――第9話『がんばルビィ』
ルビィちゃんが犬に追われてから早数分、いまだにルビィちゃんは犬に追われていた。
犬から逃げているときのルビィちゃんといったらそれはもう目にもとまらぬ速さで逃げ回っていた。
世界を目指せるんじゃないかな。
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そして逃げ回ってようやくたどり着いたのが、使われなくなってすたれてしまったような廃墟のような場所。
犬は飽きたのか走りつかれたのか分からなかったが、ルビィちゃんとは少し離れたところでドーナツ形に体を丸めてクワっと口を大きく広げてつまらなさそうにしていた。
ルビィちゃんもさすがに走りつかれたのか端のほうで休みながら体育座りをして、顔をうずめながらどよんと悲しそうな雰囲気を醸し出していた。
そんなに犬のこと嫌いにならなくても……。と思ったが僕も子供のころは食卓に並んだ玉ねぎが食べられなくてお母さんに『ちゃんと食べなさい』って言われたから仕方なく泣きながら食べたっけ。
誰にだって嫌いなものはあるから仕方ないよね。食材と生物っていう大きな違いがあるけれど。
玉ねぎが嫌いなところを上げればキリがない。匂い、食感、若干のぬめり、極めつけは辛い。
それに包丁で切っていると含まれている成分の影響で涙が出てくる。ほかに調理しながら涙が出てくる原料なんてないよ……。
っと僕の玉ねぎ嫌いを語っている場合じゃなかった。ルビィちゃんが落ち込んでいるんだ放っておいてはいろんな人に怒られてしまうよ。
「ルビィちゃん、大丈夫?」
僕がそっと手を差し伸べるとルビィちゃんは驚いた顔をしながらも僕の手を取ってくれた。
まさに無意識の反応だったと思う。意識的でも無意識でも僕はルビィちゃんが手を取ってくれたという事実がうれしかった。
ルビィちゃんの手は小さくてかわいくて、まさに女の子にふさわしいという手をしていた。
僕の手も男にしてはそこそこちいさいほうなんだけどそれよりも小さくてすべすべしていて、僕なんかが手を取っていいのかな、なんて卑下してしまうほどだった。
「……きて、くれたんですか」
「うん、ルビィちゃんを放っておくわけにはいかないからね」
「なんで! きてくれたんですか!」
声を荒げてそう言うルビィちゃんは見てわかるように怒っていた。
「ルビィの事なんか放っておけばいいじゃないですか、あんなにひどいこと言ったのに。突き放すようなことしたのに」
「そんなのだって……ルビィちゃん本当はそんなのできる人じゃないでしょ? 最初に会った時から不思議だったんだ。なんでこんなに人がよさそうな子なのにこんなこと言うんだろうって、人は見かけによらないとは言うけどルビィちゃんは絶対例外だと思ってたんだ。それに花丸ちゃんだって善子ちゃんだって言ってたんだ。ルビィちゃんはそんな子じゃないって、それで確信したよ」
そういうとルビィちゃんは恐怖とは別の涙を流した気がした。
いや、気がしたわけじゃない。ルビィちゃんの涙は犬に追われていた時の恐怖の涙から感謝の、うれしさの涙になっていた。
「裕紀さんには隠し事できないみたいですね……」
「そんな、僕が鋭いのはルビィちゃんにだけだよ」
「なんかそれって軽く気持ち悪いですけど、まぁ今は不問にしてあげます」
僕はなんとなくそう話してしまったけど言われてみれば確かに気持ち悪い。優しいルビィちゃんに感謝しよう。
相変わらず自然に毒はくなぁ……。女の子に気持ち悪いなんて初めていわれたよ。
「それでまだ一つ疑問が残っているんだけど、質問してもいいかな?」
「疑問、ですか?」
そういうルビィちゃんは首をかしげて頭の上にはてなを浮かべながら頭の両端についている若干湿っている纏まった髪の毛を揺らしている。
「そう、疑問。なんで男性恐怖症のはずなのに今は普通に喋れてるの? というか僕にであってからそんな素振りは見せてないというか、男性恐怖症であることを感じさせないような素振りだったんだけど……」
『あぁ……』と声を漏らしルビィちゃんはバツが悪そうな顔をする。
言おうか言わないか腕を組みながら頭の中で問答している彼女はまた首を傾げゆらゆらとツインテールを揺らす。
