時間が流れるのは早いもので、あっという間に入学してから一週間が経過した。この一週間何をしていたのかと問われれば、俺は迷うことなく勉強と答えるだろう。基礎的な知識が不十分な俺は、予習復習をしなければ授業にすらついていけないからだ。
勿論、オルコットさんとの試合が控えていることは分かっている。しかしそれに関してはどう足掻いても詰みの状態、頑張ったところで意味はないし、そもそも試合に向けて出来ることが少なすぎるのだ。オルコットさんの専用機を調べ、研究しようにもろくな情報が集まらず、ISの練習をしようにも訓練機は予約制で使えないとのこと。唯一出来たことと言えば、千冬姉に教えてもらった暇な時間を使ってのイメージトレーニングくらいなものである。
そんな訳で、俺は何一つとしてまともな準備も出来ぬまま、今日の試合へと臨むことになってしまったのだった。
「……遅い」
ウエットスーツのような全身を覆い隠すタイプのISスーツを身に纏い、第三アリーナのAピットにて十分近く待機している俺は、ポリポリと頭を掻きながらそう呟く。こんなところで待ち惚けを食らっている理由、それは俺の専用機とやらがまだ到着していないからである。俺としては専用機などなくても構わないのだが、学園側からすればそういう訳にもいかないらしい。結果として、俺はこうして待たされているという訳だ。
「暇だなぁ……」
思わずそんなことをぼやくが反応してくれる人は誰もいない。このピットは関係者以外立ち入り禁止なのだ。出来ることなら箒がここにいてほしかったのだが、残念ながらそれは叶わなかった。
あの夜に過去を打ち明けて以来、俺と箒の関係はそれなりに進歩するようになっていた。少なくとも初日に感じていたような気まずさや居心地の悪さはもうしないし、会話らしい会話も出来るようになった。時々、箒が何かを言いたそうに俺を見ていることもあるが、それ以外は概ね良好と言ってもいいだろう。今日に至るまで彼女と一緒にいることが多かったこともあり、こうして一人でいるとどうも退屈な気がしてきてしまう。
「一夏」
「ん、千冬姉」
名前を呼ばれて振り返れば、そこにはいつもの黒いスーツに身を包んだ千冬姉がいた。千冬姉と呼んで怒られなかったということは、どうやら今の千冬姉はプライベートな状態のようだ。そうと分かった途端に、肩から余計な力が抜けた。
「いよいよだな」
「おう」
「……勝てると思うか?」
「まさか。千冬姉だって分かってるんだろ」
間髪入れずに即答した俺に、千冬姉は少しばつの悪そうな顔をした。俺達の間に少しだけ気まずい空気が流れる。
俺がオルコットさんに勝てるかなど、わざわざ聞くまでもないことだ。元とはいえ世界最強のブリュンヒルデたる千冬姉が、そんなことも分からない筈がない。
「……すまない、一夏」
「謝らないでくれよ、千冬姉。千冬姉は何も悪いことはしてないだろ」
「だが、私があの時お前の辞退を許していれば……」
「それ、別に間違ってないと思うけどな。どんな理由であれ、俺が周りから推薦されてたことは事実なんだしさ。千冬姉は教師として正しいことをしたんだよ」
その言葉に嘘偽りは一切ない。俺はオルコットさんと試合することになったことに対し、千冬姉が罪悪感を背負う必要はない筈なのだ。
偉そうなこと言ってごめん。俺はそう言って笑って見せた。
「お、織斑君! 織斑君!」
そしてちょうどその時、出ていったっきりだった山田先生がようやく帰ってきた。かなり急いできたのだろう、その呼吸が整うまで追加で時間が掛かった。
「来たんですか、専用機?」
「はい! 本当にお待たせしました! こちらが織斑君の専用機、『白式』です!」
その言葉に呼応するように、ピットの搬入口がゴゥンと重い音を立てて開き始めた。数秒後、扉が完全に開いたことでその中に鎮座していた俺の専用機が露になる。
「(こいつが……俺の……)」
目の前に現れた白式という名らしい銀色の装甲のISを、俺は暫しの間じっと見つめる。とはいえ、それだけだ。呆気に取られることもなければ感嘆することもない。専用機が到着したという事実を至極あっさりと受け止めた俺は、入学試験で一度だけISに乗った時のことを思い出しつつ、白式の開いた装甲へと背を預けた。直後、カシャカシャと音を立てて装甲が動き、俺と白式が一つになる。
