木曾にはネタにされ、武蔵にはあれこれ聞かれたことから嫌でも昔のことを思い出す。
北上は自分が特別なのはわかっていた。
誘導性艤装装甲も教えられた日には使え、その翌日には縮地までできるようになっていた。
教えてくれた木曾も驚いていたほどの成長。
それが北上にとっての当たり前だった。
所謂天才と言われる類の素質があるのは回りと比較して一目瞭然。近い時期に建造された伊勢は最初の飲み込みこそ北上の上だったが、後の成長度合いは離れていく一方で、そうであるが故に退屈な毎日が北上にはつきまとっていた。
毎日のように出撃しては酒を呑んで寝るという繰り返しにはうんざりする。続けられたのは単純に提督の指示であること、艦娘としての最低限の矜持があったこと、戦闘自体が少しばかりの憂さ晴らしになること。そして何より木曾という強者が側にいたからに他ならない。
ただ木曾は全くとしていいほど本気ではやりあってはくれず、いつものらりくらりと躱されていた。そんな折にたまたま死にかけた不知火を助けたことで懐かれ、ベッドに押し倒したのはただの気まぐれであり、少しでも刺激が欲しかったがための行為。特別同性が好きだとかその手の趣味があるわけではないし、不知火だったのはたまたまに過ぎない。
しかし不知火にはその日以降ずっと付き纏われ、反応を見るからに心酔ないし依存した様を見せつけられ、追い払うのも面倒だったことから放置していた。直ぐに離れていくだろうと思っていたからだ。その結果そこから三年後の二〇一七年になっても離れる気配がないどころか、共依存に近い形にまでなるとは完全な誤算であった。
――――――――――――――――――――
二〇一四年七月。
初春に不知火に手を出したのは良かったが、思いの外暇つぶしにもなった気はせず、退屈は増すばかりの毎日を送っていた。
これ以上鬱憤を溜めるようじゃ何をするかわからないからと、木曾に本気でやろうと数十度目の誘いを出すも、あっさりと断られる。
何度も頼んで断られると猜疑心に駆られるのが人というもの。
木曾は確かに強い。動きを見ていればそれだけでわかる。だが、自分の誘いをこうまで断られ続けると、負けるかもしれないから受けないのではないかと思い始めていた。
努力などしなくても成長し続けた北上は、今ならば木曾といい勝負ができると思っているからこそ最近は特に熱を入れて誘っているのだが、結果は全敗である。
ただ負けるのが怖いからやらないのか、などと直接言うつもりはない。木曾より強くなったとはまだ思えていないからだ。だが同格程度には実力をつけたと自負しているだけに尚更気に入らない。
実力が近ければ後はセンスの差で皮一枚の差ができる。そして自分は天才型であり、木曾は努力型。才覚としてのアドバンテージが自分にあるだけ木曾は不利な状況なのは確かだが、勝敗など北上としてはどうでもいいだけにただ勝負をしてほしかった。いや、正確には勝負には勝ちたいが、その後のことはどうでも良いというのが正しいか。
ただ勝って自分の強さを証明できれば、それだけで退屈を一時的に無くせると思っている。
浅はかだとは我ながら思いはするが、それでもそろそろ我慢の限界が近く、少しばかり強硬策を取ることにした。
「明石さんってさ、木曾さんを鍛えたんだよね」
「今更どうしたの? まぁ前にも言った通りそうよ」
「へぇ……」
口元が緩む。
これから行う楽しいことを想像するだけで、ここ暫く経験したことのない高揚感が胸の内に現れた。
「じゃあさ、明石さんって強いってことだよね」
「そういうことか。だから談話室とかじゃなくて外なんだ」
納得のいった顔に頷いてみせる。
現在二人は外。鎮守府の裏に相当する位置で落ち合っていた。今この辺りには二人を除き、近くに待機させている不知火くらいしかいない。
「悪いけど相手はできないわ。知ってるとは思うけど、私じゃ北上の相手は荷が勝ち過ぎてるから」
そう。明石は確かに強いし臼杵鎮守府においても上位に位置する実力はある。だが今の北上相手では十回戦って三回明石が勝てたならば良い方だ。殺し合いとなれば更に下がるだろう。その程度には差がある相手を選んだ理由は二つ。
「うん知ってる。だからさ、暇つぶし程度に付き合ってくれないかな~なんて」
一つはただ単に退屈しのぎがしたかったこと。そしてもう一つは、明石という存在が木曾にとって特別であること。
もしその特別な存在が痛めつけられていたら木曾はどうなるだろうか。
――そこまでやれば流石に私の相手、してくれるよね~。
全ては自分の欲求を満たすために、同じ鎮守府の仲間を殴ることになるが知ったことではない。
