クラリッサ・ハルフォーフについて思い出してみよう。
クラリッサを見たのは、私が第二回モンド・グロッソの会場であるドイツだ。決勝戦が行われるのを待っている時に、ドイツ軍がやってきて美生と弟が攫われたと言ってきた。そこで、コーチの制止を振り切ってついていった先にクラリッサがいた。その時は別に気にも留めていなかった。
次に出会ったのは救出した美生と弟に外傷がないかを調べるために入院している時だった。一週間にも満たない短い期間だというのに、クラリッサは間隔を開けずに見舞いにきていたのをよく覚えている。正直な事を言うと鬱陶しかった。何故だかとても鬱陶しかった。
あまり恋だ愛だに詳しくないないが、クラリッサが美生に好意を寄せているのは理解できた。ただ、その好意がどれほどのものかは判断できない。
ここまで考えてなんだが、私は別にクラリッサという存在の出現に危機感を抱いてはいない。美生がクラリッサのことを全く覚えていなかったのが原因かもしれない。もしかしたら、私の危機察知能力が常人を遥かに下回る性能だからかもしれない。
「美生先生。次の授業に必要なプリントはこれで全部でしょうか?」
「そうですよ」
「美生先生。コーヒーでもいかがですか?」
「けっこうですよ」
「美生先生。良かったら校舎を案内してもらえないでしょうか?」
「男子厳禁の場所もあるので山田先生に頼んでおきますね」
見ていると大変だなぁ、と思ってしまうような光景が広がっている。美生の隣にピッタリとくっついて、あれやこれやと言葉を投げかけては淡々と返されているクラリッサ。ちなみにデスクの位置は左からクラリッサ、美生、私、真耶だ。見事に一年一組担当で固められている。作為的なものを感じないでもない。
「あ、あのー……織斑先生」
次の授業の準備をしている真耶が不安げな声をあげる。
何をそんなに不安に思っているのだろうかと振り向けば、真耶が肩を跳ね上げて小さく悲鳴をあげる。人の顔を見てその反応をするのはよくないだろう。
「ななな、なんでもないです!」
全然何でもなくない返事だ。絶対に何かあるのだろう。
本当に酒を飲んでいない素の真耶はおっかなびっくりと生きている。緊張しやすいと不便だと、彼女を見ているとたまに思う。
それにしても、こんな色恋に惚けている奴がよくもまぁ教師になれるものだ。人の事は言えないけれど。きっと上層部は適当に採用しているんだろう。ISの腕前がそこそこなら後は誰でもいいか、なんていい加減に働いているに違いない。まぁ、そんな奴らがいてくれたから私も採用されたわけだ。世の中、真面目で誠実だけが全てじゃないのだろう。複雑だ。
「そろそろ時間ですから行きましょう」
そうだな。そういえば、クラス代表を決めないといけないのを忘れていたな。
「ああ、そうですね。クラス代表を決めてませんでしたね」
「クラス代表とは何ですか?」
「ざっくりと言えばリーダーですかね。正確に言うと多少違いはありますが、そんなものとでも考えてもらえれば大丈夫ですよ」
本当にざっくりした説明だけど、まぁ感覚としてはあながち間違いではないことは確かだ。人によっては生贄とも言うらしいが、そこは認識の違いだろう。内申点とか教師からの評価を考えると喉から手が出るほど欲しい椅子であり、自由とか楽を視点に考えると時間の束縛や厄介事の押し付けがあって辟易する椅子だ。
「今度行われるクラス代表戦に出ることになるので、代表候補生や代表候補生になりたい子達には受けの良いものなんですよ」
クラス代表の主な役割は生徒会の開く会議や委員会の出席、クラス内で起こる会議の進行役、教師の雑用などだ。それ以外にクラス対抗戦という学年別で行われるトーナメント戦――生徒達の勉強への熱意を上げる為のイベント――に出ることができる。美生が言うように代表候補生や代表候補生を目指す人間はクラス対抗戦の為だけにクラス代表になる者もいる。
「では一組のクラス代表はイギリスの代表候補生セシリア・オルコットとドイツの代表候補生ラウラ・ボーデヴィッヒですね」
名簿を見る限りそのどちらかだろう。しかし、私の見立てではラウラの方は立候補しないだろう。人目を気にせずあのような発言をするような奴だ。地位とかに興味ないだろう。
ところで、クラリッサはラウラと面識があるのだろうか?
「ハルフォーフ先生はラウラ・ボーデヴィッヒとは知り合いでしょうか?」
私の疑問を読んだ美生がクラリッサに聞くと、彼女は「知ってますよ」と何でもないように答えた。
「だってあの子は私の部下ですから」
部下?
