鳴り響くチャイムが授業の終わりを告げ、千冬姉が教室を出た途端に、後ろの席から一斉に溜め息や呻くような低い声が聞こえてくる。いつにも増して重い空気の中で授業を受けた反動だろうか。尤も、その原因を作ったのは生徒達本人だ。自業自得だと思いこそすれ、同情など一欠片も湧きはしない。
「ご機嫌よう、織斑さん」
「……オルコットさん」
昼休みになったことだし食堂に行くかと腰を上げたその時、オルコットさんが不敵な笑みと共にやって来た。口調こそ柔らかではあるが、その目からは敵意がチラついている。
「どうやら専用機が用意されるようですわね」
「らしいな。どんな反応をすればいいか分からないけど」
「そこは喜んでおいた方がよろしいのではなくて? このセシリア・オルコットに勝てる見込みがほんの僅かでも出来たことでしょうし」
ですが、とオルコットさんは言葉を区切った。
「専用機を使えるのは貴方だけではありません。わたくしにも専用機は与えられていましてよ」
「なっ……!?」
すっと左耳に付けたイヤーカフスを撫でながらそう宣言するオルコットさん。それに対して俺は、目を見開いて驚きを露にすることしか出来なかった。
専用機を有している。それはすなわち、彼女がイギリスの代表候補生の中でも、極めて優れたIS乗りであることの証明に他ならない。
「訓練機で挑まれるのでしたらハンデの一つでも考えていましたが……専用機を使うならそれも不要そうですわね。試合は六日後です、楽しみにしていますわ。公衆の面前で、貴方を叩きのめして差し上げましょう」
既に勝ちを確信しているであろう絶対的な余裕を見せびらかしながら、オルコットさんは一礼と共にその場を後にしていった。一方、その場に取り残された俺はただその背中を見送ることしか出来ず、やがて彼女の姿が完全に見えなくなってから、大きく溜め息をついて席に座り直した。
「(まさかのオルコットさんが専用機持ちか……。こっちはただでさえ詰んでるっていうのに、こんなの泣きっ面に蜂ってレベルじゃないぞ……)」
元々勝ち目などなかった。そもそも勝つ気すらなかった。勝ったところで得られるのはクラス代表という欲しくもない役割であり、そんなものはやりたい者にやらせておけばいいのだ。
ただ、敗北した場合は敗北した場合で、面倒なことが待っているのは想像するに難くない。女尊男卑主義者達はオルコットさんに負けた俺を『雑魚の男』、または『ISを汚した存在』として、千冬姉の熱狂的なファン達は『千冬お姉様の面汚し』として俺を見下し、排除しようとする輩も現れることだろう。今はまだ大人しいが、こういう者はどんな環境にでも一定数はいるものである。これまでがそうだったのだ、これからもきっとそうなるに決まっている。
では、どうすることが最適解であるのか? それは周りを納得させられる程度に善戦することだ。頑張っていたが仕方ない、そう思わせることで敗北時の反動を軽減させるのである。
だが、俺が専用機を持つことになり、更に専用機を持つオルコットさんが手加減なしで来ると言った以上、それも限りなく不可能になってしまった。俺と彼女の間には経験という圧倒的な差があり、それを試合までの六日で覆すことは出来ない。ただでさえゼロに等しかった勝ち目が、これで万が一にもなくなったのだ。
故に、詰み。
加えて、観客の目の前で無様に負け様を晒さなければならない公開処刑付きだ。
「(入学二日目にしてお先真っ暗とか……俺が何をしたって言うんだよ……)」
いや、
俺に才能や力があり、千冬姉の弟として相応しい人間であったなら、こんなことで一々悩まずに済んでいる。全ては俺が至らぬばかりに起きる必然なのだ。
「おい一夏……一夏?」
不意に掛けられた声に顔を上げると、箒が心配そうな様子でこちらを見つめていた。
「……どうした。何かあったのか?」
「いや……自分の運のなさがちょっと嫌になっただけだ。心配いらない」
「嘘をつくな。今のお前は……酷い顔をしているぞ」
箒はポケットから取り出した手鏡を俺に向けつつ、小さな声でそう言った。そこに映る俺は虚ろな死んだ目をしていて、かつ端から見ても取り繕っていると分かる笑みを浮かべており、そのアンバランスさ故にかなり不気味な表情となっていた。なるほど、これでは酷いと言われても無理はない。
