Sweet and dangerous Valentine 作:マジフジ
二月十三日、夕暮れのとき。天空中央高校の野球部に所属する生徒、
「やっぱり勝てねえな……虹谷には」
天空中央高校に入学してからのことを思い出す。虹谷は常に自分よりも一歩先のレベルに行き、投手としても評価も行っている。他校なら即エースクラスと言われているので、それに関しては悪いとは思っていない。しかし、自分とて投手。簡単にマウンド、エースナンバーは譲りたくなかった。
関係ないことではあるが、彼の双子の姉である
「ありがとうございます」
運転手に頭を下げ、ロープウェイを下りる。どうしても欲しい野球の理論書があり、足早に近くのデパートへ向かった。
デパートに入ると、でかでかとバレンタインに対する宣伝と割引して販売されている広告を見て、朝霧はすぐに悟る。
バレンタイン。好きな男子に告白する女子、チョコを貰えないかと期待する男子の姿――特に自分たちのチームメイトである
しかし、それは自分も同じこと。恋人である彩理が自分にチョコを振る舞っているのを想像するだけで、口元が緩んでいくのが分かる。もっとも、人前で漏らすと不審者と思われても致し方ない。
「チョコもちょっと買うかな」
普段は高い値段のチョコではあるが、今は自分でも小遣いの範囲で売られている。その魅力に負け、朝霧はチョコと忘れずに野球の理論書を買った。
バレンタインの当日、やはり浮ついた雰囲気になっていた。それは天空中央高校野球部も例外ではない。
「東雲、虹谷、神成はやっぱり多くもらうな」
ため息を一つついた後、彼らの貰ったチョコを見ながら朝霧が言う。自分やほかの部員と比較しても数がそれだけある。
「このコとの仲を応援してくれている彼女たちの気持ちは嬉しいものですよ」
貰ったチョコをあらかじめ持ってきたと思われるバッグに詰めながら、東雲が言う。
「多すぎるモンも考えもんだがな」
神成が口では悪く言いながらも、彼の表情は嬉しそうに答えた。
「朝霧も僕らほどではないけど、多くのレディたちから愛を受けたじゃないか」
普段通りの調子で虹谷が返した。
虹谷たち三人の言う通りだ、と朝霧は受け入れた。しかし、自分が天空中央高校の主力三人に野球以外の面でも劣っていると劣等感を感じてしまう結果だ。
「確かに。だが、お前たちは大変そうだよな」と、朝霧が同情しつつ三人を気遣うようにいった。
「おいおい、お前も他人事じゃないと思うぜ」と神成が真顔で言う。
どういうことだろうか、と思ったがこの高校に入ってから自分がとある女子生徒からラブレターを貰ったことを思い出す。彩理と付き合っていない当時、自分のことが好きという女子生徒から手紙越しで告白された。しかし、当時の自分にはその告白してきた生徒のことはよく知らなかったこと、彼女の期待に応えられないと判断して断った経緯がある。
「確かにね。朝霧もレディたちからの評判も悪くない」と、虹谷が賛同する。
「人の気持ちを踏みにじってはだめですよ?」東雲が釘を刺すよう言う。
「お前らに言われると説得力が違うな。気をつけるよ」
そう言いながら、制服に着替え終えて部室を出た。やはりと言うべきか、虹谷たちは浮かれてしまっている。とはいえ、自分も最愛の人からもらうチョコレートを心の底から待ち望んでいる。自分も彩理以外の人間から貰うかもしれない。
だが、作ってくれた人間の気持ち、それに費やした時間などが込められていると考えれば、自分はそれを裏切ることは出来ない。最愛の彼女がいるとはいえ、その事情を知らない人間からは告白をされるかもしれない。心の準備だけはしっかりと行っておこう、と腹の中で覚悟を決めた。
教室に向かおうとするときも、嬉しくも少し面倒なことになった。
