大切な友人であるムハマドの回復を心から祈っていた。
祈りはエゴであってはいけない。
○○がうまくいきますように。
ではなくて
○○までどんな結果が出ても、強い心で受け止められますように。
神様の御心(みこころ)に叶いますように。
と
お祈りしなさいと、聖書の時間に教わった。
そう、祈りは自分勝手な思いではいけないのだ。私達が生かされているのは
神様の元に行くまでの修行。神様からの宿題を果たさなければいけない。
さまざまな試練を乗り越えて、天国に入るために。
従って、このようになりますように、という自身の願望ではなく
どんな結果であっても、神様のご判断に従います。御心とは神様の意図されること。
それを知ろうとして、正しく生きることが人の道なんだと。
ハリーはそれを考えていた。
もちろんムハマドが元気になってほしい。病気を完全に克服してほしい。
いっしょに真っ黒になるまで遊びたい。
しかし、自分ができるのは、彼を励ますことだけ。どうか
自分にできることで、ムハマドの役に立つことがあれば、私に力を下さい。
私で出来ることがあれば、なんなりとお申し付けください。
ハリーは福音の言葉を思い出していた。
心の貧しい人々は、幸いである、
天の国はその人たちのものである。
(『心の貧しい』とは翻訳の課程で日本語としては不自然であるが、つまり謙虚であるということ。自分の欲を捨て去り、貧しいほどに謙遜な心で神様のご意向に従うということ。)
悲しむ人々は、幸いである、
その慈悲深い人たちは慰められる。
柔和な人々は、幸いである、
その人たちは地を受け継ぐ。
義に飢え渇く人々は、幸いである、
その人たちは満たされる。
憐れみ深い人々は、幸いである、
その人たちは憐れみを受ける。
心の清い人々は、幸いである、
その人たちは神を見る。
平和を実現する人々は、幸いである
その人たちは神の子と呼ばれる。
義のために迫害される人々は、幸いである、
天の国はその人たちのものである。
ハリーは、天使祝詞と主の祈りを唱えた。
人はいろいろな試練を乗り越えて強くなる。転んだことがなければ、受け身の取り方もしらない。従って、大けがをしてしまう。
転んだ痛みを知っていれば、防御の方法も知りうる。又、
人の痛みもわかる。
難しい。本当に難しい。人は正しく生きているつもりでも、それが本当に
正しいのかどうか、いつも神様に判断を委ねているのが、真に謙虚な
姿勢なのだそうだ。
また、試練を多く経験した人程、人の痛みがわかり、そして
強くなっていくのだそうだ。
今、ハリーは大切な友人の困難を目の前に、神様から大きな宿題を課されたのだと
そう確信しながら、自身を振り返り、ムハマド回復の祈りを捧げた。
そしてまた、生かされていることの感謝も忘れずに・・・
生きていることは天国に行くまでの修行である
と
学生時代教わったことがあります(仏教でも徳を積むっていいますよね)。ミッションスクールでしたので、中間テストにまで宗教の科目があるんですが
なぜか宗教だけは高得点げっと。...(おかげで全体の平均点が上がるw)
コツはですね、とにかく書くんですね。いっぱい。
聖書の引用について、どういう意味か、それを果たすにはどうしたらよいか
自分はこうするどうするしなければetcetc
そうするとですね、シスター(私達の学校はシャルトル聖パウロ系だったので、マ・スールと呼んでいた)が、高得点をくださるんですよ!!!
で、卒業後バプタイズ(洗礼を受ける)しましたけども...
とはいえ、無論、聖人君子じゃありません。生臭いもいいとこ...嫌な人見ていやだ!って
思うしね。なるべく意に介さないようにはしてますけど....
そういう人にも慈悲の心を持てると、天国に近くなるのだとか....
え?死んじゃうじゃん! <大丈夫、まだまだ修行足りないから...