暫く腰をやっておりましたが落ち着いたので、これから少しずつ上げていくかと思います
吹き抜ける風。
遮蔽物の存在しない海上において風を避けるすべなど存在しない。幾ら着込んだところでこの冬の風はわずかにでも見える素肌に容赦なく襲いかかる。人であるならば、まず間違いなく低体温症になるであろう凍てつく息吹も、艦娘の前には春一番が過ぎ去った後の気持ちの良い風にすぎない。
「そこだ」
南とはいえ空気も張り付きそうな中、武蔵は砲撃を放ち、寒さで静止しそうな空間をぶち壊していく。
大和型の主砲。四十六センチ三連装砲から吐き出された鋼鉄の塊は風を切り、二〇〇〇メートル先の目標へと邁進する。
「残念ハズレ」
「まだわからなっあぁ!」
明石に茶々を入れられ言い返すもつかの間、砲弾は切り裂いていたはずの風に誘われるように、目標物の八十センチ隣へと落下する。
「むぅおかしいな。風の影響は計算に入れて撃ったはずだが」
「そりゃそうだよ。風は一定じゃないんだし。当然海も」
「ちぃ、これは評価に響きそうだな」
眉間にシワを寄せながらも次のテストへと移行する。
現在武蔵が行っているのは艦娘の性能テスト。
同名の艦娘であっても性能差があるのは勿論のこと、得意不得意も変わってくる。元々は各鎮守府の提督がそれらを纏め、レポートを出すだけで終わっていたのが数年前までの話。現在は陸軍が各鎮守府へ赴き、実際に見てから評価が下されるように変わった。
「くそ、今回はいまいちだな。で、どうだった榛原」
全てのテストが終えてから後片付けをしている明石を置いて先に陸へ上がり、視察していた榛原神戸に声を掛ける。
なんでもかつて臼杵鎮守府(うち)の提督の下について深海棲艦相手に戦った中だとか。
「そうですね。概ね問題ないかと。砲撃制度はB、耐久性はA+、航行はC。ですが遅さは艦種の都合上いた仕方ありません。装甲でカバーできますし、その問題の誘導性艤装装甲は文句なしのAランクですから」
クリップボードに書かれた評価を、ニコニコと笑顔で言われるのはややむず痒くある。
一番親しい軍人が池上剣造であるために。それが元部下となれば尚更堅物を想像していただけに、初めて会った時は驚いたものである。だが最近ではもう慣れたもので、肉体は軍属らしく鍛えているのかドーベルマンのような感じではあるが、表情を含めた雰囲気が柴犬に近い人懐っこさをこれでもかと醸し出していた。
「未だに謎ですよね。装甲の性能を加味するなら、そこから得られる性能も評価しないといけないはずなのに、結局まだ別々に評価しているんですから」
全員の性能テスト――――提督は評価試験と呼んでいるが――――も終わり、仕事からプライベートにでも切り替わったのか雑談を初めた。
「そうは言うが装甲を加味しだすと収集つかなくならないか?」
「その辺は装甲が使える方々用に変えたら良いだけです。無理に一緒に評価する方が返って不都合なくらいです」
多少私情も入っているだろうが、武蔵は自分が評価を下す側でないため、それも一理あるかと頷く。
「大体池上中将の評価が低いのも納得いきません。どう考えても日本を支えているのは池上中将と皆さんなんですから。そりゃあ最近は装甲が使える艦娘も増えてきましたけれど、それでもですね――――」
「神戸、その辺にしておけ」
「木曽さん。ですが」
「誰が聞いているかわからんだろ」
榛原は食い下がるがそれでもと木曽は諭した。
「陸軍がどういう扱いを受けているかは知っているが、それでも今は波風を立てていい時期じゃない」
何故陸軍が海軍の代わりに評価を下しに来ているか、理屈は単純だ。かつて陸にまで深海棲艦に攻め込まれた経緯から陸の兵力を一定数常備している。主となるのは機甲師団だが、それでさえ艦娘が戦線を押し返して以降出番らしい出番はない。だが全てが不必要だと切り捨てることはできず、予備兵力として扱われているのが現状だ。更に物資の運搬等は幾ら内陸へと避難しているとはいえ、危険を伴うことから基本陸軍が行っているため、運び屋と揶揄されることもある。ただ運びをするだけでは暇だろうからと回された仕事が視察というわけだ。
「木曽さんがそう言うなら……」
渋々とながらもしっかり頷いている辺り、今後も頭が上がることはないだろうと内心ほくそ笑んでいると、話は変わりますがと前置きを入れてから、榛原が別の話題を投げかけてくる。
「結局あれから音沙汰なし。どう動くつもりなんでしょうか」
「さぁな。深海棲艦の考えていることなんてオレらでもわからん」
一月前。秋が終わりかける時期のことだ。その日、世界は大きく動いた。最悪な方に。
