何が起きたのだろう。
明滅する思考と視界が、自分という個を壊していく。
ごぷりと口元から何かが溢れ、それが紅く反射した気泡であることに気付くのに、数秒かかった。
──あぁ、私は沈んでいるのか。
今日だけで三度目となる海中は、日が上がったことで一番温かくなっているはずなのに、寧ろ冷たく感じ、何もかも吸い込んでしまいそうなほど深かった。
──最後どうなったんだ?
伊勢にやられたことは覚えていた。あまりにも鮮やかで一瞬だっただけに直ぐに思い出せそうもない。艤装同調も切れており、木曽の存在も感じ取れないでいた。
そこまで思い出し、少しだけだが記憶が掘り返さえる。
──そうだ。逃げるか潜水艦を倒すかで、潜水艦を選んだんだったな。
最後の一瞬。自分が生きながらえることをほんの一欠片分考えたが、ジリ貧だったあの戦場ではどれほど役に立てるか。何よりあそこで仮に逃げられても負傷は免れなかっただろう。
木曽のお荷物になるくらいならば、木曽の邪魔になる潜水艦を沈めることの方が重要と判断し、自らの命の放棄したのだ。
勿論万に一つの賭けで生存するべき行動は取るには取ったが、やはりと言うべきか間に合わず、腹部を貫かれてしまった。
視界に映る景色は明るい青と赤で彩られていたが、徐々に光が遠くなっていっているのか、少しずつ薄暗くなってくる。
血の臭いに誘われ、鮫までもやってくるが、もうじき肉体は消えてしまう以上、どうでも良かった。
ただ一つ心残りがあるとしたら、
──《鋼》持ってきてしまったな。
右手に握られたままの日本刀、明丸《鋼》。元は先代伊勢のものであり、それが木曽へと継承され、そして今日自分へと貸し与えられた。
そんな重要なものと共に海底へ落ちていくことに、申し訳無さで心が溢れそうになる。
これは間違いなく木曽と伊勢を繋ぐものであり、木曽にとって大事なもの。宝剣といっても差し支えのないだろう。そして恐らくは提督にとっても。
そのようなものを抱えたまま沈む。それだけは絶対に避けたかった。
だが沈みゆく体に力は入らず、意識は更に遠のきそうになる。そんな時、いつか聞こえた声が再び耳に届いた。
【力が欲しいか?】
今度は完全に、一言一句聞き取れたその声。
怪しいことこの上ないはずなのにどこか気を許してしまいそうになる声。
未だ通信が封鎖されていることを踏まえても明らかにおかしかった。
摩訶不思議で片付けられない現象だが、武蔵としてはどうでも良かった。
──あぁ、くれるなら寄越せ!
声に出す気力はなくとも、心の内で叫ぶ。
──私はどうなっても構わない。だから!
神だろうが悪魔だろうが、この刀を届けられるならばこの身がどうなろうとも関係ない。
──くれるものなら貰ってやる。今すぐ私に力を寄越してみろ!
