まなこのうらの、まがりかど。   作:シー

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 Fate/シリーズ二次創作クロスオーバー冒頭企画第五弾。

 作中でクロスオーバー先の要素が全然出て来てないタイトル詐偽第二弾とも言う。
 ……サブ作品の前にメイン作品更新しろって話ですよね。本当にごめんなさい。

 今回全然鬱要素が無い安心安全仕様です。

 生きて死んで生まれ変わってを繰り返し続けた結果、視点が聖人寄りというか、死期を悟った老人状態がデフォルトのちょっとアカン方向に『死を乗り越えた』、ただの凡人だったはずの女の子の話。

 ……この子で書きたい所書くだけの短編やりたい……サーヴァントとわちゃわちゃしてる所が見たい……本筋終わるまで書きませんけど。




護国の士と呼ばれた女将校の話。

 

 

「まるで出来損なった嘘のような本当、というものを経験したことはあるか?」

 

 薄汚れた路地裏。饐えた臭いのする暗がりの片隅で、幾重にも重ねた人間の上に腰を据えた少女はゆっくりと足を組みながらそう言った。

 細長い空の中、まばらな星すら掻き消して嘲笑う三日月を背負う少女の姿こそが、地べたに這い蹲って吐瀉物に塗れた自分にとって『まるで出来損なった嘘のような本当』だと、今まで敗北を知らずにいた男は、初めて舐めた地面の味に涙を流して震えた。

 

――どうしてこうなった。どうして俺はこんな無様を晒して惨めに泣いている。

 

 怒りではなく恐怖に震える男に、もはやかつての傲慢さは欠片も無い。片手間で容易く手折られたそれは、天を突く程に高くそびえていたプライドまでも巻き込んで崩落してしまっていた。

 

 ――ああ、本当にどうしてこうなった? どうして俺がこんな目にあう?

 

 男は何度となく同じ言葉を繰り返す。プライドは更地になり、傲慢さは死んだが、だからといって男が性根に抱えた強者の自惚れが消える訳ではない。もとより地べたを濡らす泥濘のようなものなのだから、そこに突き立っていた塔が崩れたからといって無くなるものではなかったらしい。延々と生産性のない疑問ばかりを繰り返して自分を保とうと足掻く男は、控えめに言っても無様だった。

 まるで芋虫のように蠢く男をどう思っているのか、少女は特に何の感慨も抱いていない表情で男を見下ろす。

 組んだ足に肩肘を乗せ、顎を支える様は傲岸不遜そのもの。装飾過多な軍服は言わずもがな。元々は愛らしい顔立ちをしていたのだろう童顔に、戦化粧のつもりなのだろうか、滑らかな珠の肌を縦横に走る傷痕を塗りつぶして横たわる黒と縁取りの金色が、少女の現実味を遠くに放って異様さばかりを手元に引き寄せる。

 きっちりと目深被る帽子の下、見上げなければ見えない、故に這いつくばる男にはしっかり見える位置で少女の涼やかな緑青の瞳が瞬く。無機質とも、無関心とも違うその眼は、言うなれば風景を視界に納めている様に近い。景色を()()として見て楽しんでいるのではなく、単純にそういう画面として見ているような、目。先程、その場に会話する対象が居ると見做して言葉を放ったにしては、あまりにもそぐわない目だ。異常と言っても良い。それは対話の相手を景色と見做す事に他ならない。

 彼女が放った言葉は問いの形をしていた。景色の中に塗り込められた人の姿(おとこ)に対して、彼女は問いを投げたのだ。大きな独り言と片付けてしまうには、茫洋と世界を映すその眼はあまりにも意思を孕み過ぎていた。

 必死になって自分を確立させようとする男と、存在を景色に塗り込めた少女の視線は交わらない。

 それでも少女は応えを待っているのか、以降は口を閉ざして汚らしい路地裏を小高い人の丘から俯瞰するばかり。その間に男が正気を取り戻して逃げるなり、怒るなり、はたまた彼女の期待通りに応えるなりすれば良かったのだが、男はそのいずれもを選ぶことが出来なかった。

 男は気圧されていた。ただそこに坐しているだけの少女が放つ不可思議にして重厚極まりない存在の圧に気圧され、恐怖し、畏れてしまったのだ。

 圧倒的な彼我の差。それも単純なパラメーターの話ではなく、生き物としての格の違いをまざまざと感じ取った男は、折れた心に出来た隙間で、今にも消えそうな命の灯を目の前の絶対強者から隠し守っている最中だった。まるで蟻と台風だ。周囲の状況より己の命に思考の十割を持って行ってしまう程、男にとって少女の存在は巨大過ぎた。

 

 そうしてどれ程の沈黙が流れたか。時間にして十数秒の無駄な足掻きを視界に納めていた少女に、不意に大きな影が差す。

 月を蹴り、月の船に影を落とすそのシルエットは、まさしく兎……であるのだが、地面を抉るように踏みつけて着地したその兎を、果たして世間一般で言う『兎』と同じに語って良いものか。

 長い兎の耳……の、カチューシャ。丸くふわふわとした……巨大な梵天と言った方がしっくりくる尻尾に、見るからに強靭で硬く太ましい丸太のような太腿と、足首までがっしりとした筋肉が付いた足……には、何故かハイヒールが。

 まるで鈍器さながらの下半身とは違って、過剰ではないが、やはりしっかりと筋肉のついた上半身は色白で滑らか。というか、上半身も下半身も色白な肌が惜しげもなく晒されている。上半身に身に着けているのはサスペンダーと付け襟とリボンタイと付け袖のみ。下半身に至っては股関節ギリギリまで切り詰められたショートパンツとハイヒールという、相対する人物のメンタルを軒並み大事件に叩き込む装いである。初対面の人間は、まず間違いなく彼を性癖的な意味での危険人物のカテゴリに放り込むはずだ。

