俺と後輩と酒と 作:JOS
俺とソイツ、高垣楓との関係性を表すのに多くの文字は必要ない。勿論、俺とソイツの出会いから今に至るまでの全てを文字に書き起こそうと思ったのなら、それこそ大量の時間と原稿用紙が必要だ。恐らく長編小説が余裕で書けるくらいには俺と彼女の関係は昔から続いている。なんせ、お互いに下の毛も生えそろわない内からの付き合いだ。単純計算しても人生の三分の二以上の時間を彼女と過ごしていることになる。まぁ、知り合ってから今まで結構長い付き合いになるが、こと俺と彼女の関係性を表すだけなら、非常に単純な言葉で表せる。何と言ってもたったの三文字だ。
それはズバリ、
――腐れ縁。
幼馴染と言い換えてもいいのかもしれない。どちらにしろ三文字で表せる関係だ。恋人やら甘い関係を想像していた人たちがいたのなら悪いが、俺とアイツとはそんな甘い関係ではないとだけ言っておこう。俺からすればアイツは手のかかる小生意気な妹のような存在だし、恐らく向こうも近所の兄ちゃんやら、使い勝手がいい先輩と思っているに違いない。
小学校に上がる前にふとしたきっかけで出会った俺たちは家が近所だと言うこともあり、よく遊ぶようになっていた。そしてそのまま、小学校と中学校と地元の学校に進学した。俺が高校入学すると共にその縁も無くなるかと思ったのだが、なんてことはない。俺が二年生になったある日、彼女は何時もの飄々とした笑みで入学してきたのだった。
流石に、東京の大学に俺が入学し、上京した後はもうアイツ会うことはないかもなぁ、と思っていた。こと本人には死んでも言ってやらないが、彼女はああ見えて頭がいい。いつも赤点常連だった俺と違い高校での成績はクラスどころか学年でもトップクラスだった。俺が入学した大学は世間一般から見て悪い大学ではない。未だに何で俺があの大学に入れたのか謎だが、たまたまセンター試験の結果がよくセンター利用で入れた大学だ。頭の出来があまりよろしくない俺が通う大学にしては過ぎたる学校だが、それでも彼女からしたら滑り止めにもならないだろう。彼女の学力からすれば俺が入学した大学よりも二ランクは上の大学でも楽に合格できるはずだった。
しかし、ここでも俺の予想は外れることになる。なんてことはない、その次の春に彼女がウチの大学に入学してきたのだ。しかも、同じ学部に。驚いて、聞いてみると何でも「滑り止め以外には全て落ちた」と言うことだった。いつも通り飄々とした笑みでそう言われるとそれが嘘か本当か分からなくなるが、それでも唯一分かることは彼女が俺と同じ学校に入学したということだった。
そして、大学を卒業して社会人になった今でもその腐れ縁は続いているという訳だ。ただそれだけ。そんな話、この世には腐るほど存在するだろう。
あぁ、ちなみに言っておかないといけないことがある。彼女、高垣楓は言うまでもなくスーパーアイドルだが、その先輩たる俺は平々凡々を画に描いた様な至って普通の一般市民である。何かしらの才能がある訳でもないし、お金持ちである訳でもない。寧ろ、何をやっても器用貧乏だと評されるし、家はどちらかと言わずに貧乏だ。趣味が安い居酒屋で飲むということだけでも俺の懐の状況が分かって貰えるだろう。勿論、顔だってイケメンではない。年齢イコール恋人がいない歴だ。言ってて悲しくなって来たのでここらで自虐ネタは止めておこう。
――閑話休題。話を戻そう。
あぁ、何が言いたくて俺がアイツとの関係を語っているかというと、俺と彼女の関係はよくある恋愛小説やらのように運命やら必然やらでつながれた赤い糸のような関係ではなく、その時の偶々やら偶然やらが繋がって出来た腐れ縁のような関係だと言うことだ。勿論、そこに恋愛感情やら言うのは欠片もない……。
蝉しぐれが響く中、ゆっくりと帰路へ着く。時刻は黄昏時、夜の帳が落ち始めた空は、赤と黒とが混じり合った不思議な模様を描いている。昼間と違い、日の強さは大分収まったが、それでもまだ十分に暑い。ただゆっくりと歩いているだけでも額には汗が滲む。そう言えば今日は今年一番の暑さになると朝のニュースで言っていたことを思い出して思わず顔をしかめる。
