元老院が存在するこの空間では、時が止まっているかのように、いつも美しい青空が冴え渡っている。
強すぎない陽射しの元、心地良い風が吹き抜ける屋外に出ても、道寺の歩みは止まらなかった。
彼の愛用している黒革のハーフブーツが、風化しつつある石畳の道を辿り始める。
長方形の象牙色をした石によって道は舗装されているが、そのざらついた石は比較的脆いらしく、罅(ひび)が入っていたり、角が欠けたりなどしていて、整然としていながらも、明るく穏やかな趣きを醸し出している。
正直、この石畳の道を、靴を履いた猫や、服を着た子豚、王冠を頂いた獅子が歩いていたって、それほど違和感がない気がするくらいだ。
びっくりはするだろうけど。
次第に、道寺の歩みがいつもの速さを取り戻し始め、俺は引き離されそうになる度、小さく走らなければならなくなる。
彼の黒い背中だけを見上げ、懸命に追いかけていたから、突然、視界に人影が飛び込んできた時は、本当に驚いて息をのんだ。
それまで、この通りには、不自然なくらい人影なんてひとつもなかったのに。
突き進む道寺の影から、突如、道の傍らに現れた三つの人影。
道の端で顔を突き合わせ、何やら話し込んでいたらしく、三人ともこちらに背中を向けていたにもかかわらず、俺の視界に入った次の瞬間、鋭く振り向いた。
ばちん、と互いの視線がぶつかってしまい、俺は軽く怯んだが、でもそんなことで足を止める訳にもいかず、そのまま道寺に続いて、彼らの側を通り過ぎる。
その数秒間、眼の端で三人の様子を捉えながら。
三人とも、八歳の俺より、明らかに年上の背格好。多分、十三、四位じゃないかな。
木製の模擬剣を腰に差し、黒い格闘着を着こんでいる。
俺と同じ、魔戒騎士見習い、なんだろう。
反射的に振り向いた彼らだったが、それもほんの一瞬だけで、すぐに元のように話し込んでしまう。あまり楽し気な雰囲気ではなく、どちらかと言えば、深刻な相談事を必死に話しているようだった。
その態度に、俺は内心、首をかしげ、直後、眉根を寄せる。
三人は、話などしていなかった。
そんな振りをしているだけで、実際は、じっとこちらを見つめていた。
通りに背を向け、自分たちの視線を隠すように、伏せた顔の影から暗い視線を向けてきている。
何だ?何を見てるんだ?
こっちを見てるのか? 俺を見てるのか?
でも、三人とも知らない顔だし、俺にはそんな風に見られる心当たりなんて全然ない。
一番不愉快だったのは、何よりその表情だった。
明らかに、抑えきれない強い怒りが眼差しから伝わってくるのに、その表情は怒りではない。もっと冷ややかで、ねじくれた何か。そんな表情の歪みが、俺には不可解過ぎて不気味に思えたが、すぐに苛立ちに変わった。
何で、俺がそんな目で見られなくちゃならないんだ?
訳が分からない分、余計に気色が悪い。
関わらない方が身のためだな。
そう結論づけて、何食わぬ顔で通り過ぎることにする。
彼らを追い越し、背の高い広葉樹の垣根に沿って歩いていると、突然、道寺が立ち止まった。
そして、身体ごと俺に振り向き、
「お前は、ここで待て。」
「え」
あまりにも唐突だったので、思わず声を上げてしまう。
まだ、あの三人の視界から逃れ切っていない。
それが不快で不安だったせいだが、道寺はいつも通りの鋭い眼差しで俺を縛り、
「そこで、ひとつ用を済ませてくる。」
そう言いながら、道寺がちらりと視線を走らせたのは、さっきの三人がいたすぐ側の建物。
あそこって、一体何なんだ?
そう思って、つい、
「そこ?」
聞き返してしまった俺に、道寺は珍しく答えてくれた。
「元老院直轄の、魔戒騎士養成所だ。すぐ戻る。」
それだけ言い置くと、彼は素早く来た道を戻り、行ってしまった。
突然、通りの傍らに置いてきぼりにされてしまった俺は、絶望的な気持ちで立ち尽くす。
よりにもよって、なんでこのタイミング。
大体、何で置いて行くかなぁ。
そんなところへ行くんだったら、俺も連れて行ってくれたっていいじゃないか。
様子くらい、見たかったのに。
他所の魔戒騎士見習いがどんなことしているのか、どれくらい強いことになっているのか、普通は興味持つだろ?知りたいと思うだろ?