 けれど、その変質的な装いよりも先にその顔に――正確には、その眼に――目が行ったなら、彼の動向に注視せざるを得ない危機感を胸の内に抱くだろう。

 どこか幼気な、整った顔。その眼窩に填まる眼は、白目が黒く染まっているという異質さを見せている。しかし、真に異常を感じさせるのはその内に凝っている無垢な狂気だ。彼は相対する生命をどう認識しているのだろうか。軽快な足取りで難なく少女の背後を陣取った彼は、そのまま無意識に圧を放つ少女の背後から無様に転がる男を眼下に納めた。

 少女の景色を見るような目とはまた違う、温度の無い目。面白いか面白くないか、強いか弱いか、要るか要らないかを、彼自身の価値基準で判断して、選別して、区別する眼。

 そこに在る事を認めながらも、それに意思を求めない眼。

 それはさながら、店頭にならぶ人形を品定めしているかのようであった。

 

「とっ、とくっ、とくむそうちょ……ッ!」

 

 ふと、哀れに震えた声が夜の静寂に触れた。

 長身な、それも筋骨たくましい青年が取るにしては随分と稚けない所作で、兎染みた色合いが揺れる。月光を受けてほのかに輝いて見える白髪は美しいのだが、その下で底光りする瞳は得体の知れない禍々しさに満ちている。

 そんな化け物染みた男から聞こえたにしてはやけに人間味がある声に、少女は軽く視線を後ろにやって「あぁ、君か」と小さく声をこぼす。

 人間の丘に腰かける少女が発したとは思えないほど慈愛に満ちた声。異様な状況には似つかわしくないそれに、けれど震えた言葉の主はやっと一息つけたとばかりに声を張った。

 

「特務曹長殿、置いて行くなんて酷いですよッ!? まだやり残した仕事があるのなら、自分も付き合いますって言ったじゃないですか!」

 

 きゃんきゃんと吼える子犬のように、涙交じりの声が少女の鼓膜に思いの丈を叩き付ける。

 音の出どころのは兎姿の青年の背中だったらしい。がっしりとした身体にこれまたがっちりと抱き着いていたらしい声の主は、幼さが残る顔で怖かったと主張しながら青年の背中から顔を出す。

 

「いや、やり残した仕事は無い。ただ少し寄り道をしてしまっただけだ……ああほら、泣くな泣くな。君は私よりも年上だろうに。仕方がない、今日はもう撤収しよう」

 

 けれど当人たちにとっては気にする要素など欠片もないのだろう、青年の胸元にすっぽりと収まるほど小柄な少女は、己の背後で目元を赤くする青年を特に気にすることなく彼に答えた。

 青年も少女の答えに一応は納得したのだろう。少女の言葉を聞くなりむくれた顔を器用に緩ませて「宿までお見送り致します」と呟いた。

 兎に似た青年はといえば、こちらは素直に嬉しいと言葉なく笑い、そのまま少女の帽子をずらして二度、三度と己の頬を少女の艶やかな黒髪に擦りよせる。見ようによっては頬で「いいこ、いいこ」としている様に見えなくもない。

 

「それでは参りましょう。ああ、でもその前に特務曹長殿、彼……というか、彼らは如何なさいます?」

「うん? ああ、彼らはまだ()()()()()いなかったのでな。何もしない。このまま帝都に返すさ――ところで、何故君は憂城(かれ)に運ばれている?」

「あ、いえ、実は先程特務軍曹が落とされた符が偶然発動致しまして、彼が出てきました」

「……落とした? 私が?」

「はい。参謀本部前でお別れした際、特務曹長殿の鞄からひらりと」

「そうか……ああ、そういう事か……」

「如何なされましたか? 自分は何か余計な事を……?」

「いや、有難う、助かったよ。うん、大丈夫、時間を取らせて悪かった。それでは付き添いを頼む」

「拝命いたします」

 

 お堅い口調もそこそこに、親し気な調子で交わされる会話。

 そこに、とん、と何かを叩いたような軽い音が紛れ込む。

 一体いつの間に距離を詰めたのだろう。吐瀉物に塗れた男がそれを知覚する前に、男は背後に回った少女の手で意識を落としていた。自分がどうやって気を失ったのか、男は目覚めても思い出せないだろう。

 汚らしい音を立てて己の吐瀉物に顔を埋めた男に、兎のような青年が露骨に厭そうな顔をしながら眉根を寄せる。控えめに言ってドン引きらしい。未だ腕に抱かれたままの青年はあわあわと焦って顔を左右に振っている。

 ……汚物に塗れるのと過剰に露出するのと、さてどちらがより遠くまで引かれてしまうだろう。その辺りは個人差があるし、忌避のベクトルも異なるため何とも言えないが、少なくとも兎の青年にとっては前者の方が嫌らしい。後者はそもそも引かれるものだと認識しているか如何かさえ怪しいので、これ以上は何も言うまい。

 あれで窒息することはないだろう。冷静に判断していると、兎の青年が微妙に嫌そうな顔をしたまま小高い人の丘からぴょんと飛び降りる。そしてそのまま小動物染みた挙動で少女の元まで小走りに寄ると、徐に少女の隣に抱え込んでいた青年を立たせ、くるりと回ったかと思えば瞬きの間に一枚の札となって少女の手に乗った。

 若干足下をふらつかせながらも二本の足できちんと地面を踏みしめる青年を横目に、少女は札を懐へ仕舞い込みながら帰路を辿る。

 つい今しがた背を向けた男の存在など最初から知らないとばかりに振る舞う少女に、焦って手を右往左往させていた青年が罪悪感に呻く。

 しかし、少女は宿に戻る事を最優先にしているため、結局地面と仲良くしている男はそのまましばらくの間、吐瀉物とも仲良くすることが決定した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 果たして、男は翌朝パトロールをしていた憲兵に発見されるまで吐瀉物に顔を埋めたままだった。

