俺と後輩と酒と 作:JOS
ほら、もしかしたら展開が気になる人がいるかもしれないので。それ以外の作者批判、作品批判若しくは普通の感想なんかは、どうぞいつも通り感想に書いて貰えると作者が喜びます。
「もう、すっかり冬模様だな」
その呟きと共に出た息は白かった。晩夏も初秋も既にはるか前に過ぎ去り本格的な冬が訪れて暫く、気温も毎日右肩下がりに下がっていき、天気予報ではそろそろ雪が降るかもなんて言っていた。十二月も下旬に差しかかった冬真っ盛り、相変わらず東京の街は多くの人で溢れていた。
知らない間に街の中は随分と模様替えをしており、あちらこちらでクリスマスのイルミネーションがちらほらと見えた。五日後にはクリスマス。街はお祭りの準備に忙しそうに感じられた。
クリスマスと言えば恋人のいない人間にとってはただの365日の内の一日だ。勿論俺には生まれてこの方恋人はいない。しかし、最近はクリスマスが楽しみになっていた。
――今年のシンデレラガールは誰だ? 全ては12月25日! 聖夜には決まる!
そんなタレこみのポスターや、ペナントがあちらこちらに貼ってあった。そう、ここ数年のクリスマスの楽しみはこれだ。数多くのアイドルたちの内、今年一番輝いていたアイドルを決める式典がクリスマスに行われる。全国に生中継されるそれは今ではクリスマスの風物詩となっている。
――大丈夫、今年こそは選ばれるさ。
きっと、今も尚何処かで頑張っている後輩にエールを送る。
「頑張れ、高垣楓なら出来るさ」
祈ることに意味があるのか、それともないのかそれは分からない。いや、科学的に考えたらきっと無いのだろう。でも、俺は信じたい祈りに意味はあるのだ、と。
――君に幸あれ。
ゆっくりと人波に呑まれるように足を進める。冬の東京は体の底から冷えていく感覚がした。
「いらっしゃい!お客さん、早いですね」
時間を調整してゆっくりと歩いてきたため、開店するのとほぼ同時に店に入ることが出来た。見慣れた引き戸を開けると店主が何時もの通り板場で何かを調理してた。懐かしい光景に思わず、足が止まった。
「どうしたんですか、お客さん?」
中々席に着かないことに疑問を覚えたのか店主が顔を上げる。たった三か月近く会わなかっただけだが随分と久しぶりに感じた。
「おぉ! お兄ちゃんじゃないか! どうしたんだよ! 最近、めっきり来なくなってさ! 楓ちゃんはちょくちょく来るけどすぐに帰っちゃうしさ! 本当、心配したんだぞ! ほら、座って座って!」
いつも通りの人の良い笑みを浮かべて店主に促されるように席に着く。カウンターの後ろに貼り付けるように打ち込まれた小さな机と二つの椅子しかないボックス席。そんな粗末なボックス席の手前の椅子、入り口に背を向ける形で座る。何時もの特等席だ。
「ほれ、まずビールと御通しだよ。今日は活きの良い寒ブリが入ったからそれの刺身もつけておいたよ。何があったか知らないけど久しぶりに兄ちゃんが来たんだ、代金はいらないから食っていけ」
そう言って店主は俺の目の前にビールの入った中ジョッキと酢の物が入った小鉢、そして脂の乗った鰤の刺身を置く。
「すこし、仕事が忙しくて来れなかったんですよ。本当に社畜は辛いですね……」
そう言って笑いながら刺身を摘みビールを一口飲む。
――あぁ、美味い。
懐かしい味に思わず感嘆の声が出そうになった。
「何言ってんだ兄ちゃん! 忙しいってことはいいことじゃないか、若いうちの苦労は買ってでもしろと言うし、まだまだ若いんだから頑張れよ、兄ちゃん!」
「ははっ、流石店長。厳しいですね、まぁ確かにあと少しで一段落しそうなので頑張りますよ」
「おう、頑張れよ。応援しているぜ」
「店長さんから言われると頑張れそうな気がします」
がはははははは、と豪快に笑う店主を見ると何だかこっちまで活力が湧いてくる気がしてきた。
――あぁ、もう少しだ。頑張ろう。
心の中でそう呟き、再び刺身とビールを一口。
――あぁ、そうか、そういうことか……。
そして、また店主との雑談に花を咲かせるのだった。
「じゃあ、今日はここいらでお暇させていただきますね。すみません、残してしまって」
