peaceful days   作:楡野 透

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peaceful days II
第1話


 綺麗な青空だった。

 小鳥になって、どこまででも飛んで行きたくなるくらいに。

 輝くように明るい透明な青に、白い雲が透けて見える。

 ピクニックでもいい、と思った。

 前にいた施設でも、穏やかな陽射しの日には、近くの野原へピクニックに行ったりしたことを思い出す。

 特別な御馳走やおやつがあったわけじゃない。

 いつもの食事を、わざわざ野原まで運んで食べるだけのことだったが、それでも気分は高揚した。いつものパンも、いつものジュースも、やたら美味しかった気がする。

 贅沢を言うつもりはない。

 城の南側に広がる芝生の真ん中でも構わない。

 窮屈じゃない青い空を、身体を投げ出すようにして眺めたい。

 そこで、あ、と気づく。

 俺はまだ、城の敷地全てを見ていない。

 こんな青空の下で探検したら、きっときっと、楽しいに違いない!

 そう思いついて、ひとり盛り上がった時、人影が俺の前に立った。

「銀牙。」

 耳慣れた、低い声。

「!、はい!」

 びくっと我に返り、俺は慌てて立ち上がる。

 まずい。全然気が付かなかった。

 あまりに無残な己の失態に、俺は青冷めるしかなかったが、養父である道寺は、俺のそんな様子を咎めることもなく、ただくるりと背を向けて歩き出す。

 いつも通りの彼に、俺はほっと安堵し、そしてすぐさま、その背中を追いかける。

 

 

 

 ベッドにいるはずの静香は、リビングにいた。

 窓際に置かれている二人掛けのソファーの上で、膝立ちをし、外を眺めていたらしい。

 エントランスから、彼女の後姿を見つけ、俺はほっと安堵の息を吐いた。

 何も知らされずに、彼女がいなくなる、なんてことは、もうない。

 解っているつもりなのだが、やっぱり心配してしまう。

 そうでなくても、彼女は脆弱な存在なのだから。

 広いリビングに見つけた静香の後ろ姿は、ぽつんと小さく、心もとない。

 そんな彼女を、赤の天鵞絨に覆われたソファーは、心地よい滑らかな感触と光沢で、静かに抱きとめている。

 ソファーには比較的大きな背もたれがあり、彼女はそれにぺたりと身体の前側を当て、窓の方を向いていた。

 身体の両脇に突き出て見える、彼女の細く小さな肘が、肩と同じ高さで、背もたれの縁に寝そべっている。

 後ろから見ても分かるくらい、首筋がふにゃりと横へ傾いていて、どうやら彼女は、寝かせた腕の上に顎をのせた姿勢でしなだれているようだった。

 彼女の前には、天井近くまである大きな格子窓。

 そこから、厚い雲を抜けてきた頼りない光りが射し込んできていて、明るいのに暗さばかりが目立つ。

 こんな曇りの日に、一体、何を見ているのだろう。

 不思議に思いながらも、でも俺はまず、くすりと笑ってしまう。

 だって、なんか可愛い。

 膝立ちをしている静香は、スリッパを履いたままでそうしているから、スリッパの裏側が二つ、こちらを向いて行儀よく並んでいる。

 その光景が、可愛いというか、微笑ましいというか、とにかく笑わずにはいられない。

 ま、いいんだけど。

 笑ってしまったことに気づかれたら、静香に怒られそうな気がしたので、さらりと笑みを消し、

「何を見てるの?」

 歩み寄りながら、彼女の背中に明るく声をかけたら、静香はぱっと身体を起こし、振り向いた。

 白くくすんだ光りの下で、彼女は俺を見つけるなり、弱々しくも微笑んでくれる。

 静香の目元が優しく輝き、ほんのりと桜色の唇に柔らかな笑みが浮かぶ。

 よかった。

 昨日の微熱は、とりあえずは悪化していないらしい。

 でも、白いネグリジェに薄手のカーディガンを着ているだけで、こんなところにいるのはまずいと思う。

 もし道寺に見つかったら、きっと彼の眉間の皺はますます深くなって、ますます口数が少なくなってしまうだろう。

 そんなことは、俺よりずっと分かっているはずなのに、彼女はあどけない笑顔で、俺の質問に答えてくれた。

「薔薇の花よ。たくさん咲いていて、すごく綺麗なの。」

 どれどれ、と隣に並んで膝立ちになり、窓の外を覗き込む。

「わ、本当だ。全然、知らなかった。」

 窓の外はびっくりするほど、愛らしいピンク色に溢れていた。

 外壁に誘われ、窓の上にまで伸びた太い枝。そこからいくつもの梢が枝分かれしていて、細く長く、あちこちにしなだれている。どの梢にも灰色がかった緑の葉がよく茂っていて、その枝先には可憐な花が連なって咲いていた。