 幸いにして窒息することは無かったものの、重ねられて呻き声を上げる傷だらけの男たちと、その山の前で無傷だが無事では無い様子で倒れていた男は一晩で心身に消えない傷を負ったらしく、意味不明に喚き立てる彼らはそのまま病院まで搬送された。

 不思議な事に、ここ一年の内に殆ど同じ事例が十数件も起きていた。

 帝都の夜は深く、昏い。江戸から明治にかけて魑魅魍魎の類は人工の灯に気圧されたように息を潜めだしたが、それでも街灯の届かない路地裏や、未だに電気の通わない村落ではうらぶれた怪異がここぞとばかりに牙を剥く。

 それを浮浪者の目の錯覚だとか、幻覚だとか言う憲兵も多いが、それでも信心深く想像力豊かな者などは彼らの存在を密かに信じて確信し、奇異な縁に導かれるようにしてそちら側へと足を踏み入れる事も間々あった。

 

 さて、そんな虚構と現実が絶妙に入り混じり融け合った帝都で起きた、連続心神喪失事件。

 これに出くわした馬鹿共は、退院は早い者でも丸三日、遅い者では一ヵ月経ってもなお暗がりに怯え、路地裏のような薄暗く細い道を前にするだけで過呼吸を起こす。

 一体どれほどの恐怖を味わったのか、憲兵の調査では男たちは()()()と呼ばれる程ではないが、軽犯罪レベルの暴力沙汰や窃盗をそれなりに犯している性質の悪い地元の悪ガキ集団だと判明している。

 多少の暴力沙汰ならば日常茶飯事であるはずの彼らが此処まで怯えるとなると、彼らはいよいよ()()に目を付けられるかどうかしたのだろう。憲兵らはその線で捜査を進め、彼等への聞き取り調査を行った。

 しかし、前述したように彼らは早い者でも三日は心神喪失を免れなかった。これは三日かけて徐々に心に落ち着きを取り戻したという意味ではない。早期に退院した彼らはその実長期入院組よりも重度のトラウマを抱えてしまった挙句、事ある毎に自傷を繰り返し、果ては自殺を試みたが故に医師と家族、そして万が一の為に憲兵立ち合いの下で彼らを精神病棟送りにしたのだった。

 故に、彼らの聞き取り調査の対象はどうしても長期入院組の退院を待たなくてはならなくなった。

 無論、この期間内にも犯罪は起こる。確かにこの件は異様と言って良い事件だが、それでも日々勃発する世界情勢に不安を抱えた()()による犯罪のインパクトに押され、彼らが退院する頃には事件現場は既に証拠が残る余地がない程の日常に塗れていた。

 

 そうして漸く行われた取り調べで……彼らは再度発狂。病院にとんぼ返りになった挙句、彼等も早期退院組と同じ結末を辿る。

 彼らは一体何を見て、何を聞いて、何をされたのだろうか。詳細を知るために協力を依頼された探偵や有識者達も、事件の記録を読み取ろうと数多の人間に聞き込みや現場検証を行い、手がかりの切れ端に手を掛けた段階で言いようのない悪寒に襲われてしまう……どころか、何名かは悪寒どころか犯人と思しき何者かに襲われて消息を絶ち、捜査は困難を極めるどころか、神速で迷宮入りが決定した。

 幸い、元々の事件は負傷者多数だが死者はゼロ。精神的な傷を負ってしまったが、日常生活には差し支えない上、問題児の集まりだった彼らは一転して真っ当で真面目な人間性を手にして社会復帰を果たしている。

 国も憲兵も、犯人は何らかの精神的な拷問に長けた真っ当では無い人間だが、普通に生きていく分には障害にならない範囲の犯罪者だろうと推察し、その存在を認知しつつも積極的な発見と捕縛は見送りとした。

 一般人の中に、そんな最低最悪極まりない人間が紛れている事に不安や不満が無い訳ではないが、現状、犯人の手がかりは一切ない。

 

 そして、社会復帰を果たしたはずの彼らの、忽然と消えた姿を辿る手がかりもまた、皆無だった。

 

 であるならば、この一寸先すら暗澹とした不安の時代。安易に社会を混乱せしめる小悪党どもが多少減るくらいでは、暗黙の裡に事件自体が無き者にされても良いだろうというのが、憲兵たちの言であったのだが……。

 

 

 

 一番最初の事件から一年後。

 こちらの時間軸で言えば、少女が宿へと足を向けた、その夜半の事。

 彼らはこの時の判断を心底悔やみながら、帝都の街中を駆け擦り回る事になる。

 

 

 

 

 

 

 「まるで出来損なった嘘のような本当」。

 実は、この問いにそう大した意味は無い。ただの好奇心、ちょっとした感傷、その程度の意図で、私は相対した誰かに声を掛ける。

 今日のように答えが返ってこないなんて何時ものことだが、それでも時々、きちんと答えてくれるものもいる。

 彼らの大半は「訳が解らない、何を言っている」と半狂乱で声を張る。それもまた、応答だ。

 そして私が求めたように、きちんと頭を働かせて解答してくれる者もいた。

 「ある」と答えた彼等の『本当』は多種多様だった。ジャンルで言えば悲恋が多めでギャグが少々。シリアス多めで、復讐譚もそれなりに。ただ、出来損なっていると判断されたように、彼らの物語の結末はどこかで正道をそれて、それから『出来損なった嘘』に染まった。

 彼らの話す本当は、実に興味深い話だった。人間の感性、物事の捉え方、思考回路、全てが同一ではあり得ないからだろう。他者理解の手段を『同調』ではなく『観察』に置いて聞く他人の言葉は、自分では容易に納得できないからこそ面白い。

 さて、そんなある種性質の悪い聞きたがりロールをしている私だが、そんな私にも一応「嘘のような本当の話」の引き出しはある。

 

