peaceful days   作:楡野 透

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第7話

 おやつを済ませ、俺達は再び歩き出す。

 静香には大事を取ってリアカーに乗ってもらい、俺はギコギコと進んだ。

 右側は、依然として芝生地帯が広がっている。

 林の中は明るく、風も穏やかで、リアカーを引いている俺には、少し暑いくらいだ。

だが、静香には、きっとちょうどいいはず。

 ちらりと振り向けば、リアカーの端にちょんと腰掛け、ゆっくりと景色が後ずさっていくのを眺めているらしい、静香の白い帽子が揺れていた。

 前に向き直り、俺はリアカーを引くことに専念する。

 大分、この作業にも慣れてきた。

 林の中は、小さなでこぼこだらけだが、まだ進めないほどじゃない。

 天気がいいおかげで、周りは明るいし、気分は上々、前に進む張り合いもある。

 俺も静香も、無理に話すことなく、ただ黙って目の前を見据える。

 そうしてしばらく進んで行くと、とうとう隣の芝生地帯が終わった。

 ここからは全くの未知の領域だ。

 急に目の前の木々が太くなった気がして、俺はふと足を止める。

 見回せば、さっきまでの林よりずっと高くそびえた立派な樹木たちが横へ、奥へと広がっていた。

「銀牙、…どうしたの?」

 上を向いたまま動かなくなった俺に、静香はリアカーから降りて歩み寄ってきてくれる。

 首を傾げる彼女に、少し表情を改めて振り向いた。

「ここからは、全然知らない所だ。」

 その台詞に、静香は辺りを見回して納得したらしい。

 強ばった顔になって、

「そっか、…ここまでは窓から見えていたところなのね。」

 城の南側にある窓からなら、どこからでも、ここまでは見えていた。

 見えていただけで、ここに立ったのは今日が初めて。

 それもそれで、不思議な感じがする。

「…、行ってみる?」

 俺は静香に決定権を委ねた。

 彼女が怖がるなら、来た道を戻ればいい。

 静香は先刻の俺と同じように、目の前の雄厳とした樹木を見上げていたが、くるっとこちらに振り向くなり、

「銀牙は、見てみたい、って思わないの?…この先に何があるんだろう、って。」

 意外なほど、積極的な静香の意見に、俺は小さく笑って、

「…すっごく、思う。」

 すると、静香は嬉しそうに笑い、

「ふふ、…私も。」

 くくく、と二人して笑い合うと、俺達は並んで未知の森へと踏み込むことにする。

 一度、芝生地帯の南端をたどり、南へ向いた時に背中が城の正面の真ん中に向くところまで移動してから、俺達は改めて南へ直進した。

 これなら、多少方向がずれても、進行方向と逆に進めば、自然と城のある方向へと進むことになる、はず。それもいざとなれば、芝生地帯に最短で出ることもできるだろう。

 今のところ、小鳥や栗鼠くらいしか見かけていないが、何の拍子で、野生化した犬やら猪やらと遭遇するかわからない。

 まだ雑木林らしく下草が多くないから、リアカーも引いて行けるが、この先、下草が膝よりも高くなってきたら、多分、リアカーも引いてはいけなくなる。

 そこらへんが引き際だな、と思いながら、進んでいた時だった。

 少し先の木々の間が、やたら明るく見える。

 明らかに、今までとは違う光景に、俺は静香に振り向くと、彼女も同じ顔で俺を見ていた。

「…何かしら?」

「わかんない。行ってみよう。」

 歩くペースが早まらないように注意しながら、俺達はそこを目指した。

 たどり着いた時、俺達は感嘆の声を上げる。

「う、わー。」

「すっげぇー。」

 多分、広さはサッカーのコート一面ほどだろう。

 巨木に囲まれたその場所は、何故かそこだけぽっかりと平地で、瞬きも忘れるほどの、

「なんて綺麗なお花畑!」

 静香の台詞に、俺も賛同する。

 色とりどりの花が一面、本当にカーペットみたいに敷きつめられていて、夢のように輝いて見える。

 ああ!

 神様、ありがとう!

 頑張って準備した俺と、色々と辛いことの多い静香に、こんな素敵なご褒美!

 嬉しすぎて、涙が出そう!

 今すぐにでも、突進して行きたい!