吼えた。
誰にも聞こえない声を。
どこにも届かない声を。
それでもと心の中で叫び続けた。
【良いだろう。これが最後だ】
二言目が聞こえた瞬間、気配を感じ取ると同時に、何かが体の中に入ってきた。まるでそこからが入りやすいとでも言うように斬られた腹部から熱を伝わり、全身。ひいては艤装に至るまで伝播していくのを感じる。それらが何なのかは依然不明ではあるが不愉快さはなく、警戒心を抱くこともなかった。
唯一気付いたことがある。
しかしそれを心の内であっても言葉にするのは躊躇われた。もし単語としても思い浮かべてしまえば、これが全て夢幻の如く消えてしまいそうに思えたから。
だからジッと待つ。
また動けるようになる瞬間を。
目指すべき先を睨みつけながら。
もう意識と思考は、正常に戻っていた。
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海面に向かって拳を振るう。
装甲によって伝わる衝撃波が波となり空へと打ち上がる。それに合わせ浮上すると殺気を感じ取った。即座に反応し、手に持つ刃で受け止め、隙をついて腹部に蹴りを入れた。
相応な威力が込めていたからか、いきなり襲ってきた存在、伊勢の腹部回りの被膜がボロボロと剥がれ海へと落ちていっていた。
「お前は、武蔵、か?」
「おお、そうだぜ先輩」
伊勢が驚いているからか、それとも体の主導権を持つ融合棲姫が警戒しているからか、直ぐには襲ってこず、珍しく緩やかに後退していた。
「武蔵、本当にお前なのか? それにその格好……」
代わりに木曽が側に寄ってくる。奇異の目を向けながら。
それもそのはずだ。衣服に至るまでの艤装全てが変わっていた。
元々かけていた眼鏡は薄くなっており、サラシとスカートだけだった衣服は黒の上下で統一された軍服のようなものへ変化し、背後に陣羽織のような外套を棚引かせ、船体部分も更にゴテゴテしくなっていた。
「まぁなんか知らないがこんなことになってしまっていた。恐らくこれが木曽さん達と同じ改二というものなのだろう」
「馬鹿な、あれは剣造の許可がおりて大量の資材を使いなるものだぞ。しかも工廠じゃないとできない」
口早に反論はするが、武蔵の見た目が変わっている以上木曽もわかっているはずだ。そのためか、言うだけで否定する言葉に力はない。
何より武蔵には確信があった。これが改二であることに対して。
「私もわからん。ただ素材だけならあった」
先程伊勢の斬撃を防いだものを掲げる。
そこには刃渡り一六〇センチの刀。所謂野太刀と呼ばれるものが握られていた。
「すまん木曽さん。せっかく借り受けた《鋼》だが、どうやらあれに使った資材を私の改造に使ってしまったようだ。そのせいで無くなってしまった」
今武蔵が握っている野太刀は明丸でもなければ借りていた《鋼》でもない。恐らくは武蔵の深層心理に反応し、あの声が特別にくれた艤装なのだろう。虚数との出し入れできるのがその証拠だった。
「いや、お前が無事なら問題ない。また明石さんに打ってもらえばいい。だよな、伊勢さん」
木曽が顔を向けた先で、伊勢が困った顔を浮かべていた。
「まいったな。びっくり箱がすぎるぞ」
「そいつには同意だ。だが仕切り直しさせてもらう」
「そんな気はした。あぁもう好きにしてくれ」
伊勢もどう言ったらいいのかわからず、投げやりに返す。
もし自分は傍から見ていれば同じような。もしくは困惑してまともな判断ができる気がしないだけに、当事者で良かったと思う。おかげでそういうものなのだと勝手に、理屈抜きで理解してくれた。
「だがまぁチャンスかもしれないぞ。どうやらこいつ怯えているようだ」
伊勢が視線を落とす。腹部が剥がれ落ち、その先には伊勢の衣服と思わしき黒いインナーが見えた。あの格好には見覚えがある。同じ鎮守府に別の伊勢がいるのだから見間違えるはずはない。
融合棲姫の全身が白かっただけに尚更目立つ。
「もしかしたらお前に怯えているのかもな、武蔵」
冗談っぽく言ってくるが、一喜一憂することもなく平静に受け止める。今するべきことはそんなことではないからだ。
「いけそうか?」
「ちょっと待ってくれ……とっ……ん……これだ。捕まえた」
艤装が変化したからか同調に時間がかかったものの、話している間になんとか繋ぎ直すことに成功した。
これによってハッキリ確信を持てた。
融合棲姫は最大の好機を今全て失ったのだと。
──なんだお前、見た目は変わったくせに弾薬ゼロなのか。
──どうやら気前が悪いようでな。見た目しか変えてくれなかったよ。
──アホ抜かせ。装甲の総量更に上がってるだろうが。
艤装同調しているためバレバレだったようだ。
改だった時を基準に言っても二割から三割増しと言ったところだろうか。木曽との総量を合わせればほぼほぼ伊勢に肉薄する量にまでなったはずである。
──これなら先程より役に立てるだろ?