 一つ。私こと『顕象命婦(あきさのみょうぶ) 糸執(いと)』は多重転生者である。

 一つ。私は転生する毎に『記憶』と『技能』を次の転生に『継承』する。

 一つ。獲得した『技能』によってこの転生に鋲を打つことは出来ない。

 一つ。私の『起源』は『顕現』及び『継承』である。

 

 以上が転生を繰り返すことで見つけた四つの事柄、四つの確信、私が抱える「出来損なった嘘のような本当」だ。この程度の事が判明するまで、私は一体何度命を終えたのだろう。

 藺草の匂いが香る心地良い空間で茫洋と見覚えのない天井を眺めながら、ふとそんな事を考えた。暗闇に慣れた目が木の年輪をはっきりと映す。先ほど軽く身体を動かしたばかりだというのに、一向に訪れない眠気に軽くため息を吐く。

 あれから結局一度も振り返る事無く宿に帰還した私は、役目を終えた彼と宿の手前で別れ、軍服から女らしい私服に着替えて古式ゆかしい風情のある宿の暖簾をくぐった。

 こんな夜更けに出歩く客は珍しいのだろう。夜間の番をしていた受付と思しき壮年の男性は私を見て丸くすると、預けていた鍵を渡しながら軽く安否を聞いて来た。この辺り一帯は夜間にやっている店は少なく、路地裏にでも入ってしまえば土地勘のない旅行客はすぐさまやくざ気取りの子悪党の餌食になってしまう。

 一見して私に異常は無かったが、念のためにと口を開いた男性の善意に、私は申し訳なさそうに見えるように微笑んで大丈夫ですと答える。

 

「久しぶりの旅行で、ちょっと眠るのが勿体無かっただけなんです。それで、折角だから夜風に当たりつつ散策でもしようかなと……まぁ、流石にこの時間は何も無かったんですけどね」

「散策ですか。それは風情があって良い事ですが、お客様がおっしゃられたように、この辺りはどちらかと言えば民家の多い所ですから見所なんて、それこそ星空くらいしか御座いませんよ」

「ええまぁ、確かに。特に今夜は月が綺麗に見えましたので、月明かりに帰り道を教えていただきましたよ」

 

 努めておっとりとした女性を取り繕い、何事も無かった風を装って騙る。先日ようやく終息の兆しを見せた日比谷を起点とした事件の事もあるのだろう、治安の悪化が収まったとは言い難い現状を憂いている受付に、ほのぼのという字面に相応しく顔を綻ばせて見せればようやく安心したらしい。緩んだ緊張に男性の態度も綻び、無事ならば良かったのですと前置いてからわざとらしく渋面を作って「ですが」と言葉を続ける。

 

「もしお客様が帝都を観光するのなら、渋谷の辺りはお止めになった方が宜しいかと。あの辺りは昨日から凶悪犯が潜伏中だとかで、憲兵さんたちに封鎖されていますから。幸い、住民の非難は今日の昼頃に完了したようで、明日の日のある内に一斉捜索をするのだとか。ですから、明日はその辺りを避けた方がよろしいですよ」

 

 それでは、お休みなさいませと綺麗な所作で頭を下げる男性に、私も穏やかに挨拶を返して部屋へと足を向けた。

 無事ではあったけれど、埃っぽい場所にいたから……と、部屋の風呂を使って軽く身体を洗った。不在の間に敷かれていた布団一式を横目に、眠らぬ夜と決めてから逸って仕方ない心を宥めすかして呼吸を整える。

 

――漸く、か……今日、漸く全てが終わる……私が、終わる。

 

 思えば随分と手間取ったものだと苦い思いが湧くと同時に、それも今日で終わるのだと思うと感慨深くもある。

 眠気が皆無でよかった。そもそも眠る気など無かったのだが、それでもこの心地良い日々が終わるのだと思えばこそ、益体のない思考でも愛おしくて仕方がなかった。一日くらいは自分へのご褒美に自由を与えてやっても良いのではないかと思い立った数日前の己を、この時ばかりは褒めてやる。

 そうして暫く束の間の安息を堪能して、浮ついた心を一息に鎮める。

 

 事此処に至るまで、どれほど大掛かりな準備と時間と労力を費やしたか。対して愛想も良くなければ幸運に恵まれている訳でも、ましてや人望がある訳でもない私が此処まで這い上がれたのは奇跡に近い。

 自分一人しか泥を被る人間が居ない、というのは楽でいい。何度となく独り言ちた台詞も堂に入ったものだろう。ひたすらに自分以外から遠ざかって手に入れた破滅への道は、だからこそ踵を鳴らして練り歩く価値もある。

 ……大義名分を掲げていても、これから行われるのは間違いなく大逆だ。皇尊の坐す帝都に火を放つなど、末代まで謗られ、石を投げられても当然の大犯罪だろう。

 国家に弓引く暴虐に他人を巻き込むなど言語道断。万が一彼らが……私が遠ざけてなおも手を伸ばして心を配り続けてくれた彼らがそれを許したとしても、私自身がそれを許せない以上、彼らが気付く前に全てを終わらせる必要があった。

 

 惜しむ名残を刹那に変えて立ち上がる。先程着替えたはずの軍服一式を衣紋掛けから外し、手早く袖を通して身支度を整え、風情のある丸い格子窓を開ける。音を立てないように軍服の胸元を探り……そこに在るべき感触が失せている事に気付いて、ああ、と小さく吐息を吐く。

 

『この手紙を、明朝に参謀本部へ? あの、しかし特務曹長殿、参謀本部は明日の作戦の為、上等兵以下は現場へ直行と……わっ!?』

 

 脳裏に先ほど別れたばかりの年上の友人の姿が過る。ふわふわと癖のある柔らかそうな黒髪を夜風に乱され、べっ甲飴に似た綺羅綺羅しい瞳を驚きで丸くした姿に密やかな笑いが漏れる。

 

