差し替えるの、大好きなんす。
なんせ、文才ないんで。
午後3時。
ゴンザに、お茶のご用意ができました、ご一緒にいかがですか、と声をかけられた。
そういうのは嫌いじゃないが、ベッドから起きるのが面倒だったから、
「遠慮しとくよ。怪我人がいちゃ興醒めだろ?」と、断った。
断られることをある程度予想していたのか、幾分沈んだ面持ちで、ゴンザは退室していく。
部屋のドアを閉めながら、彼はため息混じりに、
「折角、零様のお喜びになりそうな特製スイーツを、あんなにご用意致しましたのに…」
がっくりと肩を落としたゴンザの悲しげな独り言は、ぱたんというドアの閉まる音で締めくくられてしまう。
ベッドに寝そべって見送っていた俺は目を丸くしたまま、しばしそのドアを見つめていたが、慌てて身体を起こし、
「ゴ、ゴンザ!…行く!やっぱり、行く!そういうことは先に言えって!」
全てはゴンザの作戦だったんだと思う。多分。
シャツを引っ掛けて部屋を出る。
階段を降り、リビングに入ったが誰もいない。
しかし、かすかに愉しげな声が聞こえてきて、外にいるのだとわかる。
中庭だろう、とあたりをつけて覗いてみれば、…いたいた、あんなところに。
大きなテーブルを外に持ち出し、勢揃いでわいわいと楽しそうだ。
廊下から中庭へと降りる石造りのステップを見つけ、開け放たれているその扉から外を覗けば、彼らの様子が一望できた。
扉の随分手前から足を止め、しばらく奴らを眺めていると、俺の様子を心配したのか、
「?、絶狼?」
シルヴァの声に、俺は笑って、
「いや、…こうして眺めてるのも、いいもんだ、と思ってさ。」
しかし、俺の胸の内なんて、とっくに見透かしていたらしい彼女は、ちょっと拗ねた声で、
「あら、そんなこと言っていていいの?後悔しないために、急いで来たのではなくて?」
「ふふ、…そうだった。」
目の前の眩しい光景に、ここへ来た一番の目的を忘れかけてしまったらしい。
彼女のもっともらしい助言で、俺は颯爽と中庭に降りることができた。
外に踏み出した瞬間、庭の芝生から立ち上る青い匂いや陽射しの気配に、ふわりと包まれ、でもすぐに消える。
木々の生い茂った冴島邸の中庭には、確かに気持ちのいい緩やかな風が流れていた。
ベッドで、自己嫌悪に腐りまくっていた俺を、ここのやわらかな風は、事も無げに慰めてくれる。
落ち込んでいた自分がバカみたいに、ここは優しい。
テーブルには、鋼牙や雷牙、鐵、カオルちゃんがすでに席に着いていて、いち早く俺を見つけてくれたゴンザが、恭しく迎えてくれる。
あ、鐵は、鐵己(てつみ)。
訳あって、俺の側に置いている、五歳の雷牙より、二つ位歳上の物静かな男の子。
こいつのことは、…ま、別の機会に。
「零さん!」
療養中の身を案じてくれている雷牙&鐵のちびっこコンビは、俺を見つけるなり、椅子やらクッションやらを持ってきてくれたり、ケーキや紅茶を近くに並べてくれたりして、ちょっとした王様気分。
俺のためにせっせと働いてくれるちびっこ達を、カオルちゃんは嬉しそうに眺めていたが、ふいに俺に振り向き、
「大丈夫なの?怪我人なのに、そんなに甘いものばっかり。」
柔らかそうなオレンジ色のチュニックと緩く結い上げた髪を、風に遊ばせながら、彼女は輝くように笑いかけてくる。
相変わらず、カオルちゃんの笑顔からは、突き抜けるような明るさと元気が伝わってくる。
俺は俺で、少し得意げに笑い返し、
「俺にとっては、このスイーツが何よりの薬なの。特にゴンザ特製のが、抜群に効くんだ。」
お世辞じゃないんだけど、ゴンザはまんざらでもないらしく、小さく頭を下げてくる。
鋼牙はこちらに耳を傾けてはいるものの、あえて混ざろうとはしてこない。
ひどくのんびりとした、心が緩む時間だ。
俺はゴンザの期待に応えるべく、サクサクとスイーツをやっつけ、…もとい、味わう。
苺のタルト、ティラミス、ブルーベリーパイ、フルーツロール、ベイクドチーズケーキ、シフォンケーキ、オレンジジュレ、ラズベリートリュフ等々。
「いただきまーす。」
まず、一口。
甘く。柔らかく。いい香り。
「んー、うまーい。生き返るー。」
自然と顔が緩んでしまう。
フォークを片手に、俄然、俺は愉しくスイーツの皿を積み上げ始める。