 ひとつひとつは、あまり大きくない、ピンク色の花。

 それらは梢の先から色を滴らせるように咲き乱れ、そんな花の房がいくつもいくつも、緩やかな風にそよいでいる。

 晴れ渡った空の下であったら、花達はもっと可憐に見えたに違いない。

 今日のような陽射しでは、せっかくのピンク色も、時折、明るいベージュのように見えていた。

 俺は、窓を覗くようにのびて揺れる、花房の一つを指さし、

「でも、あの花って、本当に薔薇なの?」

 薔薇の花といえば、花びらがいっぱい、というイメージが強い。

 でもこのピンク色の花は、花びらも少なく、ふわりと咲いていて、薔薇というよりも、小さな秋桜みたいな咲き方だ。

 なんだか薔薇っぽくなくて、そう尋ねると、静香はくすぐったそうに笑って、

「ええ、そうよ。元々の薔薇の花って、あんな風に一重だったんだって。それを品種改良して、あの、下で咲いてるような花の形にしていったらしいの。」

「へえ、そうなんだ。」

 彼女の台詞に誘われ、視線を下げてみれば、また違う趣の花が咲いていた。

 木の背丈があまり高くないのは、きっと庭師が切りつめて、枝振りを整えているからだろう。

 黒いくらいに濃い緑色の葉が鬱蒼としている植木が何本か並んでおり、その葉の上にそっと置かれているような風情で、手のひらより大きいくらいの白い花が咲き誇っている。

 くすみひとつない、ひんやりとした輝きを放つ、白い花びら。

 ピンク色の花達を見上げるように、窓の下で満開になっている白い花達は、そんな花びらをたくさん抱えて咲いている。

 確かに、咲き方が全然違う。

 けれど、この花の咲き方も、どちらかといえば、薔薇っぽくない。

 丸く膨らんだ蕾がゆるやかにほどけるばかりで、あまり花びらが外へと広がらない咲き方だ。その為か、花の形が綺麗に丸く、ころころとしていて、可愛らしい印象を受ける。

 でも薔薇って、もっと花びらが外にめくれて、角がたくさんあるような咲き方をするんじゃなかったっけ。

 そう思って、再度、静香に訊いてみる。

「あの白い花も、薔薇?」

 すると彼女は、嬉しそうにやんわりと笑いながら、

「あの薔薇はね、控えめで可愛らしい、お姫様なの。」

「お姫様?」

「『スノープリンセス』って薔薇なのよ。」

「なるほどね。」

 薔薇と呼ぶには違和感があるが、品種名を知ってしまえば、妙に納得してしまう。

 白いから、スノー。可愛らしいから、プリンセス。

 単純といえば、単純な話だ。

「で、あのピンクの方は、『バレリーナ』。」

 その声を合図に、俺達は再び、窓の外を見上げた。

「ピンク色の小さな花、ひとつひとつが、ふわふわなチュチュをつけた女の子達みたいだから、かな?」

 小首をかしげながら呟く静香だったが、俺はまた彼女に振り向いて、

「チュチュ?」

 聞いたことがあるような、ないような。

 何だっけ?

 すると彼女はくすくすと笑いながら、

「ふふ、よくバレリーナが着るスカートのことよ。透けるような薄い布地を何枚も重ねて作ってあって、裾が横に広がってるタイプもある…。」

「あー、あれのことか。」

 城に飾られている絵画のどれかに、バレリーナのそんな絵を見たような気がした。

 彼女の説明を聞いてから、改めてピンク色の薔薇を見上げる。

 ピンク色の花びらを広げた花達が風に揺れる様子は、確かにチュチュをつけたバレリーナ達がゆらゆらと舞っている様と同じくらい、可愛らしく、見えなくもない。

「花のこと、よく知ってるんだね。何で知ったの?」

 隣の彼女に振り向いて尋ねると、彼女は得意そうな笑みを深くして、

「お父様の部屋にあった本を読んだの。お父様の書斎には、本当に色々な本があるのよ。」

「だけど、父さんの本だろ?静香、もう漢字とか、読めるの?」

 驚いて、思わず確かめてしまう。

 すると、彼女は笑顔のまま小さく頷き、

「少しはね。辞書で調べながら、ちょっとずつ読むの。

前に、本の絵ばかり眺めていたら、お父様に、内容が分かるのか、って訊かれたことがあったの。その時、いいえ、って答えたら、分からないままにするのは、楽しくないだろう、って辞書を渡されて、調べてそれでも分からない時は聞きなさい、って言われたわ。