暫くの談笑を挟んだのちに席を立つ。今日はこの後にまだ用事がある。そろそろ向かわなければいけない。
「兄ちゃん、体どっか悪いのか? ビール半分以上残っているじゃねぇか!」
「いやー実は昨日の夜に結構飲んでまして、それで半ばグロッキー状態なんですよ。迎え酒をすれば治るとも思ったんですが、やっぱりだめで、これ以上は吐きそうなので、ごめんなさい」
そう言って俺は笑う。本当を言うとビールを残すなんてもったいない真似はしたくはなかったのだがこればかりはしょうがない。泣いて馬謖を切る思いでってやつだ。
「へぇー、あの馬鹿みたいに酒が強い兄ちゃんでもそんな日があるのな。珍しい」
「いや俺ももう若くないみたいですね」
「何言ってんだ。まだ二十五の若造の癖によ! 人生まだまだこれからだよ!」」
「そうですね、もう少しで全て終わりそうなので、最後のひと踏ん張り頑張ります。後、料金は幾らですか?」
「ん? いや要らねぇよ。言っただろ、最初のビールと刺身、御通しはサービスだって」
「しかし、そう言う訳には……」
「いいってことよ。代金はいいから、そうだな、今やっている仕事が落ち着いたらまた飲みに来てくれ。俺はそれで十分だ! 楓ちゃんにも会えるし一石二鳥だよ!」
無理やりにでも差し出そうとしたお金を店主は拒否して、そう言って笑った。
「実はですね。そのことでお話がありまして……。今日来たのはお別れを言うためなんですよ」
今日俺がこの飲み屋に来た理由、それはあることを店主に伝えることと、あるお願いを店主にするためだった。
「ん? どうかしたのか?」
「実は今やっている仕事が終わり次第すぐに海外転勤が命じられてまして……。少なくとも十年単位で日本に帰ってくるのは無理そうなんですよ」
「な、兄ちゃんそれ本当か?」
「えぇ、残念ですが、本当の話です。それと店長に一つお願いがありまして」
「何だ?」
「この封筒を彼女に渡してくれませんか?」
そう言って持ってきていたビジネスバッグから定形封筒を一通取り出す。真っ白のそれはそこそこの厚みを持っていた。封筒の表にはシンプルに高垣楓様という文字、そして封筒の裏には俺の名前。たったこれだけしか書かれていない質素な封筒だ。
「なんだ、そんなことならお安い御用だが、何だこれ随分と分厚いじゃないか」
「えぇ、少しばかり書くことが多くなってですね……。それを彼女に渡していただきたいんですよ。彼女たまにここで飲んでますよね。次に来た時でいいのでお願いします。……ですが、もしも彼女がクリスマスの前に来たら……いや、これやっぱりいいです。次に彼女が来た時に渡して下さい。是非ともお願いします」
それから何度か店主にお金を支払おうとしたが、結局店主は頑なに代金を受け取らず、俺は頭を下げて店を後にした。
夏振りに見た曇りガラスがはめ込まれた引き戸は記憶にあった夏のまま、何の抵抗もなく音もなく開いた。
「あら、いらっしゃい! お兄さん久し振りじゃないのどうしたの? 最近さっぱり顔を見せなくなって!」
「おう、兄ちゃんじゃないか! 久しぶりだな! ホント、何があったのか心配していたんだよ!」
本日最後の訪れる店はここ『白樹子』。久し振りにいきなり訪れた俺を店主も女将さんも温和な笑顔で迎えてくれた。
「いやー少しばかり仕事が忙しくてですね……。ホント毎日毎日仕事仕事で疲れましたよ。それで、親父さん悪いんですが今日、奥の個室って空いてますか?」
「ん? 個室か? 確か、空いていたはずだけどな」
俺の問いかけに店主は板場で魚を捌きながらそう言った。相変わらずほれぼれする手つきだ。
「じゃあ出来れば今日使わせていただきたいんですが、大丈夫ですかね?」
「あぁ、勿論だとも、兄ちゃんの頼みなら、一週間だって貸し切りでも構わないよ」
「あははははは、それは嬉しいですね」
「それにしても、個室ってのは珍しいな。どうしたんだ? 今日は誰か……例の楓ちゃんかな?」
「いやいや、アイツじゃないですよ。今日の相手は……」
「それじゃあ、まずは乾杯といきましょうか」
「「乾杯」」