たちまちその山がそびえていくのを見て、鋼牙が何故か目つきを尖らせ、ぼそりと言った。
元々鋼牙は綺麗で凛々しい顔立ちだが、いかんせん常に仏頂面。
だから今、彼はとっても、恐い顔。
「お前、…よくそんなに、そんなもの食えるな。」
「?、鋼牙は食べられないの?こんなに美味しいのにさ。」
あまりの幸せに、俺は満面の笑みのまま驚いて聞き返すと、鋼牙はさらに不機嫌そうな顔になって、
「…見てるこっちが、気持ち悪くなりそうだ。」
さも忌々しげにそう言うなり、傍らの牙狼剣を手にして席を立った。
すると今度はカオルちゃんが口を尖らせ、
「零くんの甘いものの食べ方は、雷牙には真似して欲しくないわねぇ。」
「えー、俺…どこか、変?」
思い当たることが全然なくて、俺が首を傾げると、カオルちゃんは目を丸くして、戸惑うようにゴンザに振り向いた。
見れば、ゴンザも目を丸くしている。
二人は顔を見合わせ、小さく息を吐いた。
「…?、変、かなあ?」
俺には、ちっとも解らない。
その頃、ちびっこ達はというと、とっくの昔にすっかり飽きて、芝生を囲む木々の向こうへと遊びに行ってしまっていた。
ゴンザとカオルちゃんは少しずつ片付けを始め、ティータイムは終わり始める。
スイーツをほぼ完食し終えた俺は、空いた椅子にだるい足を乗せ、軽く組む。
椅子の背もたれに、少しだけだらしなくよりかかり、指を組んだ両手を腹の上に乗せた。
特にすることもない。
身体から力を抜いて、息を吐く。
ぼんやりと空を見上げた。
淡い水色の空。
眩しいくらいだ。
ふいに風の渡る音が聞こえた。
ざああ、と庭の立木を彩る若葉が揺れ、さらさらと爽やかな風が頬を撫でて行く。
いつまでもこうして、心地よい風に吹かれていたい。
彼女の気配を感じているようで、切なくて目を細めた。
ここには、彼女と同じ優しさがある。
突然、にこにこと悪戯っぽい笑みを浮かべたカオルちゃんが、ひょこりと俺の視界に乱入してきた。
彼女は俺の顔をじっと見つめたまま、すすっと近寄ってきて、近くの椅子にすとんと腰を下ろす。
「?」
訳の分からない俺は、首をかしげるばかりだ。
なんとなく身構えて彼女の出方を待っていると、カオルちゃんは笑顔のまま、目の前のテーブルに深く肘をつき、身を乗り出すような姿勢になって、こんなことをたずねてきた。
「ねぇ、零くん。零くんは、…いつからそんな風に笑ってるの?」
黒く大きな瞳を輝かせながら、彼女は覗き込んでくる。
その時鋼牙は、少し距離をおいたところに佇み、子等が駆けて行った木々の奥を見据えていた。
剣を手に、緩やかな風をまとって凛と立つその男は、そんなことくらいしか父親としてできることはない、とでも思っているのだろう。
カオルちゃんの、吸い込まれそうなくらい綺麗な瞳に見つめられる快感に、俺はにんまりと笑ってから、
「なあに?カオルちゃん。俺の笑顔ってそんなに魅力的?」
さらりとからかえば、彼女はびっくりした顔になって、
「え?そ、それは、そうじゃ、ない、わけじゃない、んだけど。」
何故か、彼女はしどろもどろにそう言って、不安げにちらりと鋼牙に視線を走らせた。
鋼牙は依然、すました顔で立っている。
彼女は、すぐ俺に向き直り、
「零くんも鋼牙と同じ、魔戒騎士でしょ?小さい頃から、大変だったんじゃない?」
不用意なくらい単刀直入な彼女の台詞に、俺は何でもない顔をしながらも、その陰で必要以上に注意深く、
「まあ、ね。」
肯定も否定もしない俺の返答に、彼女は気づいていないのか、さらに、
「なのに、零くん、笑顔率が高いでしょ?いつから、そんな風なのかなあ、と思って。」
にこやかに答えを待つ彼女をしげしげと眺めてから、俺は吹き出す。
「くく。なるほど、いっつも仏頂面の旦那様に、ちょっとでも見習って欲しいわけだ。」
すると彼女は、たちまち形の良い眉を吊り上げ、がたん、と勢いよく椅子から立ち上がると、
「そんなんじゃなくて!」
「じゃなくて、何?」
笑いをかみ殺しながら、首をかしげるようにして問い返せば、彼女は艶やかに色づく唇をへの字に曲げて、
「もう、いい!」
腹を立ててしまったらしい彼女は、ぷいっとそっぽを向くなり、館の中へと立ち去ってしまった。
相変わらず、からかいがいのあるお姫様だ。