――とりあえず、帰ったらシャワー浴びて、発泡酒で晩酌だな。
こんな暑い日は冷房が効いた部屋でキンキンに冷えた発泡酒を掻き込むに限る。今日一日仕事を頑張ったのだ。それくらいの贅沢をしても罰は当たるまい。
――そして、明日は休み。今日は久々に思いっきり飲むか。
めずらしく有給が取れたために明日は休み。休みと言うことは多少飲みすぎたとしても問題はないと言うことだ。普段は次の日の仕事のことを考えてあまり飲めないが、明日が休みと分かっているのなら思う存分飲むことが出来る。ならば、飲むしかない。そこ、アル中の考えとか言わない。
――確か、冷蔵庫にバレルとバカルディのペリオールとブラック、後はキャプテンモルガンがあったな……。いや、ここは秘蔵の日本酒を出すか……。
冷蔵庫の中身を思い出して、何を飲むか考える。
――まぁ、とりあえず発泡酒を飲んでから考えるか。
どうせ時間はいっぱいある。結論を急ぐ時ではない。そうと決まれば後は家に帰るだけだ。夜の帳が落ち始めた中、俺は力強く足を踏み出した。
東京都内、二十三区の端に存在するボロアパートが我が城だ。一見お化け屋敷のようなボロアパートは駅からも遠く、裏路地に存在するため人通りも少ない。その代わり見た目のボロさと交通の不便さと引き換えに家賃というものに関していえば激安だ。パッとみ廃墟と見間違えそうな我が家だが、見た目とは裏腹につくりはしっかりしており、壁も厚く、防音性もそこそこだったりする。部屋の中も広く、外見とは違い中も綺麗だ。住めば都とはまさしくこのことである。
そんなアパートの二階、角部屋の206号室に辿り着いた時には時計の針は十九時を数分回っていた。
――うん? ……開いてる?
鍵穴を回すと手ごたえがなかった。鍵を閉め忘れたかと思いながらドアノブを捻ると、扉は何の抵抗もなく開く。部屋の中は電気がついており、明るかった。それに冷房もついているのか開けた瞬間にひんやりとた冷気が俺を撫でる。ついでに言えば居間代わりに使っている部屋からはテレビの音が漏れていた。
「ただいま」
その瞬間に全てを理解した俺は、普段よりも少し大きめの声でそう言うと扉を閉め、鍵を掛けた。案の定玄関には女性もののハイヒールが一足隅にちょこんと揃えてあった。
「おかえりなさい、先輩」
扉が開いた音に反応したのか、それとも俺の声に反応したのかは定かではないが、居間に続くはずだった襖が開く。開かれたそこには、
「何やってんだよ、お前……」
「暇だったので遊びに来ましたっ」
我が家のカーペットにて仰向けで寝そべっている馬鹿がいた。随分ラフな格好をしたソイツは上はTシャツ一枚に、下はホットパンツとまるで寝巻のような格好だ。ちなみに白いTシャツの生地は薄いらしく、黒い下着がすけて見えていた。何とも無防備すぎる格好だ。きっと、彼女は俺の事を男だと毛頭思っていないらしい。
横着をして寝そべったまま襖を開けたと見えるソイツは、俺が部屋に入る直前に上体を起こす。居間の中心に置かれている机には既にグラスと一升瓶が置かれていた。どうやら勝手知ったる他人の家とばかりに俺の家に上がり込んで晩酌をやっていたようだ。
――全く、コイツは……。
と、頭を押さえたくなる気持ちを我慢する。
「遊びに来るのはいいが、誰にも見られてないよな?」
俺にとってはただの小生意気な後輩だが、世間から見ればコイツはカリスマアイドルだ。そんな彼女が俺みたいな冴えない男の部屋を訪れたとばれてみろ。俺は世界中の彼女のファンから命を狙われるし、彼女はスキャンダルを報道された身としてアイドル活動に支障が出るだろう。どちらにしろ、お互いにとって何のメリットもない。特に俺にとっては文字通り命の危険性がある。
「大丈夫ですよ。楓さん、そこらへんには抜かりがありせん。報道陣もしっかり撒いて来ました」