「といってもまだ私も仕事あるんだけど」
これまで我慢し続けたのだから、多少の犠牲は付き物。困った表情を浮かべている明石に向かって問答無用に拳を繰り出した。
「ちょ、ちょっとだからやらないって」
「その程度は避けられるんだから十分十分」
「人の話全然聞いてないし……あーもーちょっとだけだからね」
無理やりにとはいえ、本人の了承も得たことに満足しつつそのまま攻める、ようなことはしなかった。
突如鳴り響く砲撃音。
明石の足下を抉った一発の砲弾は完全に油断していた彼女の意識を誘導するには十分だった。
「今のはな――――」
明石が北上への注意がなくなった瞬間。無言で北上は明石の足に向かって蹴りを放つ。
完全に不意をついた一撃は、明石の両足を折ってしまうには十分だった。
「なん――――で」
明石は信じられないといった風な顔をしながら、蹴られた勢いのまま地面に背中から倒れる。
恐らく理解が追いついていないのだろう。痛みよりも困惑の色が強く、倒れた後も痛がる素振りはみせない。
「ぬいっち」
だが北上は止まらない。止まれない。
砲撃を行わせた不知火を呼び寄せつつ倒れた明石に馬乗りする。呼び寄せた不知火に両腕を抑えさえようとするが、一度装甲で不知火は弾き飛ばされた。北上は予め防いでいたため問題はなく、逆に腹部に向けて装甲を展開する。地面と装甲の間に挟まれた明石の肋骨は幾つも悲鳴を上げ、そこにきてやっと苦悶の顔を浮かべた。
痛みが口から漏れ出る明石に対し、北上は容赦なく顔面に向かって拳を振り下ろす。
経験から来るものか。痛みを訴えておきながらも装甲でしっかり反らしている辺り、実力が伺えるが、今は時間が惜しく苛立ちを感じる。
――砲撃を行ってから六秒前後。そろそろ誰か来るかな。
逸る気持ちに押されて控えめにやるつもりだった装甲と筋力は想定以上に力が入り、次に振るった拳には嫌な感触が手に伝わった。
「………………え?」
グシャリと何かを潰したかのような感触。骨を砕いたのが手から肘、肩、背中、脳と刹那の時を走るのに反比例するかのように、思考は重鈍で、まるで時が止まったかのような錯覚さえした。
「き、きた、北上、さん」
不知火の震える声にハッとし、振るった拳を取り除くとネチャリッと粘性のある音が耳の中を撫でる。
拳の先にあった明石の顔は頬骨辺りから左半分が陥没しており、その結果左眼球が固定できなくなっているのか空洞となっていた。
まだ生きているようで呼吸音は聞こえているが、そう長くはないだろう。
流石に不味いと思った北上は冷や汗を浮かべながらも立ち上がり、ドッグへ運ぼうとしたところで全身に寒気が走る。
「何、やってんだお前ら」
「き、木曾さん」
待ち人であるはずの木曾が最悪なタイミングで顔を出す。
「答えろ北上。何やってんだ」
「あ、あのですね木曾さんこれには」
北上より木曾に近かった不知火が慌てて弁解をしようとゆっくり近寄るが、
「お前に聞いてないだろうが!」
「き、そ、さ……え?」
木曾の振るった拳によって物理的に止められた。
不知火の腹部に放たれたはずの木曾の拳は、不知火の背中から飛び出るという形で。
「不知火!」
抱いて以来敬称として呼んでいた名さえ口にする余裕は絶たれ、完全に臨戦状態で一旦距離を取る。不知火の生死は気になるが艦娘ならばまだ生きているだろうと除外し、木曾だけを見る。
「明石さん。今ドッグに連れて行くからな」
が、肝心の木曾は北上のことを見向きもせずに明石を横抱きにし、何か言葉を交わしているようだが上手く聞き取れない。
「木曾さんこれは何が」
「鳳翔か。悪いがそこに転がってる不知火をドッグに放り込んどけ。訳は後で話す」
「もしかして……わかりましたが程々にお願いしますね。提督には私から言っておきます」
付き合いの長い二人は皆まで語らずとも察しあっているのか、鳳翔がこちらを一瞥するだけで、地面に倒れ伏していた不知火を抱えてその場を後にした。
「北上。お前は海で待ってろ。オレもすぐに行く」
返事も待たずに木曾も鳳翔の後を追うようにドッグのある方へ向かった。
遅れてやってきた他の艦娘には目もくれず、全身に溢れ出た冷や汗と激しく打ち鳴らす鼓動を振り切るように、木曾達が向かった方向とは反対側から海へと走っていった。
初めはあそこまでするつもりなどなかったのだ。やっても精々口内を切るとか青たんができる程度しか痛めつけるつもりはなかった。両足は予定通り。腹部はヒビが入った程度で抑えられているはずのためこちらも問題ないが、顔は本当に想定外だった。
これが自惚れや自分の力を過信しすぎたということだろうか?