──役に立たないなら端からここに残さねーよ。
中々に嬉しいことを言ってくれる。そして同調越しに伝えてくれた。伊勢を助けるのには自分の力にかかっていると。
そこまで師に期待されて気分が乗らない弟子はいない。
伊勢に視線を合わせたまま武蔵は左手を。木曽は右手を突き出し拳をぶつけ合う。
──行こうか。
──あぁ。俺が揺動をやってやる。
真っ先に木曽が動き出した。
一息で近寄り左下から切り上げる。
伊勢は右手に持つ野太刀を振り下ろして迎撃しようとするが、途中で木曽がサーベルを虚数へ送り回避。右手に持ち替え今度は右下から切り上げた。しかし伊勢は読んでいたのか反射だけでか、左手の人差し指と中指だけで挟んで防ぐ。
斬撃モーションの途中ではあったが、伊勢からしてみたらがら空きの胴が見えたのだろう。蹴りに来るのに合わせて木曽は膝を立てて防ぐ。衝撃は殺せずに来た方向へと戻されるように吹き飛ばされるが、怪我を負うほどではないのは同調で把握済み。
ならばと吹き飛ばされる木曽の影から躍り出て脚部を狙い斬撃を行う。
少し前までは日本刀だった。
刃渡り八〇センチの短いリーチ。
故に近寄るまでの時間分振るうタイミングが遅かった。
だが今は違う。
八〇センチ分早く斬撃へと移れる。
そのため今までは悠々と防がれていたものも、
「へぇ、こいつはいけるかも」
伊勢が驚く程度には早く、そしてギリギリ届かないところまで迫った。
確かに剥ぐには足りない。それでも剣先で薄っすらと切り傷を入れられた。
つまり今まで紙一重足りなかったものが、ついに紙一重に傷つけるにまで至ったのだ。ならば後はそれを両断するだけ。
木曽もそれがわかってか果敢に攻め込む。
武蔵もそれに合わせて防がれた切っ先をそのまま、金属同士が擦れる異音を奏でながらズラして海面へつけ、そこを起点に旋回して円を描きながら足払いをやりに行く。軽い跳躍で容易に避けられたが、一瞬だけ木曽から意識がそれたならばそれでいい。
空中ではできることに限界がある。
野太刀で死角から迫りくる木曽を突きに行くが、サーベルでいなされながら回転。肘を突き立てに行く。
伊勢の体である融合棲姫はそれを嫌って蹴り上げに行くが、使わなかった足を武蔵はつかみ取り、思いっきり握りしめながら引っ張った。
互いに体勢が崩れた状況での行動だったため、伊勢の体は軸がずれて蹴りは空振りし、木曽の肘打ちは見事胸部へと突き刺さった。
「くソガぁァァぁぁぁぁァ!」
融合棲姫の意思がまだ残っているのか、伊勢の口を無理やり借りて吠えながら攻撃を止めなかった。
体勢を完全に崩していた武蔵へ野太刀を突き立てに行く。それを木曽が切り払い二人して即座に離脱後再度接近。サーベルを投げつけるが切り払われる。どころか折られてしまった。しかし木曽は気にすること無く、野太刀を振るった後の遅れを利用して懐へ潜り込み、右太ももへ拳を振るう。
そこへ柄頭で頭部をかち割りに伊勢が動くが、その隙を武蔵は逃さなかった。
刀身への装甲が減った瞬間を狙い、一閃。
体の融合棲姫どころか伊勢が気付いたときには、野太刀は半ばから折れていた。
しかしそれでも攻撃は止まらず、木曽は左太ももの一部を剥ぎ取るのに成功したが、代わりに側頭部を柄頭で殴打され吹き飛ばされる。
今回ばかりは無茶をしたようで、武蔵にもダメージを殺しきれなかったのが伝わる。本来は艤装にダメージを逃がす誘導性艤装装甲もフル活用していたため、ダイレクトに近い形で受け止めてしまっていた。
幸いなのは伊勢側が自分の存在と肉体を防ごうとした部分も合わさり、思いの外威力が下がったことで、まだ戦闘続行可能の範囲内で抑えられていた。
「ここが正念場だ。畳み掛けるぞ」
側頭部から血を流しながらも木曽はあえて口にし、鼓舞する。
