「子供の頃、正義の味方になりたかったんですよ」
僕のそんな独り言に上司、と言うかパートナーであるアサミさんはファインダーを覗きながらも困った様な、迷惑がっている様な顔をする。
時間は午後十一時、二週間もの間僕らの睡眠時間を削ってくれた男がやっと女の部屋へと入って行く。
自宅からの尾行調査に始まり、勤務先の女性達の洗い出し、新しい女性が現れる度に自宅までの尾行調査で住所を割り出し、お昼はどんなお店で外食をしコンビニの店員にはどんな態度で接し帰り道にどんな風に不倫相手と接触するのか、何を二人で買いどんなお酒が好きでどんな風に彼は不倫相手に笑いかけるのか。全てを写真に収める
二週間もあれば僕らにお金に厭目はつけないと泣きながら依頼してきた依頼人よりも僕らの方が彼に詳しくなる。家の外の事に限ればであるが
「なんなの?急に、そう言う面倒臭い話する子だったっけ?」
一頻り写真を撮り終えたのだろう、彼女は愛用のリクガメの様にゴツいノートパソコンとカメラを繋ぎ、中の画像データの選別に入る。
耳にかけた髪は良く手入れされているが色気は無い、僕らの様な職業に限って言えば不潔であるより清潔である方が目立たないと言うのはマナーやモラルと言うよりも実利に乗っ取った選択だ、僕も始めて買ったブランド物の時計とスーツは経費で落ちる類いの調査の為のツールで、要はなんとも有り難みの無い物なのであった。
「なんとなく、そう言う日なんだと思います」
このまま黙っているのも悪くは無いが彼等が出てくるまでこの軽自動車の中で亀の様にまんじりともせずに待機し無ければならないのだ。そうして彼等が晴れやかか、或いは愛に溢れた表情で出てきた所を撮影し初めて法律上素晴らしくケチの付けようの無い証拠となる。
それに、二人共眠って仕舞う事の無い様にと言う現実的な利点もある。
画像データの選別が終ったのだろう、調査報告書の作成にカチャカチャと途切れ無い音を立てながらアサミさんが答える。
「私もあるよ、なりたかったもの」
僕は部屋のドアから目を離さない様にしながら彼女に聞く、男と女が部屋に入ってからついていた灯りが消えた。
「なんだったんです?なりたかったもの」
お嫁さん?ケーキ職人にお花屋さん?色々あるだろうが今の彼女は僕とそう変わらない歳で探偵事務所を一人で切り盛りしている、そんな女性の子供の頃の夢が気にならないと言えば嘘になる。
「キャパ」
えっ?呆けた顔で彼女の方を向いた僕にアサミさんは画面から目を上げ照れた様な、少し拗ねた様な顔をする。
「ロバート・キャパ。別に、変じゃ無いでしょ」
ほら、調査対象から目を離さない。そんな言葉に僕は慌てて視線を戻した。
もう二年間程前になるだろうか、シングルマザーが一人でやっている探偵事務所があるんだけど、アンタ暇ならそこでバイトしてみない??
そんな事を軽い調子で僕に言ってきた彼女は丁度最後のお客さんを送り出した所で、僕はチビチビと舐めるように呑んでいたジンのロックが丁度無くなろうかと言う所であった。
「探偵って、あの探偵?」
最初に思い浮かべたのはフィリップ・マーロウで次が大泉洋。映画で観る以外に大して接点も無い職業だ、それぐらいに貧相なイメージしか持ち合わせて居なかった。
「そう、あの探偵」
愛想の良い仮面を剥がし気だるげにそう言いながら自分の分の水割りを慣れた手付きで作っていく。その手がピアニストの手だったと言っても今や誰も信じはしないだろう、彼女はとても素晴らしいピアニストだった。
「やってみる?バイト」
「やるよ、面白そうだ」
高校を出て直ぐに始めた制服稼業も四年で辞めた、辞める折色々と面倒臭い目に遭えば流れ者程気楽な生き方は無いのだと気付きもする。
流れているのか流されているのか、何だかんだと青春と言えたあの日々から七年が過ぎている。
「しっかし、珍しいね。君から僕に仕事を紹介するだなんて」
不真面目な僕の生き方に呆れた顔をしながらも話は聞いてくれる、僕達はそれぐらいの距離感だった様な、いや、それも勝手な思い込みだろうか?人付き合いと言うものに僕はとんと才能が無い。
「それはほら、もうアンタがフラフラ生きる様になって二年でしょ?何時までも風船だか笹舟みたいな生き方してる訳には行かないんだからマトモな仕事紹介してやろうと思ってさ」
それに、とそこで言葉を切った彼女は僕のグラスにお代わりを注ぐ。そうか、もうすぐ彼女の命日か。
舐めるように口をつけたジンは妙に咽に染みて「やるよ」やる、と僕は何度も繰り返したのだった。