……と言いつつ、今回何ともクロスオーバーしていないというタイトル詐偽。
「狂信も妄信もしないけれど、結局は信じたものに殉じてしまえる業の深い忠犬属性持ちの青年」の話。
飼い主への信頼度と飼い犬への依存度が綺麗に比例しているように書けていたら大成功。
あくまで主従であって、恋愛感情は完全に零。あるとすれば親子愛とか友愛とかその辺りな、ほっこりする関係であってほしいです。
※簡易マテリアルを加筆・修正いたしました。(H30.10.17)
どうやら僕のお父さんは結構なクズ野郎だったらしく、親の言いつけでお母さんと結婚したものの、他所に本命の女を囲っていてそちらを嫁にしたいからと事故を装い、僕を妊娠していたお母さんを谷から突き落としたそうです。死の間際腹を押されて飛び出た僕を必死に生かそうとしてくれたお母さんが、死ぬ間際までお父さんを呪いながらそんな事を言っていました。
星月も雲上に隠れる曇り空の夜半、煌々と光るネオンも街灯も無いこのご時世に、一体誰が谷底で泣き喚く赤ん坊に気付けるのか。折角お母さんが守り切ってくれた命なのにと、お母さんの血に塗れた顔を前に声高に泣き叫びます。
死んだと思ったら生まれていて、生まれたと思ったら死にかけていて……愛する前に、愛してくれた人が、死んでしまって。
そんな状況下に放り込まれた僕は、その時とにかく必死に泣きました。赤ん坊だったので言葉にはなりませんでしたが、話せていたのならば僕が「誰か、誰か、誰でもいいから、何でもいいから、誰か来て、助けて、神様」と叫んでいたのを聞いたでしょう。無力でちっぽけな風前の灯が、蝋を犠牲に炎を燃やす音を聞いたでしょう。
暗い谷底で硬くて痛い地面に転がりながら、僕の手をしっかりつかんで離さないお母さんの熱が消えていくことに怯えていました。お母さんの熱が冷え切ってしまう前に、僕を、そして何よりお母さんを助けて欲しかった。刻一刻と死の色を深めていくお母さんが、こんな所でこんな寒い思いをしたまま野晒にされてしまうのは余りにも非道な事のように思えたので。
そして何度呼び掛けたでしょう。何度むせた事でしょう。何度懇願と嗚咽を混ぜたでしょう。
とうとう生まれたての喉も枯れ、僅かな呼吸にも痛みが伴うようになり、僕の身体もすっかり冷え切って瞼が重くなってきた、まさにその時。
「ッ、いたぞ、赤ん坊だ!!」
渓谷の暗がりから、松明の灯りが見えました。遠目にきらきらと輝いて見えるそれは、一つ二つと数を増やしていくにつれて、人の声も増やしました。
松明の先頭には小柄な人影があって、なんとなく彼が一番最初に赤ん坊の泣き声に気付いてくれたのだなと感じました。
まともに空いていない赤ん坊の眼に映る彼は、十歳程の年の頃に見えます。金色の光は彼の髪なのでしょう、血塗れで喚く僕を躊躇なくその手で拾いあげてくれたのは気が動転していたからなのでしょうか。あまりにもあっさり与えられた人肌の温もりは、冷え切った僕の身体には熱い程だったと記憶しています。
そしてその時、僕の手を掴んで離さないお母さんに、彼が祈りの言葉を捧げて、僕を守ってくれたお母さんを褒め称えてくれた事も、よく覚えています。
残念な事に、それから僕はストンと意識を落としてしまったので未だお礼を言えていません。
気付いた時にはベッドの上で乳母らしき人からお乳を与えて貰っている最中だったので……まぁ、赤ん坊なのでお礼も何も言えないのですが、そこはほら、生前日本人だった気質が影響していると言いますか、御恩に対して何のお礼もないのでは座り心地が悪いと言いますか……基本的に小心者ですので、例え相手が気にしていなくとも此方が気になってしまう性分なのです。
幸い、僕を助けてくれた上に、お母さんの為に墓まで用意して下さったというあの少年の事は乳母が寝物語のように何度となく聞かせてくれました。
十語る内の六を占めていたそれに、僕を弟子として迎え入れてくれた城塞勤めの鍛冶師の親方はいい顔をしませんでしたが、それが十年も経つ頃には親方が乳母に向ける眼は哀れみに、僕に向ける眼はアホの子を見るような視線に変わっていました。
その内、いつも来ていた筈の乳母も訪れなくなった頃になると、入れ替わるように高貴な面差しの青年が現れ、乳母の代わりに、乳母よりももっと色々なお話を聞かせてくれるようになったのです。
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――ふふふ、聴いて驚いてください。なんと僕たち母子を救ってくれた上に、下種な父親まで葬って下さったあの少年は、なんとなんと――かのワラキア公国が公子、そして今現在は公王であらせられるヴラド三世様だったのです!