「一夏、気分は悪くないか? どこか違和感はないか?」
千冬姉の心配そうな声に首を横に振る。頭の中に膨大な量の情報が絶え間なく流れてくるせいで、眩暈と頭痛が併発しているが、これはすぐに収まるだろう。分かる範囲での異常も見当たらないため、いつでも動き出せるような状態になっていた。
一応問題があるとすれば、この機体がまだ
「(まぁ、そんなことはどうでもいいんだけどな)」
内心でそう溢しつつ、カタパルトに向けてゆっくりと歩き出す。ガシャン、ガシャンと一歩を踏み出す度に喧しい足音がした。
忘れてはいけない、これは元々勝てない勝負なのだ。専用機があろうがなかろうが、一次移行が終わっていようが終わっていまいが、そんなことは全て些細な問題である。
「……行きます」
「あぁ。行ってこい、一夏」
「織斑君、頑張ってくださいね!」
千冬姉と山田先生が激励を背に受け、俺はカタパルトから勢いよく射出された。薄暗かったピットから明るいアリーナへ、一瞬にして景色が変わる。そして──その上空には、既に準備を終えたオルコットさんが待機していた。
「ようやく来ましたのね。あんまり遅いので逃げ出したのかと思っていましたわ」
「こいつがなかなか届かなかったんだよ。文句なら俺じゃなくてこいつの製造者に言ってくれると助かるね」
そんな会話をしつつ俺はゆっくりと上昇し、途中で何度も体勢を崩しながらオルコットさんと同じ目線の高さまで移動する。ISの操縦は今回で二回目、スムーズに動けという方が無理な相談だ。ISに乗ってみて再度分かったことだが、これでは冗談抜きで勝負にならない。こんな移動すらもままならない俺が、どうやってオルコットさんに勝てというのか。
ちなみに、オルコットさんの専用機は『ブルー・ティアーズ』という青いISだ。滑らかかつ洗練された流線型の装甲が多く、操縦者たるオルコットさん自身の佇まいもあって、その姿は気品ある騎士を彷彿させる。右手には生身では持ち上げることも出来なさそうな大型のライフルが握られていた。あんなものに撃たれたらどうなるのか、ISには絶対防御という操縦者を守る仕組みはあるのだが、それでも考えただけで体が震えた。
「(武器……そうだ、こいつの武器はなんだ?)」
俺が念じるように強く思うと視界の右側に、展開可能な装備の一覧が表示された。だが、それを一覧と呼ぶには少々語弊がある。何せそこには、近接ブレードと書かれた装備しか存在しなかったのだから。
「……なぁオルコットさん。ISの武器って普通、近接用と遠距離用の二つがある筈だよな?」
「? 何を当たり前のことを。そんなものはISバトルの基本ですわ」
「……このIS、近接ブレードしか武器がないんだけど」
「……はぁ?」
ありのままの事実を伝えたらおかしなものを見るような目をされた。そうなる気持ちは確かに分かるのだが、しかし現にこの白式にはこれしか武器が搭載されていないのである。一体誰だ、こんな不良品を寄越したのは。
「……同情はしませんわ。わたくしにとって貴方は敵なのです。敵の不幸を喜ぶような真似をするつもりはありませんが、かといって情けを掛ける気も毛頭ありません」
手にした大型ライフル──スターライトmk. Ⅲの銃口をこちらに向けながら、オルコットさんは淡々とした口調でそう告げる。嘘ではない、彼女の細められた碧眼はそう語っていた。
「さぁ……貴方も武器を構えなさい」
「……無い物ねだりしても仕方ないか」
半ば諦めるように呟いた俺は近接ブレードを
「それでは始めましょう。せめてものハンデです、ファーストアタックは貴方に譲りますわ」
「申し訳程度の心遣いだな。それじゃ、遠慮なく!」
既に試合は始まっている。近接ブレードを両手で握り締めた俺は覚悟を決め、オルコットさん目掛けて真っ直ぐ突っ込んだ。数十メートルはあった筈の距離がどんどん縮まっていき、ほんの数秒でブレードが彼女に当たる範囲にまで到達する。俺はそのまま全力でブレードを振り抜き──案の定、その一撃は空を切った。