「……とりあえず昼食に行くぞ。さっさとしなければ授業に間に合わん」
「……そうだな」
ずっしりと重い体を持ち上げ、先行する箒の後ろをおぼつかない足取りでついていく。先程までたった昼飯に対する楽しみは綺麗に消え失せ、あまり食欲がない状態ではあったが、それでも食べなければ午後からやっていけない。出来るだけ食べやすそうなものを選び、俺は券売機のボタンを押した。
席についてからも俺達の間に会話はなかった。お互いに無言のまま、目の前にある料理を胃に押し込み続けている。これでは食事という名の作業だ。頭では分かっているが、しかし今の俺に食事を楽しむ余裕などある筈もない。
「一夏、楽しそうに食べろとは言わないが……その、もう少しなんとか出来ないか? 目の前で暗くなられてはどうもな……」
「ん……あぁ、ごめん」
「……一体何があったのだ? さっきからお前は変だぞ。死人のような目と顔をして、溜め息ばかりついて」
一旦食事を止め、カタリと箸を置いた箒が、真剣な面持ちで尋ねてくるが、話したところで軟弱者とばっさり切り捨てられる可能性もある。箒はこのIS学園においてただ一人の知己で、唯一俺を俺として見てくれている人だ。返答次第では彼女がいなくなるかもしれない、そう思うとなかなか言葉に出来なかった。
「一夏、聞いているの──」
「ねぇ、君が噂の男性操縦者?」
なかなか口を開こうとしない俺に苛立ったのか、声を荒らげようとした箒。そんな彼女を遮るようにして、知らない女子生徒が声を掛けてきた。学年を表すのだというリボンの色は赤色、つまり三年生だ。
「代表候補生の子と勝負するって聞いたんだけど、それ本当?」
「まぁ……一応」
俺は質問に答えつつ内心で盛大に舌打ちをした。昨日のことがもう三年生にまで伝わっているなど、いくらなんでも噂の広がるスピードが早すぎる。上回生の情報網が凄いのか、はたまた口の軽い連中が多いのか、いずれにしても俺にとって喜ばしいことではない。
「でもさ、君って素人だよね。このままじゃきっと勝てないよ?」
「そうでしょうね」
「そうでしょうねって……君、勝とうとか思わないの? 仮にも勝負なのに……」
「だからなんなんですか? 先輩には関係ないでしょう」
「な、何よ、その口の利き方。せっかく私がISについて教えてあげようと思ってるのに……」
……せっかく? 教えてあげよう? こちらから頼んでもいないくせに、随分と恩着せがましい言い草だ。この学園の連中は揃いも揃って面の皮が厚いらしい。
俺は溜め息と共にゆらりと席から立ち上がる。年下とはいえ俺は男で相手は女、十センチはあろう身長差によって必然的に相手を見下ろすような体勢となる。加えて今の俺は箒曰く、死人のような顔と目をしているらしい。そんな人間に睨まれれば、大抵の者は恐怖するものである。目の前で短く悲鳴を上げた彼女のように。
「そんなこと、今更アンタに言われるまでもなく分かってるんだよ。相手は訓練に訓練を重ねた代表候補生で、こっちはISをまともに動かせもしないド素人。子供だってどっちが勝つか分かるさ。それともなんだ──」
ギョロリと自分の目玉が蠢き、女子生徒を捉える。
「アンタが教えてくれるのか、ド素人が代表候補生に勝つためのやり方を? たった六日で? もしそれが出来るなら、アンタは大層なIS操縦者ってことだよな? 少なくともセシリア・オルコットより遥かに強いに決まってる。違うか?」
「っ……それは……!」
淡々とした抑揚のない俺の言葉に女子生徒の表情が歪む。何か言ってやりたいが上手い返しが出てこない、そんな顔をしていた。
「それは、なんだよ? ……あぁ、そういえばアンタの名前を聞いてなかった。さぞかし有名なんだろう? なんてったって、アンタはド素人の俺を代表候補生に勝たせることの出来る人なんだから。その算段があるから、わざわざ俺に声を掛けたんだろ? まさかアンタが大して優秀でもない無名の生徒で、俺に恩を売って甘い汁を吸おうとしてるなんて……そんな訳がないよな? なぁ?」
「っ! だ、黙りなさいよ! 気持ちの悪い男のくせに! アンタなんてこのまま無様に負けて醜態を晒せばいいんだわ!」