自分の才覚は理解しているつもりだったが、所詮はこの程度だったということなのだろうか?
焦る気持ちを振り切るように海へと飛び降り、着水と同時に海面を力いっぱいに殴りつけた。
くぐもった音に遅れて海底が露出し、足場を失った北上は自由落下している最中に波が戻り、底にぶつかる前に海に遮られる。落ちる際に装甲を一切使用していなかったことから波に揉まれ、冷静さを失った頭と同じように体ももみくちゃにかき回され、どっちが海面なのかも一瞬わからなくなる。
日中なのが幸いし、明るい方へと装甲で押し上げながら浮上すると、冷や汗も不安も水に流されたかのようにスッキリし、迷いは消え失せた。
――やってしまったことは仕方がないよね~。
やったことを忘れたわけではない。まだ手にも感触は残っているし、思い返せば直ぐに同じような状態に戻るだろう。今はただ割り切っただけにすぎない。一つ別の自分へとシフトさせたとも言える。
濡れた髪をかき上げると、丁度木曾もやってきたようで外套をはためかせながら着水、四メートルほど距離を開けた状態で改めて対峙した。
先ほどまであった怯えなど微塵もない。あるのは今からこの人と戦い、そして倒すことだけだった。
「何であんなことやったか、なんて聞いたところでしょうがない。オレとやりたかったんだろ? 来いよ。相手になってやる」
「それは何よりなことで」
陸地まで十メートルも離れていないが、二人はそのようなことは気にしない。此処から先、砲撃など一度たりとも使うことがないとわかっているからだ。
北上はゆらりと体を揺らしてから縮地による跳躍を三度行い撹乱しながら木曾の右手に回り、拳を顔めがけて振るう。だがそちらはあくまで牽制。木曾が幾ら眼帯をしていたところでそれが完全に命中するとは思ってなどいない。良くて防がれる。悪ければ避けられて反撃をもらうこととなるだろう。
それだけの経験をしてきているのは北上も熟知している。故に本命は足。
上への攻撃と見せかけての足への強襲。ほんの僅かでも機動力を奪えば確実に勝てると見越しての最速最高の初撃を繰り出した北上だったが、
――そんな、避けられた!?