いつも通りの飄々とした笑みで彼女は笑う。居間の床には彼女の変装道具らしき、長髪のウィッグやらサングラス、マスクに帽子にスカーフなどが無造作に放り出されていた。今日に至るまで彼女がこの部屋を訪れた回数は数えきれないが、一度も報道された事はない。小生意気で天然が入っている後輩だが、このことに関していえば信用している。
「はぁ、そうか。それは吉報。それよりも、今日はどうしたんだ?」
「だから言ったじゃないですか。暇だから遊びに来たって。あっ、それとシャワー借りましたよ、先輩」
やけにラフな格好をしていると思ったらどうやら勝手に風呂に入っていたらしい。何とも自由な奴だ。我が家の風呂場には彼女が愛用している見るからに高そうなシャンプーやらリンスやらトリートメントやらが並べてある。いつの間にか彼女が持ってきたものだった。
「あれ、本気で言ってるのか」
「えぇ、楓さんは何時でも本気ですよ」
何が楽しいのか彼女はニコニコと目を細めながら笑う。出来ればその楽しさの一割でも分けてほしいものだと思いながら、俺はカバンを無造作に床に放り投げ、彼女の対面に腰を下ろす。
「……そうか」
頭を押さえたくなる衝動を我慢してそう応える。すると、彼女は俺の内心なんて物を露にも知らないような顔で立ち上がると、冷蔵庫からビールを取り出して俺の目の前に置いた。
「先輩、まずはビールでいいですよね?」
「わざわざ買ってきてくれたのか?」
銀色の缶のそれは普段飲んでいる発泡酒ではない。大方彼女が我が家の冷蔵庫事情を見越して買って来てくれたものだろう。
「先輩の家の冷蔵庫事情は詳しいので」
何年、先輩の後輩をやっていると思ってるんですか、そう言って彼女はまた笑う。本当によく笑う奴である。テレビやら雑誌やらで見る限り、コイツはクールであまり笑わないようなキャラで売っているような感じがしたが、実際に目の前で見るとそうでもない。いつも何が楽しいのか分からないがよく笑っている奴である。
「そうか、いつもありがとよ」
「いえいえ、先輩にはいつもお世話になっていますから! さて、先輩! 今日は飲みましょう! 明日は有給取れたんですよね!?」
「まぁ、それはそうだが、俺お前にこの話をしたっけ?」
「この前飲んだ時にしてたじゃないですか」
「そうだっけな……」
思い出そうと海馬をフル回転させみたが、言ったような言わなかったようなおぼろげな感じだ。大方、深酒した勢いで言ってしまったのだろう、きっと。
「それよりも実は私も明日の仕事が急にオフになりました! お互い明日は朝起きなくてもいいんですよ! これはもう飲むしかないです! 楓さん、そう思います!」
そう言いながらソイツは机の上に身を乗り出し、俺に顔を近づける。いきなり視界の半分以上をコイツの顔が埋める事態に思わず体を少し仰け反らせる。翡翠と紺碧色の瞳と目が合った。そして仄かに匂う酒の香り。
――今日はやけに面倒くさいな……もしかして。
「お前既に結構飲んでるだろ?」
もしや、と思い聞いてみる。
「いや、そんなことないですよ!」
そう言ったソイツは普段通りの顔色だ。まぁ、コイツの場合いくら飲んでも顔色が変わることはないため当てにならない。赤くなったり、青くなったりした時は色々と末期の時だ。赤くなるにしろ青くなるにしろ、どちらにしても相当面倒なことになる。
机の上に置いてあった一升瓶を見る。見覚えのある銘柄は、間違いない俺が冷蔵庫に入れていたお気に入りの日本酒だ。一升瓶の中身は残り半分ほどになっていた。
――コイツ、既に五合近く飲んでやがるな。
覚えている限りでは俺がこの日本酒の封を開けた記憶はない。だとすれば一升瓶にはまるまる一升のお酒が入っていたことになる。要するに彼女は既に五合近くを飲んでいるようだった。そのことから出る結論は、
――コイツやっぱり酔ってるな。
言うまでもなく分かり切ったことだった。
「ったく、日本酒五合近く飲んでおいて何がそんなことないだよ。大方、日本酒の前にビールも飲んでたんだろ?」
「ビール四缶と日本酒五合では楓さんは酔っぱらいませーん!」
「お前一体いつからこの部屋にいたんだ」
「うーん、二時間前くらいですかね……。そんな事より先輩、飲みましょうよ! ほらほら!」