到底、一児の母とは思えない。
どうして、じゃなくて、いつから、か。
そんな彼女だからこそ、鋼牙も、放っておく訳にはいかなくなったのだろう。
危なっかしいくせに、どんどん突き進むことを躊躇わない彼女は、奴にはさぞかし眩しく見えたに違いない。
そして、その輝きは、決して消えていいものじゃない。
輝きに眼を奪われ、失えないものになり、結局奴は、自分の腕の中で守らなくては気が済まなくなった。
そんな想いだって、本当だったら死ぬまで口にしない、はずだったろうに。
そうさ。
どんなに強大で凶悪なホラーでも一刀両断する、現役の牙狼であっても、惚れちまったら、負け。
彼女を悲しませるなんて、問答無用に言語道断。
隣で彼女が笑ってくれるなら、そりゃもう、なんだってやるだろうさ。
それに、カオルちゃんには、奴がそれだけのことをするほどの価値、というか、資格が、あると思う。
彼女はいつも一生懸命だ。
自分にも。愛する者にも。
だからいつも、自分にはもっと何かできることがあるんじゃないのか、と頑張ってしまう。
思いやりなんて、ただの自己満足と自覚していながらも、時には痛みすら抱え、それでも懸命に優しく寄り添おうとする。
健気な性分過ぎて、俺まで守りたくなるが、彼女がそう望むのは、残念ながら俺じゃない。
「ふざけすぎだ、零。」
たしなめる声が上から降ってきて、いつの間にか隣に立っていた鋼牙へと首をひねった。
見慣れた仏頂面が、じろりと見下ろしている。
魔戒騎士にしておくのがもったいないほど、端整な顔立ち。場の空気を変えるような華やかさこそないが、見るものを惹きつける静かな精悍さがあり、それは冴島鋼牙という男を端的に表わしている気がした。
明るい陽射しのせいか、奴の茶色の前髪が柔らかそうに光って見える。
なんだか気障ったらしいと思うも、その奥から覗く、牙狼剣よりも鋭い眼差しは、冷たく俺を射抜いていた。
生真面目な態度を崩さない奴を見上げ、俺はにやにやと笑いながら、
「あいつ、変わらないな。出会った頃のまんまだ。」
すると奴は、俺から視線を外しながら、
「そう言うお前は、どうなんだ?」
「え?俺?」
思いもかけない切り返しに、目を丸くして聞き返すと、奴は強い瞳で俺を見下ろし、
「お前は、変わったのか?」
改めてそう問われ、俺は余裕の笑みでにんまりと見返しながら、
「当然だろ?見ての通り、あの頃よりもずっといい男になったさ。」
しかし、鋼牙は眼差しを伏せ、
「そうか。」
不満げな態度を隠そうともしない鋼牙に、俺は視線を尖らせる。
そんな俺の気配に反応してか、鋼牙は再び険しい表情で見下ろし、わずかに声を張って、
「いつまでも気づかないとでも思っているのか。あまり、みくびるな。」
低すぎない、聞き取りやすい声とその口振りは、いつもと何ら変わらない。
迷いのない意思そのものであり、曖昧さも、なれ合いも、微塵もない。
なのに、ひどく感情的に聞こえて、俺は余計に苛立つ。
「何だ?喧嘩なら、買うぜ。」
傍らのテーブルに手をつき、椅子の背もたれから身体を起こして、あからさまに好戦的な態度をとる。
すると奴は、急にしらけた顔になり、小さく息を漏らした。
くるりと俺に背を向け、もう誰もいない庭を眺めながら、
「滅茶苦茶だな。」
半ば呆れている物言い。
俺はますます苛立ちを募らせ、殺気立った声で聞き返す。
「何?」
奴はゆったりと俺に振り返り、明らかに威圧感のある眼差しで言い放つ。
「先に喧嘩を売ったのは、お前の方じゃないのか、零。」
奴の瞳が放つ光は、決して軽薄なものじゃない。
とっさに言い返すことができなかった俺に、奴はさらに、
「それに、お前の喧嘩の相手は、俺ではなく、カオルのはずだ。」
そう言われて、俺は本当に言葉が出なくなった。
仕方なく、口を尖らせて、再び椅子に背中を預ける。
テーブルの上に投げ出されている、自分の右手。
力もなく、意思もない、その手を見つめる。
こいつはいつも、的確だ。
それはもう、嫌になるくらい。
奴が何を言いたいのか、すっかり解ってしまうと、噛み締めて噤んでいた口を、そっと緩める。
二人の想いまでもが伝わってきて、もう茶化すこともできやしない。
胸につまった息を大きく吐き出して、ようやく、軽やかに笑えるようになった。