自分のことを一方的に知っている後輩からはファンという理由でチョコを貰い、その気持ちは嬉しかったのだが自分の両手が塞がってしまった。そのまま教室へ向かおうとしたとしても、調理室まで呼び出されてチョコを渡された。
挙句には教室についてからもバレンタインデーという名目でチョコを渡され、ロッカーがチョコでいっぱいになってしまう。虹谷たちの忠告がこうもすぐに出てしまったことに驚きを隠せなかった。
自分と言う人間を思った以上に過小評価していたかもしれない。
様々なことには気にも留めず、野球のためだけの生活を優先させていた。他人の気持ち、好意を分かっていながらも、相手を貶めたり無意味に傷をつけたりはせずに断り続けていた。それでも寄ってくることに疑問を感じていたが、悪い気分ではない。
まだ午前の時間。これから色々な人間が自分に関わるかもしれない、と朝霧は思った。
浮かれるのは彩理さんの前だけでいい。それ以外はいつも通り過ごし、来た相手の好意には素直に対応すれば問題はないだろう。
自分の意思とは関係なく、寄ってくる人たち。勇気を振り絞って近づく人もいることを考えれば、冷たく振り払うことは決してできなかった。
昼休み、やはりというべきか、休み時間ごとに対応をしていたので疲れが溜まっていた。
人目を避けるため、朝霧は部室に向かった。
「お疲れ様です、朝霧先輩」
部室の中で声がする方向へ向かえば、先客がいた。朝霧の一年後輩のマネージャー、
「ひかりちゃんか、どうしてここに?」
昼休みの部室に彼女がいることは少ない。疑問に思った朝霧が単刀直入に、けれど疲れは見せないよう、ひかりに質問した。
「バレンタインのチョコですよ、部にいる全員分です。もちろん、先輩の分も!」ハッキリとした声で、ひかりは朝霧の問いに返答する。
彼女はこの日のために、多くの部員のいる野球部員のためにチョコを作ったのだろう。普段から朗らかな性格で、強豪と言われている野球部を陰で支えていると言っても過言ではない。馬鹿正直な働き者。尊敬にまで値するストイックさ。自分たちが快適な練習ができるのも彼女のおかげであると思っていた。
「ありがとう」と、朝霧が言った。しばらく考えて「何かお返しを考えないとな」
「お返しは甲子園で優勝する。これでいいですよ」と、ひかりが言う。
一途な子だな、と率直に思いながら朝霧は「わかった」と伝えて頷いた。これだけのことを言われて出来ないというのは男として廃る。というより、名門校の高校球児である以上、絶対に行かなければならないという使命感を抱いていた。
「あ、そうだ。彩理さんが屋上で待っているって言っていましたよ」
「彩理さんが? でもここに来るって分かっていたのか!?」と、自分の行動が読まれたことに驚きが隠せず、思わず大声で言う。
「はい。で、私から伝言を頼まれた感じです」
「ありがとうね。俺らも頑張るよ」
そう言いながら、彩理が待っている屋上へ向かう。
屋上へ向かう途中、やはりどこか浮かれていた気分になっていた。自分が行為を寄せる相手へアタックをする女子、チョコレートを今か今かと待ち望んでいる男子、チョコレートの交換している女子のグループ。
このことは朝霧も容易に想定していたので、あまり人がいないルートを選び、屋上へ向かう。虹谷たちはチョコレートを一つでも多く受け取って競っているのだろうか、どうやって貰ったチョコを消化するのだろうかと色々と考えていると屋上に到着した。一呼吸を置き、気分をリラックスさせる。大丈夫と判断し、ドアを開けた。
「蒼河くん、やっと来たのね」
ドアを開いた方向を振り返りながら、彩理が言う。
「ああ、ひかりちゃんから聞いてね。もしかして見透かされていた?」
頬をかきながら朝霧が答えた。
「うん、お疲れ様。今日はなんの日でしょうか?」
「バレンタインデー……です」と顔をそむけ、頬を赤くしながら朝霧が言う。
正解、彩理さん特製チョコをあげる。
彩理が嬉しそうに告げ、丁寧にラッピングされた箱を朝霧に渡した。