乳母がよく言っていました。「お前はとても幸運な子だよ。お前の命は公王様のもの。大きく、強く、賢くなって、あの方をよくよくお守りするんだよ」と。
僕は乳母の言った通りになれているでしょうか。大きくはなりましたが、強さは自分では解りかねますし、賢さはどうにもいまいちといった具合で、あの方をお守りするには文字通り矢面に立つくらいにしか使えなさそうで不安です。
そこの所、お兄さん視点では如何でしょうか?
「――なんだ、それは。それではまるで洗脳ではないか」
いえいえ、洗脳ではありません。確かに彼女の言葉は僕の指針にはなりましたが、公王様のお役に立ちたいと思ったのは、僕の心が公王様に多大な恩義を感じているからなのです。
「恩義、か……オスマン帝国での人質生活では下働き以上に働かされ、公王となった後には幽閉生活を強いられても、お前は恩義を感じると申すか。盾になれと強いられて育てられて、それでもなお報いようとするのか、お前は」
はい、感じますよ。とても大きな御恩です。
公王様は雨に打たれるばかりの哀れなお母さんの魂を、神の御許にまで導いてくれました。
お母さんを捨て、僕を捨てたあの男を、お母さんが苦しんだ以上に苦しめて殺してくれました。
……死に体のお母さんを殺しながら生まれた僕を、悪魔として殺さずに、人間として扱って、こうして生きる事を許してくれました。
僕の命は、お母さんがくれたものです。でも、僕の人生は公王様が守ってくださった。
こんな悪魔のような気味の悪い子供に、素晴らしい名前まで下さって。
ここまでしていただいて、恩義を感じないのは嘘でしょう?
「割礼まで施された神の子羊を、他の臣民が怯えるからという理由でそこに押し込めた男だぞ。お前が感じた恩は、その愚劣な意志で帳消しにされたと思うのだがな」
そうは言いましても衣食住は与えてもらってますし、鍛冶仕事も細工も好きなので、苦に思ったことは無いですよ。お兄さんに教えてもらった刺繍も性に合ってたみたいで、とても楽しいですし。何より、お兄さんが構いに来てくれるので、全然寂しくもありませんしね。
「……そう、か……」
それに、僕が可笑しな見目をした『悪魔みたいな子』なのは本当でしょう?
それでもちゃんと宗教観念的にも立場的にも敬虔な神の信徒だというのはお兄さんはご存知のはず。
「確かに知っている。割礼を教会に手配したのは私で、立ち会ったのも私だからな。知らないというのは、それこそ嘘だろう」
でしたら、それでいいです。言いたい人には言わせておきましょう。彼らはか弱い子羊、暗い影を幻視して恐れる哀れな彼らのために、ちょっと見た目が怖い子羊さんはおっとりのんびり草でも食んでいればいいのです。
「お前は……まぁ、良い。それなら私も暢気な羊に付き合おう……と言っても、今日はあまり時間を取れなくてな。故に次回、お前が聴きたい話を請え、羊……いや、羊というよりもお前は子犬が似合うか。では間抜け面の子犬よ、どのような話を聴きたい?」
子犬だなんてなんたる言い草! 傷付きました、せめてそこは格好良く番犬とかが良かったですのに……! まぁそれはそれとして公王様のお話を所望します!