『よし!』と決め込んだ彼女はそのまま口を開いた。
「実はあれウソなんです」
「え? ウソ?」
「はい」
自信満々のルビィちゃん。当の本人が言っているのだから本当なのだろうけど信じられない。
「ウソ?」
「何回聴くんですか、ウソですよ」
それでも信じられなくて何度も聞き返してしまう。淡々と進んでいく話に戸惑いながらも頭の中で情報を整理する。
たしかにルビィちゃんの言う通り男性恐怖症が嘘でなければ、僕が疑問に思っていたことは
それ以外にルビィちゃんが男性恐怖症を名乗ってまで男嫌いを周りに言う必要がないから。
男性恐怖症の割には男の僕ときちんと話していたじゃないか。
でも記憶をたどってみるとルビィちゃんは”男が苦手”といっていたものの本人の口からは”男性恐怖症”という言葉を聞いたことがなかった。
そのことを聞いたのは花丸ちゃん、善子ちゃん、ダイヤさんだった。先入観って怖いなぁ。まぁ男嫌いも男性恐怖症もそんなに変わるものではないと思うけど。
それにルビィちゃんとこうしてしっかり話すのも今思えば初めてだった。
「それで、どうして男の人が嫌いなんて嘘までついて男の人から縁を断とうとしたの? あ……いやなら言わなくてもいいんだけど」
何も気の利いた言葉が思い浮かばなくていきなり核心を突くような質問をしてしまった。
慌てて無理強いはしないようにしたけど本人が言いたくない限り失礼な質問だ。
「大丈夫ですよ、気を使わなくても。裕紀さんには全部話します……。実は黒澤家に関わった男の人はみんな不幸になるっていう言い伝えがあるんです」
「みんな不幸になる言い伝え?」
「はい、黒澤家は昔から漁業で有名な名家でした」
確かにダイヤさんから名家だって聞いたっけ、なんの名家かはこうしてルビィちゃんに教えてもらうまで漁業関係の名家だって知らなかったけど。
「そう……なんだ、男の人が、不幸に」
「でもその不幸の量が尋常じゃないというか……」
不幸の量って……。善子ちゃんとは全く違うものなのだろうか。
「毎日のように小石に躓いて転ぶとか、バスや電車に乗り遅れて大事な用事に遅刻するとかってこと?」
「あっ、そういう量ではなくて……。黒澤家って名家ですから婚約相手ももちろん名家になるわけなんです。実は数年前にお姉ちゃんとお付き合いしていた御曹司の方がいて……。とっても言いにくいんですけど、会社が倒産してしまって」
か、会社が倒産……。そのほかにもいろいろとあったらしいが一般人の僕が聞くに堪えない内容ばかりな気がしたので控えてもらうようにした。
企業をいろんな意味で動かしてしまう黒澤家って、ほんとにすごいな……。
「それでかかわらないように、ルビィのせいで人が不幸になるのは嫌ですから……」
「そ、そうなんだ……。それはそうだよね、やっぱり優しいね、ルビィちゃん」
衝撃の事実を知った僕はルビィちゃんに対して乾いた笑いしかできなくて、ルビィちゃんが、ダイヤさんが男の人を嫌う。近づかせないようにする理由がようやく明らかになった。
……僕の思っていたことよりもはるか上を行ったけど。
謎が明らかになったところでルビィちゃんがグスッと鼻をすすり始めた。
「ルビィちゃん? どうかしたの?」
「理由が理由だからって……ルビィ、裕紀さんにひどいことをしてしまって」
困ってしまった様子のルビィちゃんは目に涙を浮かべて今にも泣きだしてしまいそうな表情になる。
確かにどんな理由であれルビィちゃんのしてきたことは間違っていたことだったのかもしれない。だけど僕はそのことについて何も気にしてないし、ルビィちゃんの口から真実を聞くことができてとてもうれしい気分だ。
それに僕は女の子を泣かせない主義なんだ。
「そんな時はとっておきのおまじないがあるんだけど、どうかな?」
「……おまじない、ですか?」
ルビィちゃんは疑心暗鬼になりながらも少し興味がありそうだった。
とっておきでもなんでもないついさっき思いついたおまじない。
信憑性を持たせるためにそんなことを言って話を盛ったけど信じてくれそうだ。
「うん、そう。おまじない。それじゃあいくよ?」
ルビィちゃんはごくりと固唾を呑んで見つめてくれる。その碧色の透き通った目で。
付け焼刃でルビィちゃんを励まして、同時に元気にさせる魔法。