純粋に嬉しかった。シンプルに今の彼の心境を表すにはこの表現が適切だろう。
彩理からはビター風味に仕上げてみた、と言われてそれを期待する。ラッピングを取り、蓋を開けると一口で食べられるとはいえ、やや大きめのチョコレートが縦に三段、横に三段として並んでいる。一番左上のチョコを手に取り、朝霧は口の中にそれを含めた。
甘すぎる。これのどこがビター風味なのか。今まで食べてきたチョコレートの中では、群を抜いて甘かった。口の中では甘さがめぐりめぐっている。箱の中にはカードが含まれていた。
「誠へ……ってこれ、虹谷のチョコじゃない? 彩理さん」朝霧が箱の中にあったそれを抜いて確認をした。
「あ、蒼河くんと弟のチョコを間違えたみたい!」
うちの弟はすごく甘党なのよ、と一言理由を付け加えた。
弟の思いのお姉さんを持った虹谷は羨ましいやつめ、と軽く虹谷に朝霧が嫉妬した。それと同時にかなりチョコが甘い理由もすぐに納得できた。
納得は出来たとしても、たまには自分もリードがしたい。蒼河は一つの企みを実行に移した。今の彼は彩理を支配したい、彼氏である以上は背伸びがしたかった。
「彩理さん、このチョコを一緒に食べない?」
「で……でも」と、彩理が困惑した表情を浮かべながら言う。
「俺がこれに口を付けた以上、そのまま虹谷に返すのは失礼でしょ?」
とっさにもっともらしい言い訳を言い、彩理を説得するように朝霧が言う。
それに一緒に食べた方が美味いのに。
もうひと押しすれば、彩理は自分の考えた通りに動かざるを得なくなるはずだ。一緒に食べるのも悪くはないと判断して彩理が言う。
「わかったわ。あ、でも食べさせてあげようか?」
一緒に食べることは納得したが、今度は彩理から提案を受けた。
「いやいやそれは流石に恥ずかしいって。人前じゃ……」
「大丈夫よ、人がいないから」
「いや……それでも……というか早く食べて!」
「はーい」
嬉しそうに言いながら、彩理がチョコを手に取り食べた。
誠の口には合う出来のはずだ、と彩理は瞬間的に思った。味見をして確認はしているが、それでも一縷の不安は残っていた。間違って渡したことだけが心残りだった。
「彩理さん」手招きをしながら朝霧が言う。
どういうことだろうかという疑問を持ちつつ、言われたとおりに朝霧に近づく。
朝霧が彩理を抱きしめた。逃げられないように右手は頭、左手は腰へ手を回す。すかさず彼女の唇に口づけを行い、舌を器用に引っ掻きまわして彼女の口内にあったチョコを取った。唇を離し、彩理から奪い取ったチョコを味わう。チョコの甘さだけでなく、彼女の味がする。二回目のキスがまさかチョコを味わいながらするとは、と自分でも予想外な行動をしたものだと朝霧は思った。
「やっぱり甘い」
イタズラが成功した子供のように嬉しそうな笑みを浮かべながら、朝霧が言った。普段は猫可愛がりする彩理が思わぬ不意打ちされたせいか、顔は当然として耳まで赤くなっている。
「むー……」唐突なことに戸惑いながらも、唸りながら彩理が朝霧を睨む。
そんなことはお構いなしにチョコをまた一つ頬張る。そして次のチョコを手に含むと、そのまま彩理が口に含んだ。
「ちょ!?」
朝霧が動揺する。しかし、その抗議を受け入れることなく、今度は彩理が朝霧を抱きしめ彼の口にチョコを含める。面を食らったが、朝霧も抱き返して自分たちの口の間にあるチョコを溶かすまで堪能した。二人の唇を放せば、銀色の橋が出来上がっている。
「ヤバい……この甘さは病み付きになりそう……」と素直な感想を朝霧が漏らす。
「まだあるわよ、どうする?」彩理が聞く。
「もう一回だけ」と迷わず即答した。
バレンタインデー。恋人同士が愛を誓うあう日。自分にとってはもっとも印象深く残った日には違いない。
自分の人生の中でもっとも幸福感を得て、永遠の時が止まれば良いと思った。