「なんだ、また公王かこの犬は。たまには冒険譚でもと思っていたのだが……」
それはそれでお聞きしたいので、後日よろしくお願いします!
「素直な子犬め。公王の話だな。話すのはやぶさかではないが、お前はことある毎に公王の話を強請るから、そろそろ話のタネも尽きてきたぞ」
えええ、それは寂しいです。お兄さん、お外を回れるならもっと公王様のお話仕入れて来て下さいよ。
例えば、この間の金の器の話みたいな。もしくは単純に公王様の好まれる花とか色とか、その辺りを。
「……こう言ってはなんだが、お前、よくあの残虐と名高い公王をそんな純粋な目で慕えるな。お前には公王のやってきた事をそのまま嘘偽りなく伝えているつもりなのだが。よもやお前、冒険譚の騎士や英雄と公王の話を混同しているのではあるまいな?」
なんですか、その呆れたようなお声は。勿論慕っておりますし、英雄のようにも思ってますが、物語の英雄と混同はしませんよ。僕を救ってくださったのは彼等では無く公王様とお兄さんですから。
「おい……、……ん? 私もか?」
当然です! 僕の命は公王様が、僕の心はお兄さんが拾って生かしてくれました。
確かに公王様は、お話を聞く限り相当苛烈なお方ですけれど、でも、そこにはちゃんと理由があるでしょう?
ですから、苛烈とか、冷酷とか、無慈悲とか、そういう評価を受ける事を承知で、なおかつ真正面からそれを認める在り方は……何というか、鮮烈で。不謹慎ですし畏れ多いですけれど……格好いいと言いますか。お兄さんは、一緒に居て心が安らぐ人ですけれど、公王様はお話を聞くだけで心が高揚する人と言いますか……。
僕には、お兄さんみたいな教養も優しさも、公王様みたいな頭脳も矢面に立つ強さも無いので……憧れます。
「……なんというか、お前は本当に暢気だな。血濡れの狂人をよくもそこまで慕えたものだ」
本当に狂っている人なら怖いですけれど、公王様が怖がらせる意図で行う事を恐れるだけの僕ではありませんし、この時代、血塗れにならない人の方が少ないじゃないですか。
あといくらお兄さんといえど公王様の悪口はいただけません。怒りますよ?
「ふ、公王もお前のような者が騎士であれば大層喜んだろうに。まぁ、いい。とりあえずその件は謝ろう……お前にそこまで慕われるのだ、アレも、そう悪いものではないのだろうな」
うん? 何故かほんのりアホの子扱いされているような……?
あ、お兄さんはそろそろお帰りですか? 上に上がったらまず温かいものを飲むなり羽織るなりして下さいね。此方は炉の名残で温かいですけど、其方は冷えるでしょう?
「安心しろ、ホットワインを用意してある。お前もあまり耐えてくれるなよ。お前は暢気で間抜けで底抜けに陽気な子犬であるが、妙な所で頑固で、しかもそんな時ばかり意志が強い忍耐の犬でもあるのだから」
でしたら、お兄さんもあまりご無理はなさらぬように。お兄さんはなるほど、優しく聡明で公王様の覚えも信仰心も篤い善きお方ですけれど、頻繁に無理をして無茶をするところはいただけません。僕なんかよりも睡眠時間と休憩時間を優先して下さい。お兄さんは無理を無理と思わない節があるから心配なんですよ。
陽気な子犬だって、構ってくれる人が元気だからこそのほほんとしていられるのです。お兄さんがその青白い顔色を良くするまで僕だってずっと待てされた犬状態で居ますからね! ばうばう!!
