていなさい。そうすればすぐに良くなるわ」
「ありがと、おねーちゃん。あ、でも……」
「何よ?」
「今日、パスパレの練習あるんだよね……」
そんなもの、と紗夜は思わず呆れたようにため息をついてしまう。
「今は体調を治すことが優先でしょ?」
「音合わせする予定だったから、あたしいないと練習になんないんだよ……。どうしよう……」
(日菜……。珍しいわね。あなたがそんなに熱中するなんて)
「あ、そうだ! おねーちゃん、あたしの代わりに出てくれない?」
「え?!」
紗夜は、日菜の唐突なお願いにさらに困惑してしまう。
「おねーちゃん上手だし、あたしの代わりになるよ! お願い! おねーちゃん!」
普段の紗夜なら、こんなお願いは聞き入れなかったはず。ロゼリアで頂点を目指すと心に決めたあの日から、寄り道せずに進もうと固く決めたはず。
しかし、日菜の珍しく弱っている姿を見たからだろうか、今の紗夜はその申し出をすんなりと受けることができた。
「……はぁ、わかったわ。で、その曲のスコアは?」
「ありがとー! おねーちゃん! うーんと、その辺にあったはず……」
一度見た譜面はすぐに覚えてしまうためか、相変わらず自分もスコアの在り処を正確に把握していないらしい。
「これかしら?」
「あ、そう! それ!」
「それじゃあ私は学校に行くから、あなたはちゃんと休みなさい。いいわね?」
「はーい」
(本当にわかってるのかしら……)
ほんのり火照った笑顔を見届けながら、紗夜は鞄にスコアを入れて、学校へと急いだ。
紗夜は授業を受けつつ、譜面に目を通していく。
(風紀委員の私が、どうしてこんなことを……)
しかし、これも日菜のため。仕方のないこと。そう言い聞かせて、授業半分、譜面半分に頭を使いながら、あっという間に昼休みになってしまった。
「あ、の……氷川さん……」
か細い声に顔を上げてみると、同じクラスで同じロゼリアでも活動している白金燐子だった。
「白金さん。どうしました?」
「いえ……その……何か、あったんですか……?」
何か、というのは、普段なら真面目に授業を受けている紗夜が、今日はいつもと違ったからだろう。
「いえ、大したことではありません。すみません、風紀委員である私が風紀を乱してしまって……」
「そんな……。でも、何もないなら……よかったです」
(白金さん……優しいのね)
そんな燐子の安堵した表情を見て、紗夜はあることを思い出したのだった。
「白金さん、私、今日は急用ができてしまって、練習に参加できないんです。すみませんが、皆さんに伝えておいてもらえますか?」
「え……あ、はい……わかりました」
私用で急な欠席など、友希那はよく思わないかもしれない。だが、そんなことは気にならないほど、紗夜の気持ちは日菜に向いていた。今は彼女が、日菜の力になってやれるのだから。
放課後になり、パスパレのメンバーは事務所のレッスンスタジオに集まっていた。
「今日はヒナさん、お休みなんですね……。ヒナさんがいないと、なんだか寂しいです!」
「うん……。風邪引いちゃったんだって」
「いつも元気な日菜さんが風邪なんて、珍しいですね」
どことなく気分の落ち込んでいる三人に、千聖は日菜のメールに書かれていたあることについて尋ねた。
「今日は音合わせの日だから、ギターがいないと困るだろうって、代わりを呼んでくれたらしいのだけど、みんなは何か聞いているかしら」
「ううん。私は何も聞いてないよ。日菜ちゃんの代わりの人って、どんな人なんだろう」
うんうんと唸る彩を余所に、千聖にはその人物の見当がついているようだった。
(恐らくはあの人でしょうけど、上手くやっていけるかしらね)
そんな時、スタジオの扉が開き、そこには似つかわしくない真面目そうな少女が入ってきた。
「遅くなってすみません」
その姿を見るなり、三人は一様に驚きを露わにするが、千聖だけは、予想通りと言ったような余裕を崩さなかった。
「紗夜ちゃん!?」
「日菜さんの、お姉さん!?」
「日菜の姉の、氷川紗夜です。いつも妹がご迷惑をかけてしまってすみません」
紗夜のあいさつを皮切りに、パスパレのメンバーも自己紹介を始め、ようやく練習が始まった。