peaceful days   作:楡野 透

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第4話

 あれほど酷い高熱と激しい呼吸に苛まれたのにも関わらず、静香は奇跡的に力尽きることはなかった。

 銀牙が部屋に飛び込んだ、その日の昼過ぎには、静香の容態は危機を脱していて、私は目を丸くする。

 そんな私に、絶狼の美しい相棒は嬉しそうな声で、

「ほら、…ごらんなさい。やっぱり、私は正しかったわ。」

「…そうらしいな。」

 やんわりと同意しながら、静香のベッドの傍らで、両腕を頭の下に敷いて眠っている銀牙を見下ろす。

 …、起こさず運んだ方が、手間は少ないな。

 一方、静香はというと、痙攣気味だった呼吸が、目に見えて緩やかになっており、落ち着いて眠っていた。

 とはいえ、まだ油断はできない。水分と栄養を補給させなくては。

 消耗が激しく、顔色は疲労のせいか青い陰に沈んで見える。

 額の湿布に、微冷の界符を貼り直すと、その指で静香の頬をいたわるように撫でた。

 私のそんな仕草に触発されたのか、魔導具の彼女が大層可愛らしい声色で呟く。

「ふふ、なんだか不思議。この子たちを見ていると、…なぜか手を貸してあげたくなるの。魂の契約もしていないのに。」

 私は静香のベッドを整え、銀牙を起こさぬよう、抱き上げながら、

「それはお前が、更なる高次の存在になろうと…」

 しかし、彼女は私の返答を遮るように、ざらついた不機嫌な声を被せてきた。

「そうかしら?…本当に、そう思っている?」

 やれやれ。

 彼女の満足する返答は、こちらではなかったらしい。

 熟睡しているのか、全く起きる気配のない銀牙を抱え、私たちは静香の部屋を後にする。

 もうひとつの返答を彼女に告げながら。

「…名は体を表す。お前は、冠するその名を本性として、見事に体現しつつあるのだ、…銀の貴婦人、シルヴァよ。」

 

 

 

 鍛練が終わり、床にのびている銀牙に、

「静香が、お前と話したい、と言っているんだが。」

 そう告げてみたら、次の瞬間、呆気にとられるほどのスタートダッシュ。

 いや、どちらかと言うと、フライング、だろうか。

 私の言葉に返事すらせず、あっという間に姿を消した銀牙に、私のよき理解者は、くすりと笑った。

「元気な坊やだこと。」

 確かに、面白い男だ。

 そして、安堵する。

 私の娘をあれほど慕ってくれていることに。

 だからこそ、なのだろう。

 静香が今、生きているのは。

「お父、様…」

 高熱が治まり、激しい呼吸も落ち着いたその日の夕刻。

 多少強引だったが、私は静香に軽い食事を摂らせた。

 そしてまた薬を与え、休ませる。

 静香の身体はまだ、衰弱と疲労でよろよろとしていたが、それでも彼女は懸命に私の要求に応えてくれた。

 ベッドに戻り、布団を被ると、彼女はそっと目を閉じる。

 私は疲れている彼女の眠りを邪魔しないよう、静静と部屋を出ようとした。

「お父、様…」

 緩やかにはなったとはいえ、まだ彼女の息づかいは、肩が揺れるくらいには重く深い。

 呼び止められて、私は静香に改めて近づき、顔を寄せる。

「何だね?」

 彼女は自分の呼吸に抗わず、逆に合わせるようにして、

「怒ら、ないで、ね…。」

 私が頷いて見せると、彼女は安心したらしく、ふふっ、と笑ってから、

「私、…銀牙の、夢を、見たの。」

 緩慢と紡がれる静香の言葉は、ふわり、ふわり、と吐息に乗って届く。

「銀牙が、来てね、ここに、いるって、…、側に、いるって、言って、手を、握って、くれたの。」

 彼女はそこで、深呼吸を繰り返した。

 私は彼女の傍らに腰を下ろし、

「時間はある。ゆっくりでいい。」

 彼女は小さく頷き、息が静まるのをじっと待ってから、

「私ね、死にたく、ないって、……初めて、思っちゃ、た。」

 そう語る静香は、少しだけ困っていて、でもとても嬉しそうに笑っていた。

「だって、銀牙が、側に、いるって、言って、くれた、時、す、ごく、嬉しかっ、た……、けど、私が、いなく、なったら、…きっと、悲しむ、よね。…だから、……、まだ、死にたく、ない、って…。」