――そう言って、おどけつつも健気に自分の身を案じる子犬に「気が向いたらな」と返して背を向けた。
背後で「えぇ!? ちょッ、お兄さんそれ無し! それ無しぃ!」などときゃんきゃん鳴く子犬に肩を震わせて笑いながら、私は――
地下牢の若鍛冶師、と城砦で呼称される青年がいる。余が雨に打たれて死に近付く彼を拾い上げて、救い上げた赤子だ。
珍しい髪色の赤子だった。艶やかな黒髪に赤紫の黄昏空を刷いた魔性の美しさを備えた赤子は、大人たちから向けられる奇異の視線を物ともせず、いっそ無神経な程に図太く無視し、随分と真っ直ぐに稚けなく育った。乳母の洗脳染みた教育があったというのに、彼は彼女の思いもよらぬ方向に全力疾走し、彼女が望んだらしい「公子の為ならば何でもする感情の無い悪魔」ではなく、「公子の為に健気に頑張ろうと尻尾を振る子犬」になったと聞いた時は思わず吹き出してしまった。
成程、彼の性根は何処まで行っても幼く、それでいて愚直なまでに義に篤い気質らしい。
その報告を聞いてぽかんと間抜け面を晒す彼の乳母だった女を鼻で笑いながら、余は女の首を落とすよう家臣に命じた。余が命じたのは赤子の「教育」であって「洗脳」ではない。命じた事も素直に守れぬどころか、余の為と口にしながら、余の
余と彼の付き合いは彼の生まれた直後から始まっているが、その九割以上は私としての余との時間であった。
消えゆく命を拾い上げて名を与えた責任と、割礼を見届けた縁もあり、余は人質としてオスマン帝国へ居を移した時も、幼子であった彼を連れていた。勿論、彼は今なお私が公王であるとは知らぬ。そうと知られぬよう細心の注意を払い、余は彼を気兼ねなく見守れる立ち位置を確保した。余にとって、彼の存在は特別であった。
そんな彼に手を出した乳母を信用など出来ぬ。アレを手打ちにした事に後悔は無いが、アレを乳母と慕っていた彼の手前、真相を告げる事はできない。
故に、ようやく我が祖国ワラキアの公王として立った齢二十六の夜、余は彼が乳母が来なくなったことを不審に思わぬよう、そして子犬と称されるほど純真に育った彼とこれからも
あの曇天の夜から始まった交流は、いつしか城塞内においてさえ気が抜けぬ余の心身を綻ばせる稀少な時間になっていたのだ。
人質を経験する事二回、又従兄弟、弟に追い落とされ、諸侯の掌返しの速さを間近で見て育ち、思うのは人の野望の汚さについてである。
余の下に集う数多の騎士は、己が幾人の主人に仕えたか――幾人の主人を裏切り、見捨て、見限ったのかを声高に自慢する。
確かに、見限ってしかるべき主も居ただろう。戴くに相応しくない、私利私欲の権化が皆無だったとは言わない。
だが、彼らが忠節を誓った剣の、なんと軽く薄っぺらいものかとしみじみ感じざるを得ない事もまた事実。彼らが仕えた中には賢人も名君も居ただろう。国人の為に勤め、土地を守り、名誉を守り、家名を尊び、高貴なるものの義務の為、天にまします我らが父の為に尽くした御仁も居ただろう。
それでも彼らは名誉が無いだの、給金が低いだの、領地がみすぼらしいだの、兎角低俗な理由で主を見捨てた。騎士の名を冠する者にあるまじき有様に何度この剣を振り下ろした事か。
それを思えばこそ、彼の――ヨアンの性質はこの仄暗い城塞において最も清浄にして尊いものだと思えたのだ。