『作戦の陣頭指揮を執る特務曹長直々の命令だ。証拠にこれも添えておけ……あぁ、使い終わったらそのまま君が持っていなさい。君の妹(あのこ)もそろそろ年頃だろう? 御下がりで悪いが、物は良い。手慰みにでもしてやってくれ』

『へっ!? ちょ、特務曹長殿!?』

『何をしている――護送任務は現時刻を以って完了。任務を終えたならば疾く帰投せよ……これは上官命令だ、藤丸一茶(ふじまるいっさ)上等兵』

『っ……拝命、致しました。藤丸一茶上等兵、帰投します――それじゃあ糸執(いと)ちゃん、また明日。これ、ありがとうね!』

『ははっ、うん……ふふ、和香(のどか)ちゃんに宜しくね、一茶にぃ』

 

 夜闇に沈んだ街角で、星の灯りのように笑顔が瞬いていた。

 年上の部下であり、友人の兄である青年に向かって投げたのは、彼が追いかけてこなければ宿に備え付けられた文机に置き去りにするはずだったモノである。

 当然どれだけ衣服を探ろうと出てくるはずが無い。それは既に、あの気の良い青年が暮らす温かな家の中で微睡んでいる。

 

「全く、どうしてこうもお前たちは……」

 

 こみ上げてくる笑いをいなしながら、腰に備え付けた鞄を撫でる。そこには先ほどの兎の青年と化す札の他にも数多の札や絵図が入っていた。

 「……ありがとう」と最後に鞄を一撫でして、すぐ隣にある隙間を指で辿る。

 かつてその隙間に収まっていたのは、手紙と一緒に青年に投げ渡した手鏡だ。宿の灯りを反射して夜闇にぬらりと浮かび上がる螺鈿の如意宝珠は、私個人を示す『紋』である。

 「願いを叶える宝」。その在り方を一身に背負って生きて来た私が、初めて誰かにそれを許した。その意味を屹度、青年も友人も知らないままだ。

 

――それでいいさ。願い事っていうのは、そうやって密やかに見守る方が優しいのだろうから。

 

 今一度閉じた瞼の裏で、黒檀に浮かぶ虹色が淡く光る。

 何時もなら心に暗雲を齎す色だが、何故か今夜はやけに美しく見えて。

 ほんの少し救われた気持ちになりながら、私はそのまま夜天の黒へと身を躍らせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その半刻後、渋谷は炎と怒号の応酬が木霊する狂乱を孕んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――天意を曲解し、(いたずら)に皇室及び内閣閣僚、無辜なる民を戦火の薪にせんと企むる不逞の輩どもを誅する為とはいえ、皇尊(すめらみこと)の坐します帝都を騒がせ、剰え天火の雨の如き暴虐にて民を恐慌せしめたるは我が罪科。なればこそ、我が死屍は市中引き摺り回しの上、獄門するが宜しかろう――

 

――しかし、痴れ者共の手によって『呪染』に犯されていた破落戸達には、此の大逆の徒に禁固されていた故を以って温情ある扱いをお願い申し上げる。彼らは『呪染』の解呪に伴い精神的な苦痛を得た上、不逞なりし蒙昧どもを炎に巻かれる戦場に留めく為、また逃げ遅れた民の保護及び避難の為に粉骨砕身の働きをした。犯罪者の身で図々しいにも程があると恥じ入るばかりであるが、法に則り彼らを罰する際はその点を哀れみ、また賛美し、誉れ高き帝都の護りとなった彼らの献身は一考の余地有りと考えて欲しく思う――

 

――我が身の如何もまた法に、民意に、天意に委ねて然るべきであり、私自身も大いに同意する。しかし、惜しくも此度の誅罰執行に際し、彼奴らの首っ玉こそ刈り尽すは容易なれど、彼奴らめが帝都各地に仕込み遂せた『呪染』なる外法を潰すには、如何やらこの身命を賭けねばならぬらしく――

 

――心身共に法廷まで持たせるべく死の間際まで生き足掻く所存であるが、この願い叶わぬ時は、どうか罪過に塗れた我が死屍に石を投げ、唾を吐き、道端に打ち捨てて犬の餌にでもして欲しい――

 

――それが、戦犯たる私に日常を壊された愛すべき民らに残してやれる、悲しみの矛先であると信じて――

 

――私は今宵、帝都を燃やす(けだもの)とならん――

 

 

 ……と、そんな文言の遺書を残し、暴走した一部将校に立ち向かい、これらと相打ちした女将校がいる。

 名を『顕象命婦(あきさのみょうぶ) 糸執(いと)』。明治二十一年生まれ、明治三十八年没。生前の階級は特務曹長で、没後は二階級特進して少尉となり名実ともに将校となった。

 軍人としての最終肩書は少尉だが、御魂が祀られて人神となったので、人生の最終肩書は人神の戦神だ。神社は『祕祁神社(ひおのかむやしろ)』、神名は糸執命婦(いとのみょうぶ)大明神。この時点でもうお腹いっぱいである。

 十七年という短い生涯で二度の戦争を経験し、そのどちらにも参戦したという異彩を放つ経歴を持つ彼女についての資料は多い。それは彼女の来歴が当時としても稀有なものであり、尚且つ彼女の見目や人柄が他者の耳目を集めるものだったからだろう。彼女について言及された文献は、軍部の公文書から上司部下の私的な日記、彼女の生家が編纂した歴代当主の伝記、そして彼女自身の日記や家人、町人らの日記と実に多岐にわたる。

 当時、男社会此処に極まれりな軍部に所属していた彼女に、けれど周囲の人間は思いのほか好意的であったのは、彼女の持つ生来の気質と出生の歪さが理由だった。

 

 誕生祝に短刀を、七五三では弓矢と馬を、六つの年に戦場の只中で銃を握り、同じ年に人の命を刈り取った。未だ乙女とも呼べない幼子が腰に銃を引っ提げ、片手で握った刀ですぱりすぱりと首を落としてゆく様は余りにも現実味の無い光景だったと伝えられている。

