俺と後輩と酒と   作:JOS

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プロローグ

キンキンに冷えたビールを一気に流し込む。冷たい感覚がのど元を過ぎ、そして胃に到達する。

 

「かぁ―! この一杯のために生きてるぜ!」

 

半分以上中身の減ったジョッキをテーブルにたたきつけるように置くと一言。時間がまだ早いせいか周りに客はまだいない。

 

――酒は麻薬という言葉がある。

 

俺はまさしくこの言葉は真だと思う。仕事終わりに呑むこのキンキンに冷えたビールはまさしく世界で一番うまい飲み物だと信じているし、多くの人が賛同してくれるだろう。かのルイスキャロルが書いた不思議の国のアリスでは、主人公のアリスが瓶に入った液体を飲み、『少し飲んで、その味がサクランボ入りのパイとプリンとパイナップルと七面鳥の焼き肉とタッフィーとトーストを混ぜた様な味。素晴らしい味。』と称しているが、まさしくアリスが飲んだ液体が俺にとってはそのままビールになる。アリスはその飲み物が世界一美味しい飲み物だと称したが、俺が思うにアリスも大人になればきっと、ビールが世界で一番至高の飲み物だということに気付くはずだ。俺がアル中なだけかも知れないがそれは置いておこう。気にしては負けだ。

 

閑話休題。

 

つまるところ、俺が何を言いたいのかと言えば、俺は酒を愛しているし、これから先もそれは変わることがないだろうということだ。

 

再びジョッキを手にとりビールを仰ぐ。冷たい炭酸がのど元を通り過ぎる。

 

こうやって仕事終わりにこの店で一人で一杯やるのが好きだった。場所は東京は上野。駅から十数分歩いた裏路地にあるこの飲み屋は知る人ぞ知る隠れた名店だった。気さくな三十代後半の店主が開いているこの店は一人で切り盛りしていることもあって広くはない。カウンター席が六つとボックス席が二つ。その内の一つは最早ボックス席と言っていいのかどうかすら分からないもので、カウンター席の後ろの壁に貼り付けるようにつけてある小さな机と二つの木の丸椅子があるだけの粗末なものだった。その粗末なボックス席、入り口に背を向けるような形で座る手前の席が俺の定位置だ。勿論今座っているのもそこだ。

 

他に客が座っていない時は勝手にその席に陣取るのが常だった。それは店主も他の常連も知っており、基本的には誰もその席を使うことはない。駅からも遠く、それに加えて裏路地にあるこの店を訪れる人は少ない。大抵、常連しかこないのがこの店だった。

 

売りは何と言っても料金の安さ。基本的に何を頼んでも三百円以下で飲み食いできる。俺が飲んでいるビール何て250円だ。安さが全てではないのはよく分かっているが、それでも安さは正義だ。それに加えて料理も上手いし、常連ばかりで雰囲気もいい。俺が初めてこの店を訪れてから常連になるまでにそこまでの時間は要らなかった。今では週に二回は訪れている。

 

二杯目のビールを飲んでいると、ふと店の扉が開いた。夏のむっとした熱気が店内に入り込み蝉時雨が一層大きく聞こえた。

 

――お、誰か来たか。

 

店主のいらっしゃい! という元気のいい声が店に響き渡る。何時も扉に背を向ける形で座っている俺には誰が来たのか分からないが、十中八九常連の誰かだろうと辺りをつける。まぁ、誰が来ても俺にはあまり関係ない話なので何かつまみでも頼むかとメニューに視線を落とした。

 

その人物はカツカツとヒールを鳴らしながら歩くと何のためらいもなく、俺の目の前に座った。

 

――あぁ?

 

ジョッキを右手でもったまま怪訝そうに視界を上に上げれば真夏だと言うのに帽子にマスクにサングラスと怪しさ満点の恰好をした一人の女性がいた。その恰好で街中を歩いたら誰かに通報されそうな不審者は、古ぼけた木製の丸椅子に腰を下ろしマスクを取りながら口を開く。

 

「先輩奇遇ですね」

 

聞き慣れた声だった。聞き間違える筈がないその声色には喜色が混じっていた。マスクとサングラスを取った顔には笑顔が見える。やってきたばかりで何がそんなに楽しいのか嬉しいのか分からないが、ソイツは笑顔を絶やすことなく帽子も取る。ふんわりとしたボブカットが揺れた。

 

ニコニコと笑うソイツと目が合った。翡翠と紺碧色の瞳が俺の冴えない顔を映す。よく見ないと分からないが、彼女はオッドアイだ。左目の泣きぼくろが特徴的なソイツは俺と目が合うとニコリと目を細めて微笑む。

 

いつも通り何を考えているかさっぱり分からないが、何とも楽しそうで何よりである。そして出来ればその楽しさを一パーセントでもいいから分けてほしいものだ。笑顔のソイツと違い、きっと俺の顔は何とも言えない表情になっているに違いない。

 

とりあえず、目の前に座るソイツに向けて一言。

 

「チェンジで」

 

「もー酷いですよ先輩。こんな美人と飲める機会なんてないんですから、今日は一緒に呑みましょうよ」

 

「誰が美人だよ、誰が。鏡見てこい」

 

「ざーんねんですが、ここに来る前に鏡を見ましたけど、最高の美人が一人映っているだけでしたよ」

 

「そりゃ、きっと鏡が湾曲でもしてたんだろ」

 

俺の失礼な物言いにも目もくれず彼女はうふふふ、と上品に笑う。確かに彼女は美人だ。つけあがるため本人には死んでも言ってやらないが、昔からコイツの顔は非常に整っており、美女街道を一直線に歩んでいる。お互いに下の毛も生えそろわない内からの付き合いである俺の贔屓目に見ても彼女は十二分に美人だった。

