結局昨夜は《タルタロス》が現れることもなく、少々堕落した生活を送ってしまった。
今日はその辺りの気持ちを入れ替えて、資料室にある本を幾つか二階にある談話室に持って上がり、コーヒーを飲みながら一人読み耽っていた。
内容は幕末の剣客物ではあり、流派は実在したもののようだが、人物は完全にオリジナルだとか。剣術には明るくないため流派の名前を言われてもピンとこないが、読んでいて少々真似したい気持ちにさせられるほどには面白く、気付けば一冊読み終えていた。
「っと、冷めてしまったな」
読み始める前に入れたはずのコーヒーを、最初の一口以降飲んでおらず、舌の上で感じる熱は人肌程度となっていた。
次の本に移る前にもう一度淹れなおそうと喉を鳴らしながら流し込み、インスタントコーヒーを再度お湯で溶かし込んだ。
仄かにしか感じることのなかったコーヒーの残滓が再び部屋に広がり、小さくほくそ笑んでから席に着いたところで扉が音を立てて開く。
「あれ武蔵じゃん。どうしたのさ」
「昨日は日中伊勢や長門と組手をしていたはずですが、今日はやけに大人しいですね」
現れたのは北上と不知火の二人組だった。
「それはこっちの台詞だ。お前達とてここに来ることは珍しいだろ」
「まね。いつも部屋かマミヤにいるし。昨日なんてぬいっちが離してくれなくてさぁ」
「ちょ、北上さん! それは言わない約束です!」
「え~事実だし良いじゃん。ねぇ武蔵」
「惚気けるなら他所でやってくれ……」
僅かな会話だけでドッと疲れが増した気がし、手の甲であしらうように扱う。
「そう言わない言わない。ところで何って、へぇ本読んでたんだ。小説?」
「あぁ、幕末の創作だ。剣術の解説とかが適度に挟まっていて面白いぞ。北上さんもどうだ?」
「悪いけどパス。活字だけってどうも性に合わないんだよね」
差し出そうとした本を下げるが特に思うことはない。正直予測できることだっただけに、粘る必要もなく、言葉と一緒にコーヒーを飲み込んだ。
「そういえば剣で思い出しましたが、結局武蔵は明丸を造られませんでしたね」
「まぁ、な。どうもイメージができなくて。結局決めきれないままだ」
「優柔不断ですね」
不知火にズバッと言われ、それが最もであるだけに地味に傷ついた。実際武蔵以外全員明丸は持っている。自分より一つ前に建造されている長門もそうだが、全く戦場に出ない間宮ですら所持しているだけに、決断力のなさがここで出てきた。
「難しく考えすぎなんじゃない? 私なんて持ちたくないから手甲にしただけだし」
「手甲と言うかあれはパイルバンカーだろ」
「まぁそうとも言う。というかあれって明石さんがどうせならこういうの付けてみない? って言われて取り敢えず付けただけだしねぇ」
「ほぉ、そいつは初耳だ。そう言われると私は辺に難しく考えすぎていただけか……」
自分で考えるべきだという脅迫概念に捕らわれていたのか、やや気持ち的に楽になったのを感じる。
「あなたは木曽さんに憧れているのでしょ? なら参考にしたら良いじゃないですか。そこの本だって気に入ったのなら尚更」
不知火に言われ、先程まで読んでいた本に目が落ちる。
――日本刀か。正直考えなかったわけではないが、真似しているようで気が引けていたんだが……それも含めて一度明石さんに聞くのが良いかも知れないな。
そうと決まれば即行動だとばかりに立ち上がり、淹れたばかりのコーヒーを飲み干した。
「参考になったよ、助かった。早速相談してくる」
持ってきた本も忘れずに抱え、いざ工廠へ向かおうとした。が、直後に水をさされることに。
「行ってもいいけど、《タルタロス》戦にはもう間に合わないでしょ」
「確かに。明丸はできるまでに暫く時間を要しますし。早くても数週間。失敗する可能性も十分ありますからそうなってくると数ヶ月かかりますね」
「………………そ、相談だけでもしてくる」
乗っていた気分が一気に急落。
熱された鉄が想定外のタイミングで冷え固められたかのような感覚に陥る。
持っていた本が急に重くなったのを感じながらも、一度思いついた以上はと気力を振り絞り、談話室から出ていった。
気付くのが遅すぎた。
後悔先に立たずなんてことわざが存在するが、正にその通りだと身にしみながらも一階にある資料室に本を戻し、外にある工廠へ向かう。
吐いた溜め息は潮風に流されていく中、重厚な鉄扉を開く。
鉄が擦れる音を響かせながら室内へ入ると、それまで感じていた潮の香りから一変。機械油や鉄の臭いで充満していた。
工廠の広さはそれほどない。全体では七十平米ほどだが、二十平米を建造スペースに取られており、開発スペースは手前から入り口に向かって物で溢れかえっていることから、実際範囲は三十平米もない。作業机分を加味すると移動できる範囲などたかが知れていた。
「あれ武蔵じゃん。どうしたの?」
奥から顔を出したのは伊勢だった。