白樹子の奥にある個室でジョッキと御猪口で乾杯をする。俺は天狗舞の入った御猪口、対面に座る男性はビールの入ったジョッキを持っていた。ジョッキと御猪口という一見すると変わった乾杯だが、気にしない。酒は飲みたいときに飲みたいお酒を飲むのが一番だからだ。それがお酒を美味しく飲むうえで一番大切なことだと思う。
天狗舞を一口。米の匂いが鼻から脳へと伝わる。
――あぁ、やっぱりこれだよなぁ。
そう感慨にふけりながら話を切り出す。
「お久しぶりです、武内さん」
「こちらこそ、ご無沙汰しております」
今俺の目の前に座る人物、武内さんはアイドルのプロデューサーをやっている人物だ。ひょんなことからウチの後輩に目をつけてアイドルにスカウトした彼との付き合いはかれこれ長い。彼女がモデルからアイドルになるまでに色々と悶着があり、それに俺も関わっていたためそこで武内さんとは知り合った。歳が同い年なこともあり、すぐに打ち解けることができた。今では年に数回だがプライベートで飲みに行く仲だったりする。
「それにしてもいきなりお呼び立てしてすみません。今週末にはシンデレラガールを決める総選挙も控えているのに……」
「いえ、諸手続きは既に全て終わってますので、私にできることはもうありません。後はあの子達の頑張り次第です」
武内プロデューサーは硬い口調でそう言うとビールを一口仰いだ。180cmを超える長身に、三白眼の据えた目つき、ほとんど変わらない無表情と彼の容姿はお世辞にも人に懐かれるような物ではない。しかし、彼と付き合えば付き合うほど分かる。彼は真面目な人物であり、誠実な人物だと。俺は彼よりも真面目で誠実な人物を一人しかしらない。まぁ、言うまでもないかもしれないがあの馬鹿後輩である。彼女はその外づらだけではなく内面までもが完成されている。
天は二物を与えずという諺があるが、俺はそれを今までの人生で信じた試しがない。天は与える人間には二物どころか在庫を全て叩き売る勢いで才能を与えるのだ。いい例がアイツだ。
「そうですか。まぁ、積もる話もあるでしょうが、お互い忙しい身でしょうし、いきなり本題から入りましょうか」
「えぇ、何か話があるということでしたが、何でしょうか?」
そう言うと武内プロデューサーはジョッキを置き、真っ直ぐに俺を見た。彼の湾曲を知らないただ直という文字を形にしたような視線が俺を射抜く。
――あぁ、やっぱり彼なら大丈夫だ。否、彼じゃないといけない。
「俺の後輩……アイツはいい女でしょ?」
「は、はぁ……そうですね」
いきなりの俺の言葉に彼は何を言っているのか分からないと困惑の表情を浮かべていた。
「料理をさせてもよし、運動させてもよし、スタイルも良いし、歌だってうまい。勉強だって日本の私大で最高峰の大学を出ていて、学歴も十分だ。それでいて人当たりも良いと来ている。これ以上の優良物件他にはないと思いませんか?」
「まぁ、そうですね……」
武内プロデューサーに出会った時から気付いていた。
「武内さん、貴方にお願いがあります――――」
武内プロデューサーの射抜くような視線にしっかりと目を合わせると、ゆっくりと俺の胸の奥にある言葉を口にする。拙くても良い、詰まっても良い。ただ真っ直ぐ彼の心に届くようにゆっくりと言葉を紡ぐ。
――真っ直ぐに喋れば光線の様に心に届く。
俺はこのインディアンに伝わる格言を信じたい。
「―――高垣楓を、あの馬鹿で小生意気な後輩をあなたの手で幸せにしてくれませんか? それが俺の唯一のお願いです。どうか、彼女に、高垣楓に女性としての当たり前の幸せを届けてくれませんか?」
出会った当時から彼の楓を見る視線は恋慕の情に近かった。後はそれに気づかせてやれば、彼は自ずと自らの気持ちに気が付くだろう。
「それは一体どういうことか聞いてもいいですか?」
彼は俺の言葉を受け、少し面を食らったようだが視線を逸らさずにそう返した。だから、俺も視線を逸らさずに口を開く。これが俺に出来る唯一の贖罪だと信じて。
「俺には無理なんです。才能もない、努力も出来ない俺では無理だ―――」
「大丈夫ですか! 何かお相手の男性怒ったように出て行ってしまいましたけど……」