今引くべきときではないのは武蔵も承知しているためそれ以上口は挟まない。
互いに何度も交差するように跳ねながら接近。最後の瞬間に木曽の手を掴み、反動でおきた回転を利用しぶん投げた。
伊勢は折れた野太刀で迎撃しに来るが、反応が何テンポか遅れ、更に斬撃が外れた。
本来正面からぶつかるはずだった木曽も、伊勢の異変。いきなり前のめりになったことで飛び越えてしまう。
何があったかなどわかりきっていた。胸部から腹部にかけてすでに伊勢の体が露出している。そのため主導権が代わり始めていたのだろう。
そうとわかればと勢いを殺すことなく斬り込んだ。が、折れた野太刀で防がれ、更にはアッパーカットの要領で腹部へ拳を突き立てられた。
装甲の総量が上がっていたため特にダメージを負うことはなかったが、攻め込んだ勢いと殴られた反動で木曽を飛び越えそうになるも、出された木曽の手を掴むことで素早く着水し、構える。
「き、キィキ曽ォ。む、ムっム、む。ムサシぃぃぃィィィィィ!」
ここまで来ると最早本能か執念か。
再び融合棲姫は伊勢の口を使い吼えながら突っ込んでくる。
それに対し立ちふさがるように木曽は自分の前に立ち、縮地を行った。わざと大きな波を作って。
武蔵もやって来る波に向かってそれ以上の波は発生させてぶつける。一瞬だけできる水の高台(アクアロード)。武蔵の身長と艤装であっても隠れるほどの大きさ。それに目掛けて一気に突き進む。
木曽に気を取られていた伊勢の上部からの強襲。
しかし流石と言うべきか、伊勢は反応してきた。
構造上人も艦娘も左右には強いが上下の警戒は弱いのだが、どうやら通じないらしい。
伊勢は折れた野太刀で突きにくるが、木曽が手をかざして防ぎに行く。だがそれさえも貫通しやってきた。上等だとばかりに武蔵も柄を握りしめたその瞬間、伊勢は体のバランスを崩したかのように傾いた。
数合前に武蔵が握りしめた足。その周囲の被膜が剥がれ落ち、完全に伊勢の足へと戻っていた。そして、伊勢が脚部の装甲を解除することで沈んでいたのだ。
「終わりだ融合棲姫!」
武蔵が叫ぶとともに、こちらを向いていた角目掛けて柄頭を振り下ろした。
本来使い分けしながら行使する装甲。その全てをこの瞬間にぶつける。
先代伊勢が考えた呉落とし。それを今いる伊勢が変化させた技。呉落とし・改。奇しくも同じ伊勢型が考えた技を叩き込む。
一瞬だけ現れた硬い感触。それも次の瞬間には消え、根本まで砕け散った。
遅れて頭部経と亀裂が走り、次第にそれは全身へと巡る。
「あ、アアア、アああァぁァぁァァァァァァぁァァァァぁァぁァァァぁァぁァァァぁぁァァァぁァぁァァァぁァぁァァ!」
断末魔とでも言うように叫び声を上げる。
事実最後だったようで長い絶叫の後、徐々に静かになっていき、それに合わせて伊勢を覆っていた被膜がボロボロと剥がれていき海へと溶けていった。
それに伴い伊勢の肉体が露出するが、いきなり身体が戻ったからかふらつき倒れそうになるのを木曽が慌てて抱きとめた。
「大丈夫か伊勢さん!」
「ああ、大丈夫だから耳元で怒鳴るな」
「そ、それはすまない」
終わったのがわかってか、もう艤装同調は溶けていた。それでも今木曽がしょんぼりしているのが手に取るようにわかる。
それを知ってか知らずか、伊勢は抱きとめている木曽の後頭部を二度叩きこう言った。
「でも頑張ったな、木曽。ありがとさん」
木曽はそれに何も答えなかった。
きっと何も答えられなかったのだろう。泣いているのがバレてしまうから。
武蔵は気付かぬふりをし、やっと長い長い戦いが終わったのだと手をかざしながら空を見上げた。
そこには正午を示すように、眩しい太陽が頂点へと登っていた。
遠くで響いているはずの砲撃音は消え、代わりに海鳥の鳴き声が聞こえだす。それに遅れて誰かが呼ぶ声が聞こえ、武蔵は野太刀を静かに納刀した。