 生家は神職の側面も持つ武家の家系だったらしく、産まれた時から彼女のルーティンは食事・修行・勉学・睡眠の四つで固定されていたらしい。

 しきたりに倣って父親と果し合い、勝利し、家督を得たのは十歳の春。家系図と伝記が確かならば、彼女には上に八人の異母兄姉がいて、そのいずれもが十歳から十五歳の間に果し合いで死んでいた。もっといえば、彼女の父が残した日記には「まさか自分が生きたまま跡目を譲る日が来るとは思わなかった」とある事から、殺さずに無力化するほどの力を示して当主の座に就いた者が彼女以外に居なかったのだ。

 もし彼女の生家を例えるのなら、彼女の家系はホラーゲームとして大変な人気と評価を博した『零』シリーズの舞台を総合したものが最も咀嚼しやすいイメージかもしれない。あの血腥く陰惨な儀式を一つの村が是とし、一つの武家が応と報いた結果生まれた業の里。

 何時、何処で、誰が、何を思って始めたかも解らない土着の信仰。曰く『願いを叶える』ために『人柱』を立て、それ自体を『神』と呼び崇めるそれは時代の流れに沿って名前と姿を変えて行き、彼女が生まれる頃には『人柱』は『如意宝珠』の名を冠する『現人神』へと変化していた。

 そんな家の教育が真っ当であるはずが無く、彼女は当時の神祇省に籍を置いた時も、そこから軍部に出向という形で所属した後も……そして恐らく死ぬ間際に至ってなおも、今自分が生きている時代の時勢や常識というものを理解できていなかった。誰も彼もが激動の時代に翻弄される中、彼女は荒波の中でもみくちゃにされているという自覚もないまま、只管にその場その時だけを生きていた。

 

 時勢を知らず、常識も知れず、肉親の愛も朋友の尊さも、ともすれば命の尊厳すら理解するには怪しく、しかし人を壊し潰し殺す術と奇妙奇天烈極まる呪いの類に特化した幼子を、最初は誰もが恐れて疎み、嫌悪し畏れた……のだが、一体何が如何してそうなったのか。彼女の性質は悲惨な環境で育ったとは考えられないほどの善性を有していた。

 勿論、情動の面で難が無かった訳ではない。だが、彼女は周囲が思うよりも情を理解していたし、倫理や道徳の観念もしっかりしていた。喜怒哀楽の基本的な感情も、薄くはあったが無い訳ではなかった。

 最初は遠巻きに見られていた彼女の周りに人が集まりだしたのはすぐであったらしい。相手は物の道理も解らぬ赤子だと思うようにしたらしい軍人たちは、そう思えばこそ彼女を真っ当に育てようと奮起しだしたという。

 一番最初に配属された部隊が、故郷に幼い弟妹や娘息子のいる軍人が多かったことも幸いしたのだろう。子守部隊と揶揄される事も間々あったらしいが、そう呼ばれたとしても胸を張って「子は国の宝ゆえ、それを守れると太鼓判を押される我らは真に誉れ高き部隊と言えよう」と笑うほどには振り切れていたというのだから面白い。

 彼女も自慢の『父兄』らに愛され、敬愛する『上司』らと共に戦う過程で徐々に心を育てて行き、果てには帝都の住民たちに「女将校さん」と親しみを込めて呼ばれる程に世間に馴染んだ。当時、彼女は帝都のマスコットだったのだ。

 

 だからこそ、帝都の誰もが驚嘆した。

 帝都の人民に見守られ、健やかに育まれていた少女が見せた苛烈極まる護国の意志。

 人の手で憩う小さく稚けない獣だと思っていたものが、本当は大地を踏みしめ天を仰ぎ、堂々と胸を張って汚名を被る事を是とする、気高き勇猛の士であったなどと知らなかったものだから。

 

 皇尊の住まう帝都に火を放つ。

 高潔な意志を以って献身を成した彼女に、神拠りの国の民は感嘆したのだ。

 

 日比谷を起点とした事件が表向き一段落した数日後、彼女は「凶悪犯を包囲し捕まえる」という名目で渋谷から民間人を丁寧に取り除き、そのまま一夜の内に凶悪犯……当時、表向きの歴史には麻薬の類とされていた呪詛を用いて破落戸や浮浪者を『染め』、異国との関係に罅をいれようと画策していた一部将校を呪詛諸共、渋谷の街と己の命を犠牲に葬ったのだ。

 彼女は帝都を焼き、家を潰し、日常を壊した自分を心の底から嫌悪したのだろう。遺書の文言、そして彼女の日記から、その葛藤は察してなお余りあるほどに伝わる。

 だから彼女は民草にもその感情を投影した。彼女が唾棄する彼女自身を、彼女が愛し守ろうと足掻いた命たちが憎悪しないはずが無いと。

 実際、彼女を恨んだ人間はそれなりにいた。

 けれど、彼らは恨みながらも感謝していた。憎みながらも愛していた。口先では罵りながらもその瞳から滂沱と流れる涙は、震える声は、彼女への感謝と懺悔に満ち満ちていた。

 

 何故なら、彼女は守り切ったから。

 確かに家は焼けただろう。思い出の類も灰になり、更地の地面と炭化した木材はこれからの未来を描く余裕を奪っただろう。

 けれど、彼女は渋谷の住民から『持ち出せる思い出』は奪わなかった。現実問題必要となる金銭を補填として用意していてくれた。これからを生きていく足を、腕を、命を損なわなかった。

 そして何より、先人たちが必死になって築きあげた未来の礎を瑕疵一つ無く守り切った。

 その功績の大きさは計り知れるものではない。彼女はその場の何千何万の命を守ったと同時に、未来に生まれる何十億もの命を守ったのだ。

 