そりゃあ、元老院のあるこの空間は、季節も何もないみたいだから、ここでどれだけ待たされたって、今の外界のように寒くて凍えるなんてことはないけれど。
そんな風に、がっかりと肩を落として、落ち込んでいるというのに、
「お前、…さっきの騎士のガキか?」
相手に対する敬意がかけらもない、下品な口のきき方に、俺はさらにうんざりする。
無意識に蔑むような目で振り向くと、…やっぱり、さっきの三人だった。
関わりたくない、と心底願っていたのに、先方には用があるらしい。
口もききたくなくて、小さく頷くと、三人のうち、後ろにいた二人が、歳に似合わない下卑た笑みを、にやにやと交わし合うのが目に入った。
ぞわぞわっ、と悪寒が走る。
うっわ、駄目だ、こいつら、……気色悪過ぎる。
なのに、リーダー格らしい真ん中の奴が、血の気の引いた俺の腕を掴むと、
「話がある。来い。」
三人の中で唯一笑うことなく、ひたすら不機嫌そうにしていた奴が、踏みとどまろうとする俺を無理矢理引きずる。と同時に、他の二人もさりげなく俺の両側に回り込んで、周りから俺の姿を隠すような動きをする。
奴の腕を掴む力の強さが尋常じゃないところからして、予想が確信に変わる。
うう、……マジかよ。
俺だってバカじゃないんだぜ。
前にいたところでだって、こういう目には、何回かは合ってんだ。
これは絶対、暴力だよな。
人目につかないところに引っ張りこんで、一方的に痛めつける、例のあれだよな。
勘弁してくれよ。
第一、年下に三人がかりって、お前らプライドねえのかよ。
……、ないか。
ないからできるんだよな、きっと。
がっかりの止まらない俺を、三人は脇にある垣根の死角に引きずり込んだ。
なんて意外性のない、お約束な展開。
腕を掴んでいた奴が、今度は俺の襟元を掴み、吊り上げる。
もちろん苦しいから、胸にある奴の手を両手で掴み、少しでも自分を持ち上げる。
ったく、冗談じゃねえっての。
これでも一応、男の子なんだぜ。
俺は下から睨み付ける。
すると、奴は不機嫌そうなまま、ぶっきらぼうに、
「ビビった方がいい時もあるんだぜ?…俺達みたいなのを相手にする時は、特にな。」
…あ、そ。
そんなことを言われて睨むのをやめたら、本当にバカみたいじゃないか。
当然、睨み続けたら、どかっ、と腹を殴られ、息がつまる。
「…な?殴られる回数が、増えちまう。」
いたぶるような奴の言い草に、俺はさらに目付きを尖らせた。
これくらいで折れる訳には、いかねえんだよ。
沸々とした怒りを覚えながら、俺は奴の手を押さえている両手に、さらに力を込めようとした時、
「お前、実子じゃないだろ?…どこの出だ?」
奴の言っている意味が解らなくて、一瞬、ポカンとしてしまう。
どこの出?…、って、何?
すると、俺の様子を見物していた、頭の悪そうな二人のうちの一人が、ふらふらと近づいてきた。
やたら億劫そうに俺を一瞥してから、奴に告げる。
「こんなガキ、どこの養成所(ハコ)にもいなかったぜ。大方、親無しが運良く拾われたんだろ。…なぁ?」
見下すような目つきで面白そうに嗤われ、俺はキッと睨み返す。
だが、吊り上げていた手が突然、俺をぐいと持ち上げ、すぐさま地面へ叩きつける。
いきなり地面に投げつけられ、俺は受け身も取れずに、肩からべしゃりと叩き落とされた。
ち…、一体、何だってんだよ、さっきから。
俺が苛立ちながら奴を見上げると、奴も俺と同じような目で見下ろしていた。
憎々しげな口振りで、
「お前のような奴がいるから、…俺達が、切られるんだ。俺達だって、素質に恵まれていない分、努力を惜しんでる訳じゃねえのに。
だが、引き取られる先は限られていて、しかも奴らは、才能ある若い奴から引き取りやがる。」
奴の言い分に、俺は頭を巡らす。
成る程。
こいつらは、魔戒騎士見習いの落ちこぼれ、ってヤツだな。
他の奴らが、騎士の系譜の後継ぎとして引き取られたりしていく中、取り残されたり、見限られたりして、変に焦っちゃったりしてる、いわゆる小物ってヤツらか。
まあ、お前らの言い分は解らなくもないが、だからといって、俺にこんなことをしていいっていう理由には、ならないよなぁ。
小さく息を吐き、身体を引きずるようにして立ち上がると、服についた土埃をぽんぽんと叩き落とす。
俺には、心配してくれる人がいる。
汚れて帰れば、彼女はきっと心を痛める。
それだけは、絶対駄目だ。
「何だ、てめぇ。」
三人目の奴が声を荒げ、俺の肩に掴みかかる。
弱者の取るべき態度でなかったことが、気に食わなかったらしい。
しかし、俺はその手をくぐってかわしながら、そいつの腰にあった模擬剣を拝借した。