顔への攻撃は首を反らすだけで避けられた。こちらはまだ良い。だがローキックを片足上げただけで回避されるとは思ってもなく、反撃を恐れて一旦離れることに。
「おいおいどうしたあれだけ熱烈に誘ったんだ。飢えていたんだろ? だったらもっと本気で来いよ」
「妹艦の癖に馬鹿にしてっ」
動揺しているところに木曾の煽りが重なり、カチンと来る。
誘導されているのはわかっている。それでもこの場この状況を望んだのは紛れもなく自分であり、応える義務があった。何より自尊心が傷つけられたのがいたく気に入らない。
二つ呼吸を置き、再度跳び出す。
風圧を水面に軌跡として残すほどの縮地を連続で行う。フェイント兼牽制用に木曾の正面付近で着水。衝撃を木曾に向けて流すことで水柱を発生させ、視界を奪いながら木曾の左手に回りつつ小回りを利かせ、右手側からしかけた。
短く切れる呼吸音を置き去りにしながら繰り出す拳の連撃。顔目掛けて何度繰り出しても避けられてしまう。ならばと動きが少ないボディに振るうが、一歩だけ右に移動され容易に躱されたのを見計らって跳躍。縮地を移動ではなく回転に利用して高速の跳び後ろ回し蹴りを叩き込みに行くが、避けることなく差し出された左手の平から十センチ先で北上の足は止められていた。
歯噛みしながらも体勢を整えつつ縮地で移動を開始する。
内心苛立ちよりもこいつは本当に艦娘なのかという疑問。いや、恐怖に近い現実逃避が生まれ始めた。
「どうやらオレもお前を買いかぶっていたようだな」
どう攻めるべきか思案していると、木曾からこぼれ落ちた言葉がゾワリと背中を撫でる。
「攻撃っていうのはこうやるんだよ」
寒気を感じ、来るべき攻撃に備え全神経を防御に傾けていた。
これを防げなければ死ぬ。
直感がそう囁いていた。
先程まで避けるばかりで攻勢に出ることのなかった木曾が遂に動き始める。腰を低くし、殺気を綯い交ぜにした気配を発露させながら、今飛び出した。
消えた、とまではいかない。十分目で追うことのできる範囲の動きだった。そう、目で追うことはできた。
――はやっ。
フェイントに釣られて動かされた眼球は、一瞬だけ木曾の動きに遅れてしまった。その遅れが全てを終わらせた。
目が遅れるものに体がついていくはずもなく、木曾が振るった拳をギリギリ出した装甲で防ぎに行くが容易に貫かれ、腹部へと突き刺さる。
不知火のように貫かれることはなかったものの、肋骨どころか腰骨まで折られながら振り抜かれる。
殴られた衝撃は倒れることも許さずに北上の体を水平に飛ばし、波打ち際のコンクリートの壁へぶち当てられた。
「かはっ」
激突のダメージを装甲で緩める余裕もなく、ボロボロとなった衣服を更に散らせながら、肺の中の空気を全て外へ出される。
後頭部も激しく打ち付けたのか生暖かい物を感じながら視界と思考は明滅を繰り返した。
何かしなくては。でも何をすれば。
自分が何をやっていたかも飛ばされていると、一つの物体が高速にこちらへ飛び込んでくるのがわかった。
直後に走る両肩への痛み。
それが木曾が両腰に持っていたサーベルと日本刀であったことに気付くのに、暫く時間を要する。
「これが今のオレの実力だが、お気に召したか」
「は、はは。まっね」
磔宛ら、深々と突き立てられた刀剣を抜く気力さえ絶たれ、力なく壁に寄り添う。
まさかコレほどとは思いもしなかった。普段でさえ十分な強さを持っている。戦場を何度も同じくし、近くで見てきたのに、その状態ですら三味線を引いていたとは誰が気付けようか。
「今回の件はオレにも否があるだろう。今度からちゃんと相手をしてやるからこれに懲りたら二度とあんなことはするな。良いな」
力なく頷き、ここに完全な敗北が決まった。
こんなやつに勝てるはずがない。
これほどのやつが同じ艦娘なんて信じられない。
――化け物め……
何をしたらこれほどまでに強くなれるのかなどどうでもいい。ただ二度とこいつには逆らうまいと心に誓った。
こいつには誰も敵うはずがない。
そう確信をしながらこの日以降、北上が木曾に戦いを申し込むことは無くなった。
――――――――――――――――――――
「そういえばさ、あの時明石さんと何話してたの」
珍しく二人っきりでマミヤで呑んでいた時、かつてのことを思い出しながら木曾に問いかける。
「あの時っていつのことだ?」
「あ~ほら、私が色々やらかした日のこと。お姫様だっこしてた時になんか話してたから」
あれかと呟きながら木曾もその時のことを思い出したのか、小さく笑っていた。
「何、ちょっとした仕返しだ。気にするな」
「え~。折角恥を忍んで聞いたのにそれはないでしょ」
「気になるなら明石さんにでも聞いてみな。教えてくれるかは知らんが」
どうやら話す気はないようで、木曾は氷を鳴らしながらグラスを傾ける。
結局明石に聞いても赤面しながら躱されるだけで、教えてはくれなかった。
謎は深まるばかり。だがそれ以上追いかけてもまた面倒なことになりそうな気がし、北上は大人しく引き下がり、今日とて退屈な日を送るのだった。