 故にこそ皆が彼女の死に咽び泣き、惜しみ、遺体を丁寧に弔った。

 彼女の名を御国の恥たる戦犯ではなく、護国救世の英霊として慰霊碑に刻んだ。

 悍ましい生家は既に彼女の手によって里ごと滅ぼされていたけれど、生き残された真っ当な家人らは彼女の為に里一つを彼女の社とするほど、畏敬の念を捧げて止まない。

 あくまで外法の成れの果て。唾棄すべきは我が身命よと己を謗り続けた彼女だったが、しかし皇尊はその高潔な精神と慈愛の心は何より尊く清らなものであるからと、彼女に戦神の誉れ高き名を与え、人神として神の末席に名を連ねる事を許した。

 

 (まじな)いに通じ、術に長け、現人神と崇められながらも戦人(いくさびと)として立ち続け、人の生の果てに人神へと至った日本における英雄の一人。

 何故、今その話をしたのかと言えば……彼女がいるからだ。

 それも目の前に。護国の英霊と名高いかの女傑が、今まさに。

 

 ……うん、目の前。目の前だ。だって彼女自身がそう名乗ったし、彼女が現れた理由の心当たりもある。がっつりある。

 

「――まさか私を名指しで呼ぶ者が居るとは思わなかったが……なるほど、そういう事ならば納得がいく」

 

 周囲を取り巻いていた虹色の光を重たい軍靴で踏み砕き、艶やかな黒髪を躍らせて、少女は(いわお)の如き存在の(おお)きさもそのままに、悠然と周囲を瞳に映した。

 

「拝領したクラスは裁定者(ルーラー)。真名を『顕象命婦(あきさのみょうぶ) 糸執(いと)』という。私如き若輩が世に名立たる大英雄らに及ぶ筈もないが、主殿の助力となれるよう努めさせていただこう」

 

そう名乗り上げた彼女は、教科書に載っている写真通りの見た目をしていた。

 目尻の垂れた愛らしい童顔に、後ろで一つに結ばれた黒髪。ただ、その顔も指先も傷痕だらけで、その上を戦化粧らしい黒墨と金の縁取りが走っている。

 笑えばきっと花が綻ぶように愛らしいのだろうと想像が出来るだけに、引き締められた軍人らしい真面目な顔つきは冷厳という他ない威圧を放っていた。

 彼女の正装は世界各国の模様を集めてぶち込んだと言われても納得できる程に装飾過多な軍服だから、今着ているのは略式の装備なのだろう。黒一色の軍服に金の徽章を一つ下げた姿は、簡素な見目とは裏腹に言い知れない重さのようなモノを感じてしまう。

 特に、軍帽の影に在ってなお鮮烈に輝く、淡く澄んだ青緑色の瞳の冷たさといったら。

 何も悪い事はしていないはずなのに、思わず「ごめんなさい」と言いかけた私を一体誰が咎められるのか。

 思わずぴゃっと背筋を伸ばして固まってしまった私の隣で、マシュが一歩足を引いて盾を掴む手に力を込めた。

 ただそこに在るだけで他を圧倒して止まない英霊の気配にキャスニキはひゅうと口笛を吹いてにんまり笑い、ジークフリートは構えこそしないものの、その右手は何時でも剣を抜けるように中空へ留まった。

 今の今までわぁわぁ騒いでいたロマニも彼女の一瞥で息を飲んで口を閉ざし、ダヴィンチちゃんはほぅ、と感嘆の吐息を吐く。現代史の英霊にまさかこれ程までの英傑が居るなんて。カルデアの顕学である二人をしてそう言わしめる彼女は、当然のように種々の感情が乗る瞳を受け止め……ふは、と小さく破顔した。

 

「……とまぁ、堅苦しい挨拶はこれくらいでいいだろう。さて、主殿、少々確認したいことがあるのだが、宜しいか」

 

 余りにも幼い笑みに、こちらも思わずふへ、と間抜けな声が出た。いや、え、あの……え?

 立ちはだかる岩壁の厳しさから、(そび)える大樹の頼もしさへ。見上げる程の存在がもつ威容はそのままに纏う空気だけをふわりと緩めて見せた英霊に、誰もが瞠目する。

 召喚陣から一歩、足を踏み出す。そのまま高鳴る足音は刻むような鋭さであるのに、不思議と怖いとは思わなかった。

 そして彼女が目の前に来たとき、軍靴を履いても少し下がる視線に、そういえば彼女は十七歳だったと思い出す。

 不思議な気持ちで彼女の緑青を見下ろせば、彼女は殊更雰囲気を和ませ、慕わし気な口調であるものを腰から抜いて掌に乗せた。傷だらけの小さな掌を覆い隠すのは、よく使い込まれた黒檀の手鏡だった。

 

「この手鏡は、どのようにして主殿の下へと渡った?」

 

 鏡面を表にしたそれの手を握り、くるりと返せば、そこには螺鈿の宝珠がぼんやりと鈍く輝いている。何世代にも、という程ではないが、百年以上は確実に我が家で大事に大事にされてきた手鏡は、その由来と共に愛された我が家の家宝でもあった。

 当然、それを受け継いだ私もこの手鏡を由来と共に愛している。良く手に馴染む黒檀の重さは、藤丸家の女性にとって『大人の女のひと』への憧れの重さと同じなのだ。

 お母さんがくれた『きれいの魔法(ちいさなリップ)』と一緒に渡された手鏡。懐かしい思い出に心がくすぐったくなる心地を覚えながら、照れの混じってしまった笑みを向ける。

 

「この手鏡はね、私の高祖母のお母さんから代々藤丸家の女性に受け継がれてきた家宝なの。覚えてる? 藤丸一茶兵長と、その妹さん。藤丸和香って言うんだけど……」

「あぁ、勿論だとも。藤丸一茶は当時上等兵で、私の年上の部下で……和香ちゃんは、彼の妹で、私の大事な友達だもの」

 