頭を下げながら、剣の柄を握ると、素早く、広葉樹の隙間へと強引に飛び込む。
「何?!」
俺の動きが三人には意外だったらしい。
だが、これ以上付き合ってられるか。
垣根となっている広葉樹の枝は、比較的大雑把に伸びていて、隙間も多い。また、その枝先も柔らかいため、垣根をすり抜けることはそれほど難しいことじゃなかった。
艶やかな葉の茂みをかき分けて飛び出してはみたものの、そこは元の石畳の道ではなく、垣根に挟まれた細い路地だった。二人が肩を並べて歩くことができる位の幅しかない小路であるため、当たり前のように人影もない。
そう言えば、道寺を追いかけている時に、一瞬だけ、垣根の途切れた場所があったような気がする。
ならば、この路地を抜ければ、元の道に戻れるはずだ。
背後に手をのばしてくる三人を振り切るために、少しだけ膝を深く折るとすぐさま跳躍し、身を翻して三人を正面に捉え直して立つ。
目を丸くしている二人の前に、リーダー格のあの男がゆっくりと歩み出た。
「…その歳で、その動き、…引き取られる訳だ。」
その言い草に、俺は胸の中で反論する。
バーカ。俺だって、才能なんて人並み以下なんだよ。鍛練を続けて、やっとこれくらいなんだ。人一倍努力しなくちゃ、魔戒騎士はもちろん、ましてや絶狼になんか届きっこないのさ。
懸命に頭を冷やしながら、模擬剣を逆手に構え、腰を落とす。
対複数の訓練なんて、まだやったことないけど、今はそんなことを言ってる場合じゃないらしい。
大ピンチもいいところだ。
なんたって、未だに毎日することといえば、身体作りと称する基礎的な運動の繰り返し。それと、道寺から直接指導される、受けとかわしの訓練。
攻撃?
やったことない。
今だって、とりあえず道寺の真似をして構えているだけ。
正直、剣を振っても、寸止めすらできる気がしない。
しかし、そんなことは、相手にもすぐにわかったらしい。
俺のぎこちない構えを見るなり、三人はにんまりと口元だけで笑い合うと、いきなり連携攻撃を仕掛けてきた。
一対一なら怖くもないが、対三はあり得ない。
それも曲がりなりにも、戦闘訓練を受けている奴らだ。
不本意ながら、あっという間に剣を弾かれ、地面に叩きつけられてしまい、最初にあった有り様となる。
「くっ、離せ!離せよ!」
どんなつもりなのかは知らないが、奴らは俺に対して、剣を抜くことはなかった。あくまで、素手で俺を捕まえようとしてきた。
だからこそ、俺にも少しは勝機があるかと思ったのだが、やはりそうはうまくいかなかったらしい。
二人掛かりで地面に押さえ込まれても、まだ睨み続ける俺を見下ろし、リーダー格の奴が呟く。
「…お前は、恐ろしい奴だ。」
奴の右手は、細かく震えながらも、自身の左の脇腹を押さえている。
当然だ。
奴の右手にも、左脇腹にも、俺は一撃を喰らわしている。
俺を押さえ込んでいる他の二人にだって、何撃かは喰らわしてやった。
どうせ最後には、ボロ雑巾みたいにされるんだ。
だったら、ちょっとでも喰らわしておかなきゃ気が済まない。
怒りと悔しさで、ギラギラと睨み続ける俺を、奴は変に凪いだ眼で見下ろす。
それは、見たこともないほど淀んだ闇。ひどく凍てついた、諦め…?
嫌な予感がする。
奴は俺の顔の横に片膝をつくと、静かに俺の目を覗き込み、感情のない物言いで小さく告げる。
「お前には魔戒騎士になれる素質が、充分にある。
だが今、その資格を失えば、俺達には引き取られるチャンスが増えることになる。」
俺は、眉をひそめる。
こいつ、何が言いたいんだ。
そう思いながらも、背中がゾクゾクして、へんな汗をかいている自分に気づく。
奴は無表情に、懐から小さなナイフを取り出して見せると、
「……何、殺しはしない。ただ、その目をひとつ、切り裂くだけだ。」
そこで初めて、理解する。
と同時に、血が凍るほど恐怖した。
こいつら、本気だ!本気で、そんな馬鹿げたことをやろうとしてやがる!
叫ぼうと口を開いた瞬間、奴の左手が塞いだ。
その手に噛みついてやろうとしても、奴がはめている革製のグローブが邪魔して、歯を立てることもできない。
ヤバい!ヤバい!ヤバい!
くらくらするほど焦っているのに、どうすることもできない。
いくら手足をばたつかせようとしても、二人掛かりで押さえられてちゃ、びくともしてくれない。
奴の右手にあるナイフが、ぴたりと左の瞼に当てられる。
ぎゅっと目を固く閉じるが、それが何になる?
ぐ、と長く薄い冷たさが目に押し込まれてくる感触に、俺は全力で悲鳴を上げた。
口を塞がれてるのなんか、関係ない。
そうでもしないと、この不条理な現実に心が折れそうだった。
だが、ナイフは一瞬で消えた。
鈍い金属音と共に。