俺と後輩と酒と   作:JOS

5 / 12
感想、評価、お気に入り、誤字脱字訂正まことにありがとうございます。

とても励みになります。この更新速度を保てるのも皆様のおかげです。


第四話

――酒を飲み始めたのは一体いつからだったろうか……?

 

錆び付いた海馬を動かしてみる。正確なきっかけは分からない。しかし、何時からか俺は酒を飲むようになっていた。知っての通り俺は真面目でお利口な方ではなかったから、高校に入った時には既に週に一日か二日は必ずアルコールを摂取していたような記憶がおぼろげながらある。ウチの高校は今どき珍しく大分自由な校風だった。二日酔いで授業に出たことも数えきれないほどあるし、同じく死にそうな顔をして授業に顔を出していたクラスメイトも結構な数いた気がする。大抵二日酔いの時は、机を枕代わりにして寝ているか、トイレとの友情を育むかのどちらかであり、周りの奴らを観察する余裕も、相手をする余裕もなかったが、トイレで今にも死にそうな顔で吐いている奴が一定数いたのを覚えている。

 

高校一年のあれは、体育祭だったか、文化祭だったかの打ち上げで、初めて酔いつぶれて起きたら自宅の玄関だったことがある。それは鮮明に覚えているから、高校一年の時には既に酒を飲んでいたのだろう。

 

――あの時は楽しかったな。

 

酔っている感覚が好きだった。気持ちよくまるで空でも浮いているような浮遊感、何を言っても笑えたし、何をやっても面白かった。文字通り箸が転んでもおかしい年頃ってなわけだ。まぁ、俺は男だけど。

 

――何時からだろう。

 

鈍色の記憶を思い出す。

 

――何かから逃げ出すために酒を飲むようになったのは……?

 

俺は何から逃げ出したかったのだろう。学校の定期試験? つまらない授業? それとも退屈な日常? そのどれかだった気がするし、その全てのような気もする。いや、それらを全てひっくるめて虚無感溢れる世界から逃げたかったのかもしれない。

 

『The world is a fine place and worth the fighting for.』とはかのアーネストヘミングウェイの作中の言葉だったと記憶している。かの偉人の言葉が正しければ、世界は素晴らしい場所だということになる。しかし、俺は生まれてこの方今日で二十数年の短い人生の中ではあるが、これまでの人生でそう感じた事はなかった。そもそもだ、かの偉人は自分の意見としてこの言葉を書いたのではないと思う。彼の最期はライフル銃による自殺だ。『世界は素晴らしい。戦う価値がある』これが正しいのなら、彼は何故自殺をしたのだろうか。世界が素晴らしくはなく、薄汚れたものだと気付いたのかもしれないし、戦った結果死を選んだのかもしれない。どちらにせよ、救いようのない話であるし、かの名言は間違ったものではないかと思わせるには十分だ。

 

ヘミングウェイの意見には賛同できないが、その代わり漱石のある小説の一節には非常に賛同できる。『世の中はしつこい、毒々しい、こせこせした、その上ずうずうしい、嫌な奴で埋まっている。元来何しに世の中へ面を曝しているんだか、解しかねる奴さえいる』これは確か漱石の草枕か三四郎だったかの作中の中に書かれてあった言葉だ。たった数行の中でこれほどまでにこの世の中の悲惨さを物語っている作品はそうないだろう。

 

ヘミングウェイと漱石、そのどちらが正しいかと問われれば、それは人によって回答が異なるだろう。しかし、俺がもしもその問いを投げかけられたのなら一にも二にもなく、漱石と即答する。俺にとって世界とは残酷で、薄汚れた存在なのだ。戦う価値があるかどうかは、一考の余地があるが。

 

これだけ見ていると俺がヘミングウェイのことを嫌いなだけなように見えるかもしれないが、それは違うとだけ答えておこう。ヘミングウェイの作品は大好きだし、今でもたまに読み返すくらいには気に入っている。老人と海も誰がために鐘は鳴るも本棚にきちんと収められている。

 

それに、だ。

 

ヘミングウェイのある言葉を俺はきっと死ぬまで忘れないだろう。あの日からずっと心の中で俺を縛り付けるように、刻み込まれている言葉がある

 

――You can't get away from yourself by moving from one place to another.

 

あの雪降る夜に後輩に言った言葉でもあるし、あの虫の声が大きな夏の夜に俺自身に返ってきた言葉でもある。忘れられるはずもない言葉。忘れてはいけない言葉。忘れてしまいたい言葉。俺はこれから先どんなことがあってもあの日のアイツの顔を忘れはしないだろう。世界に絶望したかのような悲しくも美しい微笑みを――。

 

――あぁ、分かっていたよ。

 

――――俺が本当に逃げ出したいのは

 

それは、単純な話だった。

 

「世界を旅してまわっても自分からは逃れられない」

 

小さく吐き出した言葉は夏の暑さを受けて溶けるように空へと消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「つーん、だ」

 

目の前の後輩はそう言うと顔を明後日の方向に向けた。

 