武内プロデューサーが出ていって直ぐに個室に女将さんが驚いた表情でやってきた。そして中にいた俺の顔を見るなり、
「だ、大丈夫なの! 口から血が……」
そう言って狼狽えながらおしぼりを差し出してきた。
「えぇ、大丈夫ですよ。ただ間違って口内炎を噛んでしまっただけですから、大したことはないです」
女将さんの気遣いをやんわりと断りながら御猪口に入っていた天狗舞を口の含む。少しだけ鉄の味がしたが、それでも天狗舞は美味しかった。御猪口の水面に映る俺の顔は何だかいつもより数倍不細工で思わず笑いそうになった。
――それにしても……。
武内プロデューサーが部屋を出ていく前に言ったセリフを思い出す。
『貴方が、貴方がそんな情けない人だとは思いませんでしたよっ!! 楓さんは……楓さんはずっと、ずっと貴方の事が……!!! いえ、貴方には彼女の思いを知る権利はありません!! どうして! どうして、彼女はこんな貴方のことが!!』
彼にしては珍しく感情を爆発させたあの言葉。
――あぁ、それでいい。俺の目に間違いはなかった。武内プロデューサーは俺とは違いどこまでも真っ直ぐな人だ。アイツとは上手くやっていける。
最後に一杯と、御猪口に少しだけ入った天狗舞を飲み干す。結局、店を出るまでの間で徳利に入った日本酒は減ることはなかった。
そのことに気付いたのは特筆することもないある休日の夜のことだった。俺以外に住む人がいなくなり、雑踏が無くなった部屋で一人参考書を読んでいる時だった。この時の俺は理系科目は全くだったが、文系科目はそこそこいい点が取れており、クラスでも上位をキープしていた。そこで俺は毎回の定期試験でも文系科目だけを勉強して、理系科目を捨てていた。運動でも、理系科目でも絶対に高垣楓に勝てないが、文系科目だけなら俺にもチャンスがあった。勝負が出来た。だから、俺は文系かもだけでもいいからアイツに勝とうと思い必死になって勉強していた。
――高垣楓に一矢報いる。
それだけがこの時の俺の目標だった。
参考書も一通り読み終わり、教科書を読み直そうとしていた時だった。チャイムが鳴った。
「はい、先輩こんばんは! 夜ご飯を届けに可愛い後輩が来ましたよ!」
玄関を開けてみれば、ラフな服装をした彼女がいた。手には手提げバッグが一つ。中にはタッパーが数個重ねて入っているようだった。
親父が亡くなり、一人暮らしをしている俺の下には結構な頻度で彼女が訪れにくるようになっていた。それは彼女の母が俺に気を使い夕食などを多めに作ってくれることがあって、それを俺の下へと届けるためだ。
初めはただ届けてくれるだけだったのだが、今では何故か俺の家で一緒に夕飯を食べることが多くなっていた。なので、この日も俺の家で二人向かい合って夕食を食べた覚えがある。
「先輩、このエビチリ私が作ったんですよ? お口に合いましたか?」
夕食の最中に彼女がそう聞いてきた。本当に美味しかったため首を縦に振る。
「良かったです。先輩に喜んで貰えたのなら、作ってきた甲斐がありました」
うふふふふふ、と彼女は天真爛漫の笑みを浮かべる。何がそんな嬉しいのか当時の俺にはさっぱりだったが、それでも彼女の笑みがただ美しかったことははっきりと覚えている。
「それで先輩は今日は何をやっていたんですか?」
彼女の質問に別に隠すようなことはないため、素直にテスト勉強をしていたと答える。すると彼女はいつも通りの笑顔で、
「なるほどテスト勉強ですか……どーせ先輩の事ですし、文系ばかりやっているんでしょうね。私も頑張らないと先輩に負けちゃいそうです。この前も危なかったですし」
そう俺は今までに一回も彼女に勝ったことがなかった。俺が満点近くをとっても彼女は涼しい顔で満点を叩きだす。一度だけ国語で引き分けはあったがそれ以外では全ての科目に於いて彼女の点数を下回っている。
学年が違うから比べようがない? それは違う、学年は違うが問題はその学年に応じた難易度だ。同じ土俵だ。それでも俺が彼女に勝てないのは俺の努力不足か若しくはスペック不足なだけだ。
そう考えた時ふと、気が付いた。
――何で俺は頑張っているんだ?