オーストラリアの艦娘を殲滅させた深海棲艦最大の艦隊《タルタロス》の次の目標となったのはアメリカ合衆国だった。アメリカは艦娘保有数が世界最大で、その数は八十万を超えている。日本は約十六万と言われていることからその差は歴然と言えた。東海岸に現れた《タルタロス》に投入された艦娘の数は半数の四十万だが、それでも深海棲艦の数が二十三万。倍近い数なことから世界中の誰しもが思っただろう。これでまた一つ、海が静かになるだろうと。だが現実は違った。アメリカ太平洋艦隊は四日間もかけて戦い続け、結果壊滅的被害を受けてしまった。逆に《タルタロス》側は十五万もの兵力が健在。数を増やすためか、それとも傷ついた艦を直す期間なのか、アメリカとの一戦以降姿を表わすことはない。
「不気味ですね。今どこにいるかもわからない存在というものは」
「そうか? 来たら叩く。それだけだ」
あっさりと言ってのける木曽だが、残念ながら武蔵としては榛原よりの心中でいた。《タルタロス》には姫クラスが万単位で存在し、他の駆逐艦等にしてもflagshipから下のタイプは存在しない。全てが改flagshipだ。改flagshipとなれば装甲などごく当たり前のように使ってくるため、数が揃うと面倒に感じるほど。それが十万を超えているのだから肝が冷えるというもの。
正直武蔵としては、アメリカはよく八万も沈めてくれたと褒めてやりたいほどだ。
「さすが。肝が座ってますね」
「人を怖いもの知らずみたいに言うな」
「で、本当のところはどうなんですか?」
戯けてみせる榛原に、木曽はトーンを少し落とし、影が零れ落ちた。
「怖いものくらいある。仲間をこれ以上失うのは沢山だからな」
そこに冗談は欠片も混じっていなかった。ただ本当にナクしたくないという思いが、武蔵の心を打つ。
「ですね。無粋なことを聞いてすみませんでした」
「剣造にとってお前も同じように思っているだろうから、迂闊なことはするなよ」
「はは、池上中将にそのように思っていただけているのなら光栄です……と、ところでなんですが」
木曽に視線を合わせていた榛原だったが、急に泳ぎだす。
握られたクリップボードにも力がこもっているのがわかる。しかし理由は知っているため、わざわざ尋ねたりすることはしない。
「き、木曽さんはわ、わた……僕が死んでしまったらどう思われます、か?」
武蔵も他の者に言われるまで気が付かなかったが、どうやらこの榛原神戸という人間は、艦娘である木曽に惚れているのだ。
艦娘にとって基本親しみを持つのは自分の提督だけなのだが、知らぬ仲であるためか、武蔵としては応援してやらないでもないという心持ちだ。
無論榛原は艦娘と提督間で行われる仮のケッコンを、木曽がやっていることも重々承知している。その上で惚れ込んでいるのだから、背中を押して上げるのはやぶさかではない。
ただ提督でもない人間に艦娘が好意を抱くにはやはりハードルが高い。
「下らんことを聞くな。言っただろ。剣造が悲しむと」
人とは提督が基準に考えられるため、結局一番にはなれないのだ。武蔵自身もやはり提督が中心に来る。提督にとって利益となるか不利益となるかがまず始めに来て、そこからやっと相手を見ることになるためだ。
「池上中将は関係ありません! 木曽さんが僕個人をどう思っているか知りたいんです!」
軍属であるのだから。そして艦娘と頻繁に接する機会があるのだから榛原も熟知しているだろうに、それでもと食い下がる。
――それ、殆ど愛の告白じゃないのか?
さすがに野暮であるため口にはしないが、苦笑いは隠しようがなかった。
「どうした藪から棒に……まぁそうだな。お前とは何だかんだで付き合いが長い。オレ個人の気持ちとして、死んでほしくない一人ではあるよ」
「本当、ですか」
「聞いてきたのはお前だろ。それともオレの言うことは信じられないか?」
「い、いえいえいえ。信じます! 絶対信じます!」
首が取れそうなほど左右に降ってから、腹部の辺りで抱えられたクリップボードをつぶさん勢いで握っている辺り、どれだけ嬉しかったのかが伺える。
「大袈裟なやつだ。だが本当に死ぬなよ。運び屋なんて言われているが、ライフラインだって主に維持しているのはお前たちなんだ。頼りにしている」
恐らく木曽は思ったことをそのまま口にしたのだろう。最後には手の甲で胸元を叩いていた。本人は無自覚なのかもしれないが、あんなことを言われ、されたら武蔵でも舞い上がってしまう自信はあった。
「はい、有難うございます!」
案の定榛原も快晴が如き笑顔を見せてから、では次があるのでと残し去っていった。
見送った背中越しに上機嫌なのが伺え、思わず呟く。
「あんたは卑怯だな」
「何のことだ?」
「そういうところが」
「意味わからん」
無自覚なのだろう。それがより一層惹きつけているとも知らずに。
当人は困惑しているが言うのも悔しいため、何も言わずに放置した。
いつか自分が追いつけた時に教えようと心に決めて。