「おい、いきなりどうした?」

 

場所は俺の城でもあるボロアパートの一室。例の如く後輩と飲んでいた時だった。俺の何が悪かったのか分からないが彼女は急にそう言った。

 

「つーん、だ。もう、先輩なんて知りません」

 

今どき幼稚園児でも言わないであろうことを言ってソイツは「私、怒っています」アピールをする。正直、怖くとも何ともないのだが。いきなりのことだったので困惑を隠せない。

 

「何がつーん、だよ歳を考え……」

 

そこまで俺が口にした時だった。

 

「――いった!? いきなり何するんだよ!?」

 

俺のセリフをかき消すかのように開封前の缶ビールが飛んできた。いきなりのことで反応できず無事に顔面でキャッチする羽目になった俺は抗議の声を漏らす。流石ロング缶その攻撃力も

中々に高い。

 

「つーん、だ」

 

しかし、俺の抗議をもろともせずソイツは明後日の方を向いたままだ。

 

「一体、何が悪かったんだよ?」

 

ことこの後輩は怒りと言う感情を表に出すことが少ない奴だ。基本的にいつもニコニコとしている。俺が冗談を言っても真に受けることはなく受け流すし、少しばかり失礼な事を言ったとしてもそれが本心からではないとお互いに分かっているために笑ってすます。つまるところ、彼女が怒っているという状況を俺は数えるほどしか知らないのである。

 

「自分の胸に手を当てて考えてください、ふん」

 

彼女は俺とは目を合わせずにそう言った。何時もの柔らかい口調とは違い、その言葉には棘を感じた。

 

――結構怒ってんな……こりゃ。

 

言葉と態度は幼稚園児並みのそれだが、彼女は結構怒っている。長年の付き合いだ、それくらいの事は分かる。

 

――はぁ、何かやったっけなぁ。

 

心中でばれない様にため息を吐きながら、頭を動かす。まだ、ビール一本しか飲んでいないし、彼女が怒り始めたのは、ほんの数分前の話だ。いくら俺の脳みそがポンコツでもすぐに思い出すだろう。折角二人で飲んでいるのだ、楽しく飲みたい。目の前で拗ねているお嬢様の機嫌を取るために俺は帰ってからこれまでの行動を思い返すのだった。

 

――えーっと、まずはあれだな。いつも通り、帰って来たらあいつが既に部屋にいて。

 

家に帰ると一週間ぶりに彼女がいた。まぁ、彼女が来るのは慣れた事なので、いつも通り適当な世間話をした。何でもここ一週間ずっとテレビの撮影やらCDのレコーディングやらでまともに家にも帰っていなかったらしい。流石は時の人である高垣楓である。スケジュール帳は真っ黒だ。

 

しかし、この激務も今日で終わりらしく明日は休みになったらしい。今日は泊まっていきますね、なんて言って笑うソイツに、まぁ勝手にすれば、といつも通りの返事を返す。彼女がこの部屋に泊まったことなんて今までに数えきれないほどあるし、勝手に持ってきた服やら下着やらを置いているため着替えにも困らない。ただえさえ狭いアパートだというのに彼女の物が二割くらい占領している有様だった。

 

そんなどうでもいい会話の後に俺は汗を流すためにシャワーを浴びた。ちなみにこれは言うまでもないと思うが、あの馬鹿は既に勝手に風呂に入っていた。俺が家に帰った段階でパジャマ代わりにしてるホットパンツとTシャツだった。勝手知ったる他人の家という言葉を体現したような奴である。まぁ、彼女は昔からそんな奴だし、俺も変に気を使われるよりかは遥かにいいため何も言わない。逆に変に気を使われる方がむず痒い。

 

そして、風呂上りに二人で晩酌と洒落込んで缶ビールで乾杯。

 

うん、ここまでを思い出しても彼女の機嫌を損ねるような事は何もなかった。別にいつも通りである。

 

ならば原因はこれよりも後晩酌中の会話ということになる。彼女が機嫌を損ねる前の直前の会話を思い出してみる。

 

「なぁ、そう言えば、片桐早苗さんとは仲良いのか?」

 

缶ビールも一本目、その殆どが胃の中に消えたため殆ど重さがないビール缶を持ちながら、俺はこの前の事を思い出して言った。ニコニコと笑う後輩の顔を見ているとふと、思い出したのだ。あの時の記憶はものすごく曖昧なのだが、確かコイツは片桐早苗と仲が良さそうにしていたな、と。

 

「えぇ、それはもちろん。仲良くさせていただいてますよ」

 

飲み仲間なんです、と彼女は嬉しそうに付け加えた。

 

「へぇ、そうか……。なら一つお願いしていいか?」

 

「先輩が私にですか……? めずらしいですね、先輩が私を頼るなんて……。分かりました、この不肖高垣楓、先輩のお願いとあればどんなことでも遂行してみせる所存です」

 

酔っているせいかはしれないが、やけに自慢げな顔で話す後輩。何でそんなに張り切っているのかは長い付き合いの俺でも分からん。きっと、このまま迷宮入りであろう。

 