明るく闊達だがむやみやたらと騒ぎ立てる訳ではなく、むしろ機微に敏く物静かで、自然と人を気遣える。虚飾を排しながらも小気味の良い冗句で人を程よく和ませる、いわばムードメーカーといった性質は、張り詰めた人間関係に辟易していた余の清涼剤以上の意味を持っていた。
彼は飲み込みが早く上達も目覚ましいと、腕前も頑固さも一級品だと名高い鍛冶師の親方が珍しく褒めているのを聞いた事がある。己の腕を超えるのも五年内の話になりそうだと、正しく職人であった彼の親方は愛弟子とライバルを同時に手に入れた心地であるらしい。また、鍛冶の腕のみならず頭の
余としても彼が余の家臣になるのであれば、それは僥倖以外の何物でもないと思う。忠義に篤く、信心深く、他者に物怖じせず、かといって無駄に軋轢を生む事も無い彼は、足りない「学」と「家柄」さえ揃えばすぐにでも余の側近として重用したいとも。
だがしかし、余は彼に「友」以外の役割を求めなかった。それは彼が人の世の悪意に呑まれて傷付く様が見たくなかった事もあれば、彼の出現で殺気だって馬鹿な事をしでかすだろう家臣が鬱陶しくもあり……何より、情けない事だが彼の言う「お兄さん」が「公王様」だと同一人物だと彼にばれて、彼に距離を置かれたくなかったという事もあった。
気の置けない友人との会話は、余にとって「有能な駒」以上の価値を持っていた。
そんな彼の名を「ヨアン」としたのは正解だったと、口にこそしないが余の功績の一つは必ずこれを挙げる。
主の恵み深きを意味する名。聖ヨハネに由来する、尊く清らな聖名。罪を濯ぐ聖者と主に寄り添った使徒の名を持つ彼が静謐に目を伏せる様は、名画と称される宗教画に勝るとも劣らぬ清廉さを持っていた。
ヨアンと他愛のない話をする時、余はその時ばかりは何の柵も罪も無く、ただ一人の人間として在る事になんの遠慮も呵責も無く在れる。彼を支え、彼に支えられ、彼を愛し、彼に愛され、同じ信仰を抱え、違う道を行きながらも、その手は常に差し伸べられている。
神に祈りを捧げ、信仰を胸にしている時に感じる「救済」ではなく、もっと温かで小さく、けれども確かな「赦し」を得た感覚に、何度となく余は救われていた。
……救われて、いたのだ。最初に余が彼の命を救った以上に、余は彼の存在に心を
甘美な感傷だ。癒えぬ傷など生温い程に真に迫る疼痛だ。失ってなお鮮やかに映える残照は、吸い込まれそうな程に晴れ渡ったあの日の青さを僅かにも衰えさせない。
その青の下で屈託なく笑って逝った愚かしくも誇らしい真の
――おかえりなさい、
瞼を閉じ、思い出に浸ると、今なお彼の声が鼓膜を揺らすような気さえする。幽閉中に誰ぞがヨアンに私の正体を吹き込みでもしたのだろう、あの幼気な仕草と声色で「ふっふー、驚きました? 僕も驚きました! ちょっとこれからどうしたらいいです?」だなんて、内心では焦りに焦っているだろう様まで容易に想像できる。
だが、それはあくまで空想の産物でしかない。瞼を開けても、あの暢気な子犬の綺麗な間抜け面は何処にもない。
ワラキア公国に
それから更に二年、人心を失うと知りつつも改宗し、あの卑劣なマーチャーシュ一世の妹と結婚し、兵を引き連れてワラキア公国を奪還した。
串刺し公の異名を得たあの戦から、余はあの子犬と見えていない。彼に無事を告げる時間もとれぬままに追い落とされた余は、あれからヨアンがどうなったのかすら知らなかった。
貴族共に殺されてしまったか、それとも、彼を恐れながらもそれなりに慕っていた使用人たちに逃がされたか、鍛冶師に紛れて息を潜めているのか、様々な道を想像しては、彼が生きていることを神に祈った。