 

まぁ、それはそうだろう。何といっても彼女は――。

 

「楓ちゃんいらっしゃい! 一杯目何にする?」

 

そんな時だったカウンターから店主の活きのいい声が掛けられた。彼女もこの店の常連だ。

 

「とりあえず、先輩と同じくビールを一つ……先輩もお代わりいりますよね?」

 

そう聞いてた彼女の言葉に頷くと、やっぱり生を二つで、と注文を訂正した、

 

「先輩、少し貰いますね」

 

そう言うと俺の目の前に置かれた飲みかけのジョッキに手を伸ばす。

 

ビールを注文したと言うのに待つことを知らないのか彼女は目の前にあった俺のジョッキをすっと手に取ると中身をあおぐ。止める暇もなかった。四分の一ほど入っていたビールは彼女の胃の中に全て消えた。

 

「ふぅー、やっぱり仕事終わりのビールはいいですね」

 

飲み干したジョッキを目の前に置くと彼女は目を細めて笑う。

 

本当に美味しそうにビールを飲む奴である。コイツの飲みっぷりは昔から好きだった。

 

「あぁ、麻薬的なうまさだよ」

 

「うふふふふふふ。本当にそうですね」

 

「そう言えば今日はもう仕事は終わりか?」

 

多忙な彼女にしては早い時間から呑みに来ているなと疑問を投げかける。何せ、彼女は俺とは違いスケジュールが常に真っ黒だ。休日何て殆どない。

 

「えぇ、もう終わりました。そして、偶然ここに呑みに来たら先輩がいたという訳です。運命ですねっ」

 

「何が運命だよ。今日は金曜日で、俺は仕事がほとんど定時で終ってここで飲んでいるの知ってるくせに」

 

「先輩、つれないですよ。運命と思った方が楽しいじゃないですか」

 

「別に俺は楽しくねーよ」

 

「うふふふふ、嘘をついたって駄目ですよ。こんな美人な楓さんと二人で飲めるなんて先輩も嬉しい癖に……」

 

そう言って彼女は鈴の鳴るような琳琅璆鏘とした声で笑う。まぁ、確かに彼女は美人だ。それは否定しないし、俺も美女と飲めて嬉しい。俺だって男だ。

 

「……まぁ、気を使わなくていいだけ、お前と飲んでいた方が楽だな」

 

そう言って俺も笑う。彼女との付き合いは短くはない。冗談を言って笑いあえる程度にはお互いの心情は知れている。

 

「はいよ、生二つ! それに楓ちゃんにはおまけにブリ刺しだよ。今日手に入った新鮮な奴だから是非どうぞ!」

 

興奮気味の店主はそう言うと、俺たちの前にあるこじんまりとしたテーブルにジョッキと皿を差し出してきた。

 

「何か店長、コイツに甘くない?」

 

俺と話す時よりも数段は張り切っている声色の店主に疑問を呈す。

 

「そりゃ、そうだろ。何て言っても俺は楓ちゃんのファンだからな! ファンとして楓ちゃんには少しくらい贔屓したくなるってもんよ」

 

俺としては非難めいた意味で言ったのだが、何故か店主は胸を張る。

 

確かにここの店主は俺の後輩のファンだ。初めてコイツが店に来た時のことなんて今でもはっきりと思い出せる。あの時の店主のあわてっぷりと来たら凄かった。ちなみにこの店のカウンター席の上にはサインが書いてる色紙が十枚ほど貼られている。サインの文字はすべて一緒、言うまでもない、ウチの後輩が書いたサインだ。

 

「店長さんいつもありがとうございます」

 

「いいよ、いいよ気にしなくて! それに楓ちゃんが来てくれるだけで嬉しいから!」

 

「そう言ってもらえると嬉しいです」

 

「あぁ、そうだ。まだ時間は早いけど、それ一杯飲んだら、個室に移動しなよ! 流石に金曜日だし、何時もの常連さん以外の人が来ないとも限らないしね。いつも通り、奥の個室で二つ分席は用意してあるから」

 

「店長、いつも気を使わせて悪いな」

 

「ありがとうございます、店長さん」

 

俺たちが感謝の言葉を述べると、店主は『いいっていいって! 楓ちゃんに来て貰えるんだったらこれくらい安いもんだよ。どーせ、奥の個室は使わないだろうしね」 そう言って笑いながらカウンターの向こう側に消えていった。

 

さて、ここらでいい加減、俺の正面に座りながらニコニコと笑っているコイツの正体を話しておこうと思う。まぁ、先ほどからも言っているかと思うが、俺にとってコイツは後輩にあたる。名前は、店主も言っていたが、楓。ここまで言えば察しの良い人間なら分かってくれるはずだ。

 

彼女の名字は高垣。

 

そう、彼女のフルネームは高垣楓。元カリスマモデルにして、現在では知らない人の方が少ない国民的アイドルである。

 

「さて、と。まぁとりあえず、飲みますか」

 

「そうですね。それでは――」

 

お互いにグラスを持ち上げて、

 

「――乾杯」

 

小気味いい音が狭い店内に小さく響いた。

 

高垣楓はスーパーアイドルだ。テレビで見ない日はないと言っても過言ではない。

 

「――ぷっはー! やっぱり夏に呑むビールは最高ですね!! 先輩!」

 

しかし、そんな高垣楓がビールや日本酒、そして焼酎などを好むおやじ趣味丸出しな女性であることを知っている人間は少ない。

 

 

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