俺と後輩と酒と 作:JOS
十話くらいでどうにか完結させたいです。まぁ終わりは見えないんだけど。
そして今回の話ですがくどいように感じたら申し訳ありません。作者の力量不足です。
――そのことに気付いたのは、中学三年生の時だった。
つまらない、そう呟いた言葉は春風に乗り消えていった。四月も半ば、学校が始まり、最高学年になって十日程度経った日のことだった。場所は教室、つまらない話を教師が壇上で言っていた。特に聞く気も無いので板書をする振りをしながら、外を眺める。窓側の一番最後尾は誰にも咎められることもなく外を見ることが出来るため好きだった。
「つまらない」
今度ははっきりと声に出してみる。勿論誰にも聞こえない範囲の声量だ。
――つまらない。
そう、つまらないのだ。別に学校にも家にも不満はない。勉強についていっていない訳でもないし、友達もいない訳ではない。むしろ、勉強に関していえば、学年でもトップレベルという自負もあるし、交友関係も広く、仲のいい友達だって多い。別にこれは嫌味でも何でもない。私の事を知る人物であれば十中八九納得してくれるだろう。
客観的に今私が置かれている状況を考えれば順風満帆と言えるだろう。学業も私生活も何にも問題ない。
――でも、
しかし、足りない。何かが足りないのだ。今の私には、世界がありとあらゆる色素を抜けた様なものに感じる。使い古された陳腐な言葉で言うならば私の世界はモノクロだ。あるいは私の世界はセピアだ、とか白黒だ、と言い換えても良い。どれを使っても似たような物だ。
ともかく、今の私は目に映るもの全てが味気のない、つまらないものに感じてならないのだ。友達と遊んでも大昔のフィルム映画を見ているかのように実感がない。小指の先程も楽しくない。心配を掛けないようにみんなと話すときは笑って見せるが、それも見る人が見ればきっと歪な笑顔だと指摘されるだろう。今の私の笑顔は太宰治の人間失格のはしがきに書かれている少年のような笑顔だ。
自分の笑顔を鏡で見た時に、気持ち悪い笑みに思わず吐き出したようになった。気持ち悪い、自分自身で心の底からそう思った。
――つまらない。
最早口癖にも似たような言葉を心の中に吐き出す。暇つぶしに眺めていた外は私の心中を表すかのような重い重い曇天に覆われていた。まぁ、今の私にとってすれば曇天も晴天も何の変わりもない。どうせ、青空を見ても鈍色にしか感じないのだから。
その日の帰り道の事だった。一緒に帰路についていた友人と別れ、家まで残り数分、曲がり角を二回曲がれば着くという時だ。ぽつりぽつり、と空から滴が落ちてきた。あぁ、そう言えば今朝のニュースで午後からは雨が降るかもしれないと言っていたな、そう思い出している最中にはぽつりぽつりと降っていた雨は勢いを急激に強めていた。傘は持っていたが使う気にはならない。本降りになった雨の中を数歩歩き、立ちどまる。ザーザーと雨音が鼓膜を突く。ポタポタと前髪から滴が垂れる。雨水が下着までしみ込み気持ち悪い。でも、何故かそれ以上足を進める気が起きなかった。ぱさりと手から傘が落ちた。どうせ、差す気も無いのだから気にしない。
強い春の雨はまるで当たり一面を海にでも変えんかの如く降り続ける。灰色の世界はまるで水墨画のようだった。そう言えば、夏目漱石の草枕でこんな一文があったと思い出す。『茫々たる薄墨色の世界を、幾条の銀箭が斜めに走るなかを、ひたぶるに濡れて行くわれを、われならぬ人の姿と思えば、詩にもなる、句にも咏まれる』。
――今の私の状態を純客観に見たらどうなるだろう。
詩に詠めるだろうか、句になるだろうか、自然の景物と美しき調和を保って画に描かれるだろうか。
――無理だ。
自分自身で考えてみて直ぐに否と結論を出す。自分自身のことは自分が一番分かっている。今の私は美しくない。外面の話ではない、内面の話だ。
――分かっている。
そう分かっている。世界が薄墨色の理由も、日常がつまらない理由も。新学期になってから自分に起きた変化なんて一つだけだ。原因を追究するまでもない。