酔ってないといいつつ彼女はロング缶をぐいぐいと俺の胸元に押し付ける。洋服越しでも冷えた缶の冷たさがよくわかった。酔ってないといいつつも彼女の絡みは完全に酔ったおっさんのそれである。
――何が酔ってないだよ……。
普段よりも何割か増しでテンションが高いソイツに呆れながら、
「別に飲むのは構わないが、先にシャワー浴びさせてくれ」
汗かいてるから、サッパリしたいんだよ、と付け加え、立ち上がろうとしたそんな時だった。
「すんすん、確かに先輩少し汗臭いですね」
机の向かいにいたソイツは体を乗り出すと俺の胸元に鼻を押し付けて言う。全くアイドルとしてどうか思う行動と言動である。きっと、こんなシーンをファンが見たら卒倒するに違いない。テレビで見る彼女のキャラとは大きく違う、違いすぎる。しかし、昔から彼女を知っている俺からすれば、もともとこんな風な奴だったので今更何も思うことはない。
「そう言うお前は酒臭いけどな」
「えぇー、いい匂いの間違いじゃないですかー。ほら、ちゃんと嗅いでみて下さいよ」
本当の事を言ったまでなのだが、彼女は何故か不服らしい。ぷくーと頬を膨らませると胸元を右手の人差し指で開け更に俺に体を近づける。前かがみになっているためTシャツと皮膚の間から黒い下着やらが丸見えだった。一体コイツは俺にどこの匂いを嗅がせたいのだろうか。それに俺は匂いフェチではないし、匂いに興奮はしない。
そりゃ、もちろん俺だって男だ。可愛い女の子の下着が見れれば嬉しい。しかし、状況が状況だ。親父がらみをされた挙句、強制的に目に入った下着なんかに価値はない。いや言い過ぎた。価値がないこともないが、普段よりも九割引きの、出血大サービスくらいには有難みがある。何といっても彼女は美人だ。そこは俺でも認める。ただ現状が現状なだけに有難みなんて殆どなかった。寧ろ面倒くささの方が今は勝っている。とりあえず、今はシャワーだ。
それに彼女との付き合いはそれなりに長い。下着何て見飽きるほど見ている。コイツの場合何を思っているのか知らないが、俺の家でシャワーを浴び後にTシャツ下着姿でウロウロしている時もあるのだ。俺の前では女を捨てている。俺だって男だ。何かの間違いがないわけでもないのだが、彼女は一貫して俺の前では無防備だった。
――ほかの連中と一緒に飲むときにはちゃんとしているのになぁ。
二人きり以外では意外とまともなソイツに疑問を抱かずには居られない。
「分かった分かった。良い匂いだから俺はシャワー浴びてくる。大人しく飲んでろ」
「えー、飲みましょうよ先輩! 私、先輩の匂いなんて気になりませんし」
「お前が気にしなくても俺が気にするんだよ!」
「じゃあ、一杯だけ飲んでいきましょう! ほら、グイッと一本!」
「分かった分かった! 風呂あがったらいくらでも付き合うから、少し我慢しろ!」
「うぅ……先輩がそう言うなら」
ソイツはそう言うと漸く座布団の上に体重を戻した。そして、とくとくと一升瓶の中身を空のロックグラスに注ぎはじめる。
――ふぅ、漸く諦めたか。さっさと汗を流すか。
オッサン絡みから解放された俺が襖から着替えやらタオルやらを準備している時だった。
「あぁ、そうだ!」
唐突に後方からそんな声が聞こえた。口調からして分かる。何かを閃いたのだろう。そして、長年の付き合いからして、そのひらめきがどうしようもなく下らないことであることも分かった。
「――そうだ、先輩! 私も一緒にお風呂に入ればいいんですよ! 先輩の家の湯船は狭いですが詰め合えば二人でも大丈夫です。お風呂で一緒に日本酒飲みましょうよ! 楓さん今日は良い日本酒持ってきたんです! 天狗舞ですよ! 天狗舞!」
後ろでわーわー冗談を言っている馬鹿に俺は、
「うるさい、黙って飲んでろ」
そう言うのが精一杯だった。
「あぁ、天狗舞は有り難くいただくからそれだけは飲むなよ」
そう付け加えておくのも忘れない。
ちなみにこれは後日談になるが、次の日は案の定酷い二日酔いで一日を無駄にしたのは言うまでもないだろう。