俺と後輩と酒と 作:JOS
蝉の声を体中に浴びながら、墓前の前に膝をつき手を合わせる。ここ数年ここには来ていなかったが、誰か俺以外の人間がちょくちょく掃除をしてくれていたらしく、思ったよりも小奇麗になっていた。枯れていた花を取り換え、線香をあげて、手を合わせ、目を瞑る。
季節外れの墓参りのため、俺の他には誰もこの墓地には居なかった。
聞こえるのはクマゼミと季節外れのひぐらしの声。この田舎町ではヒグラシが昔からよく鳴いていた。
「なぁ、親父、難儀なもんだなぁ、人生ってやつはよ」
缶ビールを開けて、墓前に供える。これが所謂罰当たりな行為になるのかは分からないが、この墓に入っているのは先祖代々とかいう人々ではない。俺の親父とお袋の二人だけの墓だ。あの二人ならば礼儀作法何て一笑にして切って捨てるだろうし、二人とも生前から大の酒好きだ。きっと、あの世でも喜んでくれているに違いない。
「前から分かっていたんだけどなぁ……。時が来るとどうしてもな」
――そう、ずっと前から分かっていた。覚悟もしていたつもりだった。
「あーダメだダメだ! どうにも、ここに居ると雰囲気に中てられちまう。ネガティブとかシリアスとかは俺には似合わないよな!」
――そう、何も考える必要も、悩む必要もない。これまで、十分考えて、悩んだ。答えはずっと前から胸にあった。
「じゃあな、親父、お袋! 気が向いたらまた来るわ!」
――答えは出た。覚悟は……まだ決まらない。
「悠々たる哉天壤、遼々たる哉古今、五尺の小躯を以て此大をはからむとす、か」
最後に小さく呟いた言葉は誰にも届くことなく空に消えていった。
「ささ、一杯どうかね」
手にもつグラスにとくとくとビールが注がれる。
「ありがとうございます。おじさん、ささ、お返しに」
お返しにと目の前に置いてあった大瓶を取り目の前に座っている壮年の男性のグラスに注ぐ。男性の横にはこれまた壮年の女性が座り、俺の横にはいつもどおりニコニコと笑みを浮かべた後輩がちょこちょことグラスを空けながら座っていた。
手に持ったグラスの中身を空ける。冷えた炭酸がのどを通り胃に落ちる感覚が伝わる。
――あぁ、やっぱり夏に呑むビールは美味い。
「いやぁ、やっぱりいい飲みっぷりだねぇ。ほら、もう一杯」
「本当にいつも見ても気持ちよく飲むわねぇ」
壮年の男性の言葉に、横に座る女性も同意をしめし、ニコニコと笑いながら頷いた。フワフワと揺れるボブカットに深緑の色の瞳、ニコニコと柔らかく笑うその顔にはよく知った後輩の面影があった。それはそうだ。ここまで言ったら分からない人の方が少ないとは思うが、一応説明をしておこう。今、俺が居る場所は俺の小生意気な後輩の実家だ。例の温泉での約束をそのまま、同窓会にお邪魔するために今日一晩お世話になっているという訳だった。
「ありがとうございます。ささ、おじさんももう一杯」
「ははっ、悪いねぇ」
目の前に座るこの男性は後輩の親父さん。そして、横に座る女性は後輩のお袋さんという訳だ。
「ほら、お前も、飲めよ」
そう言って半分ほど減っていた後輩のグラスにビールを注ぐ。はっきり言ってこの飲み会のペースは異常だ。さすがあの後輩の御両親なだけあってお酒には強い。滅茶苦茶強い。ハイペースで水の様にビールを飲む。このまま付き合っていたら間違いなく酔いつぶれる。なので、ここは酒を注ぐ役に徹して蟒蛇は蟒蛇どうして飲んで貰おうと思ったわけだ。
「ありがとうございます。先輩。ささ、先輩ももう一杯どうですか?」
「いや、俺はまだグラスにまだビール入っているし」
「ささ、先輩」
しかし、俺の思惑は後輩の裏切りによって水泡とかしてしまう。
――コイツまだ根に持ってるのか、温泉の件。
あの一件以来どうにも後輩の態度が冷たいような気がする。まぁ、世間一般的に見て女性の裸を見たら例え、男が悪くなくても、非があるのがこの世の常である。なのでここは素直に折れておく。
「……ありがとう」
そう言って暫く飲んでいた時だった。ビールを機嫌よく飲んでいた彼女の親父さんが陽気な口調で声を発した。
「そう言えば、祝言の日取りは決まったかね?」
「――ぶはっ!」
予想だにしていなかった言葉に思わずむせてしまった。
「げほっ、げほっ。いきなり何を言っているんですか、おじさん」
「いやー、楓もいい加減いい歳だしな。キミならば安心できる」
爽快な笑みを浮かべておじさんは俺へとビールを注ぐ。ちなみにこの大瓶は本日十四本目である。
「そうですね、私もいい加減孫の顔がみたいですし」
おばさんもおじさんに乗っかるような形でそう笑った。
「ほら、彼女はアイドルですし、恋愛事は……」