――彼が、彼がいないから。
何時も一緒にいた彼はいない。こういうと悲劇が起こったかのように思われるかもしれないが、そうじゃない。ただ、高校に入学しただけの話だ。そう、私より一つ年上の彼は今春から高校生になった。成長すれば当たり前の話であるし、昔から分かっていたことでもあった。分かっていたつもりだった。彼が高校に上がるとこうなることくらい。でも、私は何も理解していなかった。お陰様で十日でこの有様だ。土砂降りの中濡れ鼠になって立ち尽くしている。
今までだって顔を合わせない期間はたくさんあった。同じ学校に通っていたと言っても毎日一緒に登下校する訳でもないし、そもそも学年だって違う。たまたま通学路で顔を合わせば一緒に学校に向かったり、時たまお昼を一緒に食べる、そして一緒に放課後を過ごす程度の関係だった。長期休暇になると殆ど毎日一緒にいたような感じもするが、学校が始まると顔を合わせない日もざらにあった。
そもそも、小学校の時も私が六年生になると彼が中学に上がってしまったため一年間は同じ学校に通っていなかったのだ。だから、私はその時と同じだと思っていた。でも、それは違った。小学校の時は後一年すれば彼と同じ中学にいけることが分かっていた。今思えば、心のどこかでそれに安堵していたのだろう。
でも、今は違う。彼が高校に入学した。これだけで、私は彼と私の間に距離が出来たと感じた。物理的にも、精神的にも距離が出来た。地元の中学と違い、彼の通う高校はこの街から遠い。電車で片道一時間以上はかかる場所にある高校だ。
県内屈指、いや日本でも屈指の進学校が彼の入学先だ。彼がこの高校に合格が決まった時、多くの人が何かの間違いだろ、と言っていたのを思い出す。教師でさえ、彼の合格に目を疑ったらしい。
彼らは何も分かっていない。確かに、彼は真面目な模範生ではない。素行もどちらかと言えば悪い方だ。それに定期試験の順位だって下から数えた方が断然早い。そんな彼が毎年、赤門があるあの大学に何名もの現役合格者を出すほどの高校に入れたのが不思議なのだろう。
でも、私は知っている。彼は頭がいい、と。定期試験も真面目にやれば学年でトップも簡単だろう。部屋に遊びに行けば分かる。彼の部屋の本棚には、太宰治や夏目漱石に始まり、三島由紀夫や新渡戸稲造、挙句の果てにはヘミングウェイやチャンドラーの原書まで並んでいる。もしかしたら文学に対する知識はウチの中学の国語教師より凄いかもしれない。私が本を好きになったのも殆どは彼の影響だ。休みの日に彼の部屋でただ一緒に本を読むことが結構な回数あった。
もう彼とは通学路で居合わすことも、帰り道に一緒になることもない。高校と中学ではサイクルが違う。それ以前に彼の家から駅に向かうのに私が何時もつかう通学路は通らない。この十日間彼とは一度も会っていない。休みの日に一度家を訪ねてみたが、学校の用事とやらで留守だった。
――このまま距離が出来ていってしまうのかな……。
人と人が疎遠になる。それは生きていれば当たり前の話だし、そこら中に掃いて捨てるほどある話だ。
――嫌だ。
でも私は、それがたまらなくいやだった。自分にとって当たり前のように存在している物が無くなるのがここまで堪えるとは思ってなかった。
――ザーザー。
相変わらず、雨は降っていた。雨音は強い。周りには人一人見当たらない。こんな雨の中外出する人は少ないのだろう。
――先輩。
彼と過ごした日々を思い出す。
――――先輩。
彼の笑顔を思い出す。
――――――先輩。
彼の優しさを思い出す。
視界が徐々にふやけていく。これはきっと雨のせいだ。雨が目に入ったせいだ。誰にでもない自分自身に言い訳をする。
「……先輩」
心底から我慢できなくなった言葉を吐露する。震えるその呟きは誰にも聞かれることもなく雨にしみ込み消えていく――
――筈だった。
「どーした。こんな所で濡れ鼠になって」
――え?
