「ただいま」
「あ、あぁ」
適当なベンチでパンを食べ終え、部屋に戻った俺を迎えたのは、寝間着であろう薄手の着物を身に纏った箒だった。入口から見て奥側のベッドに腰掛けながら、彼女はチラチラとこちらを見ては目を逸らしている。なんというか、挙動不審だ。
「……なんだよ?」
「す、少し話をしないか? 一月か二月とはいえ、同じ部屋で生活する以上、ある程度の線引きは必要だと思うのだが……」
「まぁ……確かに。それはそうか」
箒の言葉に頷きつつ、部屋の隅に置いてあった自らの荷物を手前側のベッド付近に移動させる。こういうものは手の届く範囲にある方が落ち着くのだ。そうしてから、箒と向き合うような形になるように俺もベッドに座る。
「そういえば、この部屋って浴室以外に何があるんだ?」
「浴室ではなくあれはシャワー室だぞ、一夏。その他となると……あそこにキッチンのようなスペースはある。とはいってもあまり大きくはないがな。基本的にここの生徒は食堂で食事することを前提にしているのだろう」
箒が指差した場所には確かに小ぢんまりとしたキッチンがあった。棚をいくつか開けてみると調理器具も備えられているようだ。ただ彼女の言う通り、寮には立派な食堂がある。ここを使う機会など、お茶かコーヒーを淹れる時くらいだろう。
「箒、トイレってどこだ?」
「部屋にはないぞ。各階の両端に二ヶ所ある」
「うわ、マジか……」
個室にトイレがない。その事実は俺に結構なダメージを与えた。ISが女性にしか動かせない都合上、このIS学園にいるのも女子だけな訳で、男子トイレがないことは当然のことなのだが……これでは不便のいいとこだ。また先生に相談してみよう。
「……ってことは、今決めるべきは浴室の使用時間くらいか」
「そうだな。私は部活に入っているからな、出来れば先に使わせてもらいたいのだが……」
「あぁ、それでいい」
物事に対して特にこだわりを持たない俺が遠慮すれば、大概のことはスムーズに決定する。残念ながらクラス代表はそうはいかなかったが。周りが挙って俺を推薦するなど、中学時代では考えられないことだった。
「さて……俺、ちょっとシャワー浴びてくるから」
「い、一夏」
着替えの一式を荷物から見つけ出し、立ち上がった俺を箒が呼び止めた。
「どうした?」
「えっと……その……」
「……?」
「……いや、なんでもない。呼び止めて、すまない」
箒はそれ以上、何も言わなかった。ただ俯いて口をつぐんでしまう。
らしくない。今の箒を見てそう感じるが、どう声を掛けていいのか分からなかった。それどころか、彼女とどんな風に接していいのかも分からない。こういう場合はとりとめもない会話でもすべきなのだろうか。だが、今の箒を見るに話など出来そうにもなかった。
結局、俺はモヤモヤした何かを胸に抱えながらもどうすることも出来ず、リビングを後にしてシャワー室に向かった。
後になって思えば、この時の箒は俺と同じ気持ちだったのに違いない。六年ぶりに再会した幼馴染み、それが想像よりも変わっていれば、どう対応していいのかも分からなくなるだろう。自分は変わったという自覚を持ちながら、しかし俺はそのことに気付かなかったのだ。もっと箒寄りの目線で考えていれば、彼女を不安がらせる必要などなかっただろうに……。
結局、俺は自分のことで精一杯だったのだ。
△▽△▽
翌朝、俺と箒は二人で学生寮の食堂を訪れていた。これから剣道部の朝練がある箒に付き合っているため、今の時刻はまだ七時前だ。それ故、食堂を利用している生徒もかなり少ない。食堂の広さ自体が大きいこともあって、その少なさが顕著に表れている。その少なさが今の俺には何よりありがたかった。
券売機で食券を購入し、出来上がった料理を受け取って適当な席に座る。壁際にある二人用の席だ。朝食は無難な和食セットを選んだ。味噌汁と塩鮭の香ばしい匂いが胃袋を刺激してくる。前にしているだけで腹が減ってくるようだ。
「それじゃあ、いただきます」
「いただきます」
向かい合って座った箒と共に手を合わせ、白い湯気を上げる料理へと箸を伸ばす。昨日はちゃんと食事をしたとは言い難かったせいか、自分でも驚く程に箸が進んだ。温かいご飯がこんなに美味しいなんて、久しく忘れていた。
「美味いな、これ」
「あ、あぁ。そうだな」
向かい側で黙々と食事をする箒に話を振ってみるが、返ってきたのは短い同意だけだ。そして会話はそこで終わる。漂い始めた若干の気まずい空気に、俺は少しだけ眉をひそめた。
「(……まぁ、無理に距離を詰める必要もないか)」
あくまで俺の予想だが、恐らく箒は俺といることを嫌がっている風ではない。ならば、これから一緒にいるうちに上手くやっていけるようにはなるだろう。
友人なんて作れなくてもいいと昨日まで思っていた自分が、今日になると再会した箒との関係を案じている。我ながら妙な感じがすると、俺は塩鮭をほぐしながら小さく苦笑した。
「ふぅ……ご馳走さまでした。あぁ~、美味かった……」
「ご馳走さまでした。では一夏、私は朝練に行ってくる」
「おう、頑張れ」
一足先に荷物を持って去っていく箒を見送り、俺もまた食器の類いを返却しに行く。ご馳走さまでした、また来ます、と。白い帽子とエプロンを付けたおばちゃんに頭を下げ、程よい満腹感と共に食堂を後にした。