「部下と言うと?」
私と同様に疑問を抱いた美生。
クラリッサはその質問にやれやれと言わんばかりに溜息を吐き出した。
「私がドイツのIS部隊シュヴァルツェア・ハーゼに所属していることはご存知でしょう。私はそこの隊長を務めていて、ラウラは私の部下なんですよ……出来の悪い」
出来の悪い部下が何故代表候補生としてこちらに来ている?
「何と言いますか。織斑一夏の存在が原因でIS学園に入学したのですよ。我が国にはラウラよりも出来の良い者はいますが、織斑一夏と同年代の者がラウラ以外にいないもので。仕方なく送り込んだ次第でして。まぁ、本人も乗り気でしたからね」
「もしかして、ハルフォーフ先生がこちらに来たのはボーデヴィッヒさんと関係が?」
「お目付け役ですよ。残念なことにラウラは性格も一般知識も問題があるので。指令を聞いた時は左遷かと思いましたよ」
事実左遷じゃないか。そう思ったが言うべきではないだろうと美生に視線を向ければ、彼も言わない方が良いと理解しているようで小さく頷いてくれた。
「え、えぇっと、それってさせ――」
「さて、皆さん。時間も時間ですので行きましょうか」
空気を読まずに真実を言おうとした真耶の言葉を、美生が遮って立ち上がった。
と、言う訳で授業を始める前に、クラス代表を決めたいと思う。
「なので、クラス代表に立候補したい方は挙手をお願いします」
美生がそういうと教室が静まり返った。誰も目を合わせようとしない。明らかに誰もクラス代表になりたくないと思っていることが分かる。別に目が合ったからといって任命する訳じゃないというのに。
代表候補生であるセシリアが手を挙げていなかったことが以外だった。
「誰もいませんね」
プレッシャーを与えているのか何なのか知らないが、美生が首を傾げながら呟く。数人がビクッと反応した。
それにしても本当に誰もいない。積極性の欠如は問題である。
「ラウラ。やりなさい」
クラリッサがラウラの指名するが、指名された本人は真っ直ぐクラリッサを見つめ返して、
「断る」
何も言葉を濁さずに言い切った。
「敬語使いなさい。上官なんだから」
「私の所属はIS学園一年一組だ。ドイツ軍所属のクラリッサに命令される覚えはない」
「私はIS学園の先生としてここに居るのよ。それに日本では目上の者に敬語を使うものなの」
「そうなのですか、クラリッサ先生」
「……順応早いわね」
うん。本当に誰も手を挙げないな。弟は真っ直ぐに私を見てくるが、手を挙げる気配は全く見せない。窓側の席にいる箒を見ても、空の青さに目を奪われて教室に目を向けようとしない。
ふむ。どうしたものか。教師が勝手に決めるのは問題である。かと言ってこのまま膠着状態でいるのは時間的に良くない。
ならば生徒達に決めさせよう。恨みつらみが出てしまうかもしれないが、そんなものどこの世界もそんなものは沢山転がっているのだから問題ない。
「自薦他薦は問いません」
美生の言葉を聞いた瞬間、生徒達の瞳が輝いたように見える。
「はい! 織斑くんが良いと思います」
誰かが生贄を捧げる。すると、ほぼ全員がここぞとばかりに手を挙げて「私も」と騒ぎ始めたので、私は黒板に『織斑一夏』と書いて、その下に『いっぱい』と書いておいた。
「あのー、お、織斑先生。それは幾らなんでも雑じゃないでしょうか?」
「ちょっと待ってくれ、千冬姉。いっぱいは良くない。まだ希望があるはずなんだ」
「えぇ……さすがに希望はないと思いますよ」
弟よ。私と真耶が確認したのだがな、手を挙げてなかったのはわずか三人だった。今からそれを覆すほどの票を集める人物が出てくることは真耶が言うように普通はない。諦めて拝命しろ。
「じゃあ決定ですね。織斑くんが身を投げることが決定しました」
「面倒そうな役だと思っていたのを、さらに面倒そうな言い方をしないでくれ、美生兄!」
「実際面倒ですよ。ただ、君が想像しているよりも面倒なんだよ、ってことを教えただけで」
「最悪だな!」
最悪ではないだろう。むしろ優しいのではないだろうか。
ともかく、クラス代表を決めるだけの時間は終わった。ちょっと遅れてしまっているが授業を始めよう。そう思って黒板の名前を消そうとした時。
「ちょっとお待ちなさい!」
はっきりとした声が教室内に浸透する。自分達が助かったことに喜びを分かち合っていた生徒達が黙って、声の発信源へと顔を向ける。地獄に突き落とされた弟は「救世主!」と急いで背後を振り返っていた。
授業を始めようとした時に立ちふさがるのは誰だ?
「気が変わったので急遽わたくしも立候補いたしますわ」
「わたくしも、って俺は立候補したつもりはないんだけど」
あぁ、一応黒板にセシリア・オルコットと書いておこうか。