「素人にしてはまずまずといったところでしょう。しかし、わたくしを捉えるには遅すぎますわ!」
そんな声が真横から届くと同時に、俺はやって来た衝撃に大きく仰け反った。ハイパーセンサーによって広がった視界で見てみれば、そこにはライフルの銃口をこちらに向けるオルコットさんの姿がある。
「さぁ踊りなさい! わたくしとブルー・ティアーズの奏でる
立て続けに放たれた二発のエネルギー弾が、白式の肩と腹部の装甲を的確に捉える。紛うことなき直撃にシールドエネルギーがごっそりと持っていかれ、警告音が喧しいくらいに鳴り響いた。負けじと俺も斬り掛かるが、それらは全て掠りもしない。
誰がどう見ても、今の俺は遊ばれていた。
「(駄目だ、動きについていけない……! これが代表候補生の実力なのか……!)」
「考え事をしている暇などなくてよ!」
キュインという独特の銃声と共に飛来した蒼い閃光が、寸分違わず俺の胸に当たって炸裂した。衝撃に煽られた俺は後方へと大きく吹き飛ばされ、アリーナと客席を隔てるバリアーにぶつかってようやく停止する。慣れない空を飛ぶ感覚や衝撃に揺さぶられ続けたせいもあって、こっちは早くも満身創痍だ。さっきから頭が割れるように痛い。ISの搭乗者保護機能がなければ、今頃嘔吐の一つでもしていたことだろう。
「はぁ……! はぁ……!」
「少々早すぎる気もしますが……フィナーレといきましょうか」
オルコットさんの口から告げられる死刑宣告、それと同時に彼女の両肩辺りで浮いていた
「さぁ、お行きなさい! わたくしのティアーズ達!」
「っ……冗談じゃねぇっての……!」
悪態をつきながら逃げ回る俺。しかしライフル一つを避けることすら満足に出来なかった俺が、その四倍もの砲撃を躱し切れる筈もない。キュイン、キュインと耳障りな発砲音が鳴る度に、白式の装甲が被弾して剥がれていった。
このままではやられる。頭ではそう分かっているのだが、しかしまともな対策も思いつかない。そうしている間にもシールドエネルギーは削られ続けていく。始まった時には500以上はあったエネルギーも、今では既に三桁を下回っていた。
「(こうなったら……一か八か!)」
絶え間なくやって来る弾丸に当たりながら、それでも俺は前に出た。初撃と同じくオルコットさんへと一直線に、全速力で駆け抜けた。せめて一太刀だけでも、そんな思いが故の行動だった。
だが、そんな素人の考えを代表候補生たる彼女が分からない筈がない。
「読んでいますわよ、貴方の行動など」
構えてからほぼタイムラグなしで放たれた一撃が俺の眉間で弾ける。加速の勢いを殺され空中でほぼ停止した俺など格好の的でしかない。やられる、そう思った時には既に四方から蒼い光が迫っており、着弾の衝撃に全身をシェイクされた俺はそのまま落下し、地面へと勢いよく叩き付けられた。
『試合終了。勝者、セシリア・オルコット』
だらりと四肢を投げ出し、這いつくばったままの俺が聞いたのは、自身の敗北を告げる無機質なアナウンスだった。自分としては頑張ってみたつもりなのだが、結果としてオルコットさんのシールドエネルギーを1も減らせなかった。文字通りの完敗である。ここまでくると逆に清々しさすら覚えるくらいだ。
「え……終わり、なの……?」
「ちょ、ちょっと待って待って。まだ始まって少ししか経ってないんだよ?」
「もう負けたの? なんか拍子抜けしちゃう……」
「千冬様の弟だから強いんだと思ってたのに……なんかがっかり」
そんなことを口々に溢しながらアリーナを後にし始める生徒達。忘れがちなことではあるがISは本来宇宙空間での活動を目的とした、ざっくり説明すれば『超ハイスペックな宇宙服』である。そこには視覚を補佐するハイパーセンサー以外に、聴覚を補佐する機能も搭載されており、どんなに小声での会話でも拾うことが出来る。出来てしまうのだ。
「……好き勝手言ってくれやがってさ」
ポツリと呟かれた言葉は誰もいないアリーナに吸い込まれ、そして消えていく。俺はゆっくりと立ち上がりながら溜め息を一つつき、覚束ない操縦で以てピットへと戻っていった。
素人がプロに勝てるか? 答えは当然否である。
少しやらなきゃいけないことがあるので次の投稿は遅れます。