「そうか、そう言えば楓はアイドルだったか、それならやっぱり恋愛もダメなのか?」
おじさんの言葉に、ウチの馬鹿後輩は、普段と同じ口調でまるで世間話でもするかのように即答した。まるで、それが当たり前の様に、
「大丈夫です。その時はアイドルを辞めればいいですから」
――いや、何も大丈夫じゃないだろ。
心の中で思わずそう突っ込む。高垣楓は国民的アイドルである。この肩書は伊達ではなく、シンデレラガールに一番近いアイドルと呼ばれているのだ。そんなアイドルが恋愛で引退となれば世間で一体どう叩かれるやら……。少なくとも、もしもその相手が俺だとバレたらきっと俺はファンに命を狙われることになりそうだ。
「おぉ! 確かにそうだな。いい加減お前も25になるし、ここいらで落ち着いてもいいだろう」
「そうですね、楓もそろそろ家庭に入って落ち着いてほしいですし。どうです、楓は? 母である私が言うのもなんですが、優良物件だと思いますよ。モデルやアイドルなんてやっているから、容姿もそこそこでしょうし、料理も私が仕込んでます。ほら、今日のご飯も楓が作ったんですよ」
机の上には様々な料理が並んでいた。天ぷらの盛り合わせに、炊き込みご飯、カキフライに、アヒージョ。酒のつまみにも晩御飯にも持って来いのメニューが並んでいた。味の方が全て美味。そのまま料亭で出しても何も問題ないレベルだった。彼女が料理を得意なことは昔から知っていた。たまに弁当やらを作って貰っていた時代もあったため、俺の好みもよく知っている。我が家で飲むときはよく俺と交互でつまみを作っている。
「どーですか? 先輩?」
エビのてんぷらを抓んでいると、彼女が感想を聞いてくる。
「……美味いよ、とっても」
「そうですか、それはよかったです」
ニコニコと温和な笑みを浮かべながら彼女は上品に笑う。その笑みはとても魅力的で、俺は何となく恥ずかしくなり、彼女を直視出来なかった。
「楓と一緒になれば、楓の料理を毎日食べれますし、それに少しくらいは貯蓄もあると思いますし、きっとお金には困ることはなくなるかと思いますよ」
「はい、今すぐに仕事を辞めても毎日遊んでくらしても平気なくらいには貯蓄はあります。先輩、死ぬまで働かなくていいんですよ」
「いや、それを言われて俺にどうしろと……」
後輩のヒモになればいいと言われて俺はどんな反応をすればいいのだろうか。男としてはここで男らしさを見せておきたいのだが、収入でも、頭脳でも、運動神経でも負けている俺に誇れる部分は何もない。きっと今の俺の顔は何とも言えない顔をしているに違いない。
「まぁ、祝言の日取りが決まったら是非、教えてくれ!」
「まぁ、祝言とかそう言う前にまずはお付き合いをしないといけないので……」
「ん? 楓とキミは恋人同士ではなかったのか?」
意外なことを聞いたかのように、おじさんが目を見開く。
「えぇ、残念なことにまだ」
おじさんの疑問に答えたのは後輩だった。何か含みのある言葉で彼女はそう言った。
「うーむ、まぁ当人同士の問題もあるだろうから、今は何も言えんか……。まぁ、今日は飲もう」
そう言って再びグラスに注がれたビールを飲むのだった。
夜の帳が完全に降り、静寂が支配する中、ゆっくりと足を進める。今宵は満月。銀色の優しい光が辺りを照らし、周囲は思ったよりも明るかった。和歌山の田舎町、それが俺と後輩の地元だ。街頭の数も、民家の数も、店の数も全てが東京と比べるとないにも等しいこの場所では星や月が良く見える。
ボンヤリと夏の夜空を見上げながら一歩一歩足を進める。酒により熱くなった肌を夏の夜風が熱を奪う様に吹き抜ける。俺の隣には同じくゆっくりと足を進める後輩の姿があった。酔いを醒ますための散歩ということで俺と後輩は目的もなくプラプラと歩いているという訳だった。
「ねぇ、先輩」
夏の虫が合唱をしている中、彼女はそう話を切り出した。
「うん? どうかしたか?」
俺の返しに、彼女は数秒の沈黙後、言葉を絞り出すように発した。
「――先輩。先輩は何を悩んでいるんですか?」
「……………」
「ここ最近先輩らしくないですよ。何をそんなに悩んでいるんですか? 私には話せない事でしょうか?」
「…………」
「先輩はいつでもズルいです。大事なことは、絶対に話してくれません。あの時もそうでした。私が全てを知るのは何時だって遅かった……」
「…………」
――選べる選択肢は何時だって少ない。
「先輩、話してくれませんか?」
「…………」
――選べる選択肢があると思えば、その全てが間違っていることすらある。
「私では力になれないですか? 私では……」
――間違い方しか選べない世界で、俺は何を選ぶべきだったのだろうか?