今まで幾度となく高垣楓に敗北してきた。恐らく、今回のテストでも敗北するだろう。次のテストでも……。恐らくだが確信がある、俺は高垣楓に勝てない。そして、俺はこの先何年コイツに挑もうとも、何回挑戦しようとも、高垣楓に勝てない。それは間違いないと、随分と前に俺自身が認めていた。
――じゃあ、俺は何で努力しているんだ?
凡才では天才に勝てない。それがこの世の常だ。漫画のようなミラクルも、小説のような奇跡も映画のようなどんでん返しも何一つ起こらないのがこの世の中だ。では、なんで俺は毎回の様に足掻く様な努力をしているんだ。
――そもそも何で俺は高垣楓に一矢報いたかったんだ?
自分自身で自分が分からなくなる。
「どーしたんですか? 先輩、眉間に皺なんか寄せて」
いつの間にか食事の手が止まっていたことを不思議に思った彼女が俺の顔を覗き込むように顔を近づけていた。
慌てて「何でもない、心配するな」と答えてエビチリを摘まむ。少しだけ濃いその味付けは俺の好きな味だった。
「そーですか? 無理はいけませんよ先輩。先輩は何か悩んでいる時は分かりやすいですからね」
「分かりやすい……?」
「えぇ、先輩は何か悩みがある時はやけに視線を合わせようとしませんし分かりやすいですよ」
今までの人生で分かりやすいなんて言われたことはなかったため少しばかり驚いた。
「俺が分かりやすいか……」
「えぇ、とっても。嘘をつく時は、前髪を触る動作が多くなりますし、緊張している時は右手で制服のボタンなんかを触りがちになります。それに、料理では味の少し濃い物が好み。私は何でも知っているんですよ! 先輩の事なら、ね」
世界中で誰よりも先輩の事を知ってます! 彼女はそう言って笑った。彼女にとっては何気のない一言だったのだろう。でも、俺には大きな意味があった。
――誰も俺を必要としない。俺は高垣楓の付属品だ。
俺はずっとそう思っていた。勿論、そうではない人間もいたのだろうが、俺ではなくその奥にある高垣楓が目当ての人間が多かったのも事実だ。俺は言い寄って来る人間を信じられなくなった。
――俺という人間の価値は高垣楓が隣にいてこそ生まれる。故に誰も俺という個人に価値を見出せない。誰も俺を必要としない。
でも、そんな俺を必要としてくれる人間が一人だけいた。そんな俺個人に価値を与えてくれる人間が一人だけいた。そうだ、初めから俺の隣には彼女がいた。欲しいものは既に手の中にあったんだ。
――高垣 楓。
彼女だけは出会った当時から俺のことを見てくれた。俺と言う人間のすべてを知ったうえで一緒にいてくれた。彼女だけは俺をありのままの姿で評価しくれた。
――あぁ、そうか。そうだったのか。
それに気づくと後は早かった。世界が音を立てて変わっていった。それは卵の中から、何かが生まれるかのように、ガラスがひび割れていくように、劇的で確かな変化だった。
――俺は何でもいいからアイツと肩を並べて歩きたかったんだ。アイツに引っ張られるだけではなくて共に歩んで行きたかったんだ。ただ、ただ、それだけだったんだ。
本心というものは分かってしまうとあっけないものだった。俺はその感情を認めたくないがあまり、別の感情で蓋をしていたんだ。恨みや妬みそして、劣等感。そんな言い訳をして認めたくないことから逃げていたんだ。
――何だ、俺は高垣楓が憎いんじゃなくて――。
――俺は高垣楓を――していたんだ。
その瞬間、俺は自分の本心に気が付いた。
それと同時に、俺は、
―――――その気持ちに一生気付かずにいればよかったと、激しく後悔した。