こほんと一つ咳ばらいを漏らして僕は言う。
「……がんばルビィ!」
「………………」
ルビィちゃんの沈黙が、視線がとても痛い。
そんなにダメだったかなぁ? 付け焼刃にしてはそこそこいい言葉だったと思うんだけど。
「ふふっ、今時自分の名前を励ますときに使う人なんていないと思いますよ」
言われてみれば確かに、でもなんかルビィちゃんらしくていいと思ったんだけどなぁ。ルビィちゃんらしくって、何だろう? まぁいいや。
「でも、いいと思うんだけどなぁ」
「…………裕紀さんがそこまで言うなら、使ってみてもいいですけど」
そういってルビィちゃんは顔を少し赤らめてフイとそっぽを向く、全然隠せてないところがまた可愛い。
「じゃあ今ここで僕を励ましてみてくれない?」
「えっ、今ここでですか!? なんで……。裕紀さん全然落ち込んだりしてないですよね?」
「いやーそれがさ、ついこの間浦の星でひどい言葉をかけられたことがあって、まだその傷が癒えてないんだよね……」
若干嫌われるのを覚悟でルビィちゃんのことをいじってみる。
少し不満そうにじーっとこちらを見てくるけど不快に感じている風ではなさそうだ。
「少し仲良くなったからといって勘違いしないでほしいんですけど……」
ぐさりと僕の良心に言葉が突き刺さる。みんなもあまり考えずに言葉を発しちゃだめだよ……。
「ご、ごめんね。やっぱりさっきの……」
「いいですよ?」
僕が途中まで言いかけるとルビィちゃんはその言葉を遮っていいですよ、と声を出した。
今の自分に何が起きているかわからない。やりすぎた行為を反省していたはずなのに、驚きと喜びの感情がしたからぐわんぐわんと上ってくる。
「えっ?」
腑抜けた声が僕の口から洩れてしまう、自分で聴くのも情けない声。
「だからいいですよ、裕紀さんの事励ましてあげます。そんなに情けない声を出さなくても、ただし一度だけですからね」
「えっ、カメラに抑えたりするのは……」
「だめですぅー!」
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数分間の問答(主にカメラに納めさせてくれるか納めさせてくれないか)を終え結局僕のほうが折れて脳内にインプットするだけにした。
「それじゃあ一度しかやらないので……」
「うん、わかったよ。お願いします」
「………………がんばルビィ! ど、どうですか?」
僕の提案した『がんばルビィ』という言葉にプラスしてルビィちゃんは腕で顔を隠して、子供をあやすためにする『いないいないばぁ』の形から腕を開いた。
そんな
「……ありがとう」
僕は勇気を振り絞ってがんばルビィをしてくれたルビィちゃんに感謝の気持ちを伝えようとするけど、ありがとうなんていう言葉しか出てこなかった。
だけど最高のものを見せてもらったし、今までで最高のありがとうを人に送った気がする。
「あ……。ルビィちゃんのがんばルビィで太陽さんが頑張ったみたいだね」
僕が『ありがとう』という言葉を送った途端に空からは太陽の光が差し込んでいた。
知らぬ間に雨自体は前から止んでいたかもしれないがルビィちゃんのおかげで太陽の光が差し込んだことはきっと確かだろう。
「それじゃあ家に帰ろうか、送っていくよ。ダイヤさんもきっと心配してるよ」
「……そうですね」
そういうとルビィちゃんの顔は少し曇ったような表情だった。
「でも裕紀さんが家まで来ちゃうとお姉ちゃんにとがめられちゃうと思うのでここでお別れです。大丈夫ですよ、心配しなくてもルビィ一人で帰れますから!」
「そっか、じゃあここでお別れだね。今日は僕と話してくれてありがとう、またいつか」
そうとだけ言って僕はその場から家の方向へと足を踏み出す。
聞こうと思えば連絡先だって、これから会う約束だってできたのかもしれない。
だけどそれはなんだか少しだけ野暮な気がして、またどこかで会える気がしたから、その時まで何も聞かないことにした。
「あのっ!」
別れようと思ったら時ルビィちゃんが僕を引き留める。
「? どうしたの?」
「ルビィ……裕紀さんのこと少し信じてみようと思います。それじゃあ……またどこかで」
ニコッとほほ笑んだ彼女の背中をしばらく眺めてから僕は改めて家へと足を運んだ。