結論として、ヨアンは生きていた。
だが、その身は既に生きていることが不思議なほどに無残な有様だった。
余が兵を引き連れて城塞を掌握した時、借り物の兵士の一人が情けない悲鳴を上げながら地下から駆けあがり、半分へし折れた腕を抱えながら「悪魔が居る!」と叫んだ。「悪魔だ、血塗れの悪魔が、紫色の眼の悪魔が俺の腕を折ったんだ!!」、と。
その言葉を耳にした瞬間、地下へと続く道を駆け下りた余を一体誰が止められただろう。
ヨアンの髪はペチュニアの花弁のように美しい紫を帯びた艶やかな黒。
肌はどれだけ連れ回しても赤くなりこそすれ黒く焼ける事などない青白さ。
そしてその瞳は、やはり美しいとしか言いようがないほど澄んだ淡い赤紫で。
斯くして、半ば落ちるようにして地下に……ヨアンの部屋の前に駆けつけた余が見たのは、兵が言う通り、全身を余すことなく血に染め、その大半を黒く酸化させてなお立ち続ける、一匹の見事な番犬であった。
攻撃を仕掛けた際に崩れたのだろう、真新しい土埃がたつ地下に、何十年振りかの陽光が降り注ぎ、突き抜けるような空の青さが目に染みた。
だが、美しい蒼天に対して、彼の纏う衣服は悲惨であった。余の記憶が正しければ祭りの日に袖を通す晴れ着であるはず。革のベストも、前身ごろや袖口、襟やシャツの裾に施された刺繍はボロボロで解り辛いが、あれは確か彼が上手に出来たと喜んでいた図面だろうか。首元が寂しかろうと余が自ら刺繍してやったスカーフだけが綺麗に整えられてその首を飾る様が嫌に目に付いた。
足を軽く広げ、自室の前に陣取る彼の左手には血で錆びてなお鋭いダガーが一振り。右手には半ばで柄の折れたハルバードを斧のように持っている。腰の左に下げた剣帯の中身は、まさか少し向こうに深々と突き立てられているあのバスタードソードだろうか。余すことなく血錆の黒に覆われたそれの鋭さと凄惨さに目を奪われかけるも、それ以上に痛々しい友の姿に言葉が出ない。
頬まで切り裂かれた口、削ぎ落とされた耳、血染めの衣服は返り血だけではないのだろう、足元に広がる黒は影にしては広く、仄暗い。手指は両方合わせて十あるはずなのに、目視できる範囲では右手が二本足りなくて、左手は一本と半分足りない。
いつぞや褒めてからずっと伸ばし続け、丁寧に手入れも欠かさなかった長い髪は、無残にもざんばらに斬られて土と血に汚れて塵になってしまったらしい。
言葉も無く立ち尽くして、どれほど時が流れたか。
時間にしてみれば数瞬程度の事だったのだろうが、余の時間は確かにその時止まっていた。
正気を取り戻して、最初に言葉を口にしたのは、ヨアンで。
それを最期の言葉にしたのも、ヨアンだった。
おるすばん、などと子供染みた台詞を吐いて、悪魔の如き形相を一瞬にしていつもの屈託のない笑みに綻ばせて。
民も国も玉座も失くした王の為、ただ一人徹底抗戦の姿勢を崩さなかった忠義の犬は。
生涯ただ一人の王を戴き続け、唯一無二の友の無事を祈り続けた騎士の心を持つ青年は。
その背の向こう、彼の王の為だけに誂えた宝剣と王冠を護り、彼の友と過ごした大事な思い出を守り抜いて、遂にヨアンは、あの我が生涯最高の
遺されてしまった余の虚無も、死なせてしまった余の慙愧も、一つも聞かずに逝ったのだ。
~簡易マテリアル~
【ステータス】
真名 :ヨアン
クラス:キャスター