「もしかして組手の誘いか? すまないが今は明丸の最終調整で直ぐには時間が取れそうもない」
遅れて長門が顔を出すが、残念ながら今日は二人でなく、明石に用があるため、首を振りながら奥へと入っていく。
「よぉ明石さん。ちょっと相談があって来た」
明石は作業机の前に座り、支えの上に置かれた飛行甲板を前にしながら目だけをこちらに動かす。
「あら武蔵いらっしゃい。悪いのだけど少しだけ待っていてくれる」
飛行甲板の後部辺りを弄っているようだが、丁度切りが悪いのか、手を止めることはない。
「結局どうしたの?」
「ちょっと明丸のことで相談をしようと思ってな」
「ほぉ、武蔵も遂に明丸を持つ決心がついたか」
「元々欲しかったがイメージが固まらなくてな。先程北上ペアに言われて意外といいアドバイスを貰ってしまったよ」
心外そうに言うが実際大いに助けとなっているため、嫌味は程々に済ませることに。
「あの二人がか。珍しいな」
「そう? 何だかんだで面倒見良いよ、北上さん。天の邪鬼なところあるけど、意見求めたら一番やるべきことを教えてくれるし」
「……そう言われると思い当たる節が無いこともないな」
まだ武蔵が新人と呼ばれていた頃に的確な助言を貰った覚えがあった。あの時はいけ好かない奴という感情が先行していたが、言われてなるほどと頷ける程度には助力してもらっている。
「あの娘も素直じゃないからねぇ。伊勢を殴っちゃったこともそうだけど。ってなわけではい伊勢。これで改良もばっちりだよ」
「有難う明石さん。早速試してくるね」
「いってらっしゃい。使用感教えてね。おかしなところあればまた調整するから~」
「は~~~~い」
余程待ちきれなかったのか、気持ちのいい返事だけを残し、伊勢は飛び出していった。
「それじゃあ長門のを当たる前に武蔵の話を聞こうかしら。えっと自分用の明丸の話で間違いなかった?」
「色々感化されてな。やっと重い腰を上げた感じだ」
「本当に重いよ。流石に今からじゃ《タルタロス》戦には間に合わないよ」
「同じことを北上さんにも言われた……まぁその辺は帰ってからのお楽しみだ。取り敢えず戻ってから造ってもらおうと思っているからその辺は安心してくれ」
「なら良いけど。で、どんな感じのものが欲しいの?」
ここに来るまでの間考えていた物がある。それがまだ纏まりきれていないため、少しずつ意見を出していった。
――――日本刀自体は悪くない。欲しいものとしてイメージは近いが少し違う。薙刀や偃月刀といった類も良いが違う。手に持ち、近接戦で使うものであることは間違いない。西洋剣はイメージから離れすぎるか――――
思いついたことを片っ端から並べていく。その間明石は小さく頷きながらも黙って聞いてくれ、言い終えた時、遂に口を開く。
「ん~じゃあさ、野太刀とかどう? 薙刀とかが出てくる辺り小太刀じゃ短いんだろうし、斬馬刀は薙刀とか偃月刀と一緒の部類だし、となると野太刀くらいしかないかな。っと確かサンプルがあの辺にあったような……」
脳内に長い日本刀を持っている自分をイメージする傍ら、明石が積み上げられた荷物の中から一本の刀を取り出した。
「はいこれ。昔作る前に模造したのだけど、ちゃんと鞘から抜けるし試しに持ってみたら?」
受け渡された模造刀を手に握りしめる。
模造刀の割に重量を感じるが悪くない。長門に鞘を持ってもらい引き抜く。狭い室内であるため激しく振り回せないが、それでも自分のイメージとリーチが重なった気がし、静かに高揚した。
「どう? って聞くだけ野暮か」
「お前でもそういう顔をするのだな」
「え、何のことだ?」
二人に言われ、疑問に思い尋ねるが、答えよりもっとわかりやすく鏡を渡された。
全てを映す鏡の世界には、だらしなく頬を緩めた自分の顔があり、慌てて口元を覆う。
「何これ、何だこれ。え、え? 私はそんなに喜んでいるのか?」
「その顔で喜んでないなら詐欺師の才能あると思うぞ」
「だね~。じゃあ野太刀ってことで、帰ってきたら話詰めよっか」
「あ、あぁ……」
トントン拍子に話が進むとはこういう時に使うのだろうか。そんなことを考えてしまうほどすんなり決まってしまい、自分のことながら呆気にとられてしまった。
「で、長門はどうしたいんだっけ?」
「最近握りが甘くなっている気がしてな。それとこの縦の部分が――――」
武蔵との案件はこれにて終了と言わんばかりに長門とのやり取りを開始し、これ以上長居しても邪魔になるだけかと思い、小さく礼を伝えてから高ぶる心に引かれるようにその場から離れた。
熱された心を潮騒で洗い落としながら水平線を眺めた。
結局この日も《タルタロス》が現れることはなく、平穏が続く。
暦としては明日が本当に満月となる日。
融合棲姫は自分が言ったことを律儀に守ったというわけだ。
まだ来ると確定したわけではないが、それでも明日は絶対に来る。非科学的ではあるが、そういう予感が武蔵の中にはあった。