部屋へと戻った俺は教室に行くまでの時間を、電話帳並みにやたらと分厚い参考書を読むことに使う。ISについての知識面は他の生徒と比べて後塵を拝しているのが現状だ。世界唯一の男性IS操縦者は馬鹿だと思われないためにも、最低限のことは覚えておかなくてはならなかった。
「勉強、あんまり好きじゃないんだけどな……」
愚痴や文句を言っても仕方ない。頭では理解しているつもりだが、そう呟かずにはいられなかった。
△▽△▽
「織斑、お前のISだが学園で専用機を用意することになった」
そんなことを千冬姉が言い出したのは、午前の授業も残すところ一つになった四時間目のことだった。その一言に教室中がしんと静まり返った後、今度は一斉にざわめき始める。
「専用機……ですか?」
「あぁ、そうだ。教科書の六ページ、音読しろ」
俺の鸚鵡返しに千冬姉はこくりと頷き、その目で教科書を一瞥した。俺は言われるがまま六ページを開き、そこに記された文章をゆっくりと音読する。
ここに書かれていることを自分なりに要約すると、『ISの心臓たるISコアは467個と有限であり、それらは全て国家、あるいは企業に割り振られている』ということになる。つまり専用機とは国家ないしは企業に所属する、本当に限られた人間にしか手にすることの出来ない、とても大変な代物という訳だ。
有限であるISコアを個人に委ねるのだから、それに伴う責任は当然計り知れない。逆にそれだけの物を与えられるということは、その人物にとって相当な名誉となる場合もあるだろう。専用機とは全てのIS操縦者にとっての目標なのだ。
そんな、選ばれし者にしか与えられない専用機が、ただISを動かせるだけの俺に支給されるらしい。
「恐らく、男性操縦者のデータ収集が専用機の主な目的だろう。だが、専用機を渡されるということに違いはない。その意味をしっかり理解しておけ」
では授業を始めるぞ、と。言うべきことは言ったとばかりに、千冬姉はそのまま授業を開始する。後ろの方では準備をしていなかった生徒が慌てて教科書を引っ張り出しているのか、ゴソゴソという物音がやけに大きく聞こえた。
正直、いきなり専用機を渡されると言われてもどう反応していいのか分からないというのが率直な感想だ。今の思いを既存の形に当て嵌めるとすれば……畏れ多い、というのが一番しっくりくるだろうか。いくら俺が世界唯一の男性操縦者であるとはいえ、500にも満たない貴重なISコアを受け取っていいものなのか? 俺に渡すくらいなら他の人に渡した方がずっと意味があるのではと、そう思ってしまうのだ。ここで素直に喜べる程、俺も子供じゃない。
「あの、織斑先生。篠ノ之さんって、もしかして篠ノ之博士の関係者なんですか?」
誰かが言ったそんな言葉に、沈んでいた意識が急速に浮上する。チラリと箒の様子を伺えば、突然のことに固まっているようだった。
「そうだ、篠ノ之はあいつの妹だ」
そしてその言葉を千冬姉は肯定する。それを教師である千冬姉の口から言って大丈夫なのかと、俺の心中は穏やかではなかったが、しかし他の生徒達は箒が篠ノ之博士──ISの生みの親、篠ノ之束さんの身内であることの方がずっと驚きだったようだ。
「えぇ!? 篠ノ之さんって、篠ノ之博士の妹なの!?」
「じゃあもしかして篠ノ之さんも天才だったり!?」
「今度色々教えてよ! ISのこととか、篠ノ之博士のこととか!」
数人の例外を除き、好き放題に捲し立てながら箒の周りに群がる生徒達。他人事であるにも関わらず、俺はその光景に酷くイライラした。
だが、この場で最も苛立ちを覚えたのは俺ではない。
「あの人は関係ないっ!」
叫びにも似た怒声が木霊し、先程までが嘘のように沈黙が訪れる。何が起きたのかと呆然とする生徒達、そんな連中を箒は鋭い目で以て見渡した。そして一瞬だけ、その瞳が憂いを帯びたことを俺は見逃さない。
時間にして僅か数秒の出来事、しかし俺は今の箒の気持ちを理解してしまう。痛い程に、理解出来てしまうのだ。
誰もが自分を通して姉を見ていることへの寂しさ。
自分が見られていないことへの悲しみ。
自分を見ようとしない周りへの苛立ち。
そして、思い込みによる勝手な想像を押し付けてくる身勝手さへの激情。
あの場にいた全員が箒を『篠ノ之箒』ではなく、『篠ノ之束の妹』として認識していた。誰もが箒自身を見ておらず、あまつさえ彼女を自分達のいいように扱おうとすらしたのだ。なんという驕慢さ、なんという図々しさなのだろう。箒が怒るのも当然のことである。
「(……そうか、
自分が苛立った理由が今なら分かる。先程の箒と生徒達は、まさに中学時代の俺そのものだったのだから。『織斑千冬の弟』としてしか扱われず、周囲からの妬みや僻み、嫉妬といったものに反発し、憔悴していたあの頃の自分。それがさっきの箒と被って見えたのだ。
「お前達、誰が立ち歩いていいと言った? 授業の途中だ、さっさと席に戻れ」
そんな少し強めの千冬姉の言葉によって、箒の周りに群がっていた女子達は蜘蛛の子を散らすようにバタバタと席へ戻っていく。その後授業が終了するまでの間、千冬姉は束さん本人に関する話を口にすることはなく、生徒達もまたそれを問うようなことはしなかった。
きっと箒は授業を受けながら、時々外の景色を眺めて黄昏ていたのだろう。確証はなかったがなんとなくそんな気がした。