筋力:B 耐久:A 敏捷:C++
魔力:A 幸運:D 宝具:B
※英霊の個体能力に拠らないキャスタークラスの基本能力
筋力:E 耐久:E 敏捷:C
魔力:A 幸運:B
《キャラクター紹介》
ワラキア公国公王ヴラド三世に仕えた稀代の鍛冶師にして無二の友。死にかけた母親に守られ、ヴラド三世に命を救われた彼は、生涯かの王のみを唯一無二の王として戴き続けた。
身分と学が無かったため正規の騎士にこそなれなかったが、ヴラド三世が幽閉されていた十二年間とワラキア奪還までの二年間、計十四年もの間、城塞の中で徹底抗戦を続け、これを成し遂げたことからワラキアでは「誰よりも騎士に相応しい人物」と名高い。
抗戦中、密かに公王を慕う使用人たちから援助を受けていた彼は、鍛冶師としての眼と技によって武器や鎧を破壊する事で十四年もの抗戦を続けたという。
支援者の家令の記録では玉座の間で一度に五人の騎士を相手取って完封し、その武器を一息の間に破壊した後、武器になりそうなものは片端から壊し回ったという。
【クラス別能力】
・陣地作成 B
・道具作成 A
【スキル】
・天賦の才
自身のスター集中UP(3T)
&自身のクリティカル威力UP(3T)
・忠犬の矜持
自身にガッツ付与(3T)
&自身の弱体状態解除
&自身に弱体耐性付与(3T)
・血染めの番犬
自身の攻撃力をUP(3T)
&敵全体の強化状態解除
【宝具】
『遡行逕路・被造破解』
ランク:B 種別:対物絶技(対宝宝具)
レンジ:10 最大補足:5
「ディン・ラーガン・ポナ・ラ・モルムント」
&敵単体の攻撃力を大ダウン(3T)
&敵単体の防御力をダウン(3T)
&敵単体のクリティカル発生率を大ダウン(1T)
&敵全体に低確率で攻撃力ダウン(3T)
強化後+&確率で敵単体のチャージを1減らす
ヨアンの武器破壊の逸話の補正を受けた、宝具相当の技術。
鍛冶師として最高峰の位階を視界に納める彼は、神器相当の武具こそ作れないものの、後世の人々の認知や創作物による補正もあって、神器の構造を理解ないしは看破する事ができる。
彼の宝具で行われる「破解」とは、単純に構造上の弱点を突く事で成される「破壊」と、制作工程の逆を辿る事で成される「解体」の二つを意味する。
この上に「武器を破壊する」という概念を付与された彼は、被造物で尚且つ武具であれば人造でも神造でも、構造の理解・看破にかかる時間に差こそ生じても最終的には区別なく「破解」できてしまえる。
稀代の鍛冶師と呼ばれるほどの腕前を誇るヨアンにとって、武器を生むも活かすも自在であるならば、殺す事すら自在であるのは当然の理であるが故に。
……でもまぁ、「
第二宝具は番犬(忠犬)宝具。自身へのバフ盛祭り後に攻撃。宝具用に1T攻撃バフと、その後の通常攻撃用に3T攻撃・クリティカルバフの殺意高めの仕様。
イメージとしては土方さんの宝具のHP減少によるダメージボーナスの代わりに通常攻撃へのバフが付いたようなもの。
一撃必殺土方さんに対して、ヨアンは逃げる首も絶対刈り取るマン。
アポでもFGOでも、ヴラド三世からの呼びかけが無ければ絶対に召喚に応じない。けれど呼ばれたなら必ず馳せ参じる忠犬っぷり。
聖杯にかける願いではないけれど、あの日、あの時の問いかけの答えを、きっと彼は望むのでしょう。
――僕、ちゃんとおるすばん、できましたか?
その答えを知るのは、後にも先にも、彼の