 のはやまやま、なのだが。

 俺達は呪わしい思いで、足元を見つめる。

 そこには、3m程の段差。

 花畑は俺達がいるところから、3mも低いのだ。

 それも、なだらかな傾斜ではなく、鋭角に切り立っているらしい。

 リアカーから離れ、警戒しながら見下ろせば、真下が覗けてしまった。

 ということは、きっと今の足場は抉られている状態で、近くの樹の根がこのプチ崖を支えているのだろう。

 どこか降りられそうな場所は、と見回すが、プチ崖は断層らしく、両側にずっと続いており、果てが見えない。

「銀牙…。」

 泣きそうな顔の静香が、俺を見つめる。

 ……、前言撤回。

 神様のバッキャロー。

 底意地、悪過ぎ。

 見せびらかしといて、この仕打ちは何だよ。

 俺は後ろを振り向き、

「ったく、これもここ止まりかよ…。」

 ため息混じりにリアカーにそう呟いてから、再度、プチ崖の縁に立ち、見下ろす。

 心配そうな静香に、ちらりと笑ってから、俺は飛んだ。

「よっ、と。」

 水たまりを飛び越える時と変わらないくらい、何気なく飛んだせいで、静香は一瞬、何が起きたか分からなかったらしい。

「え…、ぎ、銀牙っ!」

 静香の悲鳴と共に、俺は難なく着地する。

 着地点の状態がはっきり判らなかったのは少し怖かったが、幸い、上とさほど変わらなかった。

「銀牙!、大丈夫?」

 心配そうな静香の顔が覗いてきて、俺は笑顔で見上げる。

「平気だよ。静香は、ちょっと待ってて。」

 さてと、現状確認といきますか。

 見上げれば、プチ崖は本当に抉れていて、鼠返しみたいに鈍く反り返っていた。

 うーん、まいったな。

 誰かの意地悪としか思えないんだけど。

 まあ、いいや。

 上がれそうなところは、後でゆっくり探そう。

 足元も、……よし。

 邪魔になりそうな岩や切り株もないし、足をとられそうな段差も穴もない。

 俺は再び静香を見上げると、

「静香、お願いがあるんだけど。」

「何?」

「リアカーにある荷物、下ろしてくれる?」

「うん。」

 水筒やおやつの残り、ブラケットなどを、枕ほどの大きさの袋にひとまとめにしておいたのが幸いしたようだ。

 袋を両腕で抱えて、プチ崖からしばし俺を見つめていた静香が、ふと、

「…、投げちゃう?」

 投げちゃう?

 袋のこと、だよな、やっぱ。

 投げられてしまった俺は、その後一体、どうなるんだろう?

 ……いや、とりあえず、かわすけどね。痛いの、ヤだから。

 というか、水筒が壊れるかもしれない、等の発想が、静香ちゃんにはなかった、みたい。

 無自覚に過激な静香の提案に、俺は顔をひきつらせながら、

「できるだけ手で下げてから、ゆっくり離してみて。できれば、中のブラケットが下側になるように。」

 彼女が俺の指示に可能な限り従ってくれたおかげで、無事、袋を受け取ることができた。

 さて、問題は静香だな。

 そう思って、木々の並び立つ崖の上を見れば、なんだか様子がおかしい。

「きゃっ!、…銀牙っ!、銀牙!」

 本気の悲鳴を上げている静香に、俺は一気に青冷める。

「静香っ!!どうしたの?!何?!」

 想定していなかった事態に、血の気が引く。

 何の手も打たないまま、崖を飛び降りてしまった自分の迂闊に憤りながらも、彼女から離れてしまった後悔と、なんとかしなくてはいけない焦り、手の届かないもどかしさが、頭の中で熱く逆巻く。

 吹き上がる苛立ちのまま、この腹立たしいプチ崖を登ろうとした時、再度、静香の怯える声がした。

「銀牙!怖い!…蜂!蜂がいるの!」

 言われて、納得する。

 あー、蜂ね…。

 敵の正体が判明し、俺はそこで半分くらい安堵してしまった。

 経験上、蜂という生き物は、確かに恐ろしいほどの攻撃力を有しているが、だからといって簡単に攻撃してくるものでもない。静かにやり過ごせば、さして怖い生き物ではないはずだ。

 だが、静香は依然としてパニック状態らしく、帽子のつばを両手で押さえたまま、ぶんぶんと身体ごと頭を振って、蜂の恐怖から逃れようとしている。

「嫌っ!、嫌っ!…、銀牙っ!、助けてっ!」

 どうやら静香を脅かしているのは、雀蜂らしい。

 下にいても、あの威圧的な羽音が聞こえ、俺は慌てた。

 怯える彼女が、あそこから足を踏み外したりなんかしたら、絶対怪我する。

 即座に、

「静香、崖の端に座って、俺を見て!早く!」

 素早く叫べば、彼女は慌てて、崖に腰掛けこちらを見下ろす。

 青い顔で泣き始めている彼女に向かって、俺は柔らかい笑みを浮かべ、両腕をのばす。

「静香、きて。」

「えっ!」

 静香の表情が、さらに怯え強ばる。

 彼女は高いところが苦手。

 そんなことは、百も承知。

 だから、明るい声でにっこりと笑いかけ、

「大丈夫、ちゃんと受け止めるから。怖くないよ。」

「で、でも、…」

 崖の端に手をかけ、身を乗り出した体勢のまま、それでも躊躇う静香に、俺はさらに腕を伸ばして、

「俺を信じて。…ゆっくり、落ちてくればいいから。…、おいで。」

 多分、その時、蜂の奴が静香に近寄ったのだろう。

 青冷めた彼女の肩がびくりと震えたと思ったら、次の瞬間、何かに突き飛ばされたかのように、俺めがけて、本当に静香が落ちてきた。

「銀牙っ!」

 俺に向かって懸命に手をのばしながら落ちてきた彼女を、俺は胸で受け止めるように抱え、後ろに倒れる。

 そうすれば、彼女は俺の上側になるから、怪我することもないはず。

 受け身は最初から考えてない。

 とにかく、静香を無傷で抱き止めることが最優先だった。

 人ひとりを受け止める衝撃は、想像以上だったらしく、俺は地面に叩きつけられた瞬間、意識が飛んだ。

 

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