「世界を旅してまわっても自分自身からは逃れられない」
いつかの昔、雪降るあの屋上で彼女に放った言葉が返ってきた。
――あぁ、そうだ自分からは逃げられない。
「…………」
――この選択肢が間違っていることは分かっている。でも、その選択からは逃げられない。
「どうせ、逃げられないのなら一緒に戦いましょう。世界は素晴らしい、戦う価値がある。先輩、私と一緒に戦いましょう。一人では悩むだけかもしれませんが、二人なら……」
「…………」
――賽はとっくの昔に投げられている。もう、何も止められない。
「先輩……。先輩、この手を取って下さい。私に、私に先輩を救わせてください」
――なに泣きそうな顔をしているんだよ。
その時なって気付いた。俺は何をしている? 可愛い後輩を泣かせるような真似をして、一体俺は何様なのだろうか?
――答えは既に出ていた。必要なことは覚悟だけだった。その覚悟も今、決まった。もう迷わない。
だから、
「何言ってんだよ! 俺はいつも通りだ! 心配するな」
俺は笑う。いつも通りの笑みで、普段通り、平生通り。くしゃくしゃと後輩の頭を乱雑に撫でると、力強く右足を踏み出した。彼女の顔は見れなかった。
がやがやと雑踏を聞きながら、ウェイトレスから受け取った白ワインを一口飲む。基本的酒ならば何でも飲むのだが、例外的に赤ワインだけは体が受け付けない。高い赤ワインを飲んでもスーパーでたたき売られている赤ワインを飲んでも、全て同じ味に感じてしまうのだ。どうやら俺の馬鹿舌では味の違いを把握でき無いようだ。
「なぁなぁ、いつ姫と結婚するんだ?」
横に立っていた黒いスーツに身を包んだ男が聞いてくる。彼は高校時代のクラスメイトだ。つまり、今俺が居るのは同窓会という名目の立食会だ。少し離れた所には多くの人に囲まれた後輩の姿が見えた。ドレス姿の後輩は笑顔で周りの人と話しながら優雅にワインを飲んでいた。
まったく何処にいっても人気な奴だ。
「何言ってんだよ?」
「何言ってるんだよ、は俺のセリフだ。いい加減姫とくっつけよ。賭けが終わらないだろう」
彼がいう姫とは勿論、俺達の後輩である高垣楓のことだ。高校時代でも莫大な人気があった彼女はいつの間にかこのあだ名で呼ばれることになった。まぁ、今みたいにドレスを着ていると本当に何処かの御姫様という感じがする。
「賭けってまだやってるのか……」
「おう、高校時代から繰り越しに繰り越しを重ねて、今では小金持ちになれるくらいにはプールされているんぜ」
「お前ら相変わらず暇なのな……」
ちなみに、掛けの内容は高垣楓と俺が付き合うか付き合わないか、だ。期間は彼女が誰か特定の男性と付き合うまで。
「まぁ、俺たちの世代だと楓ちゃんに話題が集中してるのはしょうがないだろ。それに賭けって言っても皆が皆、お前と楓ちゃんが付き合うに賭けているから、賭けになっていないんだけどな」
彼はそう言って笑う。
「じゃあ、俺が賭けを成立させてやろう」
スーツの胸ポケットから財布を取り出し、中から一万円札を一枚取り出す。
「高垣楓は他の誰かと、幸せになるに、一万だ」
「こんな夜分に遅くにすみません」
「いや、別に構わないがどうかしたか?」
「少しだけおじさんとおばさんにお話がありまして」
「なるほど、楓には聞かれたくないことかね?」
「……はい」
「ふむ、ここで話せるような内容かな?」
「家の中だとアイツに聞かれるかもしれませんので……すみませんが」
「なるほど、分かった。では、近所のバーにでも行こうか」
「……すみません」
「気にすることはない。それでは行こうか」