喚くように捨て台詞を残し、女子生徒は顔を真っ赤にして去っていく。その小さくなる背中にざまぁみろと嘲笑を一つ、そして俺は息をついて席へと座り直した。周りからの冷えた視線に気付かないふりをして。
「……今のは、いくらなんでも言いすぎではないか?」
そう言った箒の瞳には様々な感情が浮かんでいた。困惑、不安、怒り、失望、恐怖。正面からやって来るそれらを、俺は拒むことなく受け止める。
「鼻につくんだ、ああいう心のどこかで見下してるような態度って。今回は虫の居所が悪かったっていうのもあるけど……。気を悪くさせたなら謝るよ。ごめん」
「……お前は、オルコットとの試合を、負けてもいいと思っているのか?」
「それは……正直、負けても仕方がないとは思ってる。今回の勝負はどう考えたって無理なんだよ」
脈絡もなく突然問いが変わるが、俺はあくまでも冷静に答える。そんな俺の返事が気に食わなかったのか、箒の眼光が一瞬にして鋭さを増した。
「敗北を受け入れている時点で何も違わない……! お前は、戦う前から諦めているのか……!? 万が一の可能性を信じて戦おうとは思わないのか……!?」
周囲の目があるためその声量は小さいが、はっきりとした語調で箒は吼える。剣道というスポーツを一筋でやり続けてきたが故の、如何にも彼女らしく、また尤もらしい台詞だ。諦めなければ、努力すれば、本番で奇跡が起こるかもしれない。彼女はきっとそう言いたいのだろう。
だが、駄目だ。
足掻くことの無意味さを知ってしまった俺に、その言葉は届かない。
「その万が一もあり得ないんだよ、箒。剣道をしてるお前なら分かる筈だ。ろくに竹刀も握ったことのない素人とプロが戦えばプロが勝つってことぐらい。これは最早、そういう次元の話なんだよ」
「一夏……」
「俺だって負けたくないさ。負ければ悔しいし、惨めな気持ちにもなる。でも、どうにもならない時だってあるんだ。そういう時はもう、結果を甘んじて受け入れるしかない。例えどれだけ嫌でも、どれだけ納得出来なくても……そこで駄々をこねたってどうしようもないだろ」
自分に言い聞かせるような言葉に、思わず声が上ずりそうなる。それでも俺は箒から目を逸らすことなく言い切った。テーブルの下に隠していた固い握り拳をゆっくりと解いていく。
誰が負けたいものか。みっともなくもがいて、足掻いて、それで勝てるのならいくらでも醜態を晒してやるとも。
けれど、現実はそう上手くいかない。努力したところで出来ないものは出来ないし、諦めなければならない状況だって訪れる。
割り切るしかないのだ。
そうしなければ、俺は『織斑千冬の弟』という重圧に殺されかねないのだから。
「……お前は、変わったな。変わって、しまったのだな」
ポツリと呟かれたその一言に果たしてどれだけの想いが込められていたのか、俺に知る術はない。しかし、きっと何か、箒にとって大切な想いがあったのだろう。
今にも泣き出してしまいそうな彼女を、俺は虚ろな瞳でじっと見つめる。
「俺も、お前が変わったと思ってたよ。でも……その真っ直ぐなところは、全然変わってなかったんだな」
「っ……今夜、話をしよう。私の知らない六年間を、お前の許す範囲でいい……。どうか、教えてくれないか……?」
「……分かった」
すがるようにこちらを見る箒に対し、俺は小さく頷く。本当ならあまり話したいことでもなく、思い出すことすらしたくないというのが本音ではあるが、彼女の懇願を前にしては断れる筈がなかった。
正直、箒が何故ここまで俺にこだわるのかは分からない。いくら幼馴染みとはいえ俺達は他人で、更には六年も離れていたのだ。一体何が彼女を動かしているというのか。
ただ、本当に話したくないなら関係ないと一蹴するのは簡単だった筈だ。IS学園に来てから僅か二日、しかし俺の精神は思っていた以上に削られ、参ってしまっていたらしい。
それこそ、再会したばかりの知己にすら弱音を吐き出したいと思う程度には。
今回の話、箒だったら軟弱者って一夏を切り捨てる可能性もあったんだけど、それやるとこれから箒をすごく使いにくくなるし、何より後から来た鈴が確実にキレてお説教することになるので、こんな風にしました。ヒロインをアンチするとかしたくないんで。
やっぱりアンチされるヒロインより健気に頑張るヒロインの方がええやん?