背後から聞き慣れた声が聞こえた。聞き間違える筈のない声だ。雨がふと止んだ。
「こんな土砂降りの中傘も差さずに立ち尽くすなんて、あれか、お前もとうとう中二病でも発症したか? ったく、何とかは風邪を引かないって言うけど、万が一ってことがあるかもしれないだろ」
「……先輩?」
ゆっくりと振り向くと私に傘を差しだした彼が笑っていた。何時もと変わらないあの笑みで。
真っ黒な双眸と目が合う。刹那、世界に色が戻った気がした。
「おう、お前の先輩ですよ」
真新しい黒い学ランに身を包んだ彼は私の酷い顔を見ても気にした様子もなくそう言った。
「なんで……ここに?」
彼の家から高校までは遠い。どれだけ早く帰った所で今の時間はまだ電車内か学校だろう。それにそもそも彼の家から駅までの道は私の通学路とは違う。彼がこの道を使うことはもう無い筈だ。
「あぁ、それね。怠くなってきたから午後の授業はバックレてきたわ。んで、早く帰っても暇だから懐かしきこの道を経由して少し遠回りして帰ろうかと思ったんだよ」
私の疑問に彼はあっけらかんと笑顔で答えた。
「そしたら、お前が一人濡れ鼠で驚いたよ」
とりあえず、このままじゃあれだから帰るぞ。そう言って彼は歩き出す。私もその動きに合わせてゆっくりと歩く。傘を差す気はなかったから二人で一つの傘に入った。下着まで既にびちょびちょだ。今更傘に入る意味はないように思えたが、彼の黒い傘から出ていく気は起きなかった。雨音がさきほどよりも大きく聞こえた。
「ねぇ、先輩」
「ん? どうかしたか?」
濡れ鼠になっていた場所が家の近所だということもあって直ぐに家には着いた。家の前で立ちどまり、彼に聞いてみる。
「学校楽しいですか?」
「んー、どうだろうな……。まだ、入って二週間だけど……何だか物足りないような気がするな」
これからどうなるかは分かんないけど、中学の時の方が楽しかったかな、彼はさらにそう付け加えた。
「ねぇ、先輩。私も先輩と同じ高校に入れますかね?」
「ん? お前ってウチ志望なの?」
「まだ、決まってません。だから、もしもの話です」
彼は悩む間もなく即答した。
「入れるよ。お前なら、間違いなく」
その言葉に救われた。先輩の信頼が嬉しかった。世界に色が戻った。
――簡単な話だったんだ。
中学に上がった時と同じく、同じ高校に行けばいいだけの話だ。たったそれだけの話だ。
「ありがとうございます」
「おう、じゃあ風邪ひかない様に風呂には早くはいれよ」
そう言って彼は踵を返し雨の中消えていった。
――もう大丈夫。
白黒だった世界は鮮やかに彩られた世界に変わる。『世界はすばらしい。戦う価値がある』好きな作品の作者が言った言葉だ。初めて聞いた時は疑問に思ったが、今なら共感できる。世界は素晴らしい、と。
最後に一つグッと右手を握ると、家の扉を開けた。これからは戦い、受験勉強だ。
しかし、結局私は彼と離れたくないこの気持ちが何なのか最後まで分からなかった。ただ一つだけ言えるのは、その感情が恋や愛かと聞かれると首を傾げざるを得ない不思議な感情ということだけだ。
駅から出ても午前中から降り続く雨は止んでいなかった。雨が傘を叩く音を聞きながらぼちぼちと歩く。どれほど歩いただろうか、目的の場所まで後五分少々といったところで、目の前に見知った影を見つけた。黒い大きな男物の傘を差した人物はこちらに背を向けて信号を待っていた。
「うふふふ」
思わず笑みがマスク越しに零れた。
「せーんぱいっ!」
忍び足で近づくと自分の傘を折り畳みその人物の傘に入り込む。
「おっ!? いきなり脅かすなよ、ビックリしたじゃねーか」
そう言って彼は想像通りの反応を見せてくれた。何だか嬉しくなった。
「うふふふふふふ、一緒に帰りましょう」
「何だ、今日もウチに来るつもりか?」
「えぇ」
「…………まぁ、いっか」
少しの間の後に彼は諦めたようにそう言った。
「でも、一緒に帰るのはいいがお前は自分の傘があるだろ、それ使え。この傘に二人は狭い」
「いえ、実は傘がちょうど壊れてしまって」
「んなバレバレの嘘をつくなよ」
「嘘じゃありませんよ。それにほら、こーすれば濡れません」
「だぁ! 暑苦しいから離れろよ!」
「いいじゃないですか、ほら青ですよ。歩きましょう」
「…………はぁ」