なのに、
「まあ、あいつはそういう性分だからな。気にするな。」
穏やかにも聞こえる鋼牙の声。
なんだかおかしくなって、俺は下から奴を見上げる。
ちょっとだけ仏頂面じゃない、奴の表情。
カオルちゃんは、きっと、この顔をずっと見ていたいと望んだんだろうな。
鋼牙が少しでも長くこんな表情でいてくれるなら、彼女はどんな犠牲だって払うに違いない。
もちろん、鋼牙が悲しまない程度に、だけど。
そこらへんのさじ加減を、彼女はちゃんと心得てるから、この二人は安心して見ていられる。
だからこそ、ここは聖域なんだ。
こんな俺であっても。
改めて、俺は鋼牙ににっこりと笑う。
そして、テーブルに手のひらをつくと身体を押し上げるようにして、よろよろと立ち上がった。
「やっぱり、長居はするもんじゃないな。」
明るい声で独り言のように言い放つと、鋼牙をまっすぐに見据える。
もう仏頂面に戻ってやがる。
俺は、ゆっくりと歩を進め、奴のすぐ横をすり抜けながら、
「居候の身なんだぜ。喧嘩なんて、する訳ないだろ?」
あやしつけるような、少し甘い口振りでそう告げてから、奴の肩にぽん、と手を置き、
「もうちょっとの辛抱さ。」
あどけない笑みで、さらりと告げてから、俺は館の中へと歩き出す。
まだ、か。
ホラーに貫かれた胸の真ん中が、鈍く痛む。
自分の身体でもイラつくぜ。
ここから早く、おさらばしたい、ってのに。
あてがわれているゲストルームに戻り、力尽きたようにベッドへ倒れこむ。
ああ、情けない。
今、眠りに落ちたら、夢の中で、うんざりするほど道寺に説教されそうで怖い。
「絶狼、まだ痛むの?」
急に聞こえた魔道具の囁きに、俺はこっそりと眉をひそめる。
うっかりしてた。
すぐに、ベッドの上で身を翻し、仰向けになると、彼女を目の前へかざして、
「大丈夫さ。もうなんともない。」
笑顔でそう言えば、銀の貴婦人はかすかに瞼を震わせ、
「鋼牙には悪いけど、貴方は休める時間を無駄にしてはダメ。」
手厳しいアドバイスに、俺は首をすくめる。
忘れているわけじゃない。
俺がまだ休んでいられるのは、多分、鋼牙のおかげ。
奴は今、元老院からの指令に加え、俺の管轄の面倒までみていることだろう。
でなければ、とっくの昔に、元老院からの呼び出しが俺の元へ届いているはずだ。
大方、鋼牙の奴が、騒ぎ立てるばかりの元老院を、牙狼の称号で強引に捩じ伏せやがったに違いない。
まあ、そんな鋼牙を慕うレオの奴も、影でいろいろと動き回ってそうだし。
どちらにしても、あー、やだやだ。
鋼牙にでっかい貸しが、幾つもできちまった。
壮絶に、憂鬱。
死ぬまでに絶対返してチャラにしないと、死んでも死にきれないぜ。
そう思いついた瞬間、目の前に赤いノイズがちらついた。
胸が、つまる。
死、か。
この言葉は、簡単に口にしちゃいけないんだった。
ベッドに身体を投げ出したまま、うっすらと天井を仰ぎ見ていた俺は、思い出してしまう。
何よりも美しく、残酷な赤を。
その身から、とめどなく滴らせていた、彼女を。
何よりも大切だった彼女。
でも、もういない。
なのに、俺はまだ笑っている。
笑顔でいる。
「いつから、そんな風なのかな、と思って。」
俺には、どう答えたらいいかわからない。
俺はいつから、笑っている?
俺はいつから、笑っていない?
俺は。
『いつから?』
驚いて、目を見開く。
そうだ。
ずっと前にも、同じ質問をされたことがあったっけ。
はらはらと涙を落としながら、
『いつからそんな風に、笑うようになったの?』
彼女は、俺の笑顔を見て、泣いた。
俺の笑顔を、悲しんでくれた。
唯一の存在だったのに。
「きゃぁぁ、銀牙っ。」
彼女の最後の声が、耳の奥から離れない。
何もかもが、押しつぶされそうになる。
そんな自分を見捨てるように、俺は瞼を閉じる。
眠れ。眠れ。
次に目覚めたら、ここを出て行くために。
思い出せ。
俺は絶狼だということを。
なりたくてなった、絶狼なのだ、と。
『銀牙』
今でも一番、優しい響きの声。
何もなかった俺に、全てを与えてくれた彼女。
絶狼にさえなれれば、ずっと一緒にいられる。
そう信じて、疑いもしなかった。
あの時が来るまで。
ガキの頃から、ずっと。
ずっと。