 ふふふ、と少女が笑う。

 戦争経験者で護国の士と称された英傑が、年相応の乙女らしく嬉しそうに破顔する。

 

「やっぱり、和香ちゃんの子孫だ。ふふ、すごいや……初めてかもしれない。英霊になれて良かったって思うの」

 

 密やかに、秘めやかに。

 丁寧に仕舞い込んだ宝箱をそっと覗き込むように。

 どきどきと高鳴る胸をきゅうと握りこんで、言葉にならない歓喜を吐息に込めて細く吐き出した『きれいの魔法をかけてもらった日(あの日)』のように。

 

「よく頑張ったね。これからは私も一緒に戦うよ――世界の為でなく、ただ、君が生きる未来の為に」

 

――君の心を、私が拾っておくからね。

――ちゃんと返してあげるから、きちんと受け取って抱きしめてあげてね。

――その時は、私が君を抱きしめてあげるから。

 

「この身の全てを(なげう)ってでも、君の全てを守ると誓う」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――だから君は、君の『今』を大事にするんだよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 繋がったばかりのパスを通して届けられた彼女の柔らかな声に、人類最後のマスターはくしゃりと歪んだ顔を隠すように少女の胸へと飛び込む。

 

 百年と数十年の月日を経て、「願いを叶える宝」はようやく祈りの先に辿り着いた。

 

 

 





~簡易マテリアル~
【ステータス】
真名 :顕象命婦(あきさのみょうぶ) 糸執(いと)
クラス:ルーラー
属性 :中立・善

筋力:B 耐久:A 敏捷:B
魔力:A 幸運:E 宝具:EX


《キャラクター紹介》
 現代史に誕生した稀少な英霊。一部将校の暴走を止める為、あえて大逆の汚名を被る事で国民を守った。
 彼女の献身が無ければ国民は意志の無い暴徒と化し、海外諸国との繊細な外交バランスの上に張り巡らされた緊張の糸を引き千切っていた可能性が高かったことから、現代においても『護国の英傑』の一人に数えられ、親しまれている。


【クラス別能力】
・神性 A
・対魔力 C
・移動要塞 B
 ※陣地作成&自己回復(魔力)の複合スキル

【スキル】
・護国の英傑 A+
 味方全体の防御力をUP(3T)
 &味方全体の攻撃力をUP(3T)
 &味方全体の弱体解除

・大逆の徒 C
 自身の攻撃力をUP(3T)
 &自身のバスター性能UP(1T)
 【デメリット】
 自身のHP減少

・偽想太母 EX
 敵全体の強化解除
 &敵全体のチャージを確率で減少
 &味方全体の弱体耐性をUP

【第一宝具】
「天に吠えるは我が大逆。地に満つるは我が鉄槌。業を滅ぼせ我が(ひとや)
『夜天照地・不退転たれ我が魂』
ランク:B 種別:対軍宝具
レンジ:100 最大補足:1000
「ふたいてんたれ、わがこころ」
 自身の攻撃力大UP
 &敵全体に強力な防御力無視攻撃
 &敵全体にやけど付与(5T)
 (強化クエスト後)
 +宝具発動前、自身に悪特攻・善特攻付与(1T)
【デメリット】
 自身に中確率でやけど付与(3T)
<オーバーチャージで威力UP>

 決して逃がさず、決して逃げ出さず。
 不退転の決意で以て帝都に火を放ち、自らをも炎の檻の中へと入れた彼女の逸話から生まれた宝具。
 あの日、あの時、あの場所で彼女は一体どのように戦い、どのように死んだのか。
 帝都の夜を赤く照らした大逆の炎は、一切滅却の意志によって何人たりとも逃れ得ぬ地獄の(ひとや)と化した。
 それはあらゆる罪業を、悪性を……行き過ぎた善性とて許さない天罰の火。
 彼女の焔に巻かれたのならば、それ即ち罪人の証明。一度彼女に「裁つべき」と定められたならば、その劫火は如何なる者をも逃がしはしない。


【第二宝具】
「まるで出来損なった嘘のような本当、というものを教えてやろう」
「幻想目録、あるいは式符エンブレマ……いや、今回は敢えてこう呼ぼう」
『限定想起/象徴補填・顕現式』
ランク:EX 種別:対理法宝具
レンジ:― 最大補足:―
「アムネシア/カウントレス・シンボル」
 味方全体のアーツ・バースト・クイック性能UP
 &味方全体の攻撃力UP(3T)
 &味方全体の防御力UP(3T)
 &味方全体のHPを回復
 <オーバーチャージで効果UP>
 &確率で敵単体の宝具封印(1T)
 <オーバーチャージで確率UP>
 
 最も古く、最も原始的で根源的な力。
 世界に満ち、精神に根付き、言葉を超越し、内外に強く働き掛けるモノ。
 いくつもの根源を経てなお膨張し続け、その全てを包括した多義的な、至高の未完成魔術。
 一つの象徴を介して全ての生き物の精神に働き掛ける魔術。言語であり音であり絵でもあるそれらを、彼女は数多の世界に生きて死んだ事で会得した。
 『顕現』も『継承』も彼女の真実ではあり得ない。
 彼女も知らない、彼女の魂に根差し、彼女の全てを定義するもの。それは『適応』という根源であり、故に彼女はあらゆるものに『適応』しながら生きて来た。
 かつて『星』に適うモノとして生まれた彼女は、『人間社会』への適応を是としたため、無意識に己の本質に気付かないよう目を反らし続けている。


 
 ……っていう、凡人→ベターマン経由で魔法使いの嫁とかとんがり帽子のアトリエとか児童書とかのファンタジー世界に多重転生した女の子の話。
 獲得した技能で転生に鋲を打つことは出来ないけど、転生先の理に『適応』してそれを是としたらFate世界で『座』が鋲として打ち込まれたとか。






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