「そうか…。」

 懸命に語る静香の顔が、心なしか赤くなってきている気がして、私は彼女の頬を手のひらで柔らかく撫で、熱を奪う。

 幾分楽になるのか、静香はうっすらと笑むと、まだ伝えたいことがあるらしく、ふう、と息を吸い込み、

「それで、ね、私、…握って、くれた、手を、ずっと、離さな、かったの。……、離したら、また、ひとりに、な、ちゃう。…私が、死んじゃう、みたいな、気がして、…。」

 そこまで言って、静香は再び荒れてきた呼吸に専念する。

 私は彼女の髪を撫で付けてやりながら、

「静香、…まだ話すのは、疲れるだろう。他に何か、伝えたいことはあるかな?」

 すると、静香は今まで見たことがないような、強い光を宿した瞳で私を見つめた。

「お父、様、…私、まだ、死にたく、ない。」

 瞬きを忘れたように、私を見つめ続ける彼女の目から、不意に涙がこぼれた。

「我が儘、かな?…私。望んでは、駄目?」

 無反応な父親に、彼女は不安を感じたのだろう、私は素早く、

「いいや。そうではない。…、少し、…。」

 口にしそうになった言葉は、今にふさわしくない気がして、首を傾げる彼女に、私は微笑む。

「わかった。お前が本当にそう望むのなら、私も尽力しよう。

 手立てがない訳ではなかったのだが、……それは多少の苦痛を伴う。

 お前に生きる覚悟がないのに、徒に苦痛を与え、望まない生を引き延ばすことに、私は躊躇っていたのだよ。」

 静香はうっすらと微笑んだまま、

「…よく、わかんない、けど、…頑張れば、いい?」

 幼くあどけない静香の言葉に、私は僅かに微笑み、

「そうだな。…頑張れば、いい。」

 曖昧でいい加減な台詞、この上ない。

 だが、静香は嬉しそうに笑って、

「ありがと、お父、様…。」

 そう言って、ようやく瞼を閉じた。

 彼女が眠りに落ちたのを見届けてから、私は彼女の部屋を後にする。

 そのまま隣の書斎に入れば、すぐに、

「絶狼、…本当に、静香は助かるの?」

 待ちきれない様子で、魔導具の彼女は私に問いかける。

 不安そうな声に対し、私は燭台の下にある自分の机に向かいながら、事実だけを告げた。

「治すことはできない、が、死を遠ざける手立てはある。」

「…どういうことなの?」

「薬で少しずつ、静香の身体を作りかえる。…時間はかかるし、副作用もあるだろう。だが、必要なのは根気だ。静香なら、きっと、耐えられる。」

 願望を断言するなど、いつ以来のことか。

 それはもう、願望ではなく、決意だから、か。

 シルヴァが私の高揚を感じ取ったのか、後押しするように、ゆっくりと弾んだ声で、

「今まで貴方が培ってきた知識が、役に立つわね。」

「…まだ、わからんよ。」

 私はあえて、自身の感情にブレーキをかける。

 大きな感情の波は、判断を誤る要因のひとつ。

 常に冷静であれ。

 たとえそれを、野暮、とそしられても、死にはしない。

「私の微々たる知識など、私自身にすら、大して役に立たなかった。…当てにならないどころか、むしろ、学び直さなくてはならない。」

 これから何が必要になるのか、すでに私の思考は薬の知識や調合の方へと飛び始めてしまう。

 しかし、不意に聞こえた彼女の声は、ことの外、小さく寥々としていた。

「絶狼…、私は貴方も、静香も、救われて欲しいわ。だから、無理はしないで。」

 いたわりの言葉を私に向けてくれるのは、唯一、彼女のみ。

 改めて私は彼女の存在に救われ、癒される。

「シルヴァ…、最愛なる絶狼の片割れ。……感謝する。」

 

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