「いや、何をそんなに張り切っているのかは分からんが、多分お前なら簡単なことだと思うぞ」

 

そして、俺は何の気にも留めず続ける。

 

「実は、片桐さんのサインが欲しいんだよ。はっきり言ってお前経由で頼むのは卑怯だと思うけど、どうしても欲しくてな……」

 

彼女の導火線にはこの時すでに火花がちらついてたのだろう。

 

「先輩、早苗さんのファンなんですか?」

 

思えばここで気付くべきだったのだ。彼女の声色が普段よりも静かだということを。しかし、ビールでいい気分の俺はそのサインを見落として陽気に続けた。

 

「うん、ファンだよ! 応援している! あの童顔で、あのスタイルというギャップ! しかもそれに加えてお姉さんキャラと来てる! 正直に言って可愛い! 正直に言わなくても可愛い! 」

 

「先輩は、スタイルが良い人が好みなんですか? 例えば、胸とか」

 

「まぁ、必須ではないけど、男としてはやっぱり胸はあった方がいいだろ」

 

「………………」

 

そこで会話が途切れた。俺はようやく彼女を見る。絶対零度の視線と交差した。

 

「つーん、だ」

 

ここで漸く冒頭に戻るという訳だった。あぁ、初めから思い返すまでもなかったな。原因は案外簡単に見つかった。どうやら、我が姫は俺が片桐早苗のサインが欲しいと言うことが気に食わないらしい。

 

「あの楓さん……」

 

「先輩なんてしりません」

 

「少しだけ話を……」

 

「ふん、だ」

 

「あの……」

 

「べー、だ」

 

「ごめんなさい。片桐さんのサインは諦めます。やっぱりお前経由でサインをもらうのは悪いよな。ちゃんと、ライブか何かイベントに行って手に入れます」

 

古今東西、分が悪いと分かったのなら素直に謝るのが正解だ。きちんと座をただし首を垂れた俺の頭上から声が降ってきた。ため息交じりの呆れた声だ。

 

「先輩、私が何で怒っているのか知ってますか?」

 

「だから、俺が片桐さんのサインを……」

 

ここまで話したところで、先輩から横やりが入る。

 

「――違います」

 

ぴしゃりとシャットアウトだ。

 

「色々と先輩には言いたいことが多いですが、一つだけ言わせていただきます。何で、初めてサインをもらう相手が早苗さんなんですか!?」

 

「いやだってファンだし……有名アイドルだし」

 

「ここに、もっと有名なアイドルがいます!」

 

色々と鈍い俺はここにきてようやく彼女が何で機嫌が悪いのかその本当の理由に気付いた。

 

「お前のサインか?」

 

「えぇ、まずは私のサインを貰うべきではないですか」

 

モデル時代から高垣楓直筆のサインにはある決まりがあった。彼女直筆のサインには必ず、その右の余白にナンバーが一枚一枚に書かれてあるというものだ。何でも今ではネット上にて1111や7777などの数字のナンバーが書かれたサインはオークションでビックリするような値段で取引されることもあるらしい。さすが国民的アイドルの高垣楓、その影響力は凄まじい。

 

「お前のサインなぁ……」

 

思わず笑みが零れた。そのまま顔を上げると、居間の柱を見る。そこには色あせた色紙にネズミの這ったような文字が書かれていた。へなへなの文字は確かに高垣楓と読めた。右下のナンバーは1。

 

あれは、確かモデルをやることが決まったアイツが押し付けるように置いていったものだった。もしも、しかるべき場所に出せば俺の目玉が飛びでるような金額が付くであろうそのサインは今も昔も相変わらずそこにあった。きっと、ここに俺が住む限りはずっとあるだろう。

 

「そうです! 自分で言うのもあれですが、私は人気アイドルだと思います! だから……」

 

彼女がここまで続けたとき、こらえられなくなり笑みが出た。久し振りに心の底から出た笑みだ。

 

「いいよ、別に俺はあれで十分だ」

 

「でも、あれは私が押し付けた様な……」

 

彼女はここまで言うと俺を見た。そして、笑みを浮かべている俺を見ると、

 

「まぁ、そうですね。先輩が私の初めてを持っている。それだけで、十分でした」

 

と、何とも反応に困ることを言って笑うのだった。機嫌が戻って何よりだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おまけ

 

 

幾何の時間の後、

 

「先輩、実際に早苗さんと会ってみてどうでしたか?」

 

「やっぱり感動したよ、アイドルが目の前にいるんだもん。オーラと言うか存在感と言うか……持ってるもんがすげぇなって」

 

「一応私もアイドルなんですが……」

 

「お前の場合、一緒にい過ぎてなぁ……」

 

「ほら、私にも存在感とか持ってるものとか」

 

「いやお前、片桐さんに比べると、可愛らしいというかないにも等しいと言うか……まぁ、あれだまな板じゃないだけまし――いってぇ!? なにまた缶ビール投げてんだよ!」

 

「つーん、だ」

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。