 それからは、辞書が大好き。私でも、なんでも分かる気がして。」

 俺は、笑うに笑えない。

 辞書が大好き、ね。

 今のところ、俺にとって、辞書は天敵。というか、枕。

 最近始まった魔戒語の勉強は、もう本当に苦痛で、混乱の嵐。

一応、辞書として使う本も渡されているが、一語一語、調べるなんてあり得ないくらい、面倒。

 毎日の鍛錬のせいで、身体は筋肉痛と疲労で眠たがるし、魔戒語は訳がわからなくて意識が考えることを拒むし。

 そうなれば、いくら机に向かって本を開いたところで、無理。

 寝るしかないって。

 俺の場合、静香のような境地に至るには、もう少し時間がかかりそうだ。

 それでも、

「俺も、頑張るよ。」

 ひきつった顔でそう答えたら、彼女は不思議そうに首をかしげた。

 どういう意味、とその眼差しは尋ねていたが、そんな空気を断ち切るように、俺はいそいで、

「ね、静香。聞きたいことがあるんだけど。」

「なあに?」

 ふわっとした表情の静香に注目されて、俺はにっこりと微笑み返す。

 彼女に見つめられると、素直に心が弾む。

 俺は嬉しい笑顔のまま、

「静香は城の敷地、全部見た?俺、まだなんだよね。」

 すると彼女は、一瞬だけ目を丸くしてから、小さく微笑み、私もよ、と答えてくれた。

 そして、その微笑みを伏せながら、

「すっごく広そうだもんね。…きっと面白いよ。」

 俺の考えていることなんて、彼女にはすぐにバレたらしい。

 そして、自分は行かない方がいい。

 身体の弱い彼女は、そんな風に笑ってから、再び窓の外に目を向ける。

 泣いているわけじゃない。

 だけど、泣いている時よりも、悲し気な瞳。

 こんな時、何て言ったらいいかなんて、分かるわけがない。

 代わりに、充分すぎるほど分かったのは、このままにはしておけない、しちゃいけない、ってこと。

だから、秘かに決意する。

 俺はソファーからぴょんと降りると、静香に振り向き、明るい声で提案する。

「キッチンへ行こう。この時間なら、きっとおやつがあるよ。食べたら、ベッドに戻らないとね。父さんに見つかったら、明日も寝ていなくちゃならなくなる。そんなの、つまらないだろ?」

 俺の言葉に、彼女は優しく笑って、ゆっくりとソファーに腰をおろした。

 そろそろと床に足を下ろそうとする、彼女の肩が大きく上下したのが見えて、俺は慌てて彼女を押しとどめる。

「やっぱり、待って。」

 唐突に制止されて、彼女はすぐ目の前に立っている俺を見上げる。

 亜麻色の乱れた前髪の影で、不安げに潤む鳶色の瞳に気づくと、俺はいたわるように笑いかけ、

「おやつは俺がここへ持ってくるよ。だから、静香はここで休んでて。あと、ブラケットも持ってくる!」

 考えられる手立て全てを告げて、俺は駆け出す。

 これは使命でもないし、義務でもない。

 道寺との約束さえ、関係ない。

 俺は嬉々として、駆ける。

 

 

 

 数日後。

 城の地下にある鍛練場から、さっさと書斎へ戻ろうとする道寺を、俺は意を決して呼び止めた。

 分かっていたこととはいえ、振り向いた道寺の眼差しは、普段よりもわずかに鋭さが増していて、一瞬怯む。

 やっぱりこんな時のそんな眼は、本当に苦しくて、息がつまる。

 でも、なんとか声をふり絞り、ここ数日の間、ずっと考えて続けていることを聞いてもらった。

 とっ散らかってしまいがちな俺の話を、道寺は黙って聞いてくれる。

 すべて話し終えると、俺は食い入るように彼を見つめて、返答を待った。

 道寺は、俺の視線をしばし見返してから、小さく息を吐き、静かな声で告げる。

「できると思うなら、やっていい。ただし、その時には一声かけろ。」

「!、はい。」

 神妙な面持ちで、俺は大きく頷く。

 でも、心の中は万歳。

 まさか、本当にお許しが出るなんて。

 嬉しすぎて、軽い興奮状態にぐるぐると酔いしれていたが、道寺は淡々とした口振りで、

「それから、…お前は常に冷静であれ。その時には、お前が一時的に静香の命を預かることになる。…判断を誤るなよ。」

「…、はい。」

 思いきり釘を刺され、俺は重たく頷く。

 だが、許可は得た。

 

 

 

 俺は準備を万全にして、実行できそうな日を待った。

 それが今日。

 ちなみに、思いついたのは、三ヶ月くらい前。

 この城にきて、もう二年が経っていた。

 本日、天下無敵の完全休日。

 またの名を、日曜日。

 天気予報では、完璧な晴れ。

 気温も少し高めで、風も弱い。

 静香の体調も、だいぶいい。

 決行は、…今日しかない!

 三人で摂る、静かな朝食の時間。

 緊張しながらも、俺は道寺に伝える。

「父さん、…例の件だけど、今日、やるね。」

 道寺は一瞬だけ手を止めたが、すぐに何事もなかったかのように食事を続けた。

 とりあえず、許可は下りたらしい。

 何も知らない静香は、何事かと目を丸くしたまま、俺を見つめている。

 それに気づきながらも、俺は道寺に向かって明るく、

「午前中に出て、昼過ぎには戻る予定なんだけど、いいかな。」

 返事を待つ俺に、道寺はちらりと視線をよこすだけ。

 よし、これもOK。

 だって、駄目って言ってない。

 後は、

「それで、昼食なんだけど、」

「必要ない。」

 道寺のまさかの一言に、俺は思わず、え?と聞き返す。

 すると彼は食事の手を止め、まっすぐ俺を射抜くように睨み、

「…必要、ない。」

 あまりの声の冷たさに、俺は固まる。

 反論、…させない気だな、こりゃ。

 正直、昼食がこの作戦のメインイベントだったのに。

 やれやれ。

 仕方ない。

 俺はため息まじりに、

「わかった。…なるべく昼食までには戻って来れるよう頑張ってみる。でも、 間に合わなかったら、ごめんなさい。」

 テーブルに手をつき、俺はぺこっと頭を下げる。

 こんな時は、先に謝ってしまうに限る。

 やはり、道寺は何も言わない。

 よしよし、これですべてOKだ。

 無表情の道寺に、俺はにっこりと感謝する。

「父さん、…ありがとう。」

 再び、食卓に沈黙が訪れる。

 いつもの朝食の光景に戻った。

 

 

 

「しーずか。」

 食事の直後、俺は彼女を呼び止める。

 振り返った彼女はふわりと笑って、

「さっき、お父様と何の話をしていたの?」

 静香のぱっちりとした鳶色の瞳が、俺を捕まえる。

 その瞳には、控え目な好奇心がちらちらと輝いていて、それに気づいていた俺は、満面の笑みで答える。

「とっっても、いいことさ。」

 静香が興味を持ってくれてる。

 それがすごく嬉しくって、本当に空だって飛べそうなほど、ウキウキな俺。

 あー、企み事って、ホント楽しい。

 にやつく俺につられたのか、静香まで楽しそうに笑いながら、

「うふふ、…なあに、銀牙。すっごく楽しそうよ。」

「うん。俺、今、すっごく楽しいんだ。朝からずっと、ワクワクしてる。」

「ふふ、そうなの?…じゃ、後で、何の事だったのか教えてね。」

 にっこりとそう言うなり、静香は俺に背を向け、離れて行こうとする。

 俺はあわてて、

「ええっ、ちょっと待って。」

「ん?」

 再び振り向いた彼女に、俺は、

「静香は、今日は何か、予定ある?」

 ないはず、なのはわかってるんだけど、一応。

 案の定、静香はため息混じりに、

「予定なんてないわよ。…、でも、後で向こうの花壇を見に行きたいかな。」

 よし、これで何の問題もなし!

 俺は笑顔を弾けさせて、

「じゃ、静香も行けるね!」

「…え?」

 目を丸くして、静香は俺を見つめる。

 うんうん、いいぞ、この感じ。

 俺は高鳴る胸そのままに、彼女に手を差し伸べると、